第11話 スケッチ
美術室というのは、どうしてこう不思議なものがたくさん置いてあるのだろうか。
奇怪な模様が施された入口ドアを開ければ新聞紙製の人形が出迎えてくれて、天井を見上げれば鳥だの恐竜だの、バリエーション豊かな模型が悠々と空を舞っている。
ここだけ異世界を切り取って持ってきたのではないか、そう思わせる空間で本日、私春風遥は僭越ながら鳴海凪紗様のスケッチを描かせていただく命を賜りました。
「それじゃあ、よろしくねはるちゃん」
おもちゃを見つけて喜ぶ子犬のような表情をする凪紗さんが私の目の前にやってきた。
ミツル君との勉強会以来、凪紗さんの様子が少し変わった気がする。
今までの凪紗さんは学校で声をかけてくれることはあったも、授業中にまで絡んでくることはなかった。
体育の時間で二人一組を組んでと言われて私がおろおろしていても助けてくれなかったのに、今日は一目散に私のもとにやってきた。
嬉しくないと言ったらうそになる。というか、体育の時間に放置されたことがちょっとだけ寂しかっただけに、声をかけてくれたことに内心小躍りしている。
「よ、よろしく凪紗さん」
「はるちゃんって絵描けたっけ?」
「……そこそこかな」
しかし、凪紗さんの来訪を手放しで喜べない事情があったりして……
画伯。そう、私の絵はアーティスティック斜め上なのである。頭の中で想像したイメージと現実に出力した絵が全く整合しない。言葉遊びをやめて一言で述べるなら、下手。
「ポーズどうする?」
「あまり難しくない感じがいいかな」
「んーじゃあ、こんな感じかな」
半笑いを浮かべながら手をゆっくりと口元に近づけてゆき、チュ。
「な、投げキ、キッス!?」
「上手に描いてね」
自分が一体何をしたのか、凪沙さんはわかっているのか……?クッと軽く突き出した唇、柔らかく閉じられた左目、そして口元に添えられた右手。そのどれもが私という一点に向けられた記号だった。
本当に、最近の彼女は悪ふざけが過ぎるのではないか。
こんなのを凝視しなければならないなんて、心臓が幾つあっても足りそうにない。
「もっと、別なポーズとかないの?」
「早く描いて欲しいな」
声色は極めて優しいのに、有無を言わせない迫力があった。
「は、はい……」
覚悟を決めて鉛筆を手に取った私は、どこから描こうかと改めて凪沙さんを観察する。
誰かをこんなにじっと見たことなどなくて、なんだか恥ずかしくなってきた。
蛍光灯の光を受けて赤く輝く艶やかな髪は、軽い螺旋を描きながら肩に垂れている。
私の眼前に突き出された指には、目立たないけどしっかりと存在感を主張する淡いピンクのネイルが施されている。
足を組んで体を捻らせて椅子に座ったことでボディラインが強調されて、腰回りの細さとその上下のボリュームのコントラストを嫌でも意識してしまう。
更に目線を下に下げると、スカートから覗く足が目に止まった。くすみ一つない精緻な人形のような足だけど健康的な肌色からは確かな生気を感じさせる。
……って何語っているんだ。私は決して彼女をそういう目で見ているわけではない。ただ、そう!より良いスケッチを描くために仕方なく見ているだけだ。
「はるちゃん」
「は、はい!?なんでしょう」
「はるちゃんの目、ちょっといやらしいかも」
「そ、そんなことないよ!?よし、描くぞー!」
背中がじんわりと汗ばんでいくのを感じながら、私は鉛筆の先を紙に当てた。結局どこから描けばいいのか分からないけど、とりあえず頭からかな?
「そろそろできた?」
「まーいちおう?」
しばらく黙々と手を動かしていたところ、凪沙さんが話しかけてきたが、私は微妙な返事しかできなかった。
理由は言わずもがな。
「見せて見せて!」
投げキッスポーズを解いた凪沙さんが勢いよく立ち上がって私の背後に回ってきた。
しかし、彼女にだけはこの絵は見られたくない。私は彼女の動きに合わせるように体を回して、凪沙さんが背後に来るのを阻止しようとした。
「ちょっと!なんで見せてくれないのよ」
「いや、だって私の絵どう考えても下手すぎて、凪沙さんに見せるの恥ずかしいよ〜」
私は胸元に描いた絵を抱き寄せて精一杯抵抗した。すると、突然凪沙さんの動きが止まった。
「ん……はるちゃん。そういう顔、できたんだね」
口元を手で押さえた凪沙さんが据わった目で私の顔を覗き込んでくる。
「……すきあり」
「ふぇ!?」
私が急に凪沙さんの顔が近づけてきたことにドキリと硬直した隙に、凪沙さんは腕をするりと私の腕と胸の間に忍び込ませて私から絵を奪い取ってしまった。
「上手だよ」
凪沙さんは絵を見た途端目を細めて褒め言葉をくれたけど、私は騙されない。
「……正直な感想は?」
「私をよく見てくれているんだね。嬉しいよ」
「どういう意味?」
「ひみつ」
「えー教えてよ」
「今はまだ、だめ」
今じゃなかったら、一体いつならいいんだ。そう言いたくなったけれど、一度秘密と言ってはぐらされてしまった以上、私に彼女の口をこじ開けるだけの力がないことは分かりきっていた。
「ヒントだけでも教えてよ」
だけど、今日の私は一味違う。下手で見せるのが恥ずかしい絵を見られてしまったんだ。そのくらいの抵抗は許してほしい。
「んー……はるちゃん、私のこと、好き?」
「……?好き、だけど」
「……そっか。今はそれがヒント、かな」
「意味わからないよ」
「今のはるちゃんには分からないかもね。でも、いつか分からせてみせるよ」
分からせてみせる?凪沙さんが私にその答えを見せてくれるのだろうか。
「さあ、そんなことより次は私の番だね。はるちゃんも私と同じポーズとってよ」
同じポーズ……つまり私も投げキッスをしろと!?
「む、ムリだよ!」
「じゃあ、肩を窄めて手を下で組んで」
「こ、こう?」
凪沙さんの意図はよく分からなかったけど、投げキッスよりはマシなはず。私は素直に彼女の言うことに従った。
「うん、可愛いよはるちゃん」
満足げに頷いた凪沙さんがすごいスピードで鉛筆を紙に走らせる。彼女の目線が私のとある一点で固定されているのは気のせいだろうか。
「できた」
ご満悦らしい。彼女にしては珍しく得意げな顔をしている。
「はや!見せて見せて」
私は自分の容姿に自信など微塵もないが、彼女のその自信満々な表情を見て少しだけ期待してしまった。
彼女から絵を受け取った。私、こんなに可愛い顔してたっけ……
いや、それよりもさ。
「なに!この胸!?」
私は失念していた。肩を窄めて、手を下で組むとどうなるかということを。両腕が私の胸の脇を挟み込む形になってしまい、胸がとても強調されていた。
「とっっても可愛かったよ、はるちゃん!」
「描き直してよ!」
私は絵を机に置いて、凪沙さんの肩を揺さぶった。しかし、彼女の満足げな笑みは深まるばかり。
「大好きだよ、はるちゃんの胸!」
「の」以下が余計だよ!いやだよ……この絵が世に出回るなんて。何が悪いかって、彼女の画力が想像以上に高いことだ。そのせいで、肉感?がリアルに表現されていて、とてもエ……
「大丈夫だって。はるちゃん可愛いし」
「可愛いって言えばなんでも許されると思ってない?」
「ほら、もう授業終わっちゃうよ」
「え……あ、ほんとだ」
スケッチを提出しないと成績に響く。もう描き直させる時間はなさそうだ。
「仕方ないなぁ」
結局最後は私が折れる。私はいつまで経っても凪沙さんには勝てそうもない。
(ごちそうさま、はるちゃん)
「何か言った、凪沙さん?」
「なんでもないよー」
でも、凪沙さんの笑顔を見るといつもどうでもよくなってしまう、そんな私がいるのもまた事実だった。
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