第2話 体力テスト

「おはよう、はるちゃん」


バイノーラル録音のやや左後方から鳴る音が耳に届いた。昨日の今日ということもあり、私は振り向くのを少し躊躇ってしまう。


「おはよう、春風さん」


そんな私の躊躇はバイノーラル録音のやや右後方から鳴る穏やかな声に掻き消されてしまった。


「お、おはよう!ミツル君」


ち、近い!振り返るや否や2人が私のすぐ背後に佇んでいたことに驚いてしまう。バイノーラル云々で比喩していたことから自明な気もするが。とにかく、私は風で少し崩れた前髪を整え、上気した頬をフラットに直すべく深呼吸をした。この間およそ0.2秒。


「そ、それにしても珍しいね、凪沙さん。この道は今まで通ってなかったよね?」


この今もナチュラルにミツル君と一緒に登校をしているゆるふわ系天使は鳴海 凪沙なるみ なぎささん。ミツル君の幼馴染にして、私が勝手に親友と称している完璧美少女だ。


「そうだね。気分転換というか、はるちゃんと一緒に登校したかったからというか、色々ね」


ミツル君の隣にいた凪沙さんがふわふわと私の隣に近づいてきて、いつもの笑みを浮かべた。そこには昨日見られたいたずらっぽさはなく、透き通った人畜無害スマイルだった。


「それに、ミツ君と一緒に登校したいのかな〜なんてね」


「そ、そんなことないよ……ほら、早くいかないと遅刻するよ」


前言撤回。よく見ると、彼女の口角が怪しく上がっていた。ほんと、最近の彼女には調子を崩される。


__________________


年度初めには、運動音痴を苦しめる一大イベントがポップする。そう、体力テストだ。高校入学後、体育の授業の初回が体力テストとか……


元教室隅っこ属の私は、例に漏れず運動が大の苦手だ。体育の授業で周りの人がやっていることがよく分からない、そのレベルで私は運動ができない。


「凪沙さん、そんなに見られると着替えづらいよ」


しかし、今の私はそれ以前のところで止まっている。日直の私は教室の鍵を施錠し、職員室に預ける必要があったため、一番最後に更衣室に入った。もう誰もいないだろうと思っていたところ、凪沙さんが1人で真ん中のベンチに座っていた。


「早く着替えないと遅刻しちゃうよ」


なんで凪沙さんがいるんだ……とは言え、急いで着替えないと本当に授業に遅れかねないので、私はブレザーを脱いでワイシャツのボタンを外した。体操服に着替えるには当然、一度下着姿を経由しなければいけない。凪沙さんは、そんななんの面白みもないはずの私の着替えをまるで品評するかのような目で見てくる。別に同性に見られても恥ずかしくないはずなのに、どうも居心地が悪い。


私がチラリと凪沙さんの方を見ると、彼女と目が合ってにっこりとした笑顔を返される。その笑顔はやっぱりいつも通りの天使スマイルで。私はぶんぶんと首を横に振り、手に取ったジャージを勢いよく被った。


「お、お待たせ」


「だいじょうぶだよ。はるちゃん、髪の毛が乱れてるよ」


うっすら笑みを浮かべたまま、徐に立ち上がった凪沙さんが手櫛で私の髪を整えてくれた。


「あ、ありがとう」


「うん、綺麗になった。じゃ、行こっか」


肝心の体力テストだけど……やっぱりダメダメだった。ソフトボールは後ろに飛ぶし、反復横飛びと立ち幅跳びの時はなぜか視線を感じたし。中でも一番ひどいのは、シャトルランだった。圧倒的ビリ。まだみんなの顔に余裕が張り付いていた序盤から私1人だけ勝手に息をあげて、すぐにへばってしまった。


そんなダメダメな私に比べて、凪沙さんとミツル君の活躍は目覚ましかった。普段はおっとり、草食動物に例えられそうな2人だけど、今はサバンナを縦横無尽に駆け巡るチーターだった。男子、女子それぞれのグループで最後までシャトルランに励む2人には、惜しみない歓声が送られていた。本当にお似合いの2人だなぁと、本来応援しなければいけないときに、そんな僻みに近い感情を覚えてしまった私が嫌になってこっそり外に出た。


「お疲れ様、はるちゃん」

  

上に向けた蛇口に顔を近づけ水を飲んでいると、不意に後ろから声をかけられた。その声の主は当然……


「凪沙さん……」


「元気がないねぇ、もしかして疲れちゃった?」

 

私が蛇口から顔を離すと、凪沙さんが両腕で私の肩を揉んできた。

 

「逆に、なんで凪沙さんはそんなに体力が有り余っているの……」


振り向くとすぐ近くに凪沙さんの顔があった。


「うーん、はるちゃんが見てくれていたからって言ったらどうする?」

 

「はー……そこは、ミツル君がいたからでしょ」

 

指を当ててそう嘯く凪沙さんに、私は冷静に指摘した。


「……ミツ君かっこよかったね?」


「うん……」


今更隠す気にない私は素直に頷いた。確かに今日のミツル君はいつにも増してかっこよかった。中学時代のどの時よりも輝いて見えた。体力テストというちっぽけなイベントでそんなことを思っていたら、この先どうなるのだろう……


「そっかー……じゃあ、今日の私はどうだった?」


「どう、とは?」


「んーとね。ミツ君と私、どっちの方がカッコよかった?」


なんて答えたらいいか分からず固まってしまう。ここでいの一番にミツル君と言えたらよかったが、いつもの凪沙さんが天使だとしたら、今日の彼女はヴァルキリーみたいでカッコよかったというのもまた事実だった。


「うん。わかったよ」


押し黙っていると、凪沙さんは満足気味に頷いて私の頭をポンと叩き、体育館の中に戻っていってしまった。


やっぱり敵わないな、そう心の中でつぶやいて私は彼女の背中を追った。


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