第6話 猫.3

「いただきまーす」

 私は、そっとカウンターの上にあった牛乳をコップに注ぎ、元の位置に戻してから、厚切りのトーストにバターをべったりつけ口に入れる。でも——何故か冷たかった。

 パンが冷めているせいでバターが溶けないことに気づいた。しかたなくクリームスープで口直しすることにして、これは間違いないな……と思いながら、もう一度飲んだ。


 そのときだった。


 バタン、という大きな音と、キッチンから只ならぬ気配、そして同時に冷蔵庫を閉める音がした。

 私は即座に防御バリアをフルパワーにした。


「快晴ーー! 快晴ーー!」

 私が何かを思う前に、お母さんはリビングを勢い良く飛び出していた。

「快晴ー! いいかげんにしなさいよー! もう八時よー!」

 更にギアを上げ二階へ向けて声を張り上げている。


 時計の針は、まだ六時半手前だった。私の頭の中は冷静だ。触らぬ神にたたりなし、と繰り返していた。やはり、今日の私は機嫌が良いのだろう。


 このあとの展開は予想できた。


「一体、何事なの?」

 慌ただしく快晴がやってきたけど、私は、お前ごとだよ、と思うだけで無言をつらぬいた。


「おはよ。とっとと食べちゃいなさい。また遅刻するわよ」

 キッチンからの強い口調に、おはよ、と声を溢ししてから快晴は席に着く。

 しれーっと視線を上げると、快晴は、ぼけーっと一点を見つめている。

 このお地蔵さまみたいなのが、私の志望校に通ってるとは信じられなかった。髪の毛は寝癖でボサボサ。頭を掻きながら大きくあくびをしている。——歯磨けよ、と思った。


 さて、今度は何だ?


 キッチンからは、ガシャン、ガシャンと、狂気的な音が聞こえる。食器が何度も何度も繰り返し重なり始めた。沸々と邪気じゃきが漏れ出してきたことを感じた。


「ごちそうさま」


 すぐに察した。最後のトーストを一気に牛乳で流し込み、食器を手早くキッチンに持って行く。

「夏期講習、忘れちゃだめよ!」

「はいはい」

「はい、は一回!」

 ぶつぶつと小言が聞こえるキッチンを向こうに、私は足早に立ち去る。

 

 ——うるさ。


 二階まで聞こえる。あーでもこーでもない。やりっぱなし、出しっぱなし。片付けろとか、どの口が言ってんだ。お母さんは思ったことは口に出さないと気が済まない性分で、とにかく角が立った。

 そして本人で自覚しているところが、また腹立たしい。どうやら私と相反して、お母さんの機嫌は悪い。

 まあ、お腹が空いただけで当たり散らしてくるような人だから、どーせ大した理由なんてないだろうけど。

 名言が降りてきた。


『人の振り見て我が振り直せ』


 先人たちの知恵が凝縮された言葉に、少し優越感を感じつつベッドに腰を下ろした。陰気臭い空気を外へと控えめに開けた窓からは、癖のある匂いがした。

 ずっと雨ばかりというのもあるけれど、いつぶりにだろうか。空が青いとか考えたのは。

 スマホを操作すると、予報は今夜からまた雨マークがついていた。

 左から右へゆっくりと流れる雲を窓ガラスごしに見つめていると、前髪が気になった。

 もう少し可愛い髪型にならないだろうか、とガラスにうっすらと映る自分を見て思った。

 癖が強いせいか、思ってるようにならないのが不満だった。


 ——ん?


 閉じようと窓に手をかけたとき、何かを感じた。

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