第5話 猫.2
起きたらまず歯を磨く。
私はお父さんの教えをずっと守っていた。
これはのちに知ったことだけど、虫歯の菌を食前に減らすと、食べ物を口にしても元凶の菌が減って酸が生じにくくなるのだが、歯磨きしないで食べると酸性度が一気に高まるからダメージ大なのだという。
私は合理的な人間である。
得意げに普段よりも要領よく歯を磨き終え、床に落ちてる靴下を足でひょいっと器用に上げ、洗濯カゴへと入れる。
これも私の日課だ。人の脱いだ物を入れる。まさに奴隷といっても過言ではない。そしてタオルで鏡を満遍なく拭きあげ、リビングへ向かう。
やたらと良い匂いがした。焼けたパンだ。キッチンからは、おはよう、と言う声もした。
お母さんは慌ただしく朝ご飯の準備をしている。
私は覚悟を決め、高圧的な空気に動じることなく足を進める。足先に引っかかった服も、なんのその。ソファーの上に散乱した脱ぎっぱなしの衣服も、なんのその。何枚も目に飛び込んできたけど、何食わぬ顔でスルーした。
でも、少々間違いを犯してしまう。
好奇心から、普段制御してるフィルターを解除しまったのだ。目を凝らしてしまう。
——衝撃的だった。
リビングを見渡せば、口がぱっかり空いたカバンに使いかけの化粧ポーチ。爪切りからメガネ。お菓子の空箱も数えきれない。あの飲みかけのコップとペットボトルは何? 何日前の? 片足のスリッパに靴下——え? カバン、何個使ってんの? ぱっと見、五、六個は転がっている。
私はそっと眼圧を高め、制御フィルターをかけるのであった。
——この家は、私がどうこうしたところで何も変わらない。
「痛っ」
制御フィルターをかけたせいだ。食卓に足を運ぶ途中で、転がっていた掃除機に足をぶつけた。すぐさま蹴り飛ばし、更に足が痛くなってきて、もうなんだか泣きたくなるけど、はあ、と息を吐いてから掃除機を隅に寄せることにした。
今日の私は機嫌が良いのだから。
「七、おはよー」
「おはよ」
どうやら、対照的にやる気のない私の挨拶が気に食わない様子だ。私はテーブルの椅子に腰かける。
「早いとこ夏期講習の申込しなさいよー」
「はいはい」
やろうと思っていたことを言われるとイラっとくるのは何故だろう。私も負けじと気に食わぬ顔をしてやる。
「はい、は一回でよし!」
つくづく
かろうじうて気持ちは保つが、私の防衛機制が反射的に張り巡ったのがわかった。
私は中学三年生で、受験生真っ只中であり、焦りだす大人たちは悪である。がんばれ、大丈夫、なんて言葉は不安を
この不安から解放されている時間はとっても貴重で、お願いだから黙っててくれ。
すかさずスマホを手に取って画面をタップした。
でも、お母さんの縦横無尽に鳴り続ける音が不快で、全く情報が頭に入ってこなかった。
何回キッチンとリビングを行き来すれば気がすむのだろう。お母さんは、手当たり次第に行ったり来たりと繰り返していた。
視線を落とすとコップには牛乳が一口にも満たないくらい入っているところを見るに、おそらく注いでいる途中でクリームスープの方が気になって、慌てて牛乳を手にしたまま駆け寄った。そんなところだろう。
キッチンから漂ってくる牛乳とキノコの香りで、そう察した。
この人には段取りという概念はない。しっちゃかめっちゃか、という言葉がピッタリだった。
本人いわく
——猪突猛進。
見たまんまでお似合いだ。ふっ、と思わず唇の端が上がった。
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