第4話 猫.1

 ——気がつくとベットの上で身体を抱え込むようにして丸まっていた。


 眠っていたのだと理解するが、まだ夢の中にいるような気もする。体勢をそのままに放ったスマホを手で探る。画面を覗き込きこむと時刻は六時。設定したアラームより三十分早い。

 少しばかり湿りをふくんだ風が、レースのカーテンをゆっくりと揺らしていた。カーテン越しの陽だまりが心地良かった。

 ゆっくりと上半身を起こし、細長い光の先に視線を移すと、縦目に並んだ白色の木の板は少し黒ずんで所々擦れて破れている。

 カントリー、北欧風というのだろうか。リアルな木目柄が壁に一面ある。

 これは私が選んだ柄で、小学生に上がったときに、お祝いとしてお父さんが貼ってくれたものだ。


 あれから何年経ったのだろうか……


 指を一つ二つ三つと数えてやめた。

 気がつけば一つの手の平では収まらないほど年月が経っていた。記憶は曖昧だった。

 カーテンを大きく開けて肺の空気をゆっくりと吐き出すと、健やかに流れる風と共に行き場のない感情も吹き抜けていく。


 今日の私は穏やかなのかもしれない……


 目を閉じて、鳥のさえずりにも耳を傾けることもできるし、見下ろせば水滴で化粧した紫陽花あじさいの花びらは瑞々みずみずしく、小さな花が寄り集まる様は恋文をつむぐ花束のように見えた。


 ……ちょっときもいか。


 ガラスに写る自分が純情ぽく見えてカーテンを閉めた。


『かいせいくんっ! あさだよー! いっしょにおきよー!』


 隣の部屋から、子供じみた音楽と声が響いた。

 一瞬にして青空満開のお花畑に土砂降りの雨が降る。

 どす黒い溜息ためいきを一息で吐き切った。


 この世は地獄か。


 目覚まし時計は一向に止む気配はなかった。これは快晴が三歳の頃から愛用している通信教材の付録的なキャラクターで、通称『コラちゃん』だ。

 この甘えるような語り口調がわざとらしく、小バカにされている気がして、さらに苛立ちを助長させた。

『おきてよ~。ごはんたべたいな~』

 と連呼している。

 早く食べさせてやれ、ぶっ壊しちゃうよ? 

 ヘンテコなメロディーは永遠と流れ続け一秒が十秒にも思えた。そして、

 トゥルルトゥルル。『かいせいくん! あしたはいっしょにおきようね!』


 ——しーん。


 急に沈黙が流れる。

 ひょっとして退屈な時間を長く過ごせば過ごすほど人間は長生きできるのでは? 部屋の時計はいつも通り、押しつけがましくあたりまえのリズムを刻んでいた。

 私は、ばかばかしいな、と小さく息をついてから、その呼吸で気持ちを切り替え軽快に部屋のドアを開けた。


「はああー」


 激しく肩を落とす。一難去ってまた一難とはこのことか。

 バタン、と一階のリビングのドアの音が響き、階段をハンマーで叩きつけるような音が迫ってきた。

 ぽっちゃり体型なのか強気な性格のせいなのかはわからないが、この人の足音はとにかくうるさかった。

「快ー! 起きなさーい! 快ー! 快晴ー!  あんたも登校日でしょー」

 それと、お母さんの声はやたらと通る上に音量が半端なかった。絶対にこの突き抜ける感じに酔っている、と私は思っていた。あと、私の鼓膜との相性は最悪だった。


 ——神さま。


 もう、地獄のままでいいから、このゲームを終わらせてくれ——

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