第11話 学園の迷い蛾伝説

 中庭に着くと、多くの人でにぎわっていた。しかし、東屋近くになればなるほど、人の数は減っていく。

 臆病な栗田は大きな体を縮こまらせて、李一と梅野の陰に隠れようとしている。あの巨漢に喧嘩を売るような馬鹿はいないだろうと、呆れながら柿崎はその後ろをついて行く。

 栗田ほど怯えはしないが、やはり近くを通ると落ち着かないのは確かだった。

 入学当初は普通の東屋だった。しかし、二か月かそこらでいつの間にか、このありさまだ。

 原因は、東屋の奥に寝転んでいる一人の男子生徒だった。遠目で見ても威圧感のある筋骨隆々な体に、逆立ててある金髪、校則など一ミリも守る気の無い気崩され改造された制服。不良たちの中心には、いかにも番長と言った風体の人物がいる。

 けれども、二か月前まで、彼はまるで別人のような人物だったらしい。今となっては噂でしかないが、以前までの彼は文武両道の硬派な人柄で、決まって学級委員を務め、校則が制服を着ているとまで言われるほどの学生の鏡のような人だったらしい。

 ところが、突然、真逆のような行動をとり始めた。髪を染め、制服を着崩し、授業のサボタージュも当たり前、今や立派な不良少年の筆頭だ。果ては、彼を真似る生徒まで現れ、今では集団で東屋を占領している。

 ふと、柿崎の頭に、昨日聞いた『迷い蛾』の怪談話を思い出された。頭に止まられたら、別人へと入れ替わる。

「柿崎ぃ~、早く来いよ~」

 呼びかけられ、はっと我に返る。馬鹿げた考えに柿崎は頭を振った。

「悪い!」

 急いで駆け寄ろうとした途端、前に男性生徒の背中が割り込んできた。ぶつかりかけて足を止める。

 男子生徒の視線の先には、当然李一たちが立っている。

「な、何?」

 困惑した様子で李一が問いかけるが、その問いに答えたのは、柿崎の前に飛び出した男子生徒でもなく、全く別の方角にいた人物からだった。

「お前さぁ、山吹佳織の幼馴染なんだってぇ?」

 声がした方へ振り返ると、先程まで東屋で寝ていたはずの高畑一心が不機嫌そうな顔で立っていた。李一が問いかけに不思議そうに首をかしげる。

「佳織ちゃん? 確かに幼馴染だけど」

「ふぅ~ん、お、ま、え、がぁ~?」

 高畑はじろじろと李一を値踏みするように眺めると、舌打ちをした。

「なるほどねぇ。あの小生意気な女と気が合うだけあって、いけ好かない顔してる」

 不穏な気配に、普段は温厚な李一も眉をひそめた。

「何の用?」

「ちょ、ちょっと李一。まずいって。あの、先輩、僕ら急いでるので」

 李一の後ろに隠れていた栗田が、青い顔をしてその裾を引っ張る。高畑はにたにたとした笑みを浮かべ、近づいて行った。下手すれば一回り違う大きな体を前にしても、李一には怯んだ様子はなく、訝し気な様子で眺めていた。

「連れない事言うなよ。良い事教えてやろうと思ったのにさ」

「良い事、ですか?」

「ああ。ほら、これ。やるよ」

 高畑が拳を突き出す。李一が手を出すと、ぐしゃぐしゃに丸まった紙をそこへ落した。

「じゃあな」

 高畑は終始、わざとらしい嫌味な笑みを崩さないまま、そのまま校舎の方へと引っ込んでいった。

「は、はぁ~……生きた心地がしなかったよ」

「怖ぇ~」

 高畑の背中を見送った後、李一の後ろに隠れていた栗田と、他人のふりをしていた梅野が、のこのこと出てきた。

 柿崎は二人の様子に苛ついたが、自分自身も大して変わらない事に気付いて、舌打ちをした。

 すると、前に立っていた人物が笑い声をあげた。

「はは、災難だったね」

目の前に立っていた男子生徒がくるりと体の向きを変える。いかにも文学青年といった風体で、頼りない薄い体に白い肌をしている。分厚く古いデザインの眼鏡があか抜けない印象を与えるが、どこか品のある仕草がただならぬ気配を感じさせる。

 どうやら高畑の知り合いという訳ではないらしく、視線には敵意一つない。

「あ、えっと……」

 てっきり高畑の手下だと思っていたので、肩透かしを食らった柿崎が言葉につまっていると、その様子を見ていた李一が男子生徒へと声をかけた。

「あれ、夏目先輩。こんなところで何してるんですか?」

「倉光。お前、高畑君に目を付けられるなんて、今度は何したわけ?」

「まだ何もしてないですよ!」

 文学青年が高らかに笑い声をあげる。気安い様子に柿崎たちが困惑していると、察した李一が男子生徒を紹介する。

「ボードゲーム部の夏目辰彦先輩。趣味はボードゲーム」

「どーも。先輩です。倉光がいつもお世話になってます。ん? お世話してます?」

「どーもお世話様です」

 気の抜けるようなやり取りに脱力する。何となく普段の部活動の様子も透けて見えるようだった。

「まあ、それはそれとして。高畑君も前はあんなのじゃなかったのにねぇ。何があったのやら」

 夏目が解せない顔で、頬を掻く。上級生でも高畑一心の突然の変化の謎は知られていないらしい。

「まさかあの噂が本当なわけでもないだろうし」

 と、思いきや、夏目はそんなことを付け足した。案の定、李一が目を輝かせて飛びつく。

「あの噂! あの噂ってどんな噂です?」

「はぁ、お前は飛びつくと思った。我が校の忌まわしき噂。『迷い蛾』伝説さ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る