第10話 危うきに近づく

 学校という場所には、その特殊な環境ゆえに『暗黙の了解』というものが横行する。学年に基づいた強い年功序列の意識であったり、立場の近いものが密集しているゆえの同族意識の強さであったり、若さからくる競争意識の強さ、様々な要因が絡み合い、他所から見れば馬鹿馬鹿しい決まりがまかり通る。

 柿崎たちが通うこの学校にも、そんな決まりがいくつもあり、知ってか知らずか、無意識的に、または意識的に、多くの者が従っている。入学してまだ数か月の一年生たちも、何となく決まりの空気を感じ取り、併合している。

 そして、そういった決まりは往々として、最上級生に都合が良いように作られている。

 例えば、中庭にある東屋なんてのは、その際たるものだった。

 校舎にぐるりと囲まれるようにある中庭は、学食の入り口があることもあり、昼休憩は多くの生徒が集まる。そんな中庭には一つ、立派な東屋が立てられている。柱には建校××年記念と書かれたプレートが打ち付けられており、建校のモニュメントであることが分かる。

 学食に面していることもあり、中庭には申し訳程度ではあるがテラス席やベンチもある。しかし、いくら校舎に囲まれているといえど、屋外であるため、夏は強い日差しに晒され、雨の日には容赦なく雨粒が降りかかる。

 そんなわけもあり、東屋は人気のスポットの一つだった。

しかし、東屋は小さく、恩恵に与れる人間は限られる。自然と、暗黙の了解として最上級生、それもスクールカーストの高い者にだけ許される場所となっていた。

 その決まりは、どんな鈍感なものにも目に見えて分かりやすく、昼休憩の東屋には華やかな最上級生たちがたむろし、近寄りがたい雰囲気を、かつては放っていた。

 しかし、この暗黙の了解は、すでに失われて久しい。

 昼休憩を告げる鐘が鳴った。学年主任を務める数学の岸野先生が休憩を告げる音に板書していた手を止めた。中途半端に書かれた文字列を岸野先生は束の間じっと見つめた後、もう片方の手で持っていた黒板消しでサッと消した。

「今日はここまで。残りの板書は日直が消すように。号令」

 穏やかさの中に芯の強さを感じさせる声音で、度の強い眼鏡をかけた女教師が教室を振り返った。年の頃は四十後半だろうか。しかし、熱量の強さが若さを感じさせる。

 日直が指示を受けて、号令をかける。授業が終り、生徒たちが席を立ち始める。李一、梅野、栗田たちも早速集まって会話を始めていた。ぞろぞろと連れたって、柿崎の元へとやって来たかと思うと、李一が笑顔で口を開いた。

「なあ、柿崎。食堂に行こう。今日昼めし用意してきてなくてさぁ」

 食堂、という単語を聞いて柿崎は渋い顔を浮かべた。同様に、栗田が弱弱しい表情を浮かべる。

「え、食堂? ぼ、僕あそこ、に、苦手なんだよなぁ」

「東屋か? 避けて通れば大丈夫だって」

 梅野が気にした様子なく、ひらひらと手を振る。

「楽観的過ぎる。外を見てみろよ」

 窓を指さしたその先には中庭がある。東屋の周辺には進学校には珍しい派手に染色された頭の集団がおり、遠目にも分かりやすく、中庭に出ている生徒たちも視界の端に入れながら、遠巻きに避けて通っていた。その様子はまるで天敵を避けて通るか弱い小動物のようだ。

 現在の東屋はヤンキーたちの溜まり場だ。集う不良たちは日に日に人数が増え、我が物顔で中庭を闊歩している。

「でも別に問題とかは起こしてないんだろ? 普通にしてれば危なくないだろ」

「君子危うきに近寄らずだ」

「この場合は石橋をたたいて渡る、だろ」

 ついつい梅野との口論がヒートアップしかけていると、李一は呆れたようにため息を吐いた後、踵を返した。

「じゃあ一人で飯買ってくるよ。三人は弁当があるんだろ?」

「あ、俺も行く。ジュース買いたい」

「え、待てって。あー、もう」

 一人勝手に歩き出した李一に梅野が追随する。追いかけるべきか迷っていると、栗田がオロオロとしながらもついていく姿が見え、慌てて柿崎は三人を追いかけてた。

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