第8話 ひらひらと

 翌日。柿崎は欠伸を噛み殺しながら、下駄箱から上履きを取り出した。木曜の朝、梅雨の中の快晴ということもあり、朝だというのに校舎は賑わいをみせている。

 一方で、窓ガラスに写る柿崎の姿は、眼鏡の奥で神経質そうに目を細め実に不機嫌そうだった。目つきの悪さは周囲からの折り紙付きで、柿崎のコンプレックスの一つだ。特に特徴のない平凡な外見の中、剃刀のような目のおかげで、いつも周囲から距離を置かれる。しかも、外見だけでなく実際の内面もひねくれているのが始末に負えない。

 ため息を吐き、靴を履き替えて廊下を進んで教室へと入ると、二人の男女が隅で楽しげに話し込んでいた。

 一人は、すらりと伸びた手足をした背の高い女生徒で、猫のような吊り目とウェーブがかった茶髪の美人だ。この美貌を見間違えることはない。山吹佳織は普段の石膏で固めたかのように動かない表情とは違い、どこか柔らかく、時折笑い声すら漏らしていた。

そうなるともう一人は決まっている。案の定、右目の下に涙(なみだ)黒子(ぼくろ)のある中肉中背の男子生徒が、ころころ変わる表情で快活に話しかけていた。童顔とも女顔とも取れる顔立ちをした倉光李一は背の高い山吹と並ぶと仲の良い姉弟のようにも見える。

「佳織ちゃん、昨日のあれだけど、もう解決寸前だよ」

「あら、随分自信があるのね」

 どうやら李一は昨日の成果を語ろうとしているようだった。山吹は一見つれない無表情だったが、その口調は意外そうで興味を傾けているのが見て分かった。

 話に加わろうかと柿崎は近づきかけたが、話が長引くだろうと気付き足を止めた。荷物を置いてからの方が良いだろう。

 踵を返し、机へ向かう途中、山吹の肩越しに李一と目があった。声をかけるか迷ったが、李一はすぐに目線を山吹に戻し、話に戻ってしまった。

 少しばかり薄情な友人の仕草に柿崎はムッと来たが、流石にこの程度で機嫌を悪くするのは心が狭すぎる。さっさと話しに合流しようと、机の上に鞄を置くと、「柿崎!」と李一が声をかけてきた。

「佳織ちゃんに骸骨の件、報告しよう!」

 調子のいい奴。少しばかり呆れながら、柿崎が振り向くと友人は大げさなほど手を振って早く来るように急かしていた。

 柿崎が李一たちへ近づくと、教室の視線が静かに集まっているのを感じた。李一の大きい声と突飛な態度も原因の一つだが、一番の理由はその隣にいる山吹にある。

不愛想で冷徹、誰であろうと物怖じず、ずけずけと物を言う彼女だが、その外見はまるで絵画から飛び出して来たかのように浮世離れして美しい。彼女から声を掛けられると、小言であっても誰もが胸を弾ませてしまう。

幼馴染とはいえ、何の意識もせずに話をする李一こそ異端で、周りの人間は間合いを取り牽制しあっている。入学してまだ数か月だが、何人もの男が告白してはフラれて涙を流していた。無表情で男の心を折る様から誰が言ったのか『鋼鉄の女』とまで評されている。

 気まずさを感じながら、柿崎が二人の前へ行くと丁度梅野と栗田が教室へと入ってきた。

栗田は縦にも横にも大きい体に、太い眉に厚い唇と堀の深い厳つい顔だちをしながらも、いつも体を丸めて気が弱そうな表情を浮かべている。梅野は対照的に、線が細く鼻筋の通った甘い顔立ちをしていて、いつも不敵な笑みを浮かべている。

並んでいると、凹凸コンビにしか見えないが、兄貴肌の梅野と気の小さい栗田は波長が合うようで、家の方角が同じということもあり、よく二人で登校してくる。

「お! 昨日の報告会か! 混ぜろ混ぜろ!」

「おはよう、李一、柿崎、や、山吹さん」

 二人は、李一と柿崎、そして山吹がいるのを見つけると、笑みを浮かべてこちらへ駆け寄ってきた。山吹が輪に加わっているからか、普段より浮足立っているのが分かる。へらへらと笑いながら合流してきた。

 そそくさと梅野と栗田が山吹と李一を囲うように間に入り、話がしやすいように円を描くような形になった。栗田がちらちらと山吹を窺っていると、不意に視線が合ったようで、栗田が焦ったように視線を手前にいた李一へと動かした。高校一年生ながら190の大台に乗る長身の栗田が視線を動かすと、ほぼ李一を見下ろす形になる。

 ふと、何かを見つけたようで、視線が一か所に止まった。

「あれ、李一。頭に蛾が乗ってる」

「え、マジで。取って取って」

 ぐいっと李一が頭を栗田へと動かす。確かに、五百円硬貨程度の大きさをした蛾が、頭頂部に止まっていた。

「や、やだよ!」

「え。じゃあ、佳織ちゃん」

「頭振ってたら逃げるんじゃない?」

「そんな」

 山吹が口をほころばして揶揄うと、李一は情けなく眉を下げた。その様子を見て、仕方なさそうに山吹は細い指で李一の頭に触れ、蛾に触らないようにかしゃかしゃと彼の頭を撫でた。髪が動き、蛾が驚いたように飛び立つ。

 何度か窓にぶつかり、徐々に位置を変えながら、蛾は空いていた窓から外へ飛び去って行った。

「ほら、逃げていったわ」

「はぁ。良かった」

 情けない表情のまま李一は下げていた頭をあげた。その様子に、山吹がおかしそうに笑いながら、「何か話があるんじゃなかったの?」と問いかけた。

 李一は少しの間、決まりの悪そうにしたが、すぐ気を取り直して話を切り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る