第4話 別人の記憶
「呆れた」
聞き終えた山吹は心底軽蔑した声音で、一言だけ零した。けれども、四人の胸を刺すには十分な一言だった。
「よくそんなくだらない事で突っかかれるわね。もっと有意義に頭と時間を使ったら?」
「おっしゃる通りで……」
返すこともなく四人ともが項垂れる。つい数分前の喧騒が嘘のように教室は静まり返っていた。しばらく、塩を掛けられたようにしょぼくれていたが、ふと、李一はとある可能性に行き当たり、ぱっと顔を上げた。
「あ、佳織ちゃんなら、迷い蛾の結末覚えてるよね!」
「え?」
「さっき話したじゃん。喧嘩の原因だよ。これで解決だ!」
「李一くん、あなたね……」
山吹が何かを言いかけて止めた。その代り、頭痛をこらえるように頭を押さえた。
「……へこたれないねぇ」
「鋼鉄の女相手に……。図太い奴」
友人たちの呆れ声を背に、李一ははっと我に返り、にやけかけた顔を強張らせた。気になることがあると周りの見えなくなる悪癖が出ていたことに気付き、口の端を引き締める。幼少期から、これだけはどうも治らない。
「ご、ごめん。なんでもない」
なんとか取り繕うとすると、山吹は苦笑いを浮かべて、小さくかぶりを振った。
「もういいわよ。怒る気もなくなっちゃった。迷い蛾、懐かしいわね」
気が抜けた様子で、頬に手を当てて少しの間思案し、山吹は語り始めた。
――入れ替わった女は、男の恋人の女と似ても似つかなかったが、周囲は彼女こそがそうであるという。女は、まるで恋人がしていたように、男のため、家族のため、尽くす。彼女がしていたように生活し、彼女しか知らなかったはずの事を話す。けれど、決定的に彼女とは違う。
男は、入れ替わった女を受け入れられず、止める周囲の話も聞かず、女を捨てて村を出た。
愛しい彼女を探し彷徨うが、彼女はどこにもいない。次第に、大切だったはずの彼女の記憶も風化していく。
男が、失うことに耐え切れなくなり、衰弱していくと、目の前にかつての蛾が飛んでいた。自分めがけて飛んでくる蛾へ、男は恐怖したが、今度は追い払うことは無かった。
その後、男は村へ帰ってきて、あの女と一生を添い遂げたという。
ただ、仲のいい夫婦だというのに、その子供は『自分は彼らの子供ではない』のだと、言い張り続けたという。
「ああー! そうだそうだ!」
「すっきりした!」
山吹が話し終えると、梅野と栗田が、懐かしさも手伝って興奮気味に声を上げた。知らなかった話の続きを知り、李一は何となくぞわぞわとした感覚を覚えていた。思っていたよりも気持ちの悪い終わり方だ。鳥肌の立った腕をさすっていると、横に立っていた柿崎が興味深そうに目を輝かせていた。
「へぇ、結構面白いじゃないか」
感心したようにそう言うと、ふと何かを思い出したようで、不思議そうに首をひねった。
「あれ、でも、どこかで似たような話を聞いたことがある気がする」
「似たような話?」
山吹がそれを聞き返した。相槌、というよりは、何か心当たりがある、そんな声音だった。
「それって、この学校にある怪談噺の事かしら」
「え、そんなのがあるの?」
「ええ」
「教えて教えて!」
山吹が口にした、『怪談噺』という単語に、李一が勢いよく食いつく。ぐいっと近づいた幼馴染に対して、山吹が慣れた様子で胡乱気な瞳を向ける。
「……あの、何? 佳織ちゃん」
「別に話す分には構わないけれど……、聞いて何をするのかしら?」
山吹が表情一つ変えず、無表情で李一の顔を覗き込む。
疑わしそうな目でみつめる山吹に、李一はつい目を逸らす。特に何かを企んでいたわけではないが、幼馴染だけあって、山吹は李一のことをよく理解している。
幼少期からの悪癖は、実はそれなりに前科がある。好奇心は猫をも殺す。変な話に頭を突っ込もうとすることに、この幼馴染は良い顔をしない。怪訝な顔で、逸らした目を執拗に見つめてくる。
「ふーん……」
じりつく視線を感じて、うっすらと冷や汗が浮き上がる。ただならぬ雰囲気に、梅野が軽く間に入る。
「まあまあ、いいじゃん、山吹ちゃん。李一のことだから、どうせ別の奴から聞いてくることになるぜ?」
梅野がフォローになっていないフォローに、山吹は嫌そうな顔をしながらも、話をすることを了承した。
「分かった。でも、ひとつ条件があるわ」
奇妙な条件を一つ言い渡しながら。
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