第8話

 カフェを出たらすでに馬車が用意されていた。

 明るいところで見るとなおのこと豪華な馬車である。

 その馬車の中で、ステラは困っていた。

 ハウンドを利用する。

 つまり換金可能な装飾品を買ってもらうつもりだった。

 しかしいざとなるとどう切り出せばいいのか分からないのだ。

 じっと観察しても微笑まれるばかり。

 親にもおねだりが成功したことがないのに、ほぼ初対面の男に対して買ってもらうというのは冷静になると不可能に思える。


(どこへ向かっているのかしら)


 馬車はそこまで速度が出ていない。貴族の多い地区を、さらに中心部へと向かっているようだ。

 ゆっくりと馬車が止まる。降りるとそこはかなりの有名店だという高級仕立屋だった。

 ガラス張りで華やかに賑わう『マリオン』。

 もちろんステラが足を踏み入れたことがない。

 ブリジットが新作ドレスを自慢する際に出てくる名前が看板に掲げられていたから分かっただけだ。

 ここに何の用事があるのだろうか、とステラはいぶかしむ。

 いや、立ちすくんでいた。

 わざわざ仕立屋に足を運ぶような美しく着飾った紳士淑女がいる場に、明らかにお古を着た人間が入っていけるわけがない。


「行きましょうか」


 ふと昨日のパーティーを思い出す。

 分不相応な場所へ連れて行って恥をかかせるつもりだろうか、と。

 胸がずきりと痛んだ。

 理由も分からないまま、ステラはエスコートされるまま足を動かしていた。


「ようこそお越しくださいました」

 

 店内は客同士がかち合わないような造りになっていた。

 それぞれに仕立て人が付き、個室へと案内されるようだ。

 少なくとも、昨日のようなことにはならなさそうだとステラは体の力を抜く。

 はじめに迎えてくれた人が案内してくれていたが、ハウンドが何かを言うと個室へついた途端奥から人が出てきて担当者が変わった。

 白髪交じりの髪を肩上ですっぱりと切りそろえた初老の女性で、見るからに自信たっぷりだ。

 そのまま女性とハウンドが何かを相談している。女性は呆れたり怒ったり頭が痛そうにしている。よほど無茶な要求でもしているらしい。 


(昨日来たばかり……という設定に真実味を持たせるために今何か仕立てるのかしら)


 採寸からとなるとけっこうな時間がかかるかもしれない。

 ステラはもともと暇だったので、歩かず休んでいられるのならむしろ丁度いいほどだ。


「ステラ様、こちらへ。お好きな色はありますか?」


 ハウンドに呼ばれて試着室へ近づく。


(なんで私の好きな色なんて聞くのかしら。いえ、そうやって私の好感度を上げようとしているんだわ。隙のない人ね)


 とはいえいきなり言われても困る。

 騙されている最中であることを考えれば、意地悪で似合わない色を選べばいいのだろうが、せっかくお金を使うのであればちゃんとしたものの方がいい、と思ってしまう。


「……薔薇色」


 口にして、しまったと気づく。

 好きな色など気にしたことがないステラは、ヒントを求めるように周囲を見渡していた。

 その中でひと際目を引いたのがハウンドの瞳だったのだ。


「あら、センスいいわね」


 女性がウインクをして笑う。


「あ、あの今のは……」


 てきぱきと指示を出し始めた女性に向かって違う、とはとても言い出せない空気だった。

 もちろん薔薇色も嫌いではない。それどころか確かに好きな色だ。


「お似合いだと思いますよ」


 ハウンドも頬を緩めて笑っている。


(ん? お似合い?)


「さあ採寸するわよ。パターンはその後」


 ステラは試着室に押し込められる。ドレスは着たままだが、カーテンまで閉められたので慌てて女性に訴えた。


「えっ、あの、私じゃないです! 今日はあの人……ハウンドさんのものを仕立てに来て」


「あら? でも彼はあなたのものを一式揃えるって言っていたわよ」


「は、はあ?」


 女性はマリオンと名乗った。

 この店『マリオン』名前だ。彼女はトップデザイナー、つまり支配人でありここは彼女の店だという。

 うろたえるステラなどものともせず手際よく採寸を進めていく。


「非常識よねえ、婚約者でもない女性の服をあつらえるなんて。私、お嬢さんのこと考えなさいって注意したのだけれど」


 ふふ、と心底おかしそうにマリオンは笑う。


「このことは絶対に外に漏らさないで、話を合わせてくれですって。その代わり見返りを頂いたの。いい商売だわ」


 さっき揉めていたのはそういうことだったのか、と納得がいく。

 しかし内容にはまったく納得できない。

 自分のあずかり知らぬところで妙な話が進んでいる。


「じゃあ好きな色って、まさか」


「あなたのドレスの色に決まっているわ。あとで生地持ってくるから。さて、採寸は終わりね」


 採寸が終わればカーテンを開けられる。

 そこには既に色んな薄紅色の生地が並べられており、ハウンドが面白そうに説明を受けていた。


「お疲れ様です、ステラ様。この生地なんかどうです? 最近発明された織らしいですよ」


「は、ハウンドさん! 困るわ、こういうの……」


 この男に微笑まれ囁かれると押し切られそうだ。

 そう直感したステラは目をつぶって声を張った。


「困る? どうしてです? ステラ様は、私を利用して全てを手に入れるべきですよ」

 

(私の心の中の決意を見透かしてるような言い方しないで!)


「でも、そんなことをしてもらう理由がないもの」


「私にはあるんです。あなたに受け取ってもらいたい。ただの私のわがままです」


 真剣な視線を向けられて、ステラは困惑したように眉根を寄せた。

 ハウンドの言い分が分からない。


 (私を騙したいから?)


 だからここまで真実味を持たせた演技をするのだろうか。

 きっと他の人にもこういうことしているのよ、と自分に言い聞かせてステラは視線を逸らす。 


「口止め料も貰っているから味方しておくけど、ドレスもらっておいた方がいいんじゃないかしら? 今のドレスじゃ困ることも多いでしょう」


 マリオンの言い分はもっともだった。

 仕立屋の立場から見えるものが多いのだろう。

 困っているからこそハウンドを利用しようとしたのだ。

 結局、もしドレスのことでステラの立場を悪くするならマリオンがとりなしてくれることになった。

 ハウンドは「リスクを減らす堅実な様子が素敵です」と特に気にする様子もない。むしろにっこりと優雅に微笑んでステラの耳元に口を寄せた。


「困った時は助ける、と言ってくださいましたよね。今、ドレスを受け取ってもらえなくて困っているんです。哀れな私を助けてくれますか?」


 約束ですよね、とささやかれ昨日の発言をさっそく後悔した。

 ハウンドはどんな手段でも自分の意思を通すだろう。

 観念したステラは大人しくドレスを受け取ることにした。


「……分かりました。約束は果たします。で、でも薔薇色は勘違いしていただけで……他の色にしてもらえますか?」


 二人共もちろん、と頷いてくれた。

 ハウンドは「好きな色を選んでいいんです」と言ってくれたし、マリオンは流行りの色を教えてくれた。

 ステラは安堵と共に惨めさで身体が縮んだような気になった。

 美しくも可愛らしい色は、自分には似合わないとステラは思っている。

 では何色が、と言われると困ってしまう。


「特にないのなら白はどうかしら。リボンの色で印象を変えられるし、染め直せばまた別のドレスになるわ」


 なるほど、とステラは納得しそれで作ってもらうことにした。

 白はブリジットも初の舞踏会に着ていったはずだ。

 初々しさが演出できるのなら婚約者探しにも有利だろう。

 色の次はドレスの形だった。

 デイ・ドレスだけでもとにかく沢山あるので、ステラは目を回してしまう。

 疲れ始めたステラを見かねて、ハウンドがマリオンに何かを相談し始めた。

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