第7話

 しばらくしていちごのパンケーキと紅茶が運ばれた。

 パンケーキには思っていた以上にたっぷりのいちごが乗っていた。

 バターソースがかかり、生クリームも添えられている。

 

 小さく切って口に運ぶと、小麦の香りが広がった。

 バターの芳醇な香りに包まれたあとにいちごを食べると甘酸っぱさが際立つ。

 口内がリセットされるとまたパンケーキが食べたくなる寸法だ。

 今度は生クリームも一緒に。


(おいしいっ……!)


「気に入りました?」


 男に微笑まれ我に帰る。


「……高級志向のお店みたいね。品質に妥協がなくて、誰でも気に入るのではなくて?」


「そうですね」


 男もステラと同じものを注文していた。

 紅茶は勝手に追加したようだが、すっきりとした香りが悔しいことに合っていた。


「ではこの店は買い取ります。いつでもお好きな時にいらしてください」


「げほっ! な、なに?」


 耳を疑う発言に、ステラは紅茶で咽る。


「聞き間違いに違いないでしょうけど、いったい何と聞き間違えたのかしら。もう一度言ってくれる?」


「ですから、この店を気に入ったのでしたら差し上げます。ここだけではなく私に差し上げられるものならなんだって」


 男は誰もが見惚れる笑顔で微笑む。

 しかしステラは見惚れるどころか、逃げ出したくなっていた。

 背筋に冷たいものが流れる。


(異常だわ)

 

 冗談だとしてもおかしい。

 どうしてこんな男に付きまとわれているのか、全く思い当たる節がない。

 パーティーの日にお礼は言ったが、それは彼が助けてくれたからだ。

 理由にならない。

 先に手を差し伸べたのは、彼だ。

 ステラは警戒心を最大限に引き上げた。


 「……あなた、名前は? どこの貴族なの?」


 平民とはお話にならない、といった態度で貴族らしく尊大に聞く。

 男が少しでも不愉快そうな態度を見せたならしめたものだからだ。

 しかし腹を立てる様子どころか、嬉しそうにはにかんでいる。


「なにが嬉しいのよ」


「あなたが、私に興味を持ってくださったからです。まるで夢のようです」


 意味不明瞭なことを言いながらほう、と恍惚に浸り男はあまりにも耽美で目に毒だ。


「私の名前はハウンド。貴族ではありますが、まだ爵位を継いでおりませんので今は地方の小領主のただの息子です」


 ハウンドは姓を名乗らず「ハウンドと呼んでください」と、わくわくとご褒美を待っているかのような顔で微笑んだ。


 ステラはそれに気づかないふりをしてぱくりといちごを食べる。

 気づいているだろうに気にしている様子はなく、なぜか男も同じようにいちごを食べた。


「ふうん? 最近王都に?」


「はい。元々こっちにいたのですが、家の都合で領地に。王都へは昨日戻ってきたんですよ」


(嘘だわ。あやしい)


 男に嘘をついたような違和感はなかったが、昨日戻ってきたというのならその足でパーティー会場へ向かったことになる。


(そして追い詰められていた私を助けた。……無理があるわよ) 


 じっとハウンドを見つめる。

 所作に隙がない。紅茶を口元へ運ぶ、その爪の先まで美しい男だ。

 モーニングコートを痩身にまとう姿があまりにも様になっていた。

 一見無造作にも見える少し長めの漆黒の髪が、ゆるく波打ち艶めいている。

 白磁の肌は窓からの光を受けて透けるような美しさ。

 薔薇色の瞳は聡明な輝きを宿している。

 それでいて視線一つで他人を操れそうな、ぞくっとするほど色気のある男だ。

 背後がフラットな革張りの背もたれであることもあり、そのまま絵画のように見える。


(こんな人が私に近づく理由が分からないわね。いずれ爵位を継ぐならなおさら。ということは爵位は嘘、つまりこの男は詐欺師ね。劇場に所属していない役者かしら)


 役者が貴族を騙す話は枚挙にいとまがない。

 投資話や贋作の売りつけなどが多いが、優れた容姿を利用して貴族に入れあげさせて金銭を搾り取るという話もある、らしい。 


(お父様やブリジットが話しているのを聞いただけだから具体的なことは分からないけれど、それ以外に理由が見つからない。でも、私をターゲットにするなんて何を考えているのかしら)


 ステラは見るからに貧乏だ。

 きちんとした貴族的振舞いをするハウンドと違い、ドレスだって昨日のままである。

 そのドレスもお古だし、ステラとはサイズが合っていない。 

 家は男爵家なりに運用しているから、ステラを陥落させたあとに家の資金を引っ張り出そうとしているのだろうか。

 

 ステラは婚約者がいない。

 昨日まではデリックがいたが、元々彼は出会った時からブリジットに惹かれていた。

 だからこそ男の一人も繋ぎ止められないステラに両親は失望し現在に至るのだ。

 婚約解消自体は先に話が通っており、ただの嫌がらせで婚約破棄お知らせパーティーを開いたのだろう。


(警察に突き出すにしても、まだ何もしていないのよね)


 現状勝手に付きまとってくるので無視するくらいしか出来ないが、ハウンドはとにかく目立つ。

 そして家には大量に、実質ハウンド宛ての手紙が来ているのだ。

 トラブルになるのは目に見えている。

 ステラは残り少なくなったパンケーキを口に運ぶ。


(何が目的なのかは分からないけれど、きっと詐欺の意味がなくなれば諦めるはず。つまり、私がするべきことは婚約者を見つけること……!)


 ステラは目標を見つけ、決意した。

 必ず婚約者を探してみせると。

 

 決意ごと飲み込むようにパンケーキの最後の欠片を口に運んだ。

 ハウンドを見ると、同じように食べ終わったところらしい。

 目が合うと蠱惑的に笑うので、ステラの心臓が思わず跳ねた。


(私を騙そうとしているのなら、望むところよ。私も、婚約者探しにあなたを利用させてもらうわ!)


「あなたはどうなの? パンケーキはおいしかった?」


「ええ。あなたと一緒に食事ができるなんて夢のようで、今まで食べた何よりも美味でした」


 男の低く柔らかな声はパンケーキより甘く響く。

 なるほど、気づかなければあっという間に囚われてしまうだろう。

 ハウンドは窓から外を見つめ、そろそろ出ましょうかと誘う。


「せっかくなので、午後もご一緒していただけませんか?」


 しめた、とステラは思わず心の中で喜んだ。

 婚約者を射止めるには正直なところ今の自分ではだめだとステラは理解していた。

 とはいえ、改善のきっかけがなかったのだ。


 ステラを騙して取り入ろうとしている男がいるのなら、ある程度『協力』してもらっても構わないだろう。

 ステラはハウンドの手を取って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る