第6話

 帰ってきたブリジットは烈火のごとく怒っていた。


 彼らは貴族の衆目の中、いつものように私という安全な玩具で遊ぼうとしただけなのだ。

 それなのに邪魔が入った挙句、逆に恥をかかされたのだ。

 両親も事態を把握していないなりにブリジットを宥めるのに必死だ。

 少なくともデリックは怪我でしばらく社交界に出られないだろう。


「最悪! ステラのくせに……っ! あんな男、どこで引っかけてきたの!」


 ブリジット怒っていた。

 しかしどこかあの不審者の情報を引き出そうとしているようだった。


「あの人のことは知らないの。私が一番驚いているのよ」


「嘘おっしゃい! 知らない女を助けて送り届けたというの? ありえないわよ」


(それは私もそう思うわ)


 あの男は誰で、目的はなんなのだろう。ステラが一番知りたかった。


「いいからあの方の素性を教えなさい。私はあの男を……そう、賠償してもらわないといけないんだから!」


「ステラ、いい加減意地を張るのはやめて教えてあげなさい」


「そうよ、姉を困らせないであげて」


 両親は娘たちが何をしていたのかを知らない。

 賠償についても本気にはしていないはずだ。

 あの男を見ていないから、ブリジットがここまで執着する理由も分からないのだろう。

 一緒になってステラを責めるが、そこには早く終わらせろという態度が表れていた。

 

 なぜ愛娘がこんなに怒っているのか、あの男を見ていないから分からないのだ。 

 しかしステラには何も言えることはない。

 名前も知らないのだ。


「あの方を独り占めしようっての? 婚約者を失ったばかりだというのに卑しい女ね。今すぐ地下室に行きなさいよ」


「……ッ! お姉さま!」


「はあ、ステラ、しばらく地下室で反省していなさい」


 父親もステラが意地になって何も言わないと思ったようだ。

 地下室。

 そこはかつてワインセラーだった場所だ。

 今は別の場所に移って、倉庫のようになっている。

 昔からブリジットが気に入らないことがあればステラは暗くて湿気ていて虫ばかりの地下室に閉じ込められていた。

 当然食事も抜きで、ステラは地下室が嫌だった。

 だからブリジットに逆らわないようにしていたのだが、どうしようもない。

 暗い地下室に足を踏み入れると、背後で鍵がかかった音が響いた。


 普段であれば二、三日は閉じ込められているところ、なぜか翌日に出ることになった。


(窓からの朝日が眩しい……)


 こんなに早い解放は珍しいのだが、理由はすぐに判明した。


「ステラ宛てに手紙が沢山来ているわ。あなた、何をしたの?」


 朝いちばんの便で大量の手紙が届いていたのだ。

 それも貴族からの美しい便せん、サロンやパーティーの招待状付きだ。

 なんとなく予想はついたものの、一応確認してみるとどれもこれも「あの方とご一緒に」の文言がある。

 あの方、つまりあのやけにキラキラした不審者だ。


(お父様とお母さま、すごく戸惑っているわ。今までこういった手紙はお姉さま宛てだったものね)


 ブリジット宛にもいきなりこの量が届いたことはない。


「お前みたいな女がどうやって誑かしたのかしら?」


 射殺さんばかりにステラを睨みつけているブリジットが、使用人に抑えらえている。

 よくよく見れば、いくつかの手紙が破られていた。


「お姉さま、いくらなんでもそれは……! 私に対してだけではなく、グレアム家の評判が落ちてしまいます」


「お前に貴族のなんたるかを指図されたくないわ! 出来損ないのくせに!」


 ブリジットは叫ぶと、踵を返して去っていった。

 両親は慌ててブリジットを追いかける。

 一瞬だけ振り返って、ため息をついた。


「ステラ、姉より目立つような真似は慎みなさい。それと婚約解消についてはお前の責任だから、地下室から出たとはいえよく反省しなさい」


 それだけ言って、姉の為のプレゼントを手配しはじめた。


 ブリジットのご機嫌取りに家中が慌ただしくなり、ステラは追い出された。

 両親はステラがいるだけでご機嫌取りの難易度が上がるので、視界に入らないところにいてほしいのだ。

 陽が落ちるまで散歩をしたり本屋へ行き、ほとぼりが冷めたら帰る。

 よくあることだった。

 川沿いを歩いていると靴底がすり減っているのか、地面の凹凸をいつもより感じた。

 芝生の生えた河川敷では、朝日を浴びながらバケットを頬張っている人もいた。


(お腹、減ったわね……)


 朝食を食べる前に外へ行けと言われたので、結局昨日から何も食べていない。

 通りには朝からやっているカフェやパン屋があり、お腹が空腹と頭が痛みを主張する。

 なるべくご飯を意識しないようにと下を向いて歩いていたら、蹄と車輪の音が近づいてくる。

 元々端を歩いていたが、馬車を避けるためにさらに端へ寄った。の、だが。

 なぜか馬車はどんどんスピードをゆるめ、ついにはステラの真横で止まった。


「ステラ様!」


(え?)


 慌てて顔を上げると、そこには今社交界が大注目している美しき不審者が馬車のドアを開けていた。


「こんな朝早くにどうされたました?」


「散歩よ」


「そうなんですね。朝日の中のステラ様も本当に素敵で……。朝からステラ様にお会いできてうれしいです。」 


「ああ、そう……」


 謎の男は馬車から降りてステラに着いてきていた。

 横に並んでずっと話しかけている。よくもそんなに話すことがあるものだと、ステラは呆れていた。


「私が話を切り上げようとしてるのは分かっているわよね。嫌な気持ちになったり諦めたりしないの?」


 たまらず向き合って聞いてしまう。

 困ったことがあれば力になると言ったので、さっそくなにかあったのかと心配していたのだがそうではないらしい。

 散歩に付き合いたいだけ、と言われても困惑しかできない。


「私に嫌われようとしていたのですか?」


(バレてる)


 このありえないほど目立つ不審者と共にいても良いことはない。

 トラブルの元凶なのは目に見えている。

 だから嫌われようとけっこうな時間嫌な態度を取っていたのに、この男はへこたれた様子も見せない。

 それどころか、薔薇色の瞳を細めて微笑んでいる。


「ステラ様はお優しいですね。私の問いかけに律儀にお返事してくださっているのに、どうして嫌いになれるんでしょう」


「……変わった人ね。でも分かっているなら話早いわ。もうついてこないで」


 きっぱりと言い切る。

 その時ぎゅるるるっと盛大にお腹が鳴った。空腹をこれでもかと訴えている。


(……っ、恥ずかしい)


 しばらく歩いたせいもあるのだろう。

 不審者が隣にいる時は多少気が張っていたのだが、気を緩めてしまったらしい。


 ステラは空腹であることが多かった。

 ブリジットの都合や、地下室に閉じ込められたりと理由は様々だ。

 空腹をお腹が主張する度、デリックとブリジットが虫を見るような目で罵倒していくのだ。「浅ましい」「豚のようだ」と。

 

 だからステラは身構えた。

 目の前の美しい男にどのように謗られるのかと。

 しかし男は馬鹿にした風でもなく手を差し出した。


「実は私もお腹が減っているので、付き合ってもらえませんか」


「……私、お金持ってきていないの」


 ここまで来て隠すことでもないと思ったステラは正直に白状した。


(貴族なら自分でお金を持っていないのもおかしい事ではないもの。まあ、侍女をつけずに一人で歩いていることがおかしいのだけれど)


 そもそも真っ当な貴族の子女なら、お金のことを心配しないはず、とステラは思う。


「付き合って頂くので当然私に任せてください」


 いつの間にか昼近くになっていたらしい。

 飲食店も活気づいて、ちらほらと人が入っている。

 男は慣れた様子でカフェに入る。

 半個室が多く、平民向けというより富裕層向けの店だ。

 メニューを広げると美味しそうな文字列がステラの目に飛び込んでくる。


(マカロン、バニラアイスクリーム、フォンダンショコラ、きのこのガレット……。選んでいいなんて夢みたいだわ)


 昔はそれなりに家族で外食をすることもあったが、ステラが使えないとなると両親の興味はステラから消えた。

 時間とお金は全てブリジットに注ぎこみ、少しでも良縁を見つける事に腐心したのだ。

 自然とステラは外食やパーティーとなると留守番になった。

 過去の思い出も過ぎりながらさんざん悩んだ結果、いちごのパンケーキを選んだ。

 男はにこっと笑うと店員に注文する。


(まあ、店員さんが見惚れているわ。散歩していた時もすさまじい視線を一身に集めていたものね)


 隣を歩く居心地の悪さも初めて体験するものだった。

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