第5話
馬車はデリックの言う通り、本当に用意されていなかった。
しかし男は特に焦るでもなく優雅に歩き、丁度門を出るところで二頭立ての立派な馬車がやってきた。
(辻馬車ではなさそうね)
自然な仕草で優雅にステラの手を取って馬車へエスコートする。
中々乗らないステラの行動を怪しまれているのかと思ったのか、男は安心させるように微笑む。
「きちんとお送りします。この道を照らす月に誓って」
「……じゃあ信用できないじゃない」
月に誓うのはステラの最近の愛読書に出てくるフレーズだ。
男が愛を誓い、女が夜ごと姿を変える不実な月に誓わないでと告げるのだ。
読んでいなければ意味不明なやり取りだが、この男も読んでいるのだろうか。
(それより、なぜ私がそれを読んでいることを確信していたのかしら)
ふと疑念がよぎるが、その疑問を深める前に微笑まれた。
「どんな姿であろうとも、あなたへの気持ちは変わりません」
男がさりげなく手に力をいれたので、ステラはようやく馬車に自分が先に入るべきなのだと理解した。
男は本当にグレアム家まで送ってくれただけだった。
門の前につけた御者がドアを開けると軽やかに降り、優雅に手を差し伸べる。
ステラが戸惑いつつも手を取ると、しっかりと支えてくれているのが分かった。
細身で線の細い美形だが、ちゃんと男性なのだとステラはかすかに意識させられる。
恥ずかしさを隠すように、ステラはずっと気になっていたことを言うために口を開いた。
「さっきは助けてくれてありがとう。助かったわ」
不審者といえどお礼は言っておきたかった。
目の前に座っている美形の不審者は感激した様子で照れている。
(器用ね)
「差し出がましいことをしました。せっかくのパーティーでしたのに。お許しいただければ嬉しいのですが、罰ならいくらでもお受けいたします」
あからさまにつるし上げられていたのに、何を言っているのだろうか。
少しずれている気配がする。
そこでステラはもう一つ思い出した。
「まあ……人は殴らない方がいいわよ。相手は伯爵家の長男だし、ただじゃ済まないわ」
「そうですか? ステラ様が止めろというのなら止めます」
「私がどうとかじゃなくて……。いいわ。私に出来ることは少ないけれど、困ったことがあればいつでも言ってちょうだい。逃げる手伝いくらいならするから。それに、殴らない方がいいとは言ったけれど個人的にはすっきりしたの。ありがとう」
デリックには今回だけではなく数年分の鬱憤がある。
目の前の綺麗な不審者の行動に恐怖したのは確かだが、ざまあみろとも思ったのだ。
「ステラ様が喜んでくださったのであればその他にはなにもいりません」
頬を赤らめて喜ぶ。その薔薇色の瞳に射抜かれ、ステラは一瞬怯んだ。
男はその隙を見逃さず恭しくステラの手を取り、その甲に口づけた。
熱くやわらかな感触が、ステラを現実に戻す。
「おやすみなさい、ステラ様」
呆然とするステラを置いて、男を乗せた馬車は走り去っていった。
「……名前聞いてなかったわ」
せめても、と走り去る馬車の家門を確認しようとしたが、闇に紛れ見えなくなっていた。
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