3、夜宮家のひみつ⑵
飛び跳ねていたプイプイがぶつかって、ティーカップが落ちて割れた。テーブルクロスに、紅いシミが広がっていく。
慌てて拾おうとする手を止められた。危ないからって。
「リリアの体に傷をつけたら、怒られてしまうからね」
「そんなこと……、え、誰に?」
不思議に思って首をかしげる。その直後、今度は近くのチェストの上でガタンと音がした。
驚いたプイプイが、暴走して飾りを倒したらしい。
「プイプイ、落ち着いて」
そっと肩へ抱き上げて、写真立てを起こす。そこには、夜宮先輩と小さな男の子が写っていた。
もしかして、弟さん──?
口を開きかけて、言葉をごくんと飲み込む。
違う。この男の人は、夜宮先輩じゃない。となりに座る小さい子がそうだ。
だったら、この人は誰だろう。夜宮先輩と瓜ふたつの顔で笑う、美少年は──。
「似てるでしょ。僕と、兄って」
「先輩の、お兄……さん?」
そっと振り返ると、夜宮先輩はティーカップの
「
思い出すのは、揺れるレースカーテンとキレイな目。ずっと心の奥にいた、あの人。
コンコンとノックがして、執事のチグサさんが入ってきた。先輩が集めた破片を片付けて、新しいテーブルクロスに変えてくれた。
どうしよう。聞きたくてたまらない。
でも、口にしてはダメな気がする。
「あの……お兄さんは、今、どこに……?」
ガシャンと、トレーを落とす音が響く。
ドアの前で、チグサさんが真っ青な顔をしていた。
「クレハ様」
「死んだよ。七年前、まだ幼かった僕をかばってね」
思わず、口を手でおおう。声が出なかった。
七年前って、わたしのペンダントが盗まれた時期と同じ。
ただの偶然? かばってって、なにがあったの?
心臓のドキドキが大きくなっていく。
「これは、兄の
言いながら、シャツの中からチェーンを取り出した。
エメラルドグリーンのペンダントには、天使と悪魔の力が宿っている。ワルい悪魔たちが狙っていると知り、悪用されないようお兄さんが保管していたらしい。
今は、夜宮先輩が代わりに守っているのだと。
見ていたチグサさんが、震える声でつぶやいた。
「まさか、彼女がそうなのですか。我々が探し求めていた……」
「リリアは、僕らのプリンセスだよ。悪魔と天使を繋ぐ、奇跡の女の子」
一体、なにが起こっているの?
【大きくなったら、今度は君をさらいに来るね。小さなお姫さま】
とつぜん、頭の中に降ってきた声。
ずっと憧れていた人は、きれいな目でわたしに告げた。目の前に立つ夜宮先輩と重なって、消えていく。
初恋の人は、夜宮先輩のお兄さんで、すでに亡くなっている。
わたしが、奇跡の女の子──プリンセス?
その瞬間、ふわっと体の力が抜けて、わたしは倒れこんだ。
カーテンから降り込む朝日がまぶしい。
いつも通り甘いハチミツトーストを食べて、鏡の前でにらめっこをする。
目を大きくしたり、イーッと歯を出してみたり。
「うーん。特になにも変わりなし」
両頬をギュッとつまみながら、小さくため息をはく。
昨日はよく眠れた。これ以上ないくらいに、それはもうぐっすりと。
私って、思ったより図太い神経の持ち主なのかも。
「よっ、学校まで一緒に行こうぜ」
家を出たら、制服のポケットに手を突っ込んで、レオが立っていた。となりの家だから、いてもおかしくはない。
でも、違和感たっぷりで、返事より先に疑問が浮かぶ。
「バスケの朝練はどうしたの?」
いつもなら、レオはもっと早い時間に学校へ着いているのだ。
「今日は中止だって。なんか、最近休んでる奴多くて。練習になんねーの」
「そんなに?」
「佐原もずっと休んでるし」
「めずらしいよね。変な風邪でも流行ってるのかな」
「リリアも気をつけろよ」
「うん、レオもね」
佐原くんが休み出して、二週間になる。たしかに、風邪にしては長すぎる。
もしかして、欠席しなくちゃならないことでもあったのかな。
坂を
「ここのばあさんどうしたんだろうな。年だったし、元気だといいけど」
ズキンと胸の奥が痛くなる。
うなずくだけで、何も答えられなかった。
あの人は悪魔で、お父さんが封印したなんて。心配そうにするレオに、言えないよ。
学校へ着いてから、トーコちゃんの視線がチクチクと飛んできている。授業中もトイレへ行くときも、ずっと見られている気がして。
わたしの肩に手を置きつつ、パタパタとはたくしぐさをしている。
「なにかあります」
その手の方に、無言で視線を落とす。トーコちゃんの手の上で、ビクビクしながらプイプイが飛び跳ねていた。
昨日、夜宮先輩の家で倒れてからの記憶がない。気付いたら、家のベッドで寝ていたの。
お父さんとお母さんも、いつも通りだった。
お屋敷で見たもの聞いたことは、すべて夢だったのかもしれない。そう心の中で言い聞かせるけど、甘酸っぱいローズティーが口の中に残っていた。
「えーっと、霊でも……ついてる?」
さりげなくプイプイをつまんで、ポケットへ入れる。
「いえ、それは分かりません。でも、今日のステルラ占いで、リリちゃんに紫の影が見えました。七年間占ってきて、初めてのことです。これは悪魔に取りつかれたに違いありません」
少々早口で説明しながら、わたしの体中をチェックしている。トーコちゃんの勘と占いは当たる。ど、どうしよう。
とりあえず、気配は感じているようだけど、見えてはいないみたい。プイプイ、ここで大人しくしててね。
なんとかごまかせたけど、トーコちゃんの監視の目は放課後まで続いた。
ボールの弾む音が、体育館に響いている。
ドリブルで相手のディフェンスをいちにと抜き、高くジャンプしたレオがゴールを決めた。
見学中の女子から拍手と「キャーッ!」の声援を浴びながら、レオがわたしの方へかけ寄ってくる。
「見たか? オレの華麗なドリブルからのジャンピングシュート!」
「すごかったね。女子からモテモテじゃん」
「こう見えて、二年のエースって呼ばれてるんだぜ」
「どちらのチームも三人ですし、夜宮先輩もいないですからね」
トーコちゃんの付け足しが、チクリと飛んできた。
「おまえぇ、オレになんの
「まあ、たしかに、さっきのはカッコよかったですけど」
これがいわゆるツンデレというものなのか。
さっきまで怒っていたレオの顔が、一瞬にして赤くなった。予想外にほめられてテレている。
二人が仲良くしてくれるなら、わたしは嬉しい。
そういえば、夜宮先輩も休みなんだ。学校へも来てないのかな。どうしたんだろう。
──久しぶりだな。こうして、誰かと一緒にいるの。
──死んだよ。七年前、まだ幼かった僕をかばってね。
あのときの、先輩の寂しそうな目を思い出す。
約束もあるし、心配だから様子を見に行ってみようかな。
「しかし、妙ですね。これだけ欠席が多いのには、なにか理由があるんでしょうか」
シャルロットの髪をなでていたトーコちゃんが、なにか考えるようにそっとまぶたを閉じた。
「そうなんだよ。気になるから、帰りに佐原ん家寄ってみようかと思ってて」
「それはいい案ですね。めずらしく唯野くんと意見があったということで、リリちゃん。調査ですよ」
きれいな黒髪をなびかせて、ほんのわずかだけど笑っている。いつもポーカーフェイスのトーコちゃんが。
佐原くんのことは、わたしも変だなと引っかかっていた。もしも、悪魔のしわざだったら……そう頭を過ぎったりして。
だから、行くとしても二人を巻き込むわけにはいかない。
「よし、決まりだ! 今日は早めに終わるから、待っててくれ」
「えっ、待って! わたし、用事が……」
「おーい、唯野! 休憩終わりだぞ。女子とイチャイチャしてないで早く戻れー」
ヤベッと焦った様子で、レオはコートへ戻ってしまった。
吉田先生が近づいてきて、私とトーコちゃんの前でしゃがみ込む。
「えーっと、天塚と
「
「ああ、そうか。応援はよろしいが、練習の妨げにならないように」
「申し訳ありませんでした」
トーコちゃんと一緒に、ペコリと頭を下げる。
「じゃ、気をつけて帰りなさい」
「はーい」
さてと、と立ち上がったトーコちゃんは、準備をするからと先に教室へ帰って行った。
……どうしよう。本気で佐原くんの家へ行くつもりだ。
でも、悪魔が関係していると決まったわけじゃない。何事もありませんように。
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