1、夜空に浮かぶ王子さま⑶
体育館へ着いた時には、すでにギャラリーがたくさんいた。三年と二年の女子で入り口が埋めつくされて、肝心なバスケの様子はなにも見えない。
背伸びをしても、この人だかりでは意味がない。もう少し背が高ければ良かったのに。
もう一度つま先を上げたとき、前のおしりにバフンと飛ばされた。
イタタ……わたしが尻もちをついたことさえ、その人は気付いていないみたい。
「リリちゃん、大丈夫ですか? あの、倒れてしまったのですが。謝ってもらえませんか?」
となりにいたトーコちゃんが起こしてくれる。注意の声もみんなの騒がしい音でかき消されて、今度は違う子に邪魔だと言う目で見られた。なんだか怖い。
「トーコちゃん、もういいよ。帰ろう」
制服のそでをくいっと引っ張った時、とつぜん女子たちの黄色い声がわき上がった。
人ごみの奥から、サラサラしたアイ色の髪が見えて、みんなが両脇に寄って道を開けていく。
ボールを持った夜宮先輩がわたしの前へ来て、足を止めた。
「会いに来てくれたんだね、リリア」
どくん、どくんと心臓が速くなる。
「……どうして? わたし、まだ何も」
名乗ってもいないのに、夜宮先輩がわたしの名前を呼んだ。
初恋の人と重なって、胸が熱くなる。まだ夢をみてるみたい。
「リリアのことは、よく知ってるよ。ずっとずっと前からね」
優しく笑いかけられて、頬がとろけそうになる。やっぱり、あの人と似てる。
もう七年も前のこと。だから、別人に決まってるのにドキドキしちゃう。
「……あっ、あの、わたし」
どうしよう。緊張して、まともに目を見て話せない。
しどろもどろになって、一歩うしろへ下がった。トーコちゃんの制服を掴んだままの手が、ぴーんと伸びる。
あれ、なんか変だ。トーコちゃんがびくとも動かない。と言うより、カチカチに凍っているみたいで……。
ゆっくり顔を上げて、ハッとする。まわりを見てみると、誰ひとり動いていない。
写真の中に入ってしまったように、みんなまばたきすらしていない。どうなってるの⁉︎
「あの約束、覚えてくれてるかな?」
わたしと夜宮先輩だけが普通に話せている。驚いてないけど、もしかして先輩が何かしたの?
それに。
「約束って」
なんのことか分からなくて、わたしは口を閉じた。
今日、初めて会ったのに、約束なんてしているはずがない。あるとしたら──。
おもむろに手をつかまれて、先輩の顔が近づく。動けないでいると、手のコウにふわんと唇が触れた。
ドキドキの音が外に聞こえてしまいそう。
「思い出してくれた?」
クスッと笑う夜宮先輩は、おとぎ話の王子様そのもの。なんて浮かれている場合じゃない。
もしかしたら、本当にあのときの人なのかもしれない。
「二人だけで話がしたかったから、みんなの時間には少し待っててもらってるんだ。傷つけるようなことはしてないから、大丈夫だよ」
みんなが人形みたいに動かないのは、やっぱり夜宮先輩の仕業なんだ。
もしも、ネックレスを盗んだ男の子が、夜宮先輩だとしたら。七年前と、見た目が変わっていないのは普通じゃないよ。
「先輩って、一体……」
何者なのか聞こうとしたとたん、おかしな物が目に映った。
バサバサと、今にも羽ばたき出しそうな黒い翼が、キラキラとしながら夜宮先輩の背中に生えてきたの。
なに……これ? ほんもの?
目を丸くして黙って見ていると、わたしの視線に気付いたのか、夜宮先輩がシーッとくちびるの前で人差し指を立てて。
「このことは、誰にも話しちゃイケナイよ。僕たちだけの秘密」
自分の小指に軽くくちびるを当てて、わたしの方へ差し出す。
指切りってこと?
よく分からないけど、夜宮先輩のこともっと知りたい。とつぜん、夢で見ていた理想の人が現れたんだもの。
そっと小指を重ねると、キュッとからまって触れたところが熱を持つ。ほわんと赤く光って、小さく消えていった。
「ちかいの印。君と僕は今、仮の契約を結んだ」
「……えっ?」
「簡単に言えば、仮の恋人になったってこと。これからよろしくね、リリア」
「……えっ、ええ⁉︎」
お昼と同じパチンという音がしたら、まわりの音が戻った。
トーコちゃんも、何事もなかったように話している。
なんだか、とてもすごいことが待ち受けている気がして、正体の知れないドキドキが止まらない。
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