1、夜空に浮かぶ王子さま⑵
午前の授業が終わって、掃除の時間になった。昼休みにトーコちゃんが話していた占いも、ほとんど上の空で聞いていたから覚えていない。だって、それどころじゃないんだもん。
ゴミ箱をかかえながら、小走りで階段を降りる。
もう一度、夢のあの人を思い浮かべてみるけど、やっぱりそっくりだ。遠目で見ただけだから、もしかしたら全然違うのかもしれないけど──。
そんな考えごとをしていたら、目の前に人がいたことに気づかず、さけようとしたわたしの足は階段をふみ外した。
……落ちるっ! とっさに目をつぶったけど、体は動かない。しりもちをつくどころか、氷みたいに固まっている感じがする。
あ、あれ? どうなってるの?
おそるおそるまぶたを開けると、長くてきれいなまつ毛の男子が、ゴミ箱を持って立っていた。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます! すみませんでし……たっ、わっ」
ゴミ箱をもらおうとしたのに、バランスを崩して逆に受け止められてしまった。支えられた肩を意識しちゃって、ドキドキしている。
「階段は走ったらあぶないよ」
「……はい」
だって、目の前にいるのが、あの夜宮紅羽先輩だったから。
赤みの深い茶色の目。ちょっぴり冷たそうな表情。近くで見たら、ぼんやりしていた人影が重なった。
ふわりと視線が合って、わたしの頬はバラの花より真っ赤に染まっていく。向けられた笑顔があまりに優しくて、胸の奥がキュッとしめつけられた。
「あ、ありが……」
お礼を言いかけて、下げた顔を足元から上げる。先輩の背後に、もわもわとした黒い影が現れた。
な、なに……これ?
パチンと指がなる音がして、まわりが一気にざわつきを取り戻す。
そういえば、掃除の真っ最中だった。
早く済ませて教室へ戻らないと。
素早くゴミ箱を回収すると、わたしは深くおじぎをして逃げるようにその場を去った。
「あの、リリちゃん? あまりにつめ込みすぎじゃないかしら?」
茶色のカバンを手に持ちながら、トーコちゃんが不思議そうにわたしを見る。
下校のしたくをしていたはずが、知らないうちに持って帰らなくてもいい書道セットまで、リュックに入れようとしていた。
あぶない。もう少しでファスナーを破壊するところだった。
「今朝言っていた【運命的な出会い】が原因ですか? それとも、お昼に伝えた【明日の真っ黒注意報】が……」
書道セットを机の横に戻そうとしたけど、手が滑ってガシャンと床へ落ちる。
「そ、そうゆうことじゃないよ? ただ」
「それほど似ていたのですね。夜宮紅羽と、初恋の泥棒さんは」
「ドロボウ呼ばわりしないでよぉ」
「でも、大切なもの、盗まれたのでしょう?」
「……うっ」
するどいツッコミと冷静な顔に、何も言えなくなる。
初恋の話を知っているのは、小学生の時から一緒にいるトーコちゃんと、隣のクラスで幼馴染のレオだけ。
好きとはちょっと違うけど、ずっと憧れてたりする。空想でしか存在しない怪盗ルパンのようなダークヒーローに会った気分だった。
穏やかに話すあの人は、不思議と怖くなくて。もらった赤いネックレスだって、まだ宝物入れにしまってあるくらい。
小さいながら、王子さまってほんとにいるんだって思ったの。
ドラマみたいだねと言ってくれたのは、最初のうちだけ。今となっては、早く現実に目を向けた方がいいよってお母さんみたいに忠告されている。
レオに関しては、初めからバカにしてからかって来たっけ。思い出しただけで腹が立つー!
一人で百面相をしていると、ふわっとした茶色の髪が視界に入った。
「よっ」
クリクリした目の可愛らしい顔が飛び込んで来る。
体操着姿のレオが机に手をついて、わたしの頭をポンと押す。
口を開いたときには、トーコちゃんがわたしたちの間に割り込んでいて、じろりと強い視線を送っていた。
「どうして
「いちゃいけねーのか。
佐原くんって、レオと同じバスケ部の子だよね。昨日から休んでいて、誰かプリントを届けてほしいと、さっきショートホームルームで先生が話していた。
くしゃっとなった髪を整えながら、交互に二人を見上げる。
「そんなこと言って、ほんとはリリちゃんの様子を見に来ただけでしょ?」
「うっせ! リリアはついでだ!」
「もう、また喧嘩して。そんなのどっちでもいいから、やめてよ〜」
顔を合わせれば、二人はいつも言い合ってばかり。止めに入るのが大変なんだから。
教室を出てからも、電流が走るようなビリビリした空気は続いたまま。
「そういえば、バスケ部へ入ったと聞きました。転校生の夜宮先輩」
トーコちゃんの言葉に、レオがぴくりと反応する。
少し遅れて、頭を触りながらぶっきらぼうに。
「ああ……女バスがキャーキャーうるさかったな。ただ顔がちょっと良いだけだろ。どうせ大したことねーよ。それに、どっちかと言えばヨッシーの方がイケメンだろ」
なにか気に食わないことでもあったのか、夜宮先輩の話題になってからあまり良い顔をしていない。
ヨッシーというのは、C組の担任でバスケ部の先生である吉田先生のこと。たしかに、カッコいいと人気のある先生だけど。
レオはそんな風に誰かを悪く言う子じゃないから、少し悲しかった。
「そんな言い方はよくないよ」
なにか理由があるんだろうけど、レオはふてくされた顔をしてそっぽを向く。
今日のレオ、どうしちゃったんだろう。
「では、これから見学へ行ってみましょう。ねっ、リリちゃん」
いつになく前のめりなトーコちゃん。
「えっ、お前ら来んのかよ! 来なくていいから」
慌てた様子で、わたしより先にレオが反応する。
「唯野くん、なにか都合の悪いことでもあるんですか? たとえば、リリちゃんに会わせたくない人がいるとか?」
「会わせたくない?」
「べっ、べつにそんなんじゃないけど」
レオはトイプードルみたいな髪をくしゃっとさせると、鼻の頭を触った。嘘をついてるとき、レオがよくやる仕草だ。
「では、問題なしですね」
おしとやかに笑うトーコちゃんに、レオは面白くなさそうな顔をする。
勝手にしろと、部活のリュックを乱暴にかついで、足早に行ってしまった。
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