第7話 守るべき人のために
夜の十九時五十五分。
あの後部屋にいるという体裁を保ちつつ、色々なところで諜報をしたり、夕食の後からは目立つことを承知で話をできそうな人から色々なことを聞いてみたけれど、結局確信めいた情報は何一つ得られなかった。
そして昨日霧山くんと、紫陽花として約束した時間になるので、特別寮の近くに潜み二十時になるのを待っている。
二十時まで後五分を切っているけれど、特別寮に目立った変化は見られず、とてもじゃないけれど侵入できそうにはない。
それに霧山くんの部屋番号を聞いていないから、どの部屋に行けば霧山くんがいるかどうかが分からないから近づけても霧山くんに会うのは骨が折れそうだ。
今日は四月とはいえ少し気温が低めだから、どの部屋も窓を閉め、カーテンをぴっちりと閉めれいるから外からの判別も不可能。
どうしようかとじーっと特別寮を見ていたその時、異変が起こった。
……モスキート音のような高周波音が、いきなりとある部屋の窓から流れ出したのだ。
それに合わせてなのだろうか、その部屋近辺のセキュリティ機器が一部動作を止めて、すごく難しそうだけれど侵入できそうな隙間ができた!
罠かもしれないと警戒しつつも、きっと高周波が流れた部屋が霧山くんの部屋だと思ったわたしは、急いで、尚且つ絶対にセキュリティに引っ掛からないよう特別寮の一角、三階の角部屋を目指す。
——! よし、なんとか痕跡を残さず、角部屋のベランダに到着できた!
バルコニーに面する窓の鍵が開いているようなので、ゆーっくりと音を立てないように窓を開けると、
「——良かった、来れたんだな」
「ええ。ただやはり部屋番号ぐらいは知らせていただきたかったのですが。……土足になりますが問題ありませんか?」
「この部屋は来客用も兼ねているから問題ない。あまり長くこのシステムを使えないから、まずは入って話そう」
わたしが窓部屋に入った後、霧山くんは壁にあるリモコンを操作すると、部屋の中でもわずかに聞こえていた高周波が消えた。
……いや、その前になにこの部屋。
一人部屋ってなんだっけ? と思いたくなるような豪華で大きなテーブルを始めとしたとんでもなく高そうな家具や家電。
チラッと見えた霧山くんの寝室もベッドが大きすぎて逆に寝づらそうだし、反対側には綺麗に整ったキッチンまである。
普通寮ですらとんでもなく奇麗でホテルみたいなのに、この部屋はその更に上、超豪華スイートルームと言ったところだろうか。……羨ましくないわけじゃないけれど、ここまで来ると逆に生活はしたくなくなるかな……。
「改めて紫陽花。来てもらえて良かった」
「とんでもございません。……先にお聞きさせていただきますが、先程の音と、セキュリティはどのような関係があるのですか?」
「数年前までいたとある女子生徒がとんでもない虫嫌いだったらしく、当時実験中だった音で虫を追い払う器具を寄付して、言い方を変えると無理矢理この特別寮に設置したらしい。だが、その当時からあって、今も毎年更新しているセキュリティ機器と同時使用すると誤作動などの問題が起こるため、同時には使えず、装置を使う場合いくつかのセキュリティが止まってしまうんだ」
……そう言われてみると、一度短い時間だけ特別寮の方から同じような音が聞こえてきたことがあったような気がする。
そんな仕組みになっているとは知らなかったし、考えもしていなかったから、その時は特別寮のセキュリティを気にもしていなかったけれど、もしその時このことに気づけていたらもう少し円滑にことが進んだかもしれない。
「そういうことでしたか。……では、昨日の話の続きといきましょうか」
「ああ、まず改めて聞かせてくれ。何故俺が狙われているんだ? 過剰な謙遜をするつもりはないが、天集院に連なる霧山家の子息で跡取り候補である以外、俺は良くも悪くもいたって普通の人間だぞ?」
「その前に亜人の歴史について説明いたしますが、かつては、それこそ遥か昔、歴史の授業や教科書には載せられない空白の間や、調べても出てこない歴史の空白までずっと亜人は人間と関わり続けてきました。ですが人間側の技術の進歩や、原因不明の亜人減少などによりここ百年程、亜人は表舞台からはすっかり姿を消してしまいました」
「なら、昨日の町田さん、そして少なくとも一人はいる俺たちのクラスの亜人、少ないという割にはクラスに少なくとも二人もいるという事実には反する気がするが?」
「そちらに関しては憶測の域を出ませんが、それだけ貴方には価値があるということです。そこで話を戻しますが、亜人は表舞台からは姿を消しているとはいえ、人間社会から距離を置いているわけではありません。例えば昨年、とあるインターネットでのサービスを経営する若社長が急に倒れて病に伏せて……といったニュースを覚えていますか?」
「……すまない、その時期日本にいなかったから覚えがないな」
「謝らなくて大丈夫ですよ。……私には上司のような存在の人がいますが、後から聞いたところ裏で亜人と手を取り合い経営をしていたそうなのですが、その実態はいいように亜人を利用したことによりその亜人の怒りを買い、報復を受けたようです。良くも悪くも人間離れした力を駆使すれば、現代技術には勝てない部分もありますが超常的な力を所持しています」
「それを長所として、表向きは人間として生活し——」
「地位や名誉を得ているものも沢山います。変に知ることは危険だと思いますので、今蒼様の前で名前こそ出しませんが」
説明に約半分が終わったところで、霧山くんも一息つきたくなったのか、これまた無駄に大きく中がすっかすかな冷蔵庫から、ミネラルウォーターが入っているペットボトルを取りだし、ぐびぐびと飲みこんでいく。
……食堂もあるんだし、冷蔵庫は流石にこのサイズである必要性はないと思う。
霧山くんはペットボトルをもう一本取りだし、わたしに差し出してきてくれたけれど、丁重にお断りさせて頂いた。
いや、嬉しい気遣いだけれど、お面を付けながらだと飲めないし、そもそも顔がバレるからお面は外せないし……!
「話を再会させていただきますね。少なくとも地位がある人間と結ばれている亜人には人間、亜人問わず簡単に手は出せません。極端な話、悪意がある行動を仕掛け、相手が亜人としての力を使わず人として倒れれば人として生活が出来ますので」
「亜人からしてみれば人間としての生活と安全の両方が手に入る一石二鳥の話ということか。だが俺が狙われるのはそれだけじゃないんだろう?」
「はい。おそらくあなたが狙われる理由は——」
わたしが答えようとした次の瞬間、部屋の電気が全て消え、部屋が真っ暗になった。
「……なんだ、停電か? すぐに仮電源が動作すると思うが」
思わぬ事態に霧山くんは手元にあったスマートフォンのライトを付けて、部屋を照らす。
「——おい! なんだこれは!」
霧山くんが部屋の中を照らしたけれど、既に部屋に元の面影は無く、
綺麗だった壁は血飛沫のようなもので汚れており、あんなにぴかぴかだった家具もすっかり錆びて荒れ果ててしまっている。
かなり危険な状況に置かれていると即座に判断したわたしは、怯えながらも気を引き締め直すけれど、こういった状況に置かれることのない霧山くんには恐怖でしかないだろう。
「紫陽花! 大丈夫か!」
だけれどわたしが霧山くんを守らないと! と思い行動に移するより早く、霧山くんはわたしの腕を掴んで心配してくれた!
「……はい、大丈夫です。お気になさらず」
「本当か? 少し声が低い気がするが……」
「気のせいです。おそらく、何者かが蒼様に対し攻撃を仕掛けているかと思われます。今この空間は外部から隔離されていると推測できます」
霧山くんに先行して行動されたのがつい悔しくて少しムキになってしまったけれど、霧山くんのスマートフォンの画面の電波は圏外と表示され繋がらなくなってしまっていて、離れてしまわないよう霧山くんの手を握り返して慎重に窓から外を除くと、……どうやら誰かが何かしらの魔法でかなり広範囲な亜空間を作ったようだ。
窓の外は学園の中等部がそのまま再現されているけれど、敷地外は完全なる闇に包まれていて、近隣にある普段は夜になるとイルミネーションを実施している展望塔すら、今は影も形もない。
セキュリティも同時に無くなっているようだからそこはありがたいけど、逆に言えば他に誰かがいる気配は一切ないので、誰にも助けを求められないということだ。
「停電なんて生ぬるい状況……じゃないみたいだな」
「ええ。ひとまずこの部屋にいる意味はありませんし、外に移動しましょう」
少なくとも学園の庭などの景色は普通だから、不気味な惨状になっているこの部屋にいる理由はないと思って、霧山くんを抱えようとしたけれど、霧山くんは窓とは反対側、普段出入りをしているであろう玄関のドアの方へ向かってしまう。
「蒼様、建物内がどうなっているか分からない以上、ひとまず窓から連れ出させていただきますが?」
「それもそうか、だがドアの鍵は閉めて——」
いや閉めなくていいですよ、と伝えようとしたその瞬間、霧山くんがドアノブに手をかけるより早くドアが勝手に開いた。
そしてドアが開くと、……何故かそこには百地さんがいた。
「百地さん? どうしたんだ?」
「——! 蒼様、離れて下さい!」
朧気な表情と一切感じられない生気。
百地さんから漂う人間離れしたその雰囲気を危険と察知したわたしは、霧山くんを部屋の奥に突き飛ばし、部屋に入ってこようとする百地さんを止めようと急いで飛び掛かる。
だが、何かがわたしの体に当たって、霧山くんごと部屋の中へ弾き飛ばされてしまう。
すぐさま体制を立て直すけれど、……どうやら大きなコウモリがわたしに体当たりしてきたみたいだ。
「……おかしいですね? こんなことが起るはずはないのですが」
「も、百地さん、一体……」
「すぐに終わらせてしまうので、霧山くんはじっとしていてくださいね。わたくしの邪魔をするお邪魔虫は即座に駆除しなければいけませんので」
そう冷たく言い放った百地さんの髪はどんどん白くなり、口元からはいつも以上に鋭い八重歯が見え、黒目はとても綺麗な赤色に染まっている。
「一応吸血鬼の次期女王とまで言われているんですよ? 何かしらの強化をされているみたいですが、わたくしには敵いません」
百地美紅。
彼女は、入学してからできたわたしのクラスメイトでもあり、そして強大な力を持つ亜人の正体だったんだ!
……でも、彼女の狙いはどうやら霧山くんではなくてわたしのようだ!
とはいえ、霧山くんをここに置いていくには他に仲間がいないとも限らないから危険だし、さっきの使い魔であろうコウモリもいるからとても現実的な案じゃない!
「蒼様! ジャンプしてください!」
「え、——お、おい!」
霧山くんがジャンプをして宙に浮かんだ瞬間、わたしは彼の体を掴み、わたし霧山くんは窓から全速力で部屋を脱出する。
全力で逃げたから追われてはいないみたいだけれど、おそらくこの空間を作ったのは百地さんだろう。
思い返せば最近噂になっていた、学園内でコウモリが巣作りをしているという噂も、おそらく彼女の使い魔が秘密裏に行動していたからで、家庭科部の面接の時、部屋の中で妙な血なまぐさい匂いがしたのも、きっと百地さんが何らかの魔法を使っていたからなのだろう。
校舎近くまで移動すると、……誘い込まれているのかもしれないけれど、校舎の中に通じるドアがいつものように開いていた。
ひとまず校舎内に入ったわたしと霧山くんは、一階にある誰もいない職員室に身をひそめる。
「蒼様。……この様なことになってしまい申し訳ございません」
「お前のせいではないだろ。……今聞くことではないんだろうがあえて聞かせてもらう。俺は何故亜人に狙われるんだ?」
「おそらく貴方の血を求めているのかと思われます。遥か昔、天集院に関する血筋から協力な亜人が生まれたためです。……私のことといい、ご親族の方からは何も聞いておられないのですね」
「ああ。家で親しくしてくれるのは母親だけだからな。だが俺の苗字がから察することはできると思うが、母さんも天集院家では主流派ではなく、あまり立場は強くない。……思い返せば母さんと行動する際にはお前のような屈強な護衛がいつもいたが、そういう理由だったのか」
「ちょっと待ってください。お父様は現在の——」
「それがどうやら違うらしいんだ。俺が大切にしているあのボールペン、もしどうしても父親に会いたくなったらそのボールペンを調べろと、昔母さんから受け取った物なんだ」
手助けして置いて、どうしてそんなに大切なものを持ち歩いているのかが分からなかったけれど、一種のお父さんの手掛かりでもあったからなんだ。
だったら、晴れの日である入学式の日に持ってきたことも腑に落ちる。
「……お互い話すことは話したようですね。では、貴方はここで待っていてください」
「おい、まさかお前——」
「大事にはなりませんよ。任務を受けている間、貴方のことをお守りするのが私のお役目ですので」
そう告げたわたしは霧山くんを置いて、職員室を出る。
そして移動したわたしはどこからでも発見されやすい場所、主に陸上部が使用している一番広いグラウンドのど真ん中に立つ。
「……かくれんぼをする余裕があるのですか?」
「そこは何とも言えませんね。こうして亜人と本格的に対峙するのは初めてなので」
「最後でもあるでしょう? ……足、痛くありませんか?」
百地さんの異様な雰囲気がさらに強くなった。
彼女は先程コウモリに弾き飛ばされた時の擦り傷を見ているようだけれど、吸血鬼は人の血を吸って強大な力を発揮する亜人。
既に誰かの血を吸っているかは分からないけれど、こんな強力な空間を作り出す術まで使えるんだ。
少量でも彼女の口にわたしの血が入ってしまえばおそらく戦いにはならない。
……でも、本当に百地さんと戦わなければいけないのだろうか。
まだ知り合って間もないとはいえ、彼女と過ごした時間は楽しかったし、ご飯も一緒に食べて……そういえば百地さんはほうれん草とかレバーとか、鉄分が多いものばっかり食べていたから、それも疑念材料ではあったのか。
それに、今日一日わたしのことをじっと見ていたのも、きっと今この時わたしを排除するためだったのだろう。
「擦り傷だから後で治ると思いますが?」
「そうですか……。なら、これ以上動いて悪化させないよう、動かなくするしかありませんね」
そういった彼女は透明になって、わたしの視界から消えてしまった。
超高速で動いた⁉ と思ったけれど、それにしては風を一切感じないからきっと透明になったのだろう。
どこから仕掛けてくるのか——と思った瞬間、すごい風圧を感じ取ったわたしは、思わず後ろへジャンプする。
次の瞬間、やはり透明になっていたのか、百地さんは姿を現わすけれど、どうやら軽く地面を蹴っていただけのようだ。
こんなの忍術を使っている状態とはいえ、もう一度は受けられない! と思った瞬間、意識していなかった背後から衝撃、おそらくなにかの体当たりを喰らってしまい、地面にたたき落されてしまった!
……ぐ、さっきのコウモリが身を隠していて、体当たりをしてきたのだろう。
忘れていたわけじゃないし、少しは警戒していたのだけれど、決して大きくないはずなのにすごい力……! 衝撃で仮面も少し壊れてしまったし、身体能力の差が圧倒的過ぎる……!
「その忍者のコスプレ、どういう趣味なんでしょうか……。まあいいです、忍術も使わない忍者なんてただの人間でしかありませんね」
……コスプレ? この恰好が?
仕方ないじゃん。凶器は危ないし、手裏剣やクナイを使うのも製造費用が高く、万が一回収し忘れたりしたらすぐに足が着くからって、武器の使い方なんて何も教えられていないし、それでも万が一の時に使うための小太刀しか受け取っていないんだから。
その小太刀も、今は百地さんを傷つけるから使えないし。
「まあ、そうかもしれません。でも、忍術は使っていますよ?」
「何を言って——え?」
百地さんの顔から、急速に余裕が消えてゆく。
何故なら、使い魔が何故かもう一人いたわたしに捕まっているからだ。
そう、実は移動している最中に影分身の術を使って、分身を一体隠しておいたんだ。
本当は影分身の方に百地さんを捉えてもらうつもりだったけれど、不意を突いても百地さんを捕まえられなさそうだったから、諦めて使い魔であるコウモリの方を捕まえることにした。
なおこの術、分身は喋れないし、すごく魔力を使うからあと数分ももたない。今のうちになんとか攻撃をやめてもらうよう交渉しないと……!
「影分身の術……です。最初から分身を隠していたんですよ」
「た、大砲丸! ……く、ここは手を引くので、大砲丸には危害を加えず解放してください……!」
「大砲丸?」
「その子の名前です! ……ごめんなさい、忍足さん。助けることができなくて……」
大砲丸というネーミングセンスはともかく、使い魔のコウモリはすごく大切なのだろう、一気に勢いを削がれた百地さんを見て、わたしは大砲丸……使い魔のコウモリを解放した。
彼女の意思を無視して手に掛けることもできなくないけれど、そうしたら彼女の怒りを買うことになるだろうし、なによりわたしがやるべきことは霧山くんを守ることで、彼に手を出す亜人を傷つけることではないのだから。
……って、ん? 助けるってわたしを?
「その子は助けたでしょう、特に危害を加えていませんよ」
「それは見て分かります! でも、こうして目の前にいる忍足さんが誰かに操られているというのに、解放することができな……い?」
「……私、誰にも操られていませんよ?」
「でも、大砲丸が不審なことをしている女子がいてそれがまさかの忍足さんで……、昨日も忍足さんが変な恰好で霧山くんと夜に動き回っていたとも……、それに、普段と喋り方や雰囲気も全然違いますよね? 今日も何故か特別寮に行ったりしていましたし」
「え、えっと……百地さん、わたし、一応忍者もやっていまして……。あ、わたし一応霧山くんの秘密の護衛をしているんだけど、霧山くんのことは狙ってないの?」
「霧山くんですか? わたくしは彼のことは友人として好きではありますが、別にそれ以下でも以上でもありませんよ?」
「「…………」」
わたしと百地さんの間に気まずい沈黙が流れる。
もしかして百地さん、大砲丸から様子がおかしいわたしのことを聞いて、わたしを助けるために行動していたってこと?
そういえば霧山くんに危害を加えようとするどころか、興味が全くなさそうだったし。
「続けて確認なんだけれど、町田さん、ボールペンの時の子のことは知ってたの? あの子、レプラコーンの亜人だったんだけど」
「え、そうだったんですか? 亜人の間だとわたくしは有名らしいのですけれど、逆にわたくしは他の亜人のことについては全く分からないんです。そもそも、吸血鬼の力だって大砲丸と戯れる時ぐらいしか使っていませんし」
「……面接の時は?」
「うう、忍足さんと霧山くんに置いて行かれるのが怖くてつい印象を良くするために魅惑術を……」
なんかこうして互いの言い分を聞くと脱力するような結末だ。
お互い、ただの勘違いで衝突していただけだなんて。
……とはいえ、不慮の事故でお互いの正体を知ってしまったのは良くないかもしれない。
「それで忍足さん、亜人であるわたしを始末するのですか?」
亜人は基本的には人の敵。
一部共生をしている亜人もいるけれど、人間を脅して利用したり、一種の餌としか思っていない亜人もいる。
百地さんがわたしに危害を加えないということと、わたしが百地さんに危害を加えないということは両立し得ない。
日本の忍者のように、世界では亜人を倒すことを生業としている人がいて、その人達は容赦なく亜人を——
「おい! やめろ! お前らは俺の友人だ! そんなことを見過ごせるか!」
「——蒼様!」
職員室に隠れていたはずの霧山くんが、いつの間にかグラウンドまでわたしを追ってやってきていたみたいだ。
霧山くんは会話を聞いていたのだろう、百地さんに危害を加えることは許さないのか、わたしから百地さんを守るように立ち塞がる。
……霧山くん、紫陽花としてのわたしも、百地さんのことも友人として守ろうとしてくれているんだ。
なら、わたしが出す結論はただ一つ。
「——改めてお二人にお伝えさせていただきますが、私の任務はあくまで蒼様の身柄をお守りすること。なので亜人であろうと蒼様の友人であるあなたに危害を加えるつもりはありません」
「……! お——」
遠回しな言い方だけれど、要は今日のことはお互い水に流しましょうということ。
百地さんもわたしの意をくんでくれたのか、名前を呼びながらわたしの元に近づいて来ようとしたから、わたしはすぐさま百地さんの口を手で塞いだ。
(百地さん、わたしが忍足紫ってこと、霧山くんは知らないから喋っちゃ駄目!)
(そうだったのですか? てっきり、転校初日から知らないふりをしていただけかと……)
(そうなの。幸い、霧山くんも気づいていないし秘密にして、……って、よく考えたら百地さんのこと霧山くんが知っちゃったけど、どうしよう?)
(……その前にそろそろ貧血が酷くて、この空間も壊れそうなんです。わたくしは誰かの血を吸ったりすることはしたくないので、こうならないよう普段は鉄分たっぷりの食事をしているのですが、それでも記憶を操作する術は使えないので……)
「……おい、さっきから何をぼそぼそと話しているんだ? 夜空も変な様子だし、やばいんじゃないのか?」
霧山くんに秘密を悟られないよう、百地さんとこっそり話していたから気づかなかったけれど、百地さんが作ったこの空間を維持できなくなっているのだろう。
校舎が消えかけていたり、夜空にひびが入ってしまっている。
「ちょっと、これ大丈夫じゃないですよね……」
「そろそろ限界なので解除します。……霧山くん、一つだけお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「ああ、お前たち二人のことは喋ったりしないし、学校でも私生活でも俺の友人だ。だからそんな悲しい顔をするなよ、二人とも」
百地さんとわたしが考えていることを全てお見通しだったのだろう、霧山くんのいつも不愛想な表情からは優しい笑みがこぼれた。
「不覚ですがかっこ良かったですよ、蒼様」
「お前もな、紫——」
霧山くんの言葉を聞き終える前に、目の前が真っ暗になってしまった。
次の瞬間には元通りの、何も変わっていない霧山くんの部屋にわたしと霧山くんは立ち尽くしていた。
だけれど、百地さんは相当無茶をしていたのだろう、わたしのすぐ近くには、大砲丸を抱きしめていた百地さんが苦しそうな顔をしながら倒れていた。
髪や目の色は戻っているけれど、顔色は良くないままだ。
「——おい、百地、大丈夫か⁉」
「ひ、貧血が酷くて……、情けないですが寮まで送って頂けないでしょうか? 鉄分たっぷりの栄養ドリンクを飲んで、ハイカロリーのチョコレートを食べて一晩安静にしていればすぐによくなるので……」
「それで良いなら構いませんが、血を飲まなくていいんですか?」
「……笑われるかもしれませんが、わたくし、昔から吸血鬼であることが嫌だったんです。人より強いなどと言っていながら、結局その人を傷つけなければいけない矛盾した弱さが。……まあ、今もこうして誰かを傷つけようとしていましたが」
「勘違いであることはともかく、誰かのためを思って行動してくれたことは紛れもない百地さんの優しさです」
「ああ。ひとまず冷蔵庫にあったこれを飲め。鉄分も多いらしいから少し楽になるだろう」
霧山くんから手渡された栄養ドリンクを百地さんが飲んだ後、本来いないはずの人が二人も特別寮にいたら大問題だから、わたしは窓から百地さんと大砲丸を連れて霧山くんの部屋を離れた。
別れ際に紫陽花としての連絡先と、緊急用の連絡手段も霧山くんに伝えたから、今後は護衛任務もスムーズになりそうだ。
なにより、これだけ動いても尚、霧山くんに忍足紫と紫陽花が同一人物であるとバレなかったのが何よりの幸いだ。
それからこっそりと百地さんを部屋に送って、栄養ドリンクを大砲丸と一緒百々地さんへ沢山飲ませたら大分元気になったので、ひとまずわたしも部屋に戻ることにした。
すごく長い夜に感じられたけれど、正味二時間も経っていなかったのか。
……明日こそ家庭科部も始まるだろうし、強力な亜人の件も解決したから今日ぐらいゆっくり休んでもいいよね。
そう思いながら、わたしはベッドでのんびり休むことにした。
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