第2話 霧山くんってもしかして……

 それからは教室で自己紹介や簡単なレクリエーションを終えて、初日の学校は終わりになったので、わたしは教室で仲良くなれた萌黄さんと百地さんと一緒に、寮へ向かっている。

 いきなりどでかい印象をクラスメイトや近くにいた生徒全員に与えてしまったのか、その後は二人以外との女子生徒や、霧山くんとも話すことができたけれど、明らかに目立ちすぎてしまったから、これでは忍足くんを狙う人からも逆に警戒されてしまうだろう。

 だからと言って、あの盗みを見て見ぬふりはできなかったし、万が一そこから更に事態が悪くなることも考えられるから、……ここは飲み込んでおくしかないか。

「はあ、どうしよう……」

「忍足さん、顔色が悪いですけれど、どこか痛いのですか……?」

「先生から聞き取りもあったし、これ以上ゆかりんが怪しまれることはないって。それともあの子も一応ある程度の調査の後、おそらく退学処分になる……だろうから気にしてる?」

 退学処分。

 冷静に考えれば霧山くんの立場を抜きにしても、入学初日に他生徒の私物を盗むなんて蛮行、重い処分が下って当然だろう。

「ま、まあそこも気にしてないと言ったら嘘になるけれど……」

「だったら一旦頭を切り替えなって。少なくとも紫がこれ以上先生方から疑われることもないだろうし、蒼からも感謝されてたじゃん」

「それはそうだけど、女子の視線が痛かった……」

 



 時は少し戻って、霧山くんのボールペンを無事取り返したころ、

「ええと、お前、名前は?」

「忍足紫です、いきなり過ぎた真似をしてしまってごめんなさい」

「いや、忍足は何も悪いことをしていないだろ? これは大切な……ん、なんで俺の名前を知っているんだ?」

 あ、しまった! 自己紹介もしてないのに名前を知ってしまっているんだ? って霧山くんから疑われてる!

 盗んでいたところを見ていたということもあり、今度は逆に自分が疑われかねない!

 別に凝視していたわけではなく、単に怪しい素振りが見えてしまったから注視してただけなのに!

「いや、それはそうでしょ? 蒼が中等部から学園に復帰すること、年始明けには初等部では話題になってたし、その影響で入試希望者も増えたぐらいなんだから」

「そうなのか?」

「そうそう。だからゆかりんが蒼のことを知ってても何もおかしくないってこと。まあ、さっきは照れ臭かったのか、知らないふりをしてたけど。まあ、そもそもあたしの隣にいたんだから気付かない蒼がボサっとしてたんじゃない?」

「まあ、確かに気付いていなかったが」

「あはは……、そういう感じです」

 霧山くんがわたしに抱いている疑念を、何も知らないはずの萌黄さんは体良く晴らしてくれたけれど、まあそこまで間違ってないし、ここで否定したらさらにややこしくなるのは明白なのでわたしからは特に言及しないでおこう。

「成程。……なら、やたら女子が俺の周りにいたり、学校に入ってからもやたらスマホのカメラを向けられているのは、司やお前の悪戯の一環ではないのか」

「だから違うって。……そこまで無自覚だと嫌味になりかねない、っていうか司も含めて男子全員に対する特大級の嫌味だから、少しは自分の女子人気を把握しとこっか?」

 霧山くん、あれだけ女子に囲まれても全く物怖じしていないのは、彼なりの余裕の表れだと思ったけれど、単に萌黄さんの悪戯か何かだと思っていただけなの⁉︎

「なら俺が言うことは一つか、……好意を向けてくれるのはありがたいが、そろそろクラスごとのホームルームも始まるし、改めてみんなひとまず解散してくれ。まだ学校生活はこれからだし、皆とはきちんと話せるときにゆっくり話していきたいからな」

 霧山くんがそう告げると、先程の件もあったのか、女子生徒はみんな進んで自分の席やクラスに戻っていった。

 その後も、クラスに来た先生に事情を説明したりでてんやわんやになってしまって——

 でも、ああしなければ悪事を見逃し、霧山くんのボールペンが盗まれたままだったんだ、これからの任務と学校生活に支障が出ることくらい、くらい……!

「まあ、忍足さんが今日のところは一歩リードというところですよね」

「別にそういう気はないし、仮にそうだとしても一歩が大きすぎてこれから悪目立ちしそう、いや、もうしてるのか……」

「はーい、嘆きタイム終了。寮に着いたよ」

 校舎から数分歩いたところにある、同じ敷地内にある寮に着いたけれど……入試の時に初めて見てびっくりしたけれど、外装だけでも偉く立派で豪華な建物。

 萌黄さんと百地さんは数日前から一足早く入寮しているらしいけれど、わたしは昨日までお父さんの引越しの手伝いや、受験で殆ど会えず遊べなかった小学校の友達と遊んだりしていたから、荷物だけ予め送って、寮に入るのは入学式当日、つまり今からになってしまった。

 一応寮は相部屋などではなく、一人一室だから任務の準備や偵察、お父さんとの連絡などには支障はきたさないのが幸いだ。

 ……ここだけの話、実は数日前に自分が入る一般寮や公舎周辺のセキュリティなどは偵察して全て把握しているから、どうしても見つかりやすくなってしまう真っ昼間や、わたしをいないことを証言をする人がいない限り、いつでも学校は抜け出せる準備も万全にしてある。

「あ、そう言えば二人とも一般寮だよね?」

「はい。わたくしは一般寮です」

「わたしもだよ。言い出しっぺの萌黄さんは?」

「親が一般じゃ駄目って煩かったけれど、司も一般寮だし、出入りが面倒だって先輩から聞いてたから一般寮にしたよ。そりゃ特別寮の方が色々豪華だけど、普通に暮らす分には一般寮で十分だしさ~」

 ……なのだけれど、現状わたしやお父さんでも手出しできない場所がある。

 それがこの男子女子で別れている寮の更に奥にある、チラッと見える廊下だけでもホテルを飛び越してテーマパークみたいな装いになっている超豪華な建物。

 天集院学園はお金持ちや有名な芸術家などのご子息、また推薦で入学したり若くして芸能活動をしている人のために一般寮とは別に、セキュリティがさらに厳しい特別寮というものがある。

 そのセキュリティの強固さは明らかに常軌を逸脱していて、わたしもお父さんも一見しただけで潜入は無理だと諦めたほどだ。

 そもそも忍者でなくても近づく気が起きないぐらいの物々しい防犯システムが張り巡らされていて、もし何の警戒もなく近づいたらすぐ作動しそうな強固なセキュリティが張り巡らされている。

 これに関してはお父さんも想定外だったみたいで、お父さんが依頼主にこの件を伝えたら、「事前に伝えている通りひとまず特別寮は問題ない、それ以外の場所を頼む」、というそっけない返事が返ってきたそうだ。

 その方がわたしもお父さんも楽だから良いけれどさ、やっぱり色々と不審な点が多いよ、この任務。

 色々思うところがありつつも、寮の受付で既に送っておいた荷物を受け取ったわたしは、一度萌黄さんと百地さんと別れて、自分の部屋に向かった。

 そして自室に入るけれど……うわあ!

「何この部屋……何この部屋!」

 部屋に向かったわたしを待ち受けていたのは、以前お父さんと住んでいたマンションの倍近くはあるであろう広々とした部屋!

 ベッドや一部家電は備え付けとのことだけれど、どれも目が痛いぐらいにピッカピカ!

 ……うう、受験、頑張ってよかった! じゃなくて!

「ある程度荷物を片付けたら、一階の広間で打ち合わせるんだよね、さくっと片付けちゃおっか」

 ひとまず部屋に監視カメラや盗聴器などがないことを確認したわたしは、忍術を使って人前では絶対に見せないスピードで動き回り、あっという間に荷物の整理をを終える。

 そして自分の部屋を出て一階にあるコミュニケーションスペースでもある広間へ向かうと、……どうしたんだろう、また何か騒がしいな?

 どうやら人だかりができているみたいだけれど、これがデジャヴってやつかな。

 案の定というか当然の光景なのだろうか、霧山くんがまたも女子に囲まれていた。

 彼も義理堅いのか真面目なのか、それとも本当はチャラいのだろうか、何十人もいる女子一人一人と自己紹介もしつつ、色々と話している。

 ひとまず危険性は無さそうだし、こんな状況で霧山くんを狙う女子もいないと思い、見て見ぬふりをして萌黄さんと百地さんを探すことにした。

 ……どうやら百地さんが萌黄さんより一足先に到着していたみたいだ。

 百地さんが手を振ってくれているけれど、萌黄さんは——

「ゆかりん! ……あれ、驚いてない?」

「なんとなく分かってたから。たまたまだけどね」

 萌黄さんはこっそり近くの机の下に隠れて、百地さんをわたしが見つけ次第、驚かそうという算段だったみたいだけれど、

 残念ながらわたしは忍者、これくらいの悪戯なら百回来ようが千回来ようが全部事前に察知できる。

「女の勘ってやつか、ゆかりんは色々勘が働くみたいだねえ。でも負けたままじゃいられない、これならどうだ! ——あーおーいー! ゆかりんが話したいってさ!」

 萌黄さんは事前に察知されていことことが悔しかったのか、今度はわたしが霧山くんと話したいという嘘を、周りに聞こえるような大声で近くにいた霧山くんに伝える。

 その声に合わせて、近くにいた女子生徒全員がわたしをじーっと見つめる。

 霧山くんもきちんと聞こえていたのだろう、話している女子に謝って、わたしと萌黄さんがいる方向に向かってきてくれた。

「萌黄、それに忍足さんも来ていたのか」

「まあたまたまだけどね、司もそろそろ来ると思うよ?」

「なるほど、じゃあ少し場所を移動して話すか。まだ話せていない女子に詫びてくるから少しだけ待っててくれ」

 そう告げて、霧山くんは再度女子を解散させたけれど、……本当に全員と話すつもりなんだ、なんか逆にすごいや、もう色々。

「ええと、萌黄さん、わたくしのこと忘れていませんか……?」

「忘れてないって。まだ夕食の時間まで余裕があるし、人の少ない食堂で話そ」

 少し離れていた場所であたふたしていた百地さんも、駆け寄って合流してくれた。

 そのまま隣接している食堂に移動するけれど、まだ夕食まで時間があるからか、すごく広くて綺麗な食堂なのに、人はあまりいなかった。

「萌黄、司にはここで落ち合うことを伝えているのか?」

「何も聞いてないけど、あれだけ騒ぎになってれば嫌でも見つかるって——」

 次の瞬間、近くにいたおだやかそうなな雰囲気の男子が、急に霧山くんの両目を背後から手で塞いだけれど、まさか彼が、

「……またこういう悪戯か、司」

「あれ? もっと過激なのが良かった?」

「懐かしいなと思っただけだ、さっき話した時は何も仕掛けてこなかったからな」

 男子は何かの企みがありそうな笑みを浮かべつつ、ぱっと霧山くんから手を放した。

「それはまた今度として……ミクさんにゆかりんさん? ぼくは八雲司。よろしくね」

「よ、よろしくね。わたしは忍足紫」

「わたくしは百地美紅です、よろしくお願いします……!」

 いきなりあだ名で呼ばれて少し動揺してしまったけれど、百地さんの方をみてゆかりん、わたしの方を見て美紅ちゃんと尋ねたから、萌黄さんが彼にきちんと名前を伝えていなかったのだろう、萌黄さんの方を見て見ると、てへっ。とかわい子ぶったから……確信犯か。

「あ、ゆかりんさんとミクさんは逆だったか。改めてゆかりんさん、蒼のボールペンの件、ありがとうね。こいつ、あれのことすごく大事にしているから」

「改めて俺からも……、もしなくなっていたとすら考えたくもない物だ。本当は自室から持ち出すべきでないものということは重々分かっていたが、入学式という晴れの日ということもあって……ともかくありがとう。忍足さん」

「い、いえ、偶然とはいえ気づいてしまった以上、見て見ぬふりをするわけにはいかなかったので……」

 霧山くんと一緒に八雲くんも一緒に頭を下げてくれるけれど、……すごく大切なものらしいし、霧山くんと合わせてあのボールペンも一応護衛対象に入れておこう。

 先程の霧山くんの発言を鑑みると、晴れの日にわざわざ持ち出す程の理由が有るみたいだし。

「じゃあ今日は五人の親睦会ってことで……蒼! なんかおごって!」

「いきなり人にたかるな。そもそも、もうそろそろ夕食の時間だろう? 寮の食事は基本無料だから奢りようがないぞ」

 すごく軽いノリで萌黄さんは霧山くんに絡んでいるけれど、これを霧山くんに関心がある女子が見たら……、いや、背後を見れば女子がどんな表情かを確認できるだろうけれどやめておこう、万が一目が合ったら確実にわたしの学校生活が終わりだ。

「えっと、寮は時間内ならいつでも食べられるんだっけ?」

「逆に言えば時間外には食べられないってことですよね。購買も時間は決まっていますし、秋川さんの気持ちは嬉しいですが、また後日に——」

「でしたら皆さんこれをどうぞ、試供品のパンナコッタです」

 不満気な萌黄さんを百地さんとなだめていると、横から話を聞いていた誰かが、わたしたちがいるテーブルに、おしゃれなお皿に盛り付けられたパンナコッタを人数分、華麗な手際で差し出してくれた。

 普段とは声のトーンを変えているけれどすごく聞き覚えがあるこの声。いや、なんでこのタイミングで……、

「あ、ありがとうございます! って、お兄さん、もしかして今年度から赴任した料理長?」

「はい。私、芹沢誠一郎と申します。八雲司さん、秋川萌黄さん、霧山蒼さん、そして百地美紅さんに忍足紫さんでしたね。これからよろしくお願い致します」

 いいや、皆さん、その男の名前は忍足忍、このご時世に忍という文字が名前に二つもある、頭から足まで忍者な男でーす!

 と、つい先日まで一緒に暮らしていたお父さんの、わたしには一切見せなかった無駄にキザな一面を見て、少しムカッとしたわたしはつい正体を暴露したくなったけれど、八雲くんから見てもやっぱりお父さんって若いんだ。

 まあ、普段からアンチエイジング! とか張り切って色々やっていたしね。それこそ本業や忍者以上に……。

 他の四人には一切気づかれないよう、お父さんとわたしは一瞬のアイコンタクトで意思疎通を図るけれど、……お父さんにもボールペンの件は耳に入っていて、それ以外特に報告することはお互い特に無さそうだ。

「じゃあいただきますっと。……おお、これおいしい!」

「わたくしも……うおう、これはなんと煌びやかな……!」

 萌黄さんと百地さんが早速パンナコッタを口に運ぶけれど、二人の口にとてもあっていたみたいだ。

 お父さん、忍者より料理人の方が向いているんじゃないかと、家で一緒に過ごしていた時からわたしは思っていたし。まあ、それ以外のこともお父さんは何でもできるから、わたしが知らないなにかすごいこともたくさんできるのかもしれないけれど。

 ……あと百地さん、一瞬耳を疑うようなすごいリアクションをしていたけれど、特に何もツッコまないであげよう。

「百地さん、すごい反応だな。俺も……うん、これは素晴らしい一品だ」

 って霧山くん、どうしてみんなでスルーしていた百地さんのリアクションに言及してしまうの。

 案の定、指摘されて恥ずかしくなった百地さんは顔を赤らめているし。

 いや、もしかして霧山くんのことが好きだったり……するのかな? ……うーん、分かんないや。

「伝え忘れておりましたが、霧山さんは特別寮でしたね。特別寮の方は食事はご注文いただければいつでもご用意をさせていただきます。勿論、私の責任の元で」

「そう言えばそうでしたね。まあ、今日は一般寮で司たちと食べようと思っています」

「そちらもご自由です。では、私はこちらで……」

 うわあ、特別寮ってそんなところまで特別なんだ。

 もしわたしが特別寮にいたら、いつでも私の大好物である、かぼちゃコロッケやかぼちゃプリンを食べまくれ……いや、でもその場合家にいる時と一緒でお父さんが作るから、大して特別感がない……!

「じゃあもう少し五人で色々話そうよ。蒼もいいだろ?」

「ああ、そうすればちょうどよく夕食の時間を迎えられそうだ。その後、女子たちと順番に話すか。女子には申しわけないが、久しぶりに会った友人との再会を優先したいしな」

 今の会話は周りの女子たちにも聞こえていたようで、水を差すべきでないと思った女子は静かに解散していった。

 勿論、わたしと百地さんに刃物のような鋭い目線を刺しつつだけれど。

 それからは夕食を挟みつつ、もう少し踏み込んだ自己紹介や、特別寮がどうなっているのか、三人の馴れ初め、萌黄さんと八雲くんが付き合うようになったきっかけ、萌黄さんと八雲くんおすすめのデートスポットに、校内で落ち合える場所など、……実はバカップルだった萌黄さんと八雲くんの惚気話を中心にして色々と話をしつつ、時間は過ぎていった。

 夕食後、萌黄さんや霧山くんと解散したわたしは部屋に戻った後、わたしはすぐさま霧山くんの元へ戻った。

 といっても伝え忘れたことや、彼と話したいことがあるからではなく、彼の護衛任務をするためだ。

 その証拠に、今のわたしは制服や普段着などは着用せず、忍術で纏った忍装束を身に纏い、広間で女子達と話している霧山くんを、下からは見えない天井に張り付いて監視している。

 気配は最低限まで消しているし、万が一誰かが天井を見ても視界に入る前に高速で移動して目撃させられなければ問題ない。

 本当は天井裏が良かったけれど、天井裏のセキュリティや害獣対策は厳しく、寮に悪影響が無いようこっそり配置換えなどを今日中に行いつつ、霧山くんを監視するのは無理だと察知しての行動だ。

 そう考えると広間の天井、無駄に高くてすごく助かった。

「霧山くん、部活はどうするの?」

「まだ決めれていない。部活見学などもまだだし、そもそも入るかどうかも決めていないしな」

「そっか、また今度ね……」

 女子の間で明文化されていないローカルルールでもあるのだろうか、自己紹介をした後、一言から二言程度女子から霧山くんに質問をして、それに霧山くんが答えるという流れがずっと続いている。

 霧山くんも全てに対して明確な返答をすることは避けたいのか、単に言いにくかったりまだ決めていないこともあるのだろう、さっきみたいに曖昧な返答をすることが多いけれど、きちんと一人一人と向き合って話している霧山くんは真面目で好感が持てる。

 ……とはいえ、ここまで危険性があるような、護衛として危険だと察知するような女子はここまで一人もいない。

 もしいても、この衆人環視下で行動に起こす人はいないか、……あ! よく考えたらわたしも人前には出れないじゃん!

 その場合、姿を見せないようにしつつ忍術だけで何とかしなければいけないけれど、お父さんから聞いているような危険な相手、──だと流石に不足するだろう。

 そう、わたしの目的は霧山蒼、彼の身柄を守ること。

 それには当然彼自身の身の安全も含まれているけれど、この場合の『守る』とは、彼の血筋や家柄などを目当てとする女子から、彼の身を守るということだ。

 つまり、今霧山くんを目当てに集まっている一過性に近い女子ではなく、

 有名な名家のご子息である彼の許嫁を狙う、つまり恋人になろうとしている人、

 ……もっと踏み込んで言えば人間のふりをしている存在、亜人から、彼の身と心を守ることがわたしの任務なのだ。

 お父さんからは鬼や吸血鬼、エルフに狼男(この場合だと狼女?)といった御伽噺にしか出てこないような存在が、この世界には実際はいるということは聞いてはいたけれど、わたし自身まだ遭遇したことはなく、お父さんも長年忍者をしてきて亜人と直接会ったことは数度しかないらしい。

 相手がある程度友好的ならいいけれど、基本的には人間では敵わないような力を亜人は兼ね備えているから、相手によってはお父さんでも一対一では敵わないらしい。

 今忍者が減ってしまったものも、社会や化学が発達して身を隠しながら行動し続けることが難しいという点と、擬態している鬼や吸血鬼なども科学技術、物騒だけど銃とかを使い始めて忍者や忍術では敵わなくなってしまったというのが実態。

 話がずれたけれど、特に危険度が分かりやすい例としては吸血鬼で、極端な例だけれど霧山くんを籠絡した後、彼の身と心を人質に沢山の人の血を要求し続ける……といったことだって可能性としては十分考えられる。

「……すまない、まだ全員ではないが今日はここまででいいか? このままだと全員と話し終わる時間が遅くなって負担がかかってしまう。今日話した女子は全員顔と名前を覚えたし、続きはまた明日にしたいんだが……」

 色々考え込みながら霧山くんを見張っていたけれど、確かに時間はもう九時を回っているし、霧山くんを待っている女子もここまで時間がかかると思わなかったのか、欠伸をしている子や、少しそわそわしている子もいる。

 少しだけざわめきが起ったけれど、明日以降も機会があると霧山くん自身が約束してくれたからか、彼の提案に乗っ取って、女子は解散していった。

「お疲れー、流石に疲れた?」

「まあ疲れるでしょうよ。それにしても罪作りな男だねー、女子全員の名前を憶えてるなんて嘘をつくなんて」

 女子が一通りはけた後、霧山くんの近くにお風呂上りと思われる八雲くんと萌黄さんが近寄って話しかけた。

 萌黄さん、お風呂上がりなのにメイクを落として……いや、もしかして最初からメイクをしていなかったのか、流石に嫉妬するかも。

 まあ、さっきから霧山くんを酒の肴にして二人で色々と話していたのは気づいていたけれど、……冷静に考えたらあの二人、付き合っていて毎日同じ屋根の下で暮らしているのか。

 わたしは初恋もまだだから良く分からない感覚だけど、小学校時代の友達に話したら卒倒しそうな環境だよねこれ。

 小学校には彼氏がいた女子もいたけれど、わたしと仲が良かった子はバレンタインに義理チョコを渡すだけで精一杯だったり、好きな人とは同じ中学に入ってから頑張る! って感じだったし。 

「嘘? 俺が覚えられないわけないし、覚えられていなかったらきちんと本人に頭を下げに行くぞ」

「相変わらず頭はいいけれど、お固すぎてカッチカチだよね蒼は……。で、ボールペンはどうした?」

「ああ、きちんと金庫……にしまいたいのが本音だが、大切な形見であり手掛かりなんだ。毎日見ておきたいし、なにより俺がいるのは特別寮だ。部屋に置いておいて万が一ということが起こらないとは言い難いが、考えにくいのも事実だから今は机の上に置いてある」

「あー、そこは特別寮の良いところだよね~。まあ、来客室に誰か呼ぶ時だけきちんとしまっておけば大丈夫だって」

 形見? 手掛かり? あのボールペンが?

 誰の形見かは分からないけれど、今思い出せる限りであのボールペンのことを思いだすと、特に超高級品……ってものには思えなかったし、ほんの一瞬だけ同時に見えた霧山くんが持っている他の私物や文房具と比べると、明らかに浮いていたっけ。

 それにしても、特別寮って来客室まであるんだ。

 さっき霧山くんと食堂で話していた時に聞いたけれど、特別寮の部屋は最早部屋というより一軒家で、使わない空き部屋や家具もいっぱいあって、逆に無駄だと言い切れる広さらしい。

 おまけに窓ガラスなんかも世界最先端の技術で作られた防弾ガラスで、緊急時は部屋ごとシェルターになるとかならないとか。

 そこまで来ると逆に住みよいとはとても言えないと思うけれど、きっと住めば都の……はず。

まあわたしはどちらかと言えば特別寮より一般寮、お父さんと二人とはいえ我が家のほうがいいけれど。

 ひとまず、特別寮での護衛は本格的に諦めた方がよさそうだ。

 数日前から既に食堂で勤務して、特別寮に出入りしているお父さんですら侵入経路が用意できないのだから。

「それはそれとして……蒼! あたしは司ラブだけど、気になる女子はいた⁉」

「ああ、いたぞ」

 わたしが特別寮について思案する中、萌黄さんがまたも周囲の注目を集める危険な質問をしてしまったけれど、ええ! いるの! 気になる人!

 盗み聞き……いや、この場合霧山くん本人が堂々と言うのだから盗み聞きには当たらないか、周囲の女子も男子もこれは気になってしょうがないのか、一気に広間が静まり返ったし。

 さあ、誰だ誰だ? 気になる女子が分れば今後の護衛もしやすくなるし、まさに一石二鳥!

「ついにあの蒼にも……ぼく、少し感慨深いよ。それで誰なの?」

「そんなの決まっているだろう? 忍足紫、彼女には感謝しても——」

「あー! 萌黄さんに霧山くん! なんの話をしてるのー⁉」

 霧山くんの口から放たれた気になる女子は、まさかのまさかのまさかのまさかのわたし。

 どうなるかを天井から静観しようと思っていたけれど、このまま放って置くと真面目に明日以降の学校生活が危うくなるから、急いで天井から人の見えない死角となる場所に移動し、急いで忍装束を解いて、たまたま近くにいたふりをして三人に近づきわたしは会話に割り込んだ。

「あ、あれ? 忍足さんも近くにいたんだ。ごめんね、ぼくが全然気づかなくって……」

「わたしはほら、こんな風に地味で存在感もないし、普通の一般家庭育ちで、見た目も地味だから、萌黄さんや霧山くんに比べたらわたしは影が薄くてそういうこともあるから、大丈夫です……!」

「あれ? それでもこの時間に珍しく制服だし、気づいても良さそうだったけれど……」

「きょ、今日始めて袖を通したし、感慨深くって……受験も大変だったから、微妙に入学した実感もなくてね、あははは……!」

 どうやら八雲くんもまさか霧山くんがわたしの名前を出すとは思っていなかったのか、おそらくわたしが悪目立ちしすぎないよう、助け舟を出してくれている気がする。

 それでも、肝心のわたしが今目立ってしまっていて、八雲くんもつい疑問に思ってしまったようだ。

 何故ならこの時間は、学校が終わって普段着や部屋着でいる人が多いから。

でも、わたしは夕食まで制服で過ごし、一度萌黄さん達と解散した後も制服から着替えず、忍術で忍装束になったから、忍術を解いたら自動的に制服になるのだけれど……これは自分の想定の甘さが招いた結果だ。

今度からは忍装束になる前の恰好をどうするか、事前に考えておこう……!

「ふふ、そういった天然なところも、俺は忍足さんの魅力だと思うぞ」

「ほ、ほめてくれてありがとー。霧山くんはとても、優しいですねー」

 天然な人に天然って言われるの、その後の発言が良いと何とも言えなくなるなあ。

 ……そもそも、天然なのはわたしじゃなく間違いなく霧山くんの方だよ。

というか霧山くーん? 女子からわたしに向けられているありとあらゆる殺気に満ちた目線に、もしかして全く気付いてらっしゃらない?

 女子からの殺気のせいですごい棒読みになってしまったけれど……萌黄さんと八雲くんもこれには少し呆れているみたい。

「まあこの感じだと、蒼にはまだ『好きな』女子はいないっぽいかー!」

「うんうん、とりあえずボクも安心した! まあ、いつも女の子のことフッてばっかだったし!」

 二人もわたしにここまで飛び火するとは思っていなかったからか、露骨にわたしに助け舟を出してくれている、うれしい、ありがとう……!

「ああ、まあそういう好意とは少しズレるのだろうが、今日は他の女子とも話し、俺が今日話した女子の中で一番好印象なのは間違いなく忍足さんだな」

 あ、完全に助け舟が沈没した。

 萌黄さんはどうしようもなくなったからなのか、笑顔のまま固まっているし、八雲くんもそんな萌黄さんの手を取って逃走しようとしている。

 もうこうなったらわたしが機転を効かせて打開するしかない! えっと、考えろ考えろ…………!

「あ、もうそろそろ眠くなってきたから、わたしは先に寝るね! おやすみ!」

 即座にわたしが導き出した結論、それはさっさと逃げる!

 女子からの冷たい目線が霧山くんに背中を向ける中、ザクザクと突き刺さっていたけれど、もうどうしようもない……!

 何故か一日で学校生活の方が絶体絶命になってしまったけれど、こんな調子で大丈夫なのか、わたし……!

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