第1話 護衛対象の男子

 天集院学園。

 都心の一等地に位置するその学園は広大な敷地内にある小中高に加え、少し離れたところには大学のキャンパスもあるという、間違いなく日本一大きい学園。

 地獄の受験勉強を終え、奇跡的に合格を果たし、たった今入学式を終えたわたしは桜が舞い落ちる外の景色を眺めつつ、廊下を歩きながら自分のクラスへと向かっていた。

 受験勉強すると決めてからは、急いで入れる塾を探して入塾して、それ以外の時間もお父さんの知り合いにみっちり勉強を教わったりで、あの日から受験が終わるまではあっという間に時間が過ぎ去ってしまい、新しい生活が始めるということもあって、今でも気を抜くと天集院学園を受験した理由をうっかり忘れそうになるほどだ。

 というより、実は今さっきまで緊張していて忘れかけていたんだけれど。

 ……こほん、学校の近くのアパートに引っ越したお父さんとも昨晩話しあい、わたしが護衛する対象の生徒の名前と顔は把握してある。

 護衛任務に当たって、

・護衛対象に護衛がいることは対外的には秘密にしなければならない、また、護衛される本人にもなるべく護衛がいること、つまり自分が見守っていることを明かさないこと

・護衛対象は学園のお偉いさんの親族ということもあり、寮にいる間は最高セキュリティの特別寮にいるため、明らかな危険性を察知したとき以外、ターゲットが寮にいる間の護衛は不要

・対象を狙うのはおそらく——の女子生徒が多くなるかと思われる、何故なら——

・上記を踏まえた上で、学校生活で関係を持つことは何ら問題ないし、なんなら友好的に接することは問題ない

 という基本的な方針もお父さんと確認し打ち合わせたけれど、こうして列挙してみると案外楽な任務なのかもしれない。

 お父さんも既に学園の教職……ではない職についていて、わたしではどうしようもない脅威が現れてターゲットの生命に関わる場合には、介入して手助けしてくれるとのこと。

 とはいえ、そんな事態が起こるとも考えにくいのも確かだ。

 現在活躍中の現役芸能人の子たちが通う特別クラスも学園にはあるから、在校中の生徒でも学園内の出入りに関しては厳しい手荷物検査や金属検査があるんだし。

 まあそれはそれとして、今はターゲットのことを気にかけつつも、自分がクラスにきちんと馴染めるよう善処しなければいけない。

 内部進学の子も当然いるし、なにより自分がクラスなどで浮いてしまうことで変に目立ち、ターゲットやターゲットを狙う人たちから怪しまれては元も子もないのだから。

 というわけで、まずは隣の席の女子に話しかけてみよう!

 と思って隣の席の女子がどんな子か確認してみると、彼女は地毛と思われる金髪に、目がぱっちりしているメイクという、わたしと違って少し派手で明るそうなタイプの女子だ。

もしかしたらわたしとは気が合わないタイプかもしれないけれど、だからといって話しかけて初日から険悪になったりはしないだろう! よし、忍の修行と受験勉強をを思い出すんだ! ……うん、あれより辛いことなんて中々ない! わたしならやれる!

「あ、えーと、よろしくお願いします……」

「ん、見ない顔だけど……外部の子?」

「は、はい。忍足紫と申します。よ、よろしくお願いします……」

「もしかしてじゃなくて緊張してる? あたしは秋川萌黄。ゆかりんって呼ぶから、あたしのことはもえぴーって呼んでいいよ~?」

「も、もえぴーさん?」

「本当に呼んだ……。まああたしはそこまで呼び名を気にしないし、適当に呼んで?」

「では萌黄さん、よろしくお願い——よろしくね」

「そうそう、そういう感じでいいのいいの」

 終始余裕があった彼女に振り回されっぱなしな会話だったけれど、とりあえず仲良くなることはできたみたいだ。よし!

 そのまま担任の先生が来るまでまだ時間の余裕はありそうだったから、彼女と他愛無い話をしたり、何か情報収集をしようかと考えていたその時、わたしの後ろの席の女子がわたしと萌黄さんとの会話に入り込んできた。

「ええと、盗み聞きしてしまいましたが、忍足さんも外部受験なのですか?」

「は、はい。……ええと、」

「申し遅れてしまいました。わたくし、百地美紅と申します」

 色々考え込んだりしていて話すまで気づきもしなかったけれど、この子、すごく、なんというか大和撫子だ!

 見た瞬間に嫉妬してしまうぐらいのつやつやの黒髪、そして朗らかながらも品のある佇まいなのに、その微笑みには少し長い八重歯が覗かせることで程よいギャップになっていて、忍者であること以外、大して語ることのない地味な普通の女子であるわたしには眩しすぎる存在……!

「ミクちゃんね、聞いてたみたいだけどあたしは秋川萌黄、よろよろ~」

「わたしは忍足紫です。百地さんに比べたら炉端の石ころみたいな矮小な存在ですが、何卒よろしくお願いします……」

「よ、よろしくお願いします……?」

 「ミクちゃんのオーラに気圧されすぎでしょ……」と萌黄さんは呆れていたが、仕方がない。

 そもそも萌黄さんだって一般的に見たらすごい美人さんだし、わた、わたしって……。

 そうだよ、入試だって、自己採点をしてみたらギリギリどころか祈るしかない結果で、小論文の評価が運良く高くなかったら間違いなく不合格だったし……。

 今更気づいても仕方ないけれど、任務のためとはいえ滅茶苦茶不相応な場所に来てしまったのかもしれない……!

 思わず頭を抱え込みそうになってしまったその瞬間、廊下の方から女子の黄色い悲鳴が反響して聞こえてきた。

「な、なんでしょうかこの悲鳴は……」

「男子の声は聞こえないし、不自然だね」

「え? 二人とも惚けてるの? あいつがここに向かってるんだって」

 戸惑うわたしと百地さんとは違い、萌黄さんは悲鳴の原因が分かっているのか、やたら冷静だ。

 でもクラスのわたしたち三人以外の女子はみんなそわそわしているし、むしろ廊下に駆け出す子までいる!

 い、一体なにが……?

 疑念と警戒心が大きくなり、段々と悲鳴がわたしたちのクラスに近づいたところでわたしは気づいた。

 同年代とは思えない整った顔立ちに、備わった座った目と合致したクールな雰囲気、されど力強さと確かな自信を身に纏う、護衛対象である男子生徒、霧山蒼がこのクラスに向かって歩いていたからだと。

 彼は周りにいる女子生徒からの黄色い声に興味がないのだろうか、それとも周りに女子が多すぎて対応しきれていないのか、周りの女子生徒を軽くあしらいつつ自分の席に座る。

 ぱっと数えるだけでも、二十人近くの女子が彼の近くにいて、チラッと廊下を見ると彼に熱い視線を送る女子がこれまた見える範囲で十人弱、そしてわたしと百地さんを含めたクラスの女子も大小差はあれど皆彼に関心があるようだ。

 でも、わたしの隣の席にいる萌黄さんだけは全く彼に興味がなく冷めた様子だ。

 ……改めて、わたしに課せられた任務は彼、霧山蒼くんを身を守ることなのだけれど、うん、とりあえず私生活の方で関係を持つことは諦めよう。

 あくまでできそうだったらやろうの努力義務でしかないし、そもそもこの様子じゃ到底仲良くすることはできなさそうだし……。

 それでもわたしも他の女子同様彼の凄まじい存在感につい目が奪われてしまう中、彼に近くにいた女子生徒がなにやらざわめき出した。

 どうやら霧山くんが席を立とうとしているようだけれど、それだけでこの騒ぎか。

 人気者もここまで来ると逆に気の毒かもしれない。

 彼は何かを手に持った後、こっちに向かって来た……けれど、え? なんでわたしの方に真っすぐ向かって来るの? 彼にわたしのことも、わたしが忍者で護衛をすることも明かしていないはずなのに。

「萌黄、春休みに会って以来だな。中等部の制服も似合ってるぞ」

「そういうお世辞は司のおかげで間に合ってるし、万が一本気だとしても受け取る気はないから。で、なんの用?」

「昔お前に押し付けられて以来、返し忘れていた本だ。持ち歩いて紛失してはいけないと思い、自室に置きっぱなしにしていたせいで、この数年家の用事であちこち飛び回ったから中々タイミングが合わず、今まで借りっぱなしになってしまいすまなかった。司経由でもいいかと思ったが、やはり対面できちんと返すべきだと思ったからな」

 どうやら彼はわたしじゃなくて、隣の席の萌黄さんに用があったみたいだ。

彼は英語で書かれた表紙の本を、萌黄さんに手渡したけれど、……え? 二人ってもしかして知り合いなの?

「ええと、秋川さん、彼とはお知り合いなのですか……?」

「うん、幼馴染みってやつ。違うクラスになっちゃったけど司、八雲司って男子とこいつ、霧山蒼は幼いころの付き合いなんだ~」

「まあ、俺は去年と一昨年、この学園の初等部に在籍こそしていたものの、殆ど通っていなかったせいで、休み期間に学園外で一日か二日会うだけだったからな。……名前を名乗り忘れていたが、俺は霧山蒼だ、君は?」

「わたくしは百地美紅と申します。よろしくお願いしますね、霧山くん」

 わたしたちの近くにいる霧山くんは萌黄さんと秋川さんと言葉を交わすけれど、美少女二人と御曹司の間に地味な忍者少女、いや忍者であることは明かせないから、ただの地味な少女であるわたしが立ち入る隙はとてもじゃないけれどなさそうだ。

 それはともかくとして、隣の席の萌黄さんがターゲットである霧山くんと幼馴染みだなんて。

 しかも今も仲が良いみたいだし、これからきちんと機会を作れば、私生活の方でもある程度の関係を築くことはできそうだ。

 ……ただ、そうなると今起こっている悪事を見逃さなきゃいけなくなるけれど。

「ああ、よろしくな。……そうだ、司がお前と同じクラスじゃなくて嘆いていたが、呼んでおくか?」

「まあ、恋しいけれど流石に後でいいよ。そろそろ先生も教室に来るだろうしさ、ほら、蒼目当ての女子~、そろそろ教室に戻らないと先生にどやされるぞ~?」

 萌黄さんはこういったことに慣れているのだろうか、霧山くん目当てに他のクラスからこのクラスに来ていた女子、……上履きを見て見るとさりげなくいた上級生までまとめて追い払った。

 ……一瞬わたしは行動するべきかを迷いかけたが、あくまで私生活はおまけで、わたしがやるべきことは彼を守ること。

 最悪、後ろ指を刺される羽目になってもいい、……そんな覚悟もなしにこれからの日々を乗り切れると考えていたのは、きっと私の考えが甘い証拠だろう。

「——そちらのショートカットの、スマホにもぐらのストラップを下げている方、少しお待ちいただけないでしょうか」

 霧山くん目当てのクラス外の女子が教室から続々と教室から出ていく中、わたしはこのクラスから退出しようとしていた一人の女子生徒を呼び止めた。

 勿論、いきなり存在感の無かったわたしが大きめの、力を込めた声で呼び止めたものだから、一瞬でクラスの中や周囲にいた生徒の注目を集めてしまう。

 分かってはいたけれど、こうした好奇の目線に晒されるのは良い気分はしない。

 だけれど、ここでわたしが行動しなければ嫌な思いをするのはわたしではなく、霧山くんなんだ。

「なに? いきなり困るんだけど」

「ええ、困りますでしょうね。貴女ではなく、自分の私物であるボールペンを盗まれた霧山くんが」

 そうわたしが言い放った瞬間、強気そうだったショートカットの女子生徒は一瞬で顔色を悪くした。

「……は? いきなり何の話?」

「先程霧山くんが席を立ってこちらに向かって来る時、……ほんの一瞬ですが貴女が彼の鞄の中にあったボールペンを抜き取ったのが見えました」

「……! 本当か?」

「はい、おそらくガラス製のハーバリウムになっているであろう、ボールペンですよね?」

 わたしの言葉を聞いた霧山くんは、いてもたってもいられなかったのか、急いで自分の鞄の近くに行き、自分の鞄の中を改めた。

「……ない、まさか本当に……」

「し、知らないわよ! 大体、ボールペンに詳しいその子が怪しいんじゃないの?」

「いやいや、今の今まで忍足さんはあたしの隣に座ってたし、その前も先に教室にいたあたしと話してたんだよ? 話す前も緊張してたのか、生まれたての小鹿みたいにずっとプルプルしてたし」

 荷物を改めてボールペンがないことに気づいた霧山くんの顔色は明らかに悪くなり、追い詰められている女子の顔は赤くなり、声からも冷淡さが消え失せている。

 そして萌黄さんに庇ってもらったわたしは、緊張で震えていたことが萌黄さんにバレていたことを知って、表情には出さないようにしているけれど内心は恥ずかしくて仕方がない。

「それに、盗んでないならポケットの中をきちんと改めさせてくれればいいだけでしょ? もしなかったらきちんと忍足さんは謝ってくれる子だろうし、それは蒼の大切なものなんだ、本当に貴女が持ってないならあたしも探すのを手伝わなくちゃいけなくなるし」

「分かったわ。ポケットの中身を全部見せるから。あるわけないけど——」

「ポケットじゃありません、右腕の袖、制服の中の細かな隙間の中です」

 萌黄さんに促された彼女が、自らわざとらしくポケットの中を見せて身の潔白を証明し始めようとしたその瞬間、わたしはボールペンのありかを容赦なく答えた。

 萌黄さんや霧山くんに説得されて素直に返却するなら、と思っていたけれど、誰も指摘していないポケットを見せて身の潔白を証明しようとした彼女を見て、きちんと指摘しなければ、彼の元には帰らない、それどころか下手をすればわたしや他の女子に罪を擦り付ける可能性があると考えたからだ。

 わたしの指摘を聞いた萌黄さんと霧山くんは女子生徒の近くに駆け寄り、萌黄さんが無理矢理女子生徒の右腕の中を確認すると、……彼の鞄の中にあったはずのボールペンが出てきた。

「よ、良かった……!」

「本当にあったなんて……、ゆかりん、すご……!」

 霧山くんにとってはとても大切なものだったんだろう、ボールペンを取り戻した彼の顔は安堵に満ち溢れていた。

 そして計画性を持って盗んでいたことが明るみに出た女子生徒は、そのまま地面にへたり込んだ。

 これで一件落着。

 なわけがなく、わたしはこの時だけは霧山くん以上に目立ってしまった。

 霧山くん一筋だった女子も、感心がなかった男子生徒も全員わたしを見つめている。

 結果的には良かったけれど任務の面から考えるとこれは良くない、絶対に今後の任務に影響をきたしてしまう……!

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