003
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夏休みが終わり、秋になった。
どうやら、春川は俺が思っていた以上にクラスのため尽くしてくれていたらしい。
学園生活に精力的でなかった俺には知る由もなかった事実なのだが、クラス委員長というのは事あるごとに先生に呼び出され、やれ「生活アンケートを実施しろ」だの、やれ「イベントの役割を決めろ」だの。とにかく、あらゆる行事の小間使いとして東奔西走しなければならないらしい。
そして、そんな彼女に協力的な生徒もほとんどいない。合唱の指揮者やピアノ伴奏を決めようとすれば、「目立ちたくない」とか「そもそも意味があるのか?」とか聞かれるし。文化祭の実行員を募集すれば「部活で忙しい」とか「どうせ大した催しは無理」とか。
挙句の果て、今日で三日目になる文化祭の出し物会議も、いつまで経っても決まらないし。
「でも、学校で決まったことですから……。その……っ」
前回、我間せずを貫いた俺が言うのもなんだが、ただのまとめ役である春川にしょうもない不満をブツけるというのはどういう了見なのだろう。まさか、生徒たちは彼女がやりたい事を独断でクラスに押し付けているとでも思っているのだろうか。
……いや、思ってるんだろうな。だって、俺も思ってたし、そのせいで最初は彼女が嫌いだったのだから。
「では、我々のクラスは文化祭に『参加しない』という事でよろしいでしょうか」
「はぁ? 何言ってんだよ、サエキ」
「もう、ホームルームの会議も三日目です。このままでは実行員の進行に支障が出ますので、休憩所として場所を提供する役割を提案します。交渉は俺がしますから、心配しないでください」
いつの間にか、いつも通りの展開になっていた。
可哀想な彼女を見兼ねた俺は、基本的にヘイト役を担って代替案を発表する係になっていた。前々から思っていたのだが、別にやりたくないのであればやらなければいいし、キチンとした理由を説明出来るなら学校行事など放棄を認められて然るべきだ。
とはいえ。
「い、いや。別にそういうワケじゃないんだけどさぁ」
こういえば、中学生という生き物は必ず否定をしてくる。要するに、彼らは具体的な案を持っておらず、それでも楽しみたいというワガママの上で行動している。
もっと言えば斜に構えて、誰かが考えたことを「やれやれ、本当はやりたくないんだけど仕方なく手伝うわ」というスタンスがカッコいいと思っているだけなのだ。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。年相応に生意気な態度には、むしろ可愛らしさすら感じる俺ではあるが、そんな感想は無責任な立場で俯瞰する大人だから出てくるだけだ。
助け舟を出さなければ、そのうち春川は学校が嫌いになってしまう。卒業式に参加しなかった。いや、出来なかった理由を思い知った俺は、どうしても彼女を贔屓せざるを得ない感情に苛まれているのだった。
「やりたいことがあるんですか?」
「いや、それも別にない」
「ないなら、無闇に発言して混乱させないでください」
「はぁ!? テメーなんなんだよ!?」
「なぁ、お前のやり方は少し乱暴だ。先生、不参加というのはどうかと思うぞ」
ふと、担任が口を開く。
「他クラスの出し物を手伝う、という形で参加すればいいでしょう。それなら、今は意見を言えないだけで実は頑張りたいと思っている生徒も参加出来ますし、手の足りない他クラスだって助かります」
「そうは言ってもなぁ」
段々分かってきたことなのだが、この担任はいわゆる企業で働いたことのない男だ。自分の仕事で金が発生する、という経験をしてきていないと、人というのは保守的になり責任から逃れ、前例を模倣し周囲に押し付けようとする傾向になると俺は思う。
営業が無理に進めるグレーな方法を、人事や総務が認めない事象によく似ている。もちろん、俺は現場の人間の意見が必ずしも優先されるべきではないとは思うが、だったら代替案を提出して円滑に事業が回るように仕組むのがブレインの役目だというのも当たり前の話だろう。
そして、そのブレインばかりで構成された組織というのが学校なのだ。この人たちは、言っては悪いが先生と呼ばれながらもほとんど頼りにならない木偶の坊ばかり。生徒からすれば、どうにも怠けているようにしか見えないのが、中学生活後半になってナメられる理由なのだろう。
……とはいえ、この人たちが裏でどれだけ苦労しているのも知っているからなぁ。あまり強く言って困らせても、所詮今の俺は中学生だ。折衷案を探るというのであれば、先生との関係も保てる案を探るのがベターというのは当たり前だろう。
春川を守る、クラスメートを納得させる、先生の負担も減らす。全部やらなきゃならないのが、やり直しを認められた俺の辛いところだな。
「では、こうしましょう。ここに、直近五年の文化祭パンフレットがあります。前例を幾つか黒板に書き抜きますので、その中からやりたいモノを一つ選んで挙手をする。決まったモノに参加するかどうかは、生徒たちの自主性に任せる。どうですか?」
「……こう言っては何だが、人手が足りずに完成しない可能性もあるんじゃないか? 先生、実はそれが一番怖いんだ」
先生は、俺に近付くと耳元でコソコソ話をした。なんというか、このおじさんも今までたくさん辛い目にあってきたんだろうな、と思った。
「大丈夫です。比較的少人数で完成させられるモノを選びますし、俺も全面的に協力します。授業中も撤去せずに済む出し物になれば、
「あ、ありがとう。ところでサエキ。お前、本当に中学生か?」
「最近よく言われますが、年齢的にはそうなってます」
そんなワケで、俺たちのクラスの出し物はプラネタリウムとなった。これなら、天井に幾つかの星座をあしらい手製の装置を完成させるだけで済む。凝れば凝るほど豪華に出来るし、頑張り甲斐もある素晴らしいアイデアだろう。
「では、今日のホームルームを終わります。お疲れ様でした」
放課後になって、俺と春川は生徒会室で業務に勤しむ文化祭実行員へ書類を提出しに行った。一応、俺もこの祭実行員になっている。後で彼らの中に混じり書類仕事をやっつけるワケだが、文芸部も文芸部で部誌を発行せねばならないため、まずは部長殿へ俺の記事の新着状況を報告せねばならなかった。
しかし、俺はこの忙し目な状況を割と楽しんでいた。
要するに、『絶対に成功させなきゃダメ』とか『俺がなんとかしなくちゃいけない』とか。そういう責任感に押し付けられるのは世界の狭い学生特有の考え方であって、失敗などどうにでもなるという楽観的な思考で働けば妙なプレッシャーなど受けることもないのだ。
というか、子供は不慣れだから大変なだけで、これより面倒な報告やプレゼンなんて大人になれば死ぬほど経験する。そういう、ある種チート的なマインドを獲得している俺だから、彼らの力になるべく働くというのは当たり前の帰結と言えるだろう。
「サエキ君、凄いね」
道中で、ふと春川が呟いた。その声に、どこか不穏な空気を感じたのは先に先生から「本当に中学生か?」と問われていたからだった。
「そんなことない、春川が一緒に頑張ってくれてるからだよ」
「うぅん。だって、私はオロオロしてただけだもん。今日のことも、これまでだって、全部サエキ君がこなしてくれてる。私、委員長なのに本当に頼りないね」
……そうだった。
春川優子は、そういう女の子なのだ。
「何言ってんだよ、春川」
「え?」
「俺は春川の手を借りる前提で全部考えてるんだから、キミがいてくれないと途端に破綻して恥ずかしい思いをするハメになる。こんなに大胆なことが出来るのは、キミに手綱を握ってもらってるからだよ」
「そ、そうかなぁ」
「めちゃくちゃ助かってる。それに、俺は春川がみんなの不満を聞き出してくれてるから折衷案を出せてるんだよ。俺一人じゃ絶対に成立しないやり方なんだから、これは俺たち二人の成果だ」
春川は、髪を人差し指でクルクルと回し俯いて笑った。ずっと真面目でひたむきだった彼女が、前世から通算しても初めて見せてくれた赤面だった。
「そ、そんな恥ずかしいこと、真剣な顔で言わないでよ」
「言わないと、伝わらないから」
後悔の正体とは、とどのつまり
「ふふ。サエキ君って、カッコ良すぎてちょっとズルいよ」
……ズルい。
その言葉が、頭の中へ強烈にリフレインした。
「なんか、困ってるといつも助けてくれるし。私の話、ずっと黙ってニコニコ聞いてくれるしさ。本当に、絵本の中の王子様みたい」
違う。違うんだよ、春川。
俺はただ、ズルをしているだけなんだ。本来、俺は咎められ、そして罰せられるべき別の生き物なんだ。ただ怠けて前世を終わらせたハズの劣った人格にも関わらず、人間として数えるにはあまりにも卓越したアドバンテージを得てしまっただけなんだ。
だから、自分のために生きることは決して許されない。それをしてしまえば、俺はこの世を思うがままに操れてしまうから。
「春川は、部誌に何を掲載するんだ?」
俺は、卑怯な手を使っている自分の醜い部分に触れたくなくて、無理矢理に話題を変更した。彼女は、水滴のように俺の肩に触れ、慌てて距離を取ると一瞬だけ目を向けて再び俯いた。
「えっとね、実は小説を書いてるんだよ。私、何か書いてみたいなって思って文芸部に入ったしさ」
それなのにクラス委員長になって、ずっと誰かの為に働いていたのか。
「恥ずかしいんだけど、ラブコメだよ。サエキ君。上手な話じゃないけどさ、私はこういうのが好きなんだって、誰かに伝えるための甘々なラブコメ。読み返してみると笑っちゃうんだけど、それでも絶対に完成させてみたいなって思ってるの」
……大人になっても。いや、大人になったから余計にだろうか。
彼女のひたむきな生き方は、やはりこの世の何よりもキラキラと輝いて見えた。
「いいじゃないか。部誌が製本されたら、読書用と観賞用で二部貰っておくことにする。いや、保管用も必要だから三部だな」
「んもぅ、恥ずかしいからやめてよぉ」
「悪いけど、一生取っておくよ。作家、春川優子のデビュー作だ。絶対にプレミアが付くに違いない」
「あはは、変なサエキ君。別に、小説家になりたいって言ってるワケじゃないのに」
「でも、完成させて執筆が大好きになったら、きっと春川はプロを目指す。キミは、そういう女の子だ」
隣に続いていた足音が、ピタリと止まった。
「……どうして、そんなに私のこと知ってるの?」
言葉を返す暇もなかった。
踵を返して彼女を見ると、春川は俺に飛びついて背中に手を回した。フワリと舞うエッセンシャルの香り。まだ幼い彼女の小さな手の、ブレザーを掴んで離さまいとする弱い力が、俺の中の罪悪感を一層駆り立てて心臓を締め付ける。
放課後の学校。聞こえるのは、小さな春川の大きな心臓の音だけだった。
「は、春川。ちょっと、離れてくれ」
「今だけだから」
言って、彼女は俺の胸に顔を埋める。
「今だけだから、許して」
……もしかすると、彼女は何かに気が付いているのかもしれない。
俺も覚えていない小学生の頃のこと。あまりにもかけ離れた人格が、並々ならぬ理由によって存在していること。本来、決して近づいてはならず、何も見返りを求められていないこと。明らかな違和感の塊が、理由も明かさずに尽くしてくれること。
それらすべての出来事が、もしもこの世の理から外れた原因に由来するのなら――。
「お願い、サエキ君」
春川は、震えていた。
俺は、ただ黙って彼女の頭を撫でてやることしか出来なかった。
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