第4話 初日の取材準備

 夜の静けさが旅館を包み込む中、澪は自室で撮影機材のチェックに没頭していた。カメラのレンズを磨きながら、彼女は部屋を見回した。どこか歪んで見える障子、不自然に揺れる影。違和感が澪の背筋を走る。


(かげみ町、初日。既に町全体が私を拒絶しているような……そんな錯覚すら覚える)


 澪は深いため息をつき、取材予定表に目を落とした。明日は町役場と商店街。この町の表面的な部分からだ。しかし、その裏に潜む真実こそが、彼女の本当の目的だった。


 カメラを置き、澪はそっと部屋を出た。旅館の廊下は、夜の闇に沈んでいる。古い写真や掛け軸が、かすかな月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がる。床がきしむ音、風鈴のかすかな音色。澪は耳を澄ませた。


(この町には何かがある。空気が違う。匂いが違う)


 そう思った瞬間、女将と鉢合わせた。


「まだ起きてたの? 気をつけてね。この町、夜は危ないから」


 女将の言葉に、澪は眉をひそめた。さらに詳しく聞こうとしたが、女将はすでに立ち去っていた。


 澪は旅館の裏庭に足を踏み入れた。月明かりに照らされた庭園が、不気味な陰影を作り出している。木々が不自然に揺れ、物干し竿に掛けられた白い布が、まるで人影のように見えた。


 どこかで動物の気配を感じる。しかし、その姿は見えない。


(何かがおかしい……カメラは回しておこう)


 澪は小型カメラのスイッチを入れ、首から下げた。


 部屋に戻った澪は、取材メモの整理を始めた。壁には町の地図と予定表が貼られている。窓の外には、月明かりに照らされた町の風景が広がっていた。


 ふと、人影が見えた気がして振り返る。しかし、部屋には誰もいない。念のため、カメラの映像を確認するが、異常は見られなかった。


(気のせい……? いや、これも町の仕業なのか……?)


 疑心暗鬼になりながら、澪はベッドに横たわった。しかし、なかなか寝付けない。やがて、うとうとと眠りに落ちた。


 夢の中で、澪は霧に包まれた森の中を歩いていた。かすかに聞こえる子供の声、笑い声。澪はその声を追いかける。しかし、姿は見えない。


 大きな木の前で立ち止まる。突然、木の幹が割れ、中から無数の手が伸びてくる。


「きゃっ!」


 悲鳴と共に目を覚ました澪は、冷や汗をかいていた。


 朝。疲れた様子で朝食会場に向かう澪。他の宿泊客が声をかけてきた。


「お嬢さん、顔色悪いね。昨夜はよく眠れなかったのかい?」


「ええ、少し……」


「この町に来る人は皆、初日はそうだよ。慣れるさ」


 その言葉に、澪は不気味さを感じながらも、取材への意欲が湧いてくるのを感じた。


 食事中、窓の外を見ると、一瞬、木々の間に人影を見たような気がした。しかし、目を凝らすとすぐに消えてしまう。


 朝食を終えた澪は、今日の取材に向けて準備を始めた。カメラバッグに機材を詰め、取材ノートを確認する。


(町役場と商店街。表面的な部分からだけど、きっと何か手がかりはあるはず)


 鏡の前に立ち、髪を整える澪。目の下にはうっすらとクマができていた。昨夜の悪夢の影響だろう。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。


 部屋を出る前、澪は壁に貼った地図をもう一度確認した。町役場、商店街、そして「影美」と呼ばれる森。それぞれの場所に、赤いピンが刺さっている。


(この町の秘密、必ず明らかにしてみせる)


 そう心に誓いながら、澪は部屋を出た。廊下には朝の柔らかな光が差し込んでいる。昨夜感じた不気味さは、少し薄れたように感じられた。


 旅館を出ると、澪は深呼吸をした。朝の空気が、少し霧がかっているように感じる。遠くには「影美」の暗い緑が見える。


 町役場に向かって歩き始めた澪。しかし、その背中には何かが付いてきているような気配が……。振り返っても、そこには誰もいない。


 町の人々が、日常の営みを始めている。しかし、澪には彼らの表情がどこか硬く、よそよそしく感じられた。まるで、彼女を拒絶しているかのように。


 町役場が見えてきた。古びた建物の前で、澪は立ち止まる。ここから本格的な取材が始まる。しかし、昨夜から感じている違和感は、まだ消えていなかった。


(この町には、何かがある。それが何なのか、必ず突き止めてみせる)


 澪は深呼吸をして、町役場の扉に手をかけた。扉が開く音と共に、新たな謎への一歩を踏み出す。


 かげみ町の秘密。それは、澪の想像をはるかに超える深さと闇を秘めていた。そして、その真実は彼女の人生をも大きく変えることになる。しかし、その時の澪には、まだそれを知る由もなかった。


 かげみ町での二日目が、静かに、そして不気味に幕を開けた。

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