第3話 かげみ町到着

 東京駅のプラットフォーム。澪の表情には緊張と興奮が入り混じっていた。重いカメラバッグを肩に掛け、彼女は新幹線の到着を待っている。


 高野プロデューサーが見送りに来ていた。


「気をつけろよ。何かあったらすぐに連絡しろ」


 澪は自信に満ちた表情で答えた。


「はい、必ず素晴らしい映像をお見せします」


 電車に乗り込む澪。窓越しに手を振る高野の姿が、だんだんと小さくなっていく。



 列車は東京を出発し、徐々に景色が変わっていく。高層ビル群が姿を消し、代わりに田園風景が広がり始めた。澪は車窓の外を眺めながら、取材メモを書き始める。


(人口二万人の小さな町、影美。かつては炭鉱で栄えたが、今は過疎化が進む。そして、三十年前の未解決事件と、奇妙な噂……)


 ふと、隣に座った老婆が話しかけてきた。


「お嬢さん、かげみ町に行くの?」

「はい、取材で」


 老婆は澪の顔をじっと見つめ、何か言いかけたが、すぐに口をつぐんだ。


「気をつけなさいよ。あそこは……」


 澪が不思議に思って、さらに質問しようとしたが、老婆はすでに眠ったふりをしていた。


 列車がトンネルに入り、車内が一瞬暗くなる。再び明るくなった車内を見回すと、老婆の姿が消えていた。澪は驚いて周囲の乗客に尋ねるが、誰も気づいていない様子だった。


(気のせい……? でも確かに……)


 不安が澪の心をよぎった。



 かげみ町駅に到着した澪を迎えたのは、ひっそりとした駅舎だった。数人の乗客が降り立つ中、彼女は駅前の観光案内図を見つめる。町の中心部と、それを取り巻く鬱蒼とした森。風化した「かげみ町へようこそ」の看板が、寂しげに立っていた。


 澪はスマートフォンを取りだし、電話をかける。


「もしもし、月影澪と申します。お世話になってます」

『あ、本当に来られたんですね』

「ええ、よろしければお目にかかって話したいと思いまして」


 澪が連絡を取ったのは、地元新聞社の記者、田中たなか美雪みゆきだった。澪は彼女との約束を取り付け、タクシープールへ向かった。


 澪がタクシーに乗り込むと、運転手が声をかけてきた。


「観光ですか?」

「取材です。この町のドキュメンタリーを……」


 運転手の表情が一瞬こわばるのを、澪は見逃さなかった。


 車窓から見える町並みは、澪の予想以上に寂れていた。閑散とした商店街、シャッターの下りた店舗が目立つ。古びた公民館、寂れた公園。そして、遠くに見える鬱蒼とした森。その暗い緑が、町全体を飲み込みそうな印象さえ受けた。



 宿泊先の旅館「影美館」は、古びた木造二階建ての建物だった。入口の「影美館」の看板は、かすかに傾いている。


 六十代ほどの女将が、澪を出迎えた。


「東京からですか? 珍しいわね」

「はい、一週間ほど滞在する予定です」


 案内された部屋に入ると、畳の香りが鼻をくすぐった。古い家具が、どこか懐かしい雰囲気を醸し出している。窓からは「影美」と呼ばれる深い森が見える。


 澪はさっそくカメラを設置し、撮影を開始した。レンズを通して見るかげみ町は、独特の魅力を放っている。しかし同時に、何か言い知れぬ不気味さも感じられた。



 夕食時、食堂で他の宿泊客と言葉を交わす機会があった。


「ドキュメンタリー? この町に何があるっていうんだい」


 中年の男性客が、少し冷ややかな口調で尋ねてきた。


「あんた、あの噂を知らないのか?」


 もう一人の客が口を挟む。澪が興味を示すと、その客はすぐに黙り込んでしまった。


 女将が会話を遮るように割って入る。


「さあ、お食事が冷めますよ」


 澪は客たちの様子を観察した。不自然な会話の途切れ、視線の動き。何か隠していることがあるのは明らかだった。


 食事を終えて部屋に戻った澪は、今日の出来事を振り返る。老婆の不可解な失踪、タクシー運転手の反応、そして宿泊客たちの奇妙な態度。すべてが、この町の秘密に繋がっているような気がした。


 窓の外を見ると、月明かりに照らされた「影美」が不気味な姿を見せている。澪は深呼吸をして、カメラの電源を入れた。


(明日から本格的な取材開始。この町の真実、必ず明らかにしてみせる)


 そう心に誓いながら、澪はベッドに横たわった。しかし、なかなか寝付けない。部屋の隅々から、見えない視線を感じるような気がして……。


 夜が更けていく。旅館の古い木造建築がきしむ音が、時折聞こえてくる。澪は目を閉じ、明日からの取材に備えて休息を取ろうとした。


 しかし、彼女の心の中では、さまざまな疑問が渦巻いていた。なぜこの町は閉鎖的なのか。三十年前の未解決事件とは何だったのか。そして、噂の怪異現象は本当に存在するのか。


 澪は枕元のノートを手に取り、今日の出来事を書き留めた。老婆の失踪、タクシー運転手の反応、宿泊客たちの態度。それぞれの出来事が、点から線に変わってゆく。


(これらすべてが、何かを示唆している。この町の秘密、それは想像以上に深いのかもしれない)


 ノートを閉じ、もう一度窓の外を見る。月の光に照らされた「影美」が、まるで生き物のように揺らめいているような錯覚を覚えた。


 澪は目を閉じ、深呼吸をした。明日からの取材で、必ずや真実の糸口を掴んでみせる。そう決意を固めながら、彼女はついに眠りについた。


 静寂が部屋を支配する。しかし、その静けさの中にも、何か言い知れぬ緊張感が漂っていた。かげみ町での初日は、こうして幕を閉じた。

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