三、紙切れの報せ その一

「ま、家と言ってもたいしたもんじゃないから少々の雨漏りとかは仕方ないんだけどな」


話を聞いたところによると、翔の家はそこそこ裕福な家庭だったらしい。空襲にそなえて大量の食料や水を庭に埋めて保管していたのだと海斗は聞いた。


「隣町の市場でコツコツ買いだめしてよかった。日本男子たるもの、強くないといけないからな...ほら、食えよ」


そう言って翔が差し出した皿には大切りの干した肉...いわゆるビーフジャーキーが二〜三枚乗せられていた。


「こんな贅沢...町内会なんかに見つかりでもしたらまずいんじゃないのか?」


海斗は目の前の高級品を見て逆に怯えていた。数ヶ月前、近所の人が警官に取り締まられ、家に蓄えられていた食料を没収されたと噂で聞いたことがあったのだ。

それがあったことにより「贅沢をすれば制裁を受ける」というイメージが彼に染み付いていた。


「大丈夫だよ。こんな状況じゃ警官が動く余裕も無いだろ?だったら遠慮せずに食っちまうのが最適解だ」


そう言いながら翔はジャーキーを噛みちぎった。海斗は小さく「いただきます」と手を合わせて1枚のジャーキーを噛みしめた。


「...おいしい!」


噛む度に溢れ出す香ばしい肉汁が口の中に広がる。海斗はその旨味にあっという間に虜になった。

ジャーキーを食べる手は一瞬ひとときも止まることなく、あっという間に平らげてしまった。


「...ご馳走様でした」

「ああ、お粗末さまでした」


翔は皿を片付けると今度は小袋を持って海斗の横に座る。紐を解くと中から少し甘い香りが漂った。


「海斗、口開けろよ。あー」

「? あー...んっ!?」


その固形物は少し苦く、されど香ばしさも感じさせる甘さが心地よくて口の中で液体のように溶けていった。


「これって...」

加加阿の甘味ちょこれいとだ。これは市場で材料を集めて俺が作ったものだから、色々と不揃いなんだけどな。ははは」


頭をかきながら翔は笑っていた。海斗は「もう一つくれ」と小袋に手を入れてさらに頬張った。

口に広がるの美味しさに海斗の強ばっていた表情が綻んだ。


「甘味なんて何年ぶりに食べたっけ...もう覚えてないや...」

「まぁ、そうだよな...。ヤミ市で売ってるものなんて高すぎてとても買えやしないし。だから材料だけを買って作ったんだ」


翔は「それは海斗にやるから好きに食べていいぜ」と言って床に寝転がった。

海斗は、今食べ尽くしてしまうのは勿体ないと思ったので、とりあえず更に二粒だけ食べて小袋の紐を結んだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


それから翔と二人で暮らしていくうちに、海斗は段々と今の暮らしが楽しくなってきていた。

昼間は魚を捕りに川まで行ったり、畑を耕し市場で手に入れた苗を植えて野菜を作ったり。

生きるために沢山の作業をこなした。


幸いにも、翔が食料と一緒に残してくれていた財産が良い金銭源になったためお金に困ることはさほど無く、生活は周りより少し上等なものになった。


だが、幸せな暮らしはある日...一通の報せによって崩れようとしていた。


その日はひどく雨が降る日だった。

翔が市場へ出かけている中、海斗が留守番しながらも家を掃除していた時、誰かが戸を叩いて訪ねてきたのだ。


「...どちら様でしょうか?」


戸を開けると、立派な軍服を着た男性が傘もなく立っていた。帽子のつばのせいか、顔まではハッキリと見えない。


「......こちらに鷹野 翔という者はおりますでしょうか?」


低く渋い声で尋ねられたので、海斗は素直に応じた。


「はい、そうです。今は不在ですが、どんなご要件でしょうか?」

「こちら、鷹野様宛のものになります。おめでとうございます」


男性はそう言いながら一枚の紙を差し出した。


「...っ!?」


それを見た途端、受け取る海斗の手が震えた。


少しくすみながらもよく分かる紅の色。町で何度も聞いた万歳三唱が頭をよぎる。

翔のもとに届いたのは、召集令状...俗に言う「赤紙」というものだった。


降りしきる雨が当たることで紙の赤がより鮮やかに染まる。海斗はただ呆然と立ち尽くしていた。


「では、私はこれで...。鷹野様によろしく伝えておくようにお願いします...」


男性は帽子を直すようにぺこりと頭を下げると、雨に紛れて静かに立ち去ってしまった。

海斗の耳に聞こえるのは、ただ降り続ける雨の音のみ。赤紙を持つ手を震わせながら、冷たい雨をただ浴びていた。


「ふぃー...すごい土砂降りだな...。海斗!いま戻ったぞ!」


買ってきたものを入れた布袋を抱えながら市場から戻ってきた翔は、海斗を見るやいなや大きく声をかけた。

海斗は翔の顔を見ると、自分がどんな顔を見せたのかも分からずにその場に倒れ込んでしまった。


「...!? 海斗!しっかりしろ!おい!」


持っていた傘を投げ捨てて翔は海斗に駆け寄った。

海斗の手には何かが握りしめられており、目尻には少しばかりの涙が滲んでいた。


翔は海斗を抱えながら家の中に入り、そっと寝かせて様子を見ることにした。


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おまけ


召集令状が届くシーンで雨を降らせたのは、「惜別の向日葵」という曲のMVにインスピレーションを受けたからです。


雨を降らせることで、報せの内容が悲しいものであることを表現しました。

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