僕に出来ることはなかった。ただ、自分の仮説が正しいことを祈り、その時が訪れるのを待つことしか出来ない。

 何も出来ないことほど苦しいことはない。するべきことは決まっているのに、何もすることが出来ない。暗い水の中を足掻いているような、焦燥と絶望と苦痛が入り混じったような感覚。ただ、今は何もしないことが最善だということは分かっていた。下手に動いて創天教に睨まれれば、その時に動くことが出来なくなる。決定的なその時に立ち会うことが出来なくなる。

 だから、僕はただ待った。たった二日。それだけの時間が、僕には永遠に引き延ばされた地獄のように感じられた。眠りは浅く、意識は現実から逃避させてくれない。

 こういう時に限って、想像は悪い方向へと働く。冬麻久々利は救世主であるはずだ。ゆえに逆説的に考えて世界が終わるとされているその日までの身の安全は担保されていると言える。ただそれでも、もしものイレギュラー、そして世界を救う時のことを考えると頭がおかしくなりそうになる。

 それでもその日を待つしかない。僕に出来ることはそれだけだから、その時を待つことしか出来ない。

 どうして僕は彼女を助けようとしているのだろうかと思う。彼女はどこまでも他人で、つい先日まで話したことすらもなくて、話をしてからの現状ですらの関係すらも曖昧で。それなのに彼女に手を伸ばすのは、極めて個人的な生き方を推し進めようとする僕の哲学とは真逆に位置する行動だ。

 どうして、という思考を何度も反駁した。そうして、答えが見つかったような気がした。

 結局、意味なんてないのだ。出会ってしまったから、話してしまったから、僕は手を伸ばさずにはいられないのだ。何も出来ないまま終わってしまうことが、どうしようもなく嫌なのだ。

 そこに論理とか損得勘定みたいなものは存在しない。ただそうしたいから。だから僕は冬麻さんを救いたい。手を伸ばしたい。それが間違っている行為だったとしても、無駄な足掻きだったとしても、エゴイスティックな願望だったとしても。

 人間は一時的にその身を孤独の中に置くことがある。誰の力も借りずに独りで生きて行こうという考えに依ることがある。そうしないと生きていくということに耐えられない人間が世界には一定数存在するのだ。

 けれど、孤独に為ることは出来ない。どこまで孤独に近づこうとしても孤独そのものに為り、生きていくことは出来ない。それが人間なのだから。

 屋上で出会ってしまった。それが僕の敗因だ。無謀にも彼女を救おうとしている衝動の正体だ。

 彼女は拒絶するかもしれない。敬虔な信仰の下に僕を否定するかもしれない。それでも――

 終わりが、来る。

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