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冬麻久々利と会うべきなのか。それについての答えは出ないままだったが、何もしないわけにはいかなかった。懊悩の末に動こうとしたところで手遅れだったなんて、後悔をしてもしきれない。時間はもうないのだ。だったら、すぐに動けるように情報だけでも集めておくべきだろう。
インターネットには頼った。創天教の本部を尋ねても「山名漣」が認知されてしまっている以上成果らしい成果は上がらないだろう。ただの高校生の情報網としては八方塞がりに思える状況だけれども、幸いなことに頼ることの出来る伝手が僕には僅かに存在していた。
「それで、急に呼び出してどうしたの」
あくまでもフラットな、教室で聞くいつも通りの声で上谷さんは言った。僕が冬麻久々利のことで断ったことに関して、少なくとも表面上は悪い感情を抱いていないらしい。これから頼みごとをするのだ、良かったと心の中で安堵する。
「こんなひと気のないところに呼び出して、もしかして告白?」
「まさか」
「そこまで即答されるとなんだか不服なんだけど」
「君だって同じようなことを前にしただろう」
「あはは、言えてる」
上谷さんは自然な表情で笑う。ろくに話したこともないような奴に対してこうして砕けた表情を見せることが出来るのは才能だと思う。僕には出来ない。
「それで、結局何の用かな。悪いけど、冬麻さんが休んでる理由とかに関しては知らないよ。私も創天教とか冬麻家についてなんでも知ってるってほど暇じゃないから」
「その理由に関しては既になんとなく分かってる」
「え、ほんと?」
「ああ」
上谷さんは冗談か本気かを見定めるように目を眇め、僕の顔を見た。少しの沈黙を挟んでも尚僕が諧謔的な笑いに逃げないところを見て本当だと確信をしたのか、「うん」と上谷さんは頷いた。
「本当みたいね。でも意外、君がそこまで調べるとは思ってなかった」
「少し気になることがあってな。冬麻幸雄と話をしてきてぼんやりとだが輪郭を掴んできた」
「冬麻幸雄と⁉」
自分で考えていたよりも大きな声を出してしまったのか、上谷さんは不味いというような表情をして急いで口を噤む。折角ひと気のない教室に来たのにこの声で誰かを呼んではと思ったが、幸い誰も聞いてはいなかったようで教室の外で誰かが動いたような気配はなかった。
「山名君、どういうこと? どうして君が冬麻幸雄と話が出来たわけ?」
「事情があるんだよ、色々と。僕だって何がどうしてこうなったのかの把握が完全には出来ていなくて頭を抱えたくなるような事情が。順を追って説明をするから少し待ってくれ。その後で聞きたかったことを聞かせて貰う」
「聞きたかったことって、まあ私に答えられる範囲であれば答えるけど」
「それでいい。取り敢えず、今の状況を説明させてもらう」
僕は記憶にある範囲で出来る限り正確に冬麻幸雄との会話を上谷さんに伝えた。不要な情報や個人的な感情を除くとあの永遠のように思えた時間を説明するのに必要とした時間は思っていたよりも短かったけれど、少なくとも最低限要点は把握して貰うことが出来るくらいには現状を説明することが出来たと思う。
上谷さんはゆっくりと咀嚼するように僕から聞いた情報を受け取って、カルテを眺める医者のような面持ちで静かに考え込んだ。自分の持っている膨大な創天教に関する知識と、僕から伝えられた新しい情報を繋ぎ合わる、古びた沈没船を保存するためのような精密な作業が彼女の中では行われているのだろう。
「世界の終わり、か」
「そう、それなんだ、聞きたかったのは。君はその世界の終わりとやらについて聞いたことがあるったか? 調べたところ、以前にも一度世界の終わりに関する予言は行われたらしいんだが」
「……うん、知ってる。その予言に関してはね。ただ、新しい予言の方は聞いたことがなかったな。今は昔ほど創天教について調べてなかったから、ごめん」
「いや、いいんだ。別に上谷さんは何も悪くない。落ち目の新興宗教の予言について知らなければ悪いなんていうほどこの世界は歪じゃない。ただ、それなら知っている限りで過去の予言について教えてくれないか? それと、出来るなら今回の予言に関する推察も」
「分かった。出来る限りで教えるし、考えてみる。前回の予言があったのは、五年前だったはず。八月二十二日が終わるとともに悪魔が現れて、世界を引き裂くと予言された」
「その点に関しては同じなんだな」
「元々創天教には悪魔と呼ばれる概念が存在していたの。勿論、悪魔なんて突飛な存在だし冬麻宗司の時代では形を持った化け物というよりは世界における悪の具現化みたいな扱いだったんだけど、冬麻幸雄の時代になって扱い方が変わることになった。求心力を失いつつあった二代目教祖の元には、自分を偉いものだと仕立て上げるための明確な敵が必要だったの」
「そのための世界を引き裂く悪魔か」
「うん。世界が終わるという予言をする前から冬麻幸雄の話には悪魔の襲来による終末が仄めかされていて、それが直截的な形を持って訪れると言われたのが五年前の八月二十二日だったということ」
悪魔というのは冬麻幸雄が仕立てた創天教物語におけるマクガフィンだったということか。創天教についてのことを知るごとにその薄っぺらい外装はぼろぼろと剥がれ落ちていき、醜悪な中身が露見していく。何事も、中身まで完全で美しいものなど存在しないことは分かっているけれど、創天教に関しては特にその外装が薄く脆いものだった。少し奥を覗いてみれば簡単に底が見える程度のもの。たったそれだけのものでも、人は容易く騙される。極限の状態にあれば、縋ってしまう。その人間の弱味に漬け込んだようなやり口が、僕は許せなかった。
「その時はどうやって収束させたんだ? 冬麻さんに任せるにはまだ彼女は幼すぎるだろう」
「そうだね、だからその時は冬麻幸雄本人が奇跡の力で悪魔を退散させていたはずだと思う」
「奇跡の力」
「うん。その時どういう風なことが行われたかは分からないけど、多分それっぽい儀式をやったりしただけなんじゃないかな。だから、そこから敷衍して今回のケースについて考えることは難しいと思う」
「ああ、そうだな。状況が全く違う。冬麻幸雄は、それっぽい儀式では収まらないような何かを彼女にさせようとしている」
その何かとはなんだ?
結局そこで思考が煮詰まる。見えもしない悪魔と格闘するなんていう子供でも騙されないような芝居の脚本を、今回はどうするつもりなのだろうか。
考え方をずらしてみよう。脚本家が観客を楽しませるための物語を紡ぐように、冬麻幸雄は信者を繋ぎ止めるためのシナリオを用意しているはずだ。世界の終わりを教祖自らが救うというシナリオは既に使っていて、同じものは二度と使うことが出来ない。恐らく、その主人公の役割を娘に置き換えたとしても、内容が同じであれば観客は飽きて愛想を尽かす。もっと劇的な事柄が必要なのだ。
何をすれば信仰を確固たるものにすることが出来るだろうか。どうすれば観客の目を惹き、愉しませることが出来るだろうか。実際に悪魔役の人間でも呼んで切った張ったの殺陣でもさせるか? いや、そうなれば本当に子供騙しの芝居に落ちる。幾らなんでもそこまで落ちぶれてはいないはずだ。
「ねえ、山名君。他に何か情報はない? 冬麻さんが何か世界の終わりについて言っていたとか」
「言っていたこと――」
必死に彼女と過ごした日々を思い出す。忘れるほど昔のことではないはずなのに、仔細な事柄まで引っ張り出そうと手を伸ばすとその途端に記憶の輪郭はぼやけて指の間からするりと抜け落ちていくことになる。
それでも、欠片でも何かが掴めないかと記憶を手繰り寄せて、ひとつの言葉を思い出す。
「……練習。そうだ、彼女は屋上で練習をしに来たと言ってた」
そうだ、彼女は練習をしに屋上に来たと言っていた。その練習とは恐らく世界を救うための練習で、今もその練習がどのようなものだったのかは分からない。だからこそ、分かれば一気に真相のほど近くまで跳躍することが出来るはずだ。
練習とはあの屋上でしかすることの出来ないものだったのだろうか。それとも、高度のある場所であればどこでも行うことが出来るようなものだったのだろうか。
例えば、以前も考えたことだけれどもいつかのテレビ番組がUFOを呼んでいたように、屋上で祈りを捧げるということも考えられる。より空と近い位置で。確かにそれは象徴的な行為であり、地面から祈りを捧げるよりは劇的に見えるかもしれないけれど、それだけで足りるとは思えない。場所を変えただけで同じ演目を繰り返して満足出来るほど観客というのは馬鹿じゃない。
「練習って、冬麻さんは何かしてたの?」
「いや、特に何かしてるようには見えなかった。見えないだけで何かをしていたのか、それとも他人の前では行うことが出来ないような何かだったかは分からないが」
「でも、屋上に行ったのはその時だけ?」
「その後も何回か行きはした。でもその時も特に変わった様子を見せることはなくて、いつも通りの様子だったな」
「そっか。そうなると、見当がつかないな。推測すら立てることが出来ない」
「そうだな、情報が少なすぎる」
今僕たちの間に広げた情報だけでは、分かることが少なすぎた。土台となるものがなければ幾ら積み重ねてもどこにも辿り着けやしないのだ。
僕は彼女と過ごした日々を必死に思い出す。何か見落としていたことはなかっただろうか。いや、あるに決まっている。信仰を、出来得る限り曝け出さなかった冬麻さんのことだ、世界の終わりに関することにしても彼女は表面化させないようにしていたのだろう。僕が聞けば相応のことを返していたけれど、核心的なことに関して彼女が口にしたことはなかったように思える。
ただ、本人の意志とは別に重要なことは勝手に滲み出るものだ。その僅かな見落としていた痕跡を今一度拾い直して考えなければいけない。彼女は何をしようとしていたのか。何のためにあの屋上まで足を運んだのか。
思い出せ。考えろ。あの屋上で冬麻久々利は何をしていたのか。何を求めて、あの場所へ来たのか。
思考がからからと乾いた音を立てて空転する。いつまでも、水を掴もうとするような無為な考えが続いてしまうのではないかという焦燥が脳裏を伝う。
何をするつもりなのか。どうすれば僕はそれを止めることが出来るのか。
熱暴走したような思考は、
突然ぷつりと途絶えた。
そして、冬麻さんが街を見下ろしていたあの目がそうであるべきであったかのように浮かび上がって離れなかった。
「まさか――」
その表情から考えられた可能性は、およそ最悪なものだった。そんな計画は立てない。有り得ないと一蹴する方が理解出来るような、どうしようもなく狂い、破綻した答え。けれど、その狂気と破綻は対面した冬麻幸雄の顔と克明に重なって、その仮説が僕の頭の中でより真実味を帯びていく。
「……正気じゃない」
もしもあの男が今目の前に現れたら、倫理も法律も超越して殺してやろうかと思った。それほどに、一人の人間を殺してやりたいと思うほどに、その仮説はグロテスクなものだった。
「山名君? 大丈夫?」
「……ああ、大丈夫。問題、ない」
上谷さんが心配そうな顔つきで僕の顔を覗いたあたり、かなり酷い表情をしていたらしい。しかしその事実が分かったとしても表情を取り繕う余裕が僕にはなかった。
「何か分かったの?」
「なんとなくは」
「どういうことだったの? 冬麻さんは、何をさせられようとしているの?」
「……悪いけど、上谷さんに言うことは出来ない。あくまでも仮説だから振り回すだけになる可能性が高いし、何よりこの仮説がもしも当たっていた場合間違いなく事態は剣呑な方向に進む。それに関わるか関わらないかはともかく、そういう物事を耳にしたうえで顛末を知れば気分は良くないだろう」
極端なことを言えば誰かが死ぬ可能性も存在している。そうして人が死んだ後で自分はそれを知っていたのに何も出来なかったという後悔に苛まれることほど辛いことはきっとない。ここまで協力をしてもらって申し訳ないけれど、それでもこれが僕に出来る上谷さんに対する最大の礼と誠実さだった。
「随分と込み入った事情がありそうだね」
「いや、込み入ってはないさ。これ以上ないほどにシンプルで、けれど普通の人間では思いつかないような単純さだ。だから最も厄介ではある」
最も恐ろしい人間というのは強さや弱さといった尺度で測るような存在ではなく、あらゆるものに対しての躊躇が存在しない人間だ。常識や倫理をものともせずにただ自らの欲望のために突き進む人間。それが最も恐ろしい。
「……分かった。私は何も聞かない。知らない。それでいい?」
「ああ」
「でももし私に出来ることがあったら教えること。勿論、危険じゃない、そして私に出来る範囲のことしか出来ないけど」
「十分だよ、助かる」
やはり、上谷さんは悪い人ではないのだろう。個人的な恨みがあれど、冬麻さんの影に何かしらの不穏なものを察知するとこうして協力を申し出てくれるあたり根にある良さが窺える。
「色々助かった」と言って別れようとすると「ねえ」と呼び止められる。
「山名君は大丈夫なの?」
「さあ、ノストラダムスじゃないんだ、未来は分からないよ」
「大丈夫とは言わないんだ」
「不確定なことを断言するのは僕の趣味じゃない」
上谷さんは逡巡するように目線を一瞬だけ床に移して、それから僕の目を見た。
「私はやっぱりこれ以上関わることを勧められないし、やめた方がいいと思ってる。君の考えた仮説は分からないけど、危ない雰囲気が拭えないほどにする」
「だろうな」
「分かっていて、どうして君はそれでも行動しようとするの?」
「……どうしてだろうね」
自分でもその理由は分からなかった。考えて、考えて、もっともらしい理由を探して、それでも僕は理由もなく彼女に手を伸ばそうとしている。衝動的に彼女を救いたいと思ってしまっている。
「人を救うのに大した理由なんて要らない、というのはどうかな」
「立派な志ね」
「褒めて貰えて嬉しいよ」
「でも志だけで生きていけるほど人間は美しい生き物じゃない」
「そんなに心配せずとも大丈夫だよ。僕だって死にたがりじゃない。一番リスクの少ない方法で勝負するさ」
というよりも、僕はその方法に賭けるしかない。外れれば何もかもが崩れ落ちてしまうことになるが、それでも微かなその確率に縋るしかない。
「それじゃあ、上谷さん」
「……それじゃあ、山名君」
そうして僕たちは別れる。
終わりの日まではあと三日しかない。
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