日月両世界歩行

1

 一か月という時間は何も為さないためには長すぎて、何かを為すために短すぎる。終末のカウントダウンが始まった時から一週間が経ったところで約束を交わした僕たちには一か月すらないわけで、屋上で会うように一週間に一度会っていてはとてもじゃないけれど追いつくことが出来ない。

 だから、僕たちは学校に行かないことにした。なんだかんだ出席日数は足りているし、僕に関しては学校を休むことに対してさしたる抵抗感もない。冬麻さんも特に異論を挟むことなく、むしろ「学校をサボるっていうのもやってみたかったんだ」と笑っていた。

 二十四時間。勿論、眠る時間や個人的な時間を考えればその時間を完全に使うことなんて出来るはずもないけれど、それだけの時間があれば彼女が挙げたひとつひとつの希望を消化するには十分な時間と言える。

 そういうわけで午前九時、駅の前に集合した時彼女は変わらない制服姿で現れた。平日の真昼間から街を彷徨う制服姿の少女というのは胡乱な目で見られないか心配だけれども、学校に行くわけでもないのに制服を着てきたということは何かしらの事情があるのだろう。例えば、親には学校に行くと言って来たとか。であれば取り立てて口を突っ込むことでもない。学校をサボっている高校生なんていうのは探すまでもなくそこら中に存在していて、一々咎めるほど社会っていうのは正しく倫理的なものではない。

「じゃあ行くか」

「あ、ちょっと待ってて。切符買って来るから」

 そう言って冬麻さんは出会ってすぐにくるりと踵を返し切符を売る愛想のない機械の元へと小走りで近寄っていく。ICカードを持っていないのか忘れたのか、久しぶりに切符を買いに行く人を見た気がする。

 時間を潰す必要もない短さで彼女は切符を買って来て、僕たちは改札を潜り抜ける。どちら言えば都会という方にまでは運んでくれるけれど、本当の都心部までは運んでくれない不親切なローカル線。通勤、通学時間や帰宅時間であれば混んでいるそれも、平日の九時過ぎになると一気にひと気を失い僅かな客と伽藍とした寂寞だけを乗せている。

 車両に乗り込み、空いている座席に腰を下ろす。当たり前のことだけれども冬麻さんはその隣に座るわけで、妙な感覚を覚える。他人とこれだけ近い距離感になることが、あまり好きじゃない。パーソナルスペースというやつが、恐らく僕は広いのだろう。赤の他人ならともかくある程度人となりを知っている人間を不用意に自分の近くに入れ込むのはどうにも落ち着かないものがあった。

 電車が揺れ、動き始める。車窓の外の風景は歪んだ輪郭を伴ったままどんどんと流れ去って行く。僕たちの間に会話らしい会話はない。共通項と言えばあの屋上だけであり、それ以外の個人的な事情を僕たちは互いに一切知らない。推察段階の彼女の背景はあるけれど、それを口にする必要はないし、あったとしても僕は口にするのだろうか。不干渉の対価として過干渉を拒否するような生き方をしている僕には、口を出す未来が見えないままだった。

 遊園地に向かう男女というのは、せめてもう少し和やかで賑やかな雰囲気を携えて行くものなんじゃないだろうかと思う。それが特に高校生の男女であれば、益体のない世間話に花を開かせ、遊園地までの道のりも含めて楽しい出来事だったと振り返ることになるのだろう。けれど、僕たちはただゆっくりと食むように時間をやり過ごす。癖でコートのポケットに入れてきた文庫本を取り出そうかと悩んで、流石に態度が悪いだろうかと自重する。

 向かう遊園地は、僕たちの住んでいるところからそう遠くない場所にある小さなものだった。幼い頃に一度だけ連れられた記憶を引っくり返す限りにおいて、そこはかなりうらぶれた場所だったと思う。遊ぶだけであれば退屈はしないけれど、とても施設が整っているとは言えないような場所。近場にある遊園地を調べて、それが未だあることに驚いたくらいだった。

 折角世界が終わる前の遊園地なのだからもう少しまともな場所に行くべきなのかもしれないけれど、二人の懐事情を照らし合わせて入園料と交通費的に最も適した場所を選ぶことになった。彼女としても、どこへ行きたいという拘りはなくて取り敢えず遊園地なる場所に行ってみたいとのことだったのでそれで良かったのだろう。

「そう言えば、遊園地は初めてなのか?」

 沈黙と退屈を持て余していたこともあり、浮かんだ疑問を投げかけてみる。

「そうだね、一度も行ったことがない」

「カラオケもそうって言ってたよな」

「うん、というか行きたいって言って挙げた場所は素晴らしかったからもう一度行きたいっていうより行ったことがないから行きたいって場所なんだ」

「へえ」

 冬麻さんは行きたい場所にかなりの数娯楽施設を挙げていた。カラオケに行ったことがない、遊園地に行ったことがないというそれぞれを独立して考えれば単に縁がなかったのだろうとも思えるけれど、あれだけの場所に行ったことがないということを考えれば娯楽に厳しい家庭なのだろうか。彼女のどこか超然とした雰囲気は深窓の令嬢のように、そうして作られたものかもしれなかった。

「山名君は行ったことあるの?」

「もう記憶がぼやけてるくらい昔に何回か」

「楽しかった?」

「いや、楽しくなかったな。少なくともフィクションなんかでイメージ付けられているほど上等な場所ではなかった気がする」

「今から行くのにそういうこと言う?」

「聞いたのは君だろ」

「それはそうだけどさ」

 言われてみれば確かにあまりにも配慮足らずな言葉ではあったけれど、冬麻さんはくすくすと笑ってすらいて安心する。僕は僕の孤独を自身の主義と趣味によるものだと思っていたけれど、いざ他人と付き合おうとしても対人関係に関する才能のなさがゆえに維持することが出来ないがゆえにこうなったのではないだろうか。そう考えると惨めさが増して、自分を嘲りたくもなる。

「まあ、行った人とか遊園地とかによっても変わるんじゃないかな。ああいうのは実際に何をして楽しむかっていうのも大事だけど空気感みたいなものが大切だろ。誰と行ったかとかどういう場所に行ったかとか」

 どれだけアトラクションが退屈だったとしても、待ち時間を連れとのくだらない話で笑っていられたりその遊園地の世界観に浸ることが出来るのであれば十分楽しむことが出来たと言える。そういう意味では、僕なんかと行くうえに一応存在しているだけのような遊園地に行くのは幾ら何でも不正解だったのかもしれない。やって後悔をする方が、という言説はある点では正しいけれどある点では正しくない。夢は夢のままのかたちで胸に残し墓場まで持って行った方がずっとマシな場合も時としては存在するのだから。

 しかし、僕のその考えとは真逆に冬麻さんははにかんで言った。

「なら今回は楽しめそうだね」

「……そうか?」

「うん、だってもうわくわくしてるもん。学校をサボって遊園地に行くって、それだけで特別で楽しくない? つまらないならつまらないで、それもまた思い出になるだろうしさ」

「ポジティブなんだな」

「それはないよ。多分幸福の水準が他の人よりも低いだけ」

 少しだけ寂し気に冬麻さんは呟く。確かに、学校をサボタージュすることが日常であれば、遊園地に行ったことがあれば、今の状況を楽しいとは思わないだろう。

「別に、それは悪いことじゃないだろう。人間、出来る限り幸せを見つけて生きてく方がずっといいに決まっている。人生を上手く生きていくために必要な技術のひとつだよ、なんてことのないことに幸福を見出すのは」

 特に、僕みたいな幸福よりも先に欠点を探してしまうような人間からすればその幸せを取りこぼさないように真っ向から受け止めることの出来る姿勢は羨ましくすらあった。卑下するように言うことじゃない。

「他に必要な技術は?」

「力の抜き方とシステムの欠陥を見つけること」

「ああ、確かにそれは必要なことかも」

 自らのやりたいことを見つけて、それに向かって命を燃焼させるような生き方をすることが出来るのは、ごく限られた人間に過ぎないのだ。多くの人間にとって大切なのはいかに楽をして幸福に生きていくかで、卑怯にも聞こえるその生き方は何も卑怯でも特別でもない。誰もがひそかに望んでいることだ。

「山名君は器用だよね」

「今の脈絡からどうしてそういう結論に至ったのかが気になるね」

「適度に授業をサボったりとかしてるでしょ? あとは見つからないような場所で煙草を吸ってたり。君の言う上手な生き方をする技術が君は使いこなせてる気がする」

「本当に器用な人間は教室で孤立なんてしていないさ。他人に迎合出来るような自分を持っていて、上手く社会に溶け込んでいる。それが出来ないから、せめて自分が居座らざるを得ない孤独の中の居心地をよくしようとしているだけだよ」

 僕自身は他人と交わることを良いとはとてもじゃないけれど思わないが、それでも楽し気にしている様子を見る限りにおいてそれは良いものなんだろうと思う。出来るなら僕だってそれをしたいけれど、出来ないのだから自分なりのやり方で生きていくしかないのだ。

 君の孤独の中へ行け。その言葉は、本当に求道へと通ずるものなのだろうか。孤独にしか生きられないがゆえに、孤独を肯定しようとしているものなのではないだろうか。

「でも、山名君はやっぱり器用だよ。そして柔軟。君の孤独は柔らかいもの」

「柔らかい?」

「私みたいな人間は、無理やり硬く鋭くした孤独に閉じ籠るしかないんだ。あらゆる外界を拒絶して、自分の中だけで通じる武器を持って世界と戦い続けるしかない。でも、君はそれとは違うでしょ?」

「……そうだな。ただ、貴賤はないだろう。孤独は等しく孤独で、その質に差異があるとしても性質が違うだけでどちらが優れているとか劣っているという話じゃない。だから、そういう自分を貶めるような言い方はやめてくれ」

「そう聞こえた?」

「ああ、聞こえた」

「あはは、ごめん。癖なんだ、自責みたいな結論に至っちゃうの」

 それは世界と戦い続けている彼女なりの生き方の結果なのかもしれないけれど、僕はあまり好きじゃなかった。

 だから、踏み込むまいとしていた話に、世界の終わりについて触れる。自責による矛盾を突くように。

「世界と戦い続けてるのに、どうして世界なんて救おうとするんだ?」

「言ったでしょ。使命なんだ、私の。好むと好まざるに関わらずやらなければいけない、使命」

「そんなもの投げ捨てればいいだろう。どうせ世界が終わるなら、その責任も罰もない」

「投げ出したら、私が生きてきた意味がなくなるよ。人生の価値っていうのは死に様で決まるものでしょ? 悪人が子供を庇って死んだらあいつにも実は良心があったんだとか言われたり、聖人が自殺をしたらあの人にも心の闇みたいなものがあったんだって決めつけられるように。何もしないまま世界が終わるとしたら、私は私を許すことが出来ないし私に価値がなくなる」

 彼女の考え方は、ただの高校生にしてはあまりにも死に近すぎる気がした。超越的過ぎる気がした。人生の価値なんていうものを、人は望まない。考えない。目の前にある生を向き合うことに精いっぱいで、そんなことなど考える余裕もない。

 けれど、彼女は自らの価値を推し量り、より善く生きようとしている。さながらイデアを求めた古代ギリシアの哲学者のように。その生き方は尊いと言えるのかもしれないけれど、僕にとっては歪なものにしか見えなかった。それは、僕が彼女の理想たる終末を信じていないからなのかもしれないけれど、仮に終末を信じ切っていたとしても彼女を肯定することは出来ないのだろう。死の中に価値を見出す生き方は、どこかグロテスクな気がするから。

 しかし僕は議論をするために今彼女の隣に居るわけではなくて、物を言うこともなくただ電車の振動に身を委ねる。彼女もまた、答えを期待していたわけではないようで同じようにじっと電車に揺られている。

 言葉はなかった。ただ僕たちの間には断絶と沈黙があるだけだった。それはいかなる関係においても存在するものではあるけれど、その中でも決定的なもののように感じたのは見ている世界が離れ過ぎているからか、彼女の孤独の殻のせいなのかは分からない。

 駅に止まる度に数人が下りて数人が乗り込む。細胞が交換されるような密かな人の行き来を何度もぼんやりと見過ごした後で電車はようやく終点に着いた。そして、そこが遊園地に最も近い駅だった。

 終点だからか、下車をする人は今まで通過して来た駅の中で一番多かったように思う。この時間、ここに何をしに来ているのかも分からない人々に紛れながら僕たちは改札を通り抜けて、遊園地の方へと歩いて行く。流石に何をしに来ているのか分からないような人々の中にもこの時間から遊園地に向かう人は居なかったようで、そちらへと向かっていくのは僕たちだけだった。

 バスを用いるほどではないけれど、決して近いとは言えない道を歩く。周囲は伽藍としていて、まばらな緑と誰も使っていない道路だけが僕たちの両脇に連綿と存在している。ひとつのトンネルの中を進み続けているような気がした。

 視界が開けたことで到着したことに気が付く。それほどに、その遊園地はひっそりとしていた。勿論、遊園地らしく入口からも見えるような高い位置に設置された遊具は存在しているけれど、それすらも色彩を失ったように存在感を潜めて空に溶け込んでいる。大抵、現実というのは想像以下か想像以上にしかならないものだけれども、ここまで想像通りにうらぶれているとは思っていなかった。

「着いたね」

「ああ、着いたな」

 そう言わなければ現実が崩れ出してしまうかのように、僕たちは事実を確認した。

 券売所へ行くと退屈そうな顔をした中年の男が僕たちを見てぎこちない愛想を振りまく。視線が一度冬麻さんの方で止まったのは制服姿が気に留まったのか、それとも単に見惚れたのか。どちらにしても長居して気分のいいものではなくて、端的に二枚のチケットを要求して料金を払い、入場するためのゲートへと向かう。

 僕たちの他に客らしい客が殆ど見えないことは、ゲートから入園した時に分かった。そしてこれがこの遊園地の常なのか、それとも平日の昼間だからなのかは分からないというくらいにはやはり薄汚れた印象を受ける場所だった。色褪せた看板、錆びついたフェンス、明らかに時代遅れの見た目をした遊具。あらゆるものが時の流れから置いて行かれている。

「あの屋上を思い出すね」と冬麻さんは零すように呟いた。

「ああ、そうだな。ここの成れの果てがあそこなんだろう」

「うん、分かる気がする。成れの果てだね、確かにあそこは」

「ここもかなり古ぼけているけど、あそこと比較すると随分マシに見えるな」

「これだけ新しければ十分だよ」

 あくまでも比較論から導かれた言葉ではあるけれど、この遊園地に新しいという形容詞がつけられるのは奇妙なことのように思えた。どれくらい振りのことなのだろうか、ここが新しいと呼ばれたのは。

「行こう」と言って、冬麻さんは歩き始める。小さいながらも遊園地という名を冠しているだけあって、アトラクションの数は少なくない。どれに乗るかは来たいと言った彼女が選ぶべきで、僕は何も言わずに彼女に諾々とついていく。

 奥へと進んでいくとまばらに人の影が見えるけれど、それもやはりまばらに過ぎず貸し切っているかのような錯覚に陥る。本当にこれで採算は取れているのだろうかと疑うけれど、潰れていないということは取れてはいるのだろう。世界には僕の見えないところで働く不思議な力学みたいなものが往々にして存在している。

 遊園地という場所に来たことがある身からすればこの小規模で仄暗さすら感じる空間は取り立てて楽しいものではないけれど、初めて来た身からすれば何もかもが新鮮なようで冬麻さんは一々目を輝かせながらゆっくりと歩く。本当にこの場所でよかったのかという不安は取り敢えず晴れたと言ってもいいだろう。

 不意に冬麻さんが足を止めたので倣うようにして止まり、面を上げる。

「これ、乗ろうよ」

「……これ?」

「うん」

 僕は、過去の僕が遊園地という場所を楽しめなかった理由としてこの場所の空気感が僕という人間に合わなかったからだと思っていた。しかし、違う。それもまた理由のひとつではあるけれど、決定的な理由が他にあったことを、それを目の前にしてようやく思い出すことになる。

「ジェットコースター」

 それが僕の天敵の名前だった。

 大体、どうしてこんなものに誰もが好き好んで乗るのか理解が出来ないし、遊園地と言えばこれというような代名詞的な存在になっている点に関しても理解に苦しむ。忙殺されるような人生を生きているのにどうしてこうも忙しない乗り物に乗ろうとするのか。折角人生における休息の時間なのだから、もう少しゆったりとした時間の使い方をすべきなんじゃないだろうか。

「もしかして山名君苦手?」

「ああ、苦手だよ」

「ふうん」

 逃がさないとでも言うように、冬麻さんは僕の手を握って入場口の方へと進んでいく。苦手かどうかというクエスチョンは僕のことを気遣ったものではなくて単に事実を確認しただけだったのかよ、と心の中で毒づく。

 ジェットコースターに乗っている時間なんてどうせ隣に人が居ようが居まいが変わらないんだから彼女だけで行けばいいとも思うけれど、それを言ったところで虚しいだけだということも分かっているので諦めてせめて少しだけ足を重たくしながら出荷されていく子牛のように曳かれていく。

 誰も並んでいなかったお陰ですんなりと席に着くことが出来たのは、良いことと捉えればいいのか悪いことと捉えればいいのか。遊園地という場にそぐわない陰気な雰囲気の男性の手引きにより案内されたそこは僕たち以外の誰も乗っていないという状況も相まって一種の棺桶を思わせる。

 シートベルトを着用する。断頭台に向かう人間とはこんな気持ちなんだろうかと思いながら、ただその時を待つ。くすくすという隣から聞こえている気がする声はひとまず無視をしておくとしよう。

 不吉な鈍い音がしてがたん、とジェットコースターは動き始める。真綿で首を絞めるようにゆっくりと。徐々に視界は開けて、これから何が起こるのかを分かりやすく説明するようにどんどんと人が昇ってはいけない高さまで昇っていく。

 下には、遊園地が広がっている。こうして一望するとやけに広く見えるのは、その広さに不相応なほど人が入っていないからなのだろうか。

 そうして、最も高いところまで昇ったジェットコースターは重力に従うようにして、落ちる。

 落ちる。

 おちる。

 浮遊感が腹の底をぐるぐると回り、視界は有り得ないスピードで移ろっていく。幸いなのは、酔う体質ではないことくらいか。恐怖と人間が本来感じるはずのない感覚を紛らわせるように思考を放棄しながら、ぼうっとそんなことを考えた。

「あはははは!」

 幻聴かと思ったけれど、隣からは場違いな笑い声が聞こえて、ただでさえ存在していた非現実感を更に強める。さながら地獄で哄笑する悪魔の声を聞いているような感覚だった。僕は来るべき場所を間違えたんじゃないだろうか。酔狂にしても、間違っているだろうここに来たのは。

 一瞬のような気がした。あるいは、永遠に引き延ばされた時間のような気がした。時間の感覚を丁寧に狂わせたそれはようやく落ち着きを取り戻して、ぎい、という音とともに出発をした場所へと戻って来る。

 ただ座っていただけのはずなのに、異様な疲労感が身体にどっぷりと染みついている。全く、どうして人類はこのようなものを娯楽のために作り出したのだろうか。スプラッタ映画を好んで見る人のことが理解出来ないように、僕はジェットコースターに好んで乗る人間のことがまるで理解することが出来ない。

 そしてどうやら、隣に居る人間はその理解することが出来ない人間らしい。

「楽しかったあ」という満足げな声をあげながら僕に続くようにして下車する冬麻さんを見る。

「楽しかったなら良かったよ」

「良かったっていう割には結構グロッキーな様子だけど」

「今更気を遣うなら初めから乗せようとしないでくれ」

「ふふ、ごめん。でもやっぱりこういうのは誰かと乗ることに意味があるからさ。ジェットコースターに乗ること自体は一人でも出来るだろうけど、体験を共有することに価値がある気がするから」

 冬麻さんの言う通りだ。誰かと共有するからこそ、この種類の体験は輝きを増すことが多い。それは分かっていて、だから抵抗をするでもなく乗ったわけだけれども疲れたものは疲れたままだった。

「でも苦手っていう割には叫んだりはしてなかったね。むしろ全然声が聞こえなかった」

「本当に苦手な人間は分かりやすく喚くよりも先に押し黙るしかなくなるんだよ」

 叫ぶような暇なんてあるわけがない。振り落とされないよう必死になっているのだから。

「というか、君は対照的に随分と楽しそうな声をあげてたけど」

「あはは、だって楽しかったんだもん」

「その神経が分からないよ」

「だろうね」

 楽しそうににこにことしながら冬麻さんは次のアトラクションに向かって歩いて行く。記憶の限りだとジェットコースター以外にはあの種類のものはなかった気がするのが救いだった。この遊園地の狭さとレパートリーの少なさに初めて感謝する。

 取り敢えず、これで一番の問題は終えることが出来た。少しだけ気を楽にしながら、僕は冬麻さんの後を追う。

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