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多少見栄を張れば進学校に分類されるような僕の通っている高校の生徒は高校生らしくはしゃいでいるようなポーズを取っているように見えて、根っこの部分は真面目でまともな人間が多い。例えば、休日にデパートの屋上で煙草を吸っているような人間は、居てもかなりの少数なのだろう。
そういう高校であっても、あるいはそういう高校だからこそなのか、十五分も前に教室に着くと片手で数えられるほどの人数しか着席していない。まだ二年生であることを考えれば自由登校にしては早すぎるし、いつも通りのことだ。きっとあと十分もすればなだれ込むようにクラスメイトたちが教室に這入って来て一気に騒がしくなるのだろう。
殆どの人間が居ない時間に席に着くのは、別に真面目だからというわけではない。単にひと気の少ない、最も遅く行くことが出来る時間を選んでいるだけだ。勉強をするわけではないけれど、本を読めば十五分くらい簡単に潰すことが出来る。どちらかと言えば後ろ寄りの座席に座り持って来た本を開こうとすると、前の方の座席に冬麻さんが座っている姿が見えた。席替えが行われこの席になってから、彼女はずっとその席に座り続けていたのだろうけれど完全に意識の外に置かれていて、今更そこの席なのかと気が付く。
冬麻さんは殆ど昨日見たままの姿で美しく背筋を伸ばして座席についている。殆どの例外となる部分というのはマフラーのことで、流石に教室の中において彼女はあの真っ赤なマフラーを外していた。
彼女は本を読んでいる。そしてその姿は、ひとつの完成された概念をイメージさせた。長く黒い髪、凛と伸ばされた背筋、周期的に優しく頁を繰る白指、朝の静謐の中に響く紙の音。彼女は教室という空間において独りの世界の中に、誰も入る余地のない、透明な殻の中に籠っていた。
未だ殆どの人が居ない教室において、彼女は孤独な人間なのだろうという直感があった。孤独の種類は孤独ではない人間が思っているよりも多い。だから、僕と同じ種類の孤独なのかは分からないけれど、同じだったからと言って何かの慰めになるなんてことはないけれど、それでも違う世界に住んでいる人間というわけではなさそうだ。
良く言えば超然としている。悪く言えば孤立している。彼女のことを正確に表すのだとすれば、どちらの言葉の方が正しいんだろうなと考える。いずれにしても彼女が独りの世界に慣れ切った人間だということに変わりはないけれど。ただ、少なくとも言えるのは彼女の中に今にも崩れ落ちそうな脆い強さがあるということだった。彼女の孤独はコミュニケーションを取ることが苦手だとか、対人関係において失態を晒して省かれているとか、彼女の意思に関わらず作り上げられたものではなくて、自覚をしたうえで受け入れた結果に出来上がったものであるように見える。
その種類の孤独は孤高と呼ばれ強いと思われることも多いけれど、その人を支えている部品のようなものを何かの拍子に失くした途端に音もなく静かに瓦解する脆さも兼ね備えている。彼女を支えているものは、例えば世界の終わりなのだろうか。確かに、絶対的な終わりを信奉していれば、そして自分こそがそれを救うことが出来ると信じていれば、他の物事から目を逸らすことが出来る。自分はそのために生きていて、それ以外の不都合はそれのための必要な犠牲に過ぎないと思い込めばいかなることも気にする必要がなくなる。
しかし、もしもそうなのであれば、彼女は世界が終わることもなく続いた後どうなるのだろうか。戦争の英雄が帰還した後で疎まれるように、役目を失った救世主は何を思って生きていくことになるのだろうか。
そんなことを考えていると予鈴が鳴り、いつの間にかクラスメイトが教室中に所狭しと現れていることに気が付く。時間の感覚も失われるほどに異性の背中を見つめるなんて、これじゃ恋みたいじゃないかと自嘲する。
担任である世界史を教えている女教師が教室に這入って来て、彼女が話を始めたところでようやくさざ波のように会話する声が小さくなっていく。定刻になったにも関わらず話をしているのは高校生らしさのようなもので、話を始めたことを察し会話を控えただけで上等な高校生だと思うべきなのだろうか。それともやはりこのクラスは些か騒がしいクラスなのだろうか。他人に対する関心がないせいでそのあたりのコモンセンスが欠けていることを僕は自覚している。
ホームルームとは言ってもさしたる中身のない二言程度の儀礼的な時間を終えて、クラスメイトたちは緩慢な動きで次の授業の準備を始める。大抵の生徒は友人と駄弁りながら、あるいはスマートフォンでも見て時間を潰しながらその作業を惰性的に行っているけれど冬麻さんも僕もそれらに属すことはなく彼女は本を読んでいて僕は彼女を中心としてクラスの動きを見ている。
それに気が付いたのは、恐らくは偶然だったんだろうと思う。初めに名状し難い違和感を覚え、それから少し考えてその違和感を言語化する。意識の上に引き揚げる。
彼女は、冬麻久々利は孤立していた。けれど、それは僕のような没干渉による必然の結果というより、暗黙の了解のような不可視の法則によって作られた恣意性のあるものである。あくまでも仮説として、そのようなことを僕は考える。
クラスメイトたちは、路上に広がった猫の死体を避けるように、冬麻久々利のことを避けているように見えた。確かに、そこには教室という極めて狭い閉塞された空間において不自然な空隙が生まれていた。
露骨さや悪意は見えない。虐めと呼べるほど表面化されたものではないはずだ。けれど、少し注視すれば誰でも気付くことが出来るような歪みがそこには存在していた。あるいは、虐めと呼べるほどの問題ではないからこそ厄介なのかもしれない。体面を気にする程度の矜持があるこの学校において虐めなどというセンシティブな名前のつく行為が顕れたのであれば少なからず教師が介入することになるのだろうから。
不可触の存在として、冬麻久々利はこの教室に存在している。その理由に対する答えは、屋上から見下ろした街並みと同じくらいに退屈な授業を三つやり過ごした後の昼休みで知ることになった。
僕も彼女も誰とも話すことなく三つの授業を終える。教師に当てられることもなかったことを考えれば、二人して今日になってから一言も喋ってないのではないだろうか。昼休みに入り、暴発したように増えた喧騒の中でそんなことを考える。
昼食を摂ることは少ない。食事に対する頓着が取り立ててないこともあるし、購買へと買いに行く気力もないのが理由だった。人間は一日二食でも案外生きていける。空腹はもうずっとこの生活を続けているお陰で慣れた。
昼休みの教室というのは、意外にも人が少ない。ホームルーム前というほどではないけれど、他のクラスに友人がいるようなクラスメイトは誰かの教室ではなく中庭や空き教室などの中間的な場所で食事を摂ることが多いからだ。独りでいる人間にとって、昼休みの教室という場所は言葉面ほど居づらい場所でない。
友人の居ない冬麻さんもまた、当然のように教室で持ってきていた弁当を開いていた。ごく普通の、ありふれた弁当箱。中身までありふれたものかは分からないけれど、それを確認出来るほど席が近いわけではないし彼女の食生活に興味はない。
冬麻久々利という少女の異質が顕されたのはその時だった。
彼女は指を組み、ゆっくりと瞑目する。それが祈りの姿であることは誰の目から見ても明らかであるはずなのに、思ってもいなかった行動に認識の意味を咀嚼する時間が必要とされた。
口元が小さく動く。何かを唱えていることが分かる。聞こえはしないけれど、内容を推察することは簡単だった。
恐らくは、これが彼女が遠ざけられる原因のひとつなのだろう。いかに多様性を宣おうと、法律が保護しようと、宗教という日常から切り離された概念を自分たちの領域に持ち込まれれば少なくない人間が戸惑う。そして、その場合の最も簡単な対処法が自分たちから遠ざけるということだ。
しかし、それでも避けるほどのものなのだろうか。極めて個人的な信仰が他人を害することはない。そして、彼女は誰かに影響を及ぼすでもなく個人的な範疇で彼女自身の信仰を留めている。ごく普通の付き合いをするうえで、問題があるようには思えない。
そこまで考えて、昨日彼女が言っていたことを思い出す。世界の終わり。その不吉な予言とやらが彼女の信仰している宗教のものであると考えるのは、牽強付会な思考でも突飛な空想でもないだろう。
一か月後の終末を唱える宗教。異常が炙り出され静かに迫害されることの多い学校という空間において、そのような特殊な信仰を持っている人間が爪弾きに遭ってしまう可能性は、有り得るものだとして考えられるほどには存在している。
結局、人間なんて綺麗な生き物ではないのだ。どれほど常識的で倫理的なことを宣っていたとしても、そうでありたいと願ったとしても、嫌いなものは嫌いだし理解の出来ないものは遠ざけたいと思ってしまう。その結果が、今の状態なのだろう。
ただ、だからといって何があるわけでもない。害を与えられているわけでもなければ彼女は彼女の孤独の中に慣れ切っている。奇妙な均衡のもとで、この教室の関係は決壊することなく保たれている。
思っていたよりもこの教室の状況というものは複雑なものらしいということに、半年過ごして僕はようやく気が付いた。人間は根本的に異常な生き物であり、部屋に二人以上居れば最後は殺し合うことになると言っていたのは何の映画だっただろうか。四十人もの人間が箱詰めにされている空間において、このような歪さが存在しないということは有り得ないのかもしれない。それが表面化することは極めて稀なことであるとしても。
それを知ったからと言って、僕に出来ることはないしあったとしてもする気はない。自らの行動の責任を背負う覚悟がなければ、何事にも首を突っ込むべきではないのだ。自己満足や自己陶酔のために他人を助ける人間なんていうのは、通り魔に似ている。
冬麻久々利という少女と、それから教室という空間の異質さを目の当たりにして、これだから人間関係というのは好きじゃないのだと思う。要らないことを知ると、出来もしない願望や後悔ばかりが堆積していく。それは呪いのように内側から身体を蝕み、いつか足を引っ張ることになる。
いつも通りに戻るように、僕は本を開く。けれど、幾ら目で文字を追っても頭の隅にはどうしても冬麻さんのことが引っかかり続けていた。
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