第7話 転落
「こんばんわー」そう言いながら若い? 女性がふたり<門屋>に入って来た。
一心は手を上げて「あきちゃん、ちほちゃん、こっち」と、叫んだ。
ほかの客にじろりと睨まれたが、一心にはもう目に入らない。
座敷に上がらせて対座し挨拶を交わす。注文済みだ。
ささっとビールと寿司桶がならぶ。
「さぁ飲んで食べて、喋ってよー」口では言ったが豊満な肉体美と色気に一心は仕事を忘れ、質問もせずふたりの女性を眺めていた。 ――あー、良い目の保養だぁ……
「おじさん、なんか訊きたい事有るんじゃないの?」
腹が空いてるのか口を常時動かしながら喋るミニスカのねぇちゃん。
「亡くなったあやめちゃんのことで何か思い当たることないかな?」と、仕方がないので訊く。
「あいつのことはマネージャーから聞いたしょ。……彩鬼さ、さ・い・き」
「それは聞いた。それ以外は?」
「うちらあやめ嫌いだったから、あと知らなーい。女の子十人もいるから誰がが客とられた腹いせに殺しちゃったり? ふふふっ」
一心は呆れて聞いていた。 ――同僚が殺されたばかりだと言うのに、まったく脳天気な……
それは心の中に仕舞って、「その中で、名前を上げるとしたら?」と、訊いた。
「すずこくらいかな。彼女何人も取られてマネージャーに泣きついてたもん」
「その、すずこちゃんの名前とか住まいとか電話とか知らない?」
「知らないし、知っててもおじさんには話せない。おじさんがストーカーだったら困るもん。ふふっ」
「明日、店に来たらいるよ。また寿司とビールだしたら、色々話すかもよ。きゃははっ」
聞いてると頭が痛くなる。
ふたりに年齢を聞いてみる。
「十八!」ふたりは声を揃えて言う。声がでかく、店内のほかの客がこっちを睨んでる。
「ははは」一心は笑うしかなかった。
「ありがとう。おかわりは自腹でな。じゃ、さいなら」一心は会計を済ませてあるのでそそくさと店を出た。
事務所に着いたのは十二時四十分だ。
ふーっ、大きくため息をついて階段を上がりかけて驚いた。危なく足を滑らせ落ちるとこだ。
見上げる階段の踊り場に静が立っていたのだ。
「どないしたん? そないに驚いて。なにかやましいことでもしてきたんかいな?」
一段とソフトな物言い。 ――これはかなりやばい……
「な、な、なんも、マネージャーと女性二人に話を訊いただけ」
そこに美紗もやってきて「おやじ、やらかしたな」にたりとして静を煽りやがる。
事務所に入ると数馬と一助までが一心を睨んでいる。
「なんだよお前たち、俺は無実だ!」
「何食って、飲んできた?」一助が言う。「ビール飲んで寿司ご馳走してきた」と答えた。
「何っ! 自分だけずるい!」
そう言いながら美紗と静は一心の身体の臭いを嗅ぐ。
「女の臭いはしないな」美紗が言う。
「当たり前だ。俺は仕事で行ったんだ」
「せやかて、行く前随分と嬉しそうやったし」静がじろりと睨む。
「分かった。今度、お前たちにも寿司食わせるから……」一心は苦し紛れに言ってしまった。
「よっしゃーっ!」子供らがハイタッチする。
静は満面の笑顔だ。「ふふふ」
「策略だったのかぁー。やられたー」一心は頭を掻いた。悪知恵の働く奴らに参った。
「で、明日、もう一人に話訊きに行くからな」
「じゃ、ほん時みんなでいこか?」静が言うと子供らがすぱっと手を上げる。
一心は心の中だけで泣いた。 ――とほほ、ミニスカのおねえちゃんとの会話を楽しむはずだったのに……
*
松上幸三郎(まつうえ・こうざぶろう)は家電の量販店で営業の仕事をしていた。
元々個人経営の電気店の息子だったのだが近くに量販店ができて潰れてしまったのだ。失意のあまり廃人同然のようになってしまった親父の姿を見て復讐心に燃えたが、その量販店でさえ二年後には別会社の子会社となり社名も変わってしまった。
内心いい気味だと思ったが、競争の激しい業界で生き残るのは大変な努力を求められるんだと思い、親父がそう言う努力をして来たと言い切る自信はなかった。
それで大学で電気工学を学び工場部門に就職したはずだったが、二、三年は店舗営業も経験して欲しいと言われ同意したのがまずかったのか、以来三十五になっても未だに営業部門に籍を置いていた。
外歩きだけでなく店内でも接客をするのだが、若い女性社員は殆どいない。レジにふたりいるほかは経理だとか総務だとか、幸三郎とは縁遠い部署にいるため彼女らと話す機会には恵まれていないし、そもそもそんなに魅力的な女性はいない。
それで婚活パーティーの折込チラシを見て参加することにしたのだった。
金持ちのお嬢様でも引っ掛けられないかと目論んでいたのが悪いのか、ほとんどの女は興味無さそうに決められた時間会話するだけで幸三郎に熱心に質問をぶつけてくるような女性はいなかった。
社長の娘も参加していたので、声を掛けてみたがそっぽを向かれる。
肩を落していると会が終わった後、景浦沙理香(かげうら・さりか)と名乗る女が話しかけてきた。
まぁまぁ人並みの顔立ちで要所にそれなりのラインが窺えて素直に応じた。しかし、名簿にそんな名前は無かった。何か企んでいるのかと勘ぐる。
しかし、女はずっと幸三郎の目を潤いのある目で見詰めてくる。
幸三郎も次第にその気になってきた。
「なんで、俺なんかに声かけてきたの? パーティーが終わってから声かけして良いのか?」
多少怪訝な気持ちがあって訊いてみる。
「えぇ、会が終わったら良いんです。大勢の中で女から行くのは恥ずかしさもあって……けど、私も独身だし、彼氏いないから素敵な人いないかなってあなたを見てたんですよ」
それからしばし立ち話をして結構楽しいなと思うようになった。
「この後何か用事あります?」
女からそう聞かれたら「有る」なんて言うのはバカものだ。
「いや、無いよ。何処かへ行く?」
「少しお酒でも飲みません? それとも何か食べに行きます?」
幸三郎は内心「待ってました。女から酒飲もうなんて、気のある証拠だ」と感激していたが、平静を装って「あぁ良いね。腹は空いてないから、飲みに行きたいけど、あまり強くないから、そう言う店あまり知らないんだ」
そう言って相手の出方を窺う。飲んべぇとは思われたくもない。
「私も強くはないけど、ひとりでワイン飲みに行くことあるのよ。ぼんやり外の夜景観ながら……ってなんか寂しい女に見えちゃうかな? ふふっ」
「いやぁ、素敵だと思うよ。……じゃ、ワイン付き合うよ。近いの?」
「ちょっとあるからタクシーで行きましょう」
女はそう言って車道へ眼をやり手を上げた。
幸三郎の女を訝しむ気持ちはすっかり姿を消し、この先に待っているだろう熱い大人の会話を期待するあまり身体の芯に火が点くのを覚えた。
ホテルの最上階にあるバーで窓ガラス越しに眺める都会の夜景をおかずに、恋愛の成就したり失敗したりした思い出などをお互いに熱っぽく語り合った。
話に夢中になっていた幸三郎が自分を取戻したのはバーの閉店の案内が耳に届いた時だった。
「えっ、もう閉店かぁ。随分早いな」
「そうねぇ、なんか喋ってて喉乾いちゃったし、飲み足りない気もするけど……」女が語尾を濁すのは男に行先を任せると言う合図だ。
「じゃ、ここに部屋でも取って飲みながら喋るか?」
「えぇ良いけど、空いてるのかしら?」
「任せとけ」幸三郎はフロントに電話を入れてみる。
……
「いやー、満室だとさ、ここ出てホテル行こう」もうホテルへ行くのは決まったことのように思い込んでいたし、女も「嫌だ」とは言わない。
そしてトイレにでも行くのかと思っていたら清算を終わらせたようだ。
礼を言うと「自分が誘ったから」とあっさりしている。
幸三郎の頭の中では既にラブホテルの一室で女のワンピースを脱がせていた。
女は無言になって半歩後をついて来る。
幸三郎は心の中でガッツポーズをして近くのホテルに向かった。
向島にあるラブホテルならほとんど知り尽くしている。
ホテルが近づいて軽く女の肩を抱き嫌がらないのを確認する。そして門を潜ってキスをし女の反応を窺う。
無人フロントでお気に入りの部屋で泊まりを選択して部屋に入る。
やたらと大きなベッドに遊び心のある各種の道具が揃っている。大きくゆったりした感じがするバスルームには空気マットが立てかけられている。
今までこの部屋に入って、気に入らないと言った女はひとりもいなかった。
早速ビールで乾杯をし取り敢えず濃い目のキスを絡ませた。
女はうっとりしているようにさえ見える。
蛇口を捻ってお湯を溜め「一緒に入ろう」
女は為すがままにされていたが、いざと言う時に「あれを付けてね」と言うのを忘れなかった。
止められない気分だったが、敢えて格好をつけて言う事を聞いてやる。
女の反応は激しく背中に爪を立てられた。かなり痛かったが平静を装い続ける。
汗だくで並んで横になっていると「後始末はしてあげる」
そう言ってくれたので目を閉じて呼吸を整えていた。
「汗も拭いてあげる」そう言って全身の汗を拭ってくれた。そして「あら、ごめんなさい、背中に傷つけちゃったわね」と言いながらその血も拭ってくれて常備しているのかバンソコまで貼ってくれた。
冷蔵庫から缶のお茶をタブを開けて手渡してくれた。
「良かったか?」
「そう言うことは聞かないものよ。あなたの背中が知ってるでしょう」
確かにそうだ。そうでなければわざとに背中に傷付けたことになる。
そんなことしても何の利益もない……。
そんな睦言を交わしているといつの間にか寝てしまったようだ。
……
目覚めたのは恐らく朝だろう。
テレビを付けて時間を見る。
「沙理香、何処にいる?」幸三郎が呼んでも返事が無い。
財布でも盗まれたかとドキッとしてスーツを調べると、ズボンの尻ポケットに有った。中身もだ。
そしてテーブルに万札が一枚乗っていることに気が付いた。
彼女の衣類もバッグも無くなっている。
「あー、酔いが醒めて、恥ずかしくなって先に帰ったんだな」幸三郎は呟いた。
身支度をしていてシャツのボタンがひとつ取れていることに気が付いたが気にせず、ひげをあたり髪に櫛を通してそのまま会社へ向かった。
そんなことも忘れかけた頃、会社へ向かう途中、駅のホームの階段を降りているとすぐ後で女性の鋭い悲鳴が響いた。
振向いた瞬間女性が幸三郎の上に落ちてきた。
「うおーっ」
両手を広げて受け止めるしかなかった。
しかし、その重量に耐えられるはずもなく幸三郎が下敷きになって階段をずり落ちる。
必死になって手摺に手を伸ばす。
幸三郎の足の上に女性が腰から落ちてきてバギッと音が聞こえ、同時に激痛が走る。
二人とも階段を十段以上落ちて頭を下にして停まる。女は幸三郎の腰にしがみつく状態で身体の上に乗っていた。
女性はすぐに起き上がり、
「すみません。大丈夫ですか?」
ハンカチで幸三郎の額から流れる血を押さえながら心配そうな顔をして言った。
「あぁ大丈夫。と、言いたいけど足が折れたみたい。救急車呼んでくれない」はっきり覚えちゃいないが頭も強かに打ったみたいでガンガンする。
そういうタイミングで駅員が駆け付けてきて、「救急車呼んだからちょっと我慢してて」
駅員の声にホッとした途端に幸三郎の身体から意識が抜け出して行った。
幸三郎に意識が戻り目を開けると自分を心配そうに覗き込む奇麗な女性の顔がすぐ傍にあった。
「あっ、気付かれました? 良かったぁ……私のせいでごめんなさい」
しばらく状況が飲み込めずぼやっとしていたが、やがて思い出した。
女性は東海林文(しょうじ・あや)と名乗った。
幸三郎は恐縮したが治療費をすべて支払うと言ってくれたので助かった。保険も入っていないし金も無かった。
「あっ会社に電話を入れないと……」
「どちらの会社?」
幸三郎は名刺を渡し事情を話して貰う。
……
「私の父が会社をやってるので、そこで使う電化製品をすべてあなたから買うように父に頼んだので、ゆっくり休んでて下さい。毎月百万円くらいの電化製品の購入や修理や色々あるので……そのくらいじゃ少なすぎますか?」
女性の話に驚いた。
「そんなに買って貰ったら、営業成績がナンバーワンになっちゃいます。良いんですか?」
幸三郎が退院し会社へ出て頭を下げると、「お前本当に運の良い奴だよなぁ。休んでるのに営業成績一番ってどういうことよ。羨ましい……」などと一様に羨望の眼差しで見られる。
「どこの会社の令嬢よ?」と聞かれるが、はっきりと聞いたことが無かったので「さぁ」と首を捻って見せる。
中には「将来はその会社の社長だな」などと冷やかす輩もいるが、考えて見たらそう言うことも有り得るなと心の奥底でほくそ笑んだりした。
週に数回リハビリを兼ねて文の肩を借りて公園などの散歩をした。
わざとよろめいたりすると「大丈夫ですか?」文はそう言って顔を寄せてくる。
幸三郎は掴まる振りをし文を確り抱きしめたり手を握ったり……。
甘い香りに思わずふらっとする。
至極の幸せを感じる。
散歩の帰り道には毎回違う高級レストランに連れて行かれ、見たこともないような料理を目の当たりに、
「これ何? これ何?」と都度聞くので文は堪え切れずに笑いだす。その笑顔が綺麗で自分のものにしたいと言う気持が押さえ切れなくなりそうだ……。
文は「お品書き」をウエーターに持ってこさせ「ここに詳しく載ってるわよ」と優しい。
しかし、あまりの幸せに、いつか反動で奈落の底に落とされるんじゃないかと言う不安が頭の隅に住み着いているのも感じていた。
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