第4話 遺族
「ごめんください」
岡引探偵事務所に来客のようだ。
一心が返事をし身なりを整えて事務所を覗く。
中年の女性がソファの背もたれに手をかけて佇んでいた。
「あれ、座ってて良かったのに」
名刺を差し出し、自分が所長であることを告げる。
「あのー、娘が家に帰って来ないんです」
今にも泣きだしそうに顔を歪め手にはハンカチをしっかりと握り締めている。
一心は、「あー家出かぁ」と単純に思う。
「警察へは届出しました?」
「いえ、そこまでは……」
<家出人捜索願>と書かれた紙を渡して、
「そこに娘さんの情報を書き込んでください。それと写真持ってきました?」
夫人から渡された写真を見る。
「ほう、なかなかの美人さんですね」一応お世辞を言った。
一心は心の奥底で思う。 ――これは男好きのする顔だ。身体は写って無いがきっとナイスバディーに違いない……
静にお茶を淹れさせて、女性が書いている内容を覗き込んでいると渋谷の<S商事>に務める二十六歳とある。
名前が遠見里桜だ。
ちょっと思い当たる名前だ。 ――間違いないつい先日、そこの会社の課長の不倫相手だった女だ ……
一心は妄想した。 ――ひょっとすると、男と逃げたのかもしれないな、いずれ男に捨てられるとも知らないで可愛そうな女……
書き上がった<願>に目を通し、静に調査費用などの説明をさせる。
家族を集め、美紗には監視カメラの映像と顔写真のマッチングを、数馬と一助には彼女の周辺の聞き込みを指示し、一心は身元不明の遺体がないかを確認するため浅草署へ向かう。
静は電話番だ。
「ちわー」浅草署の捜査課に行くと刑事らが「いらっしゃーい。事件ですか?」と親しく声を掛けて来る。
「おー、まぁな」
挨拶代わりに話をしながら丘頭桃子(おかがしら・とうこ)警部の席へ向かう。
「どうした、一心?」
「あぁちょっと調査依頼あってさ、身元不明の遺体がここ一、二週間で出てないかなって思ってさ」
そう言って一枚の写真を警部の机に置いた。
じっと見ていた警部が「おい、市森(いちもり)! これ例の遺体の女じゃないか?」
市森刑事が駆け寄ってきてにやにやしながら「一心さん、また殺人事件追ってるんですか?」
「わざわざ俺の噂訊いたらしくってよ、あまたある探偵の中から選ばれたって訳さ」
「へぇ、何処の人?」
「横浜」
言いながら市森も写真をじっと見ているうちに刑事の厳しい顔になり、「一心さんこっち来て」
一心が見せられた遺体の写真はどう見ても、そっくりだ。
「身元を証明するような遺留品が無くて捜査が行き詰ってたんですよ」市森刑事がぼやく。
「間違いないな。鑑定だな」市森にそう言って母親が書いた<願>の写しを警部に渡す。
その二日後、再びその夫人が一心の事務所のドアを叩いた。
「今、警察で里桜に会ってきました。可愛そうに……」
ひとしきり泣いた母親が「探偵さん、見つけて頂いてありがとうございました」と、頭をひとつ下げて「娘をあんな目に合わせた男を捕まえてください。料金は別に払います」怒り顔で言う。
その娘の扼殺された遺体が全裸で荒川に浮いていて、体内からはO型の男の体液が採取されたのだった。
一心が子供らに調べさせていた情報は無駄にはならなかった。
同じ会社に不倫相手がいて、別れ話で揉めているらしいことを掴んでいたのだ。
それから何日も経たないうちに桜木花恋と言う女性の絞殺死体が発見されたとニュースが流れた。隅田川沿いの公園の茂みの中にあって、着衣は乱れ暴行されたあと絞め殺されたと伝えていた。
早朝、散歩中の老夫婦が発見し通報したと言う事だ。
「また、暴行殺人だ」
一心が呟くと、
「どうして男ってそうなんだろうな。腹立つ」
殺された女性と同年代の美紗は身につまされるものがあるのだろう眉を吊り上げている。
「可哀そうやなぁ。まだ若くてこれからのお人なのにな」
静は眉を下げる。
直後、事務所に来客のようだ。
一心は慌ててご飯をかき込んで「今行くから座っててー」と、叫ぶ。
席に着くと「自分は向島のすし屋で働いている田中創と言う桜木花恋の恋人なんです」
と若い男が切り出す。
「あぁ殺害された……気の毒に、ご愁傷さまです」一心は丁寧に頭を下げる。
「それで悔しいので犯人を捕まえて下さい。警察に言っても相手にしてくれないんです」と、田中。
「えっ、だって殺人事件だから、警察は動くでしょう」
「えぇ、捜査はするって言ったんですけど、俺、犯人に心当たりがあるんです」
「えっ、田中さんの知ってる人って事?」
「いえ、花恋のストーカーです。以前に警察へも相談しに行ったことがあって、彼女の働いている店の客なんです」
「なるほど、で、警察はあなたの話を聞流したという訳だね」
「だから、そのストーカー野郎をぶっ殺してやりたいんです」
「ふむ、随分物騒な事言うね。俺らが見つけたらあんたはそいつを殺す気なんだね」
「はい、やっと、やっと出会えた恋人を、無残な殺し方しやがって、俺、絶対に許せない!」
田中は拳で自分の足を何度も叩きながら、一心が熱さを感じるほど身体中から熱気を発している。
「田中さんは正直な方だ。本心で殺そうとしてたら誰にも喋らないと思うんだよね。君がそれほど憎いと思ってると解釈しとくよ。そもそも、俺らが犯人見つけるってことは、イコール警察が逮捕するってことだから、君に犯人を殺すチャンスなんてないんだから。な、分かった? この仕事引き受けるから君は彼女が天国で幸せに暮らせるよう祈れ、そして君も幸せをもう一度掴めよ」
田中は泣きじゃくって返事はしなかった。
まだ、二十八歳新しい恋も出来るだろう。一心はそんな風に考えた。
それで、浅草警察署へ出向いて、捜査課の連中と言葉を交わしながら丘頭警部の席へ向かう。
「あら、また来たのね。……市森! 桜木花恋殺害事件の資料をコピーして持って来て」警部は挨拶代わりに軽く手を上げて叫び、一心に視線を走らせて「で、良いんでしょう?」
「ははは、さすが、ツーと言えばカーだな」
「ちょっと応接で話そうか」
警部に促されて応接のソファに腰を下ろすと、若い刑事がコーヒーを持って来てくれた。
「おぅ悪いな」
ひとしきり情報交換をして事務所に戻る。
警部は公表してないがと前置きして、被害者が手に犯人のだろうシャツのボタンを握り締めていたと言う。
一心は、早速美紗を呼んだ。
「美紗、桜木花恋のストーカーを探して欲しいんだけどよ、夜な夜な歩き回るんじゃないぞ」
「あたりきだ、花恋の自宅と店の間に設置されている監視カメラの録画映像の中で花恋を尾ける男を探しゃー良いんだろ」美紗もニュースで事件を知っていて自分のやるべきことをすでに理解しているようだ。
「おー、複数の場所で同一人が見つかればそれがストーカーの候補者だ」
「今更言わんでも、分かってるぜ」美紗は年頃の娘なのだが男言葉を喋りやがるから悪い虫すら寄り付かない。
花恋の死亡ひと月前からと検索範囲を指定する。
一週間ほどして事務所に堅物そうな親父が訪ねてきた。
「どういったご用件で?」一心が問う。
親父は酒上と名乗る。
「娘のあやめがひき逃げされて、亡くなってしまった。俺は殺されたと思ってるんだが、警察は単純なひき逃げだと決めつけるんだ。事故の日も店から電話で、何をするか分からないような危ない男が殺人鬼みたいな目で自分を睨んでいるから怖いと言ってきたんだ。それで裏玄関からタクシーで家に帰れと言ってやったんだ。それなのにひき逃げにあってしまった。……どう考えても殺されたに違いないんだ。探偵さんよ、娘の仇をとってくれ」
父親は犯人を憎んでいるのだろうが、それ以上に警察への不信感が強いようだ。
「うちの事務所をどうやって知ったの?」
「警察の奴がどうしても納得できなかったらひさご通りの岡引探偵事務所へ行って頼んでみなとか言うからよ。お前らと警察はグルなのか?」
「ははは、そんなことはないけど、随分警察の捜査に協力してきたからさ」
「ふーん、で、どうなんだ、やってくれるのか?」
「えぇ、お父さんの悔しい気持ちわかります。調べてみましょう。ただ、お父さんの希望に沿えずに事故だと報告するかもしれないことを了解しといてくださいね」
「何! ろくに調べもせずに半月位したら事故でしたなんて報告したらただじゃすまさんからな」
「ただ、お父さん、その殺人鬼みたいな男は娘さんが店を出た時にはまだ飲んでたと言う事でしょう。なのにタクシーで帰った娘さんを車で撥ねるのは無理だ。犯人は別の人間と言う事になりますよ」
一心は心の中ではそんなに殺人が続いて起るはずはないから、恐らくは事故だと思っていた。 ――頑固ジジィにも困ったもんだ……
そこへ静がお茶を淹れてくる。
「お父はん、つろうおまんな、うちのひとがきっとその犯人捕まえるよって、しばらくは待っててな」
こういう感じになった客に静の着物姿と京都弁は気持を和らげて落ち着かせる効果がある。
「奥さんは関西のひとか?」
「へぇ、京都どす」静はそう言ってにこりとして頑固ジジィに目をやる。
「ふーん、……まぁそうしたら探偵さん頼むぞ」
頑固ジジィは恥ずかしそうに静から目を逸らして大人しく帰って行った。
一心は浅草署へ向かう。もちろん丘頭警部を通じてひき逃げ事件の捜査資料を貰うためだ。
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