第3話 事件

 桜木花恋(さくらぎ・かれん)は浅草に親と同居する二十四歳。向島でカフェを経営する両親と一緒に働いている。

子供の頃から将来の夢をはっきりと持っていなかった花恋は、親に言われるまま普通高校に通っていたのだが、ある時親のカフェでちょっとお洒落なランチセットを食べて、「私もこんな風に作れたらいいなぁ」

何回か食べたことはあったけどその時は特別美味しく感じ呟くと、両親はそれを耳ざとく聞きつけ、

「じゃ、花恋ここでコックやってくれない?」

丁度、料理人がいなくてコーヒーは美味しいと人気なのだが、食事は今一なのを花恋も知ってたので、そんな話を聞かされ「しゃーないな」と受けてしまう。

 数日後、学校から帰ると料理学校の案内冊子が複数花恋の机に置かれていて驚いた。 ――お父さんもお母さんも真剣だったんだあ。あちゃー……

それが切っ掛けで高校を卒業してから料理学校へ二年間通った。入学当初は仕方なくって感じだったが、段々料理が面白くなってやがて夢中になる。

そして、二十歳の時カフェの厨房に入る。

花恋の料理にお客さんから結構酷い言われ方もしたが、徐々に、徐々に腕を上げてお客さんに美味しかったと言われることも。

 花恋は小柄でショートカットが似合うと昔から言われていたのだが、料理を褒められるようになってからはお客さんからも「可愛いね」とか「ショートカット似合うね」などと言われるようになった。

その話に尾ひれがついて広まり、超可愛いコックが抜群の料理の腕を持っているカフェとして知られるようになり、始めた頃に比べ客数は数倍にもなった。

厨房で汗を掻きながら調理している姿を写真に撮る輩まで出てきて両親を困らせる。

料理を運ぶと「付き合って」とか「連絡先交換しよう」とか言う人もいて、その度に笑って誤魔化すのだが、悪い気はしない。

 実は、料理学校に恋人がいたけど、卒業するとき彼は修行のためフランスへ渡ってしまう。

一緒に行こうと誘われたのだが、「両親のカフェで働かなきゃいけないの」と言って……それで別れたけど、二年が経った今でも好きだと言う気持ちに変わりはない。

だから、突然、彼が姿を現し結婚しようって言ったら、花恋は頷いてしまうだろうと思っている。

離れたら次第に気持ちは薄らいでいくものだと思っていたけど、全然、あの頃と想いは変わらない。 ――彼に会いたい……

 

 店との往復は歩いたりチャリだったりしたけど、半年くらい前から尾けてくる男に気が付いた。

何をするわけでもないけど、自宅と店の間を距離を保ったまま写真を撮ったりする。

気味が悪くて両親にも話し、言われて警察へも相談に行った。

店のお客のような気もするけど、顔が良く分からない……。

そんな事があるのでミニスカートを止め七分丈のパンツにしたし、顔を隠すようにキャップを被るようにもした。

そして、雨の日だけタクシーを使いあとはチャリで全速力で走った。

 

 ある日、花恋宛てに婚活パーティーの無料招待券が送られてきた。

母親に見せたら、「たまに気分転換に行ってきなさい。ろくに休みあげられないから、ね」

と笑顔で言われ「無料だし、食事代わりと思って行ってくるかなぁ」

もしかすると、母は昔の彼への想いを知っていて、次の恋へ進めるように言ってくれたのかもしれない。

 

 そこで田中創(たなか・そう)と言う男性と知り合う。

彼はすし屋で板前の修行をしているらしい。

「俺、二十七にもなるんだけど、高校へも行けずに今の店で見習いで入って十四年、やっと握らせてもらえるようになったんだ」恥ずかしそうに彼は俯き加減に言う。

「へぇ、努力家だね。偉いわ」

「将来、店を持つのが夢なんだ。だから、毎月少ないけど貯金しててさ、金ないから彼女作れなくていたら、親方が婚活パーティーへでも行ってたまに若い女と話をして来いって言われて……」

照れて言う彼にとって自慢の親方なんだろうと容易に想像させる。

それに田中を随分素直な人だと思う。

「良い親方さんね。何処にあるお店なの?」

「向島さ、飲食店街の中にあるんだ<門屋>って名前の店なんだ。そっちも店で働いてんだろう?」

「えぇ、向島の<かれん>って名前のカフェなの」

「えっ、あんたの名前じゃないか」田中はちょっと驚いたような微笑ましいと感じたような微妙な顔をした。

「そうなの、私が生まれて名前を決めた時にその名前を店に付けたらしいの」

「へぇ良い親だな……俺には親いなくてさ、それで親戚に預けられたんだけど高校へは行かせてもらえなくって、……嫌じゃないか、高校も出てない男なんて……」

田中のコンプレックスなのだろう、花恋から目を逸らせて俯く。

花恋は漠然と思う。 ――この人、それで女の子に相手にされずに来たんだろうな……

そして、彼は自慢の親方をきっと自分の親だと思ってるんだろうなと感じる。

「そんなの関係ない。そんなことより、田中さんが今を一生懸命に生きてるってことの方がよっぽど大切なことだと、私は思うわ。私は将来の夢なんて、親の店継ぐんだろうなくらいにしか考えて無かったから、田中さんを尊敬するわ」

正直な花恋の気持ちだった。

田中は目を見張って花恋を凝視していたが、やがてその目が潤んできてぽたりと涙を零した。

慌てて拭って「ありがとう、そんな事言われたの初めてだ。ははは、嬉しい。……ねぇ、俺と付き合ってくれない? 金ないから公園で話すくらいしかできないけどさ」

随分、単純と言うか直球だなとは思ったが、

「えっ、私なんかで良いの? ちびだし、休みの日あまりないけど……」

 それから二週に一度ほど会っている。専ら公園に飲み物とおにぎりとかサンドイッチを店で作って持って行く。

昔の彼を忘れてはいないが、田中の存在が心に少しずつ染みてきて、いつか恋の道へと繋がっていく予感を感じながら毎日を楽しく過ごしていた。

 

「じゃ、悪いけど先に帰ってるわね」

閉店の時間前、花恋は午後十時から始まるテレビドラマを観るため急ぐ。

店を出た時、時計は九時四十分を示している。 ――なんとか間に合いそうだわ……

チャリに跨り立ちこぎで店を後にする。

そしていつも通る馬道通りより浅草寺境内を通り抜けた方が早いので、暗くてちょっと気持ち悪いけどそっちへハンドルを切る。

そして本堂を通り過ぎようとしたとき、陰から何かが飛び出してきて避けようもなく衝突して転倒してしまう。

「いたたたたっ」

腰を打って摩りながら、何とぶつかったのか見ようとして立ち上がろうとすると、口に布が当てられて……。

 

 

 酒上あやめ(さかがみ・あやめ)は中学一年生の時、兄が見ていた動画を覗いてしまう。

男と女が裸で絡み合って、しきりに女が苦しいのか眉間に皺を寄せているが、あげてる声は悲鳴じゃなくて、何か男に媚びうる女が出す様な、甘ったれた嫌らしい声。

しばらく見ていてそれが性交だとわかった。

嫌らしい兄を軽蔑した。汚いと思う。

 でも、その時の映像が頭を離れない。 ――自分の身体もあんな風になっているんだろうか? ……

それで学校では教えてくれなかった女の身体と男の身体についてスマホで勉強する。

頭で理解すると、経験してみたいと心が動かされる。

 たまたま学校帰り家の近くの道に同じクラスの男子がぼんやり立っていた。

「こんにちわ、どうした、こんなとこで?」声を掛けたのはあやめの方だった。

「……あのー、あやめちゃん、付き合ってくれないか?」名前も虚ろな男子が言う。

「どこへ?」まさか告ってるなんて思わないから訊き返した。

「いや、じゃなくて、俺と、そのー……好きだからさ……」意味不明だがあやめに告白してるんだと気付く。

あやめは嫌いでは無かったが好きでもなかった。

サッカーだかバレーだか覚えちゃいないが、スポーツマンなはずだった。

経験してみるには良いかなと思って、「そういうことなら、良いよ」

 

 遊園地や映画、野球の観戦にも一緒に行って楽しんだ。

あの嫌らしい動画のこともすっかり忘れていた。

 ある日のふたり、横浜の公園で遊びに夢中になってしまい帰りが少し遅くなり、浅草駅から歩いてあやめを家まで送ると言う彼と手をつないでいた。辺りは暗くなっていた。

すると急に彼があやめのてを引いて浅草寺の仲見世通りに入って行く。

店はすでに終わっていてシャッター通りになっているが、シャッターに描かれている絵を見に来る観光客がまばらにいる。

「どこいくの?」あやめが訊く。

「寺」ぶっきらぼうに彼。

あやめは何か怖い感じがして、「暗くて怖いから帰ろうよ」

しかし、彼はあやめの手を強く握って仲見世とお寺の間のちょっとした誰もいない空間へ引いて行く。

「私、やだ、帰ろう」

あやめが言った時、急に抱きしめられ、顔を手で挟まれ唇を押し当てられた。

顔を背けようとしたが逃げられず。いいなりにされる。

少しすると「ごめん、あやめが好きでどうしてもキスしたくなったんだ」

あやめは男ってこういう行動に出るんだと始めて知った。

また、あの動画が頭を過る。

「じゃ、今度遠出しよっか」あやめが言うと彼は驚いたようで「良いのか?」

それが初めての経験になったが、あの女の顔があーなった訳は少ししかわからなかった。

 

 それから間も無くその彼とは別れて、色々の男と経験を積んだ。

高校も大学も勉強より男との睦ごとを楽しむようになる。

大学三年生の時、男友達から聞いていた向島のガールズバーでアルバイトを始めた。

あやめは通勤を考え府中の実家を出て、南千住駅から一キロほど離れた東浅草のアパートの四階にひとり暮らしを始めた。

バイト代で十分とまではいかないが何とかやっていける程度の収入はある。

客から指名を受けると収入が増えるシステムなので、胸元を広く開けて多少ブラを覗かせ男の肉欲をそそる。

そうして指名させ、貢がせるのだ。

ほかの女の客と知っていても遠慮はしない。

その結果、女同士客を取った取られたと喧嘩はしょっちゅうだ。

 

 たまたま、あやめのアパートの郵便ポストに婚活パーティーの無料招待券が入っていた。

「こりゃ金持ちが集まるな」あやめはほくそ笑んでそのパーティーに参加する。

二十人ほどの男の中で彩鬼秀(さいき・しゅう)と言う男がにやつきながら話しかけてくる。

フリータイムの三十分間、話をしている途中で店の客だと気が付いた。

店の中では要注意人物と言われている。

彩鬼の知人からは、「奴は、土木現場などでバイトしてその金を酒と女とギャンブルで使い切っていつも金が無いんだ。だがよ、いつも女に飢えていて欲求不満の塊でよ、強引に女をホテルへ連れ込んだ事も一度や二度じゃない。泥酔し道路で寝ている女を抱えホテルですることしたら、ホテル代を残して財布から札を抜き取るのが普通に奴の収入源なんだぜ。それをひとりでやることもあれば複数人でやることもあるらしい。訴えられたこともあるがいつも証拠不十分で釈放されるんだ。それも俺の耳に入っただけでも相当の回数だぜ」

そんな風に語って聞かせられてる。

「おぅ、この後飯でも食いに行こうや」彩鬼が涎を流さんばかりに言う。

「ダメ、この後デートの約束入ってる。お店に来たら話し相手になってあげるわ」あやめはそう言って席を立って司会者に男を変えて欲しいと訴える。

席に戻ると、彩鬼が司会者に呼ばれて別のテーブルで男女数名ずつで談笑している席へ連れて行かれる。

あやめは内心彩鬼が怖かった、だからほかのテーブルに連れて行かれにやりとする。 ――ふん、ざまぁみろ……

何をするか分からないタイプの人間だからさすがに怖かったのだ。

会が終わるとあやめは素早くタクシーを呼んで貰い自宅へ真っすぐ帰った。

 

 そんな出来事を忘れかけた頃、店に彩鬼がきた。

丁度あやめが別の客に指名されていて話をしていると、鋭く突き刺すような視線をあやめに向けてくる。あやめは自分を襲う気だと直感し閉店前にマネージャーに話を通し裏玄関にタクシーを呼んでもらい、トイレに行く振りをして店を出て、そして家の近くのコンビニへ向かう。

パスタ、サンドイッチにビールなどを買って家までの百メートルくらいを走る。

角から四軒目があやめの住むアパート。道路を渡ろうとすると車が一台近づいて来るので通り過ぎるのを待っていた。

中央付近を走っていた車が、あやめの近くまでくると急加速しタイヤから甲高いスキール音を響かせながらあやめ目掛けて向かってくる。

「うそっ!」

そう叫んだ時には頭をボンネットに激しく叩きつけられていた。

……

 

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