第1話 ダイレクトメール
探偵岡引一心一家は相変わらず、犬猫探しと浮気調査に忙しく走り回っていた。
「こんにちわー」
浅草ひさご通りにある探偵事務所は、古びた四階建てビルの二階にある。その事務所の入口で聞き覚えのある声がする。
「あいよー、今行くから座っててー」
その所長である一心の気取らぬ喋り方は常連さんにとっては親しみやすいと受取られているが、初めての客には多少ヤクザっぽく聞こえて怖いイメージを与えると周囲からは言われている。
が、お構いなしだ。
妻の静が先にお茶出しをし、遅れて一心が顔を出す。
「相変わらずお着物がお似合いじゃのう」能登さんが静にお世辞を言っている。
「おおきにぃ、ごゆっくり」静はにこりとして奥へ引っ込んだ。
「おー、能登さん、また逃げられましたか?」
「はっはっは、そんな訳じゃ」
常連の近所に住む能登さんだ。捜索料だろう封筒をテーブルにおいてお茶を啜る。
「で、あっちの方は、もう、落ち着いた?」
能登さんの経営する会社で事件があって、トップだった能登さんを始め経営陣が総辞職していたのだ。
「あぁ、次のトップは官僚上がり、しっかりやっとるようじゃよ」
「そうそれは良かった。……静、数馬に仕事だって言ってくれ」
対座したまま、奥にいる静に叫んだ。
ほどなく「やぁいらっしゃい。今日は、こんた? それとも、みけ?」
長男の数馬が三階の自室から降りてくる。
両方とも猫の名前。能登さんが飼っているのだが、しょっちゅう逃げられるのだ。
「みけを頼む」
数馬はにやりとして飛び出して行く。
数馬は決して動物好きではないのだが、何故か動物に好かれる。
みけも数馬の匂いを嗅いだら寄ってくるからあっという間に捕まえられる。
一心が静も呼んで三人で談笑をしていると、「ただいまー」
数馬が三毛猫を抱っこして帰ってくる。所要時間わずか三十分。
捕獲用の網もゲージも要らないから、能登さんには数千円で仕事を受けている。
もちろん、新規の客の相場は一週間二万円と決まってる。
同居している一助は一心の甥っ子。
浮気調査に出ていたが戻ってきたようだ。
「おー、帰ったぜ」
ヤンキーな言い様は二十五になっても変わらない。
今回は渋谷の<S商事>に務める日田東吾(ひた・とうご)の妻から浮気調査を頼まれていた。
妻宛に夫と若い女のどこかの地獄谷を背景に撮ったツーショット写真を送りつけてきたのだ。
「旦那のスーツかバッグにこれを仕掛けてください。大体三日くらいはバッテリーがもつけど、それ過ぎたらまたお願いするかもしれないんで、よろしく」
一心は美紗が手作りした糸屑型盗聴器をふたつと、併せてシール型GPS発信器を手渡した。
だが、依頼から三日後には女との会話が録音され、その夜、電子地図の上でGPSがラブホテルと重なったので一助が出向いてホテル帰りのふたりを録画して今帰ったのだった。
一心が時計を見るとまだ午後八時だ。思わず自身と比べてしまう。 ――こんなに早い時間から女と絡み合うとは四十八歳は若い……
もっとも一心は五十四になるから、体力が落ちていても止むを得ないのだが……。
「おー、上手く撮れたか?」
「あたりきよ。編集してくる」
明日には、女の素性も分かって妻に浮気報告ができる。五日間で調査終了。それでも通常料金を貰うのは当然である。
*
美紗にダイレクトメールが届いた。
自室に戻って開封すると、婚活パーティーへの無料招待券が入ってる。
「食事に豪華な和・中・洋が用意されている」と書かれていて、美紗はそこに惹かれる。
主催は<慶賀マリッジエージェンシー(株)>とあり、美紗の知らない会社だ。 ――でも、どうして自分にきたんだろう? ……
その日になって、「美紗、えぇ人見つかるとえぇなぁ。おきばりや」と、母は背中を押してくれた。
内心は花より団子なのだが、一応身嗜みを整えて向島のホテル帝王へ。
会場に着いてすぐに<司会者>とネームプレートに書かれていた女性に、
「どうして無料サービス券を送ったの」と訊いてみたら、にこりとして「特別サービス」と言われる。
そしてネームプレートを渡され「これ胸に付けてくださいね」
釈然としないまま会場をぶらぶらしているとハッカー仲間の桜乃木智華(おうのぎ・ちか)がいることに気付く。
「どうしたの智華こんな所へ……」美紗から声を掛ける。
「えっ、あら美紗、あんたこそこんなところに。男なんて興味なかったんじゃ?」
ハッカーやってる時とは違ってばっちりメイクしている智華を初めて見た気がした。 ――綺麗だ……
「へへへっ、食いもんに釣られた」
「ははは、やっぱそっちね。私は男漁りだけどさ」
談笑していると会を始めるとアナウンスが流れる。
二十名の女子が名札の置かれたテーブルに着いて、男子が五分毎にひとりずつ順にテーブルを回ってゆくシステム。
テーブルには話が途切れないように<話題サンプル>と書かれたレターが置かれていて、そこには、趣味、休日の過ごし方、ペットのほかプロフィールなどと書かれている。
美紗も二十人の男と決められた時間いやいや喋ったが、朝食を抜いてきたので腹が鳴る。
全員と話し終えると、その後はフリータイムが三十分刻みで3回、回毎に話す相手を変えなければならないルール。
美紗は智華とでも話していようと思って探すと、智華の周りに数人の男が嫌らしい笑みを浮かべてしきりに何かを話しかけているので、離れた。
しょうがないのでひとり座っていると男が「さっきはゆっくり話せなかったけど、良いかな?」と寄って来た。
顔とは似合わぬ素敵なスーツとネクタイの男に「えぇ、良いけど」と向いの席を指さし「どうぞ」
男は流行りの起業家だと言って、金を持ってる話を始める。
「僕は三年前大学院の博士課程でソフト開発言語の研究をしていて、あることに気付いたんですよ。それは、……」
美紗のまったく興味のない話題で、しかも自慢話に上の空だった。
ほとんど何を言ったのか覚えていないが、いい加減耳障りになってきたころ、次のフリータイムに入って男はそそくさと別のテーブルへ向かって行った。
長い、長いフリータイムが終わって、カードが配布されお気に入りの方の番号を書けと言われる。
もちろん、美紗は空欄のままだ。
智華を見つけて「どうだった? 良さそうなのいた?」
「ふふっ、何となく話の合いそうな男に出会ったからその番号を書いたわ」と、智華。
五組のカップルが誕生し、智華もその中のひとつとなっていて満面の笑顔で記念品を貰っている。
司会者が「それでは、皆さまお待ちかねのお食事タイムです」
カップルはふたりでテーブルを独占し、ほかは長テーブルを挟んで一緒にバイキング形式の食事となる。
美紗はなりふり構わず山のように盛り付けした皿にむしゃぶりついた。
*
東海林文(しょうじ・あや)は自然体で付き合える男性を探して幾度となくこういうパーティーに参加してきた。
普段男に持てないという訳ではないのだが、文の素性を知って近づく輩が圧倒的なのだ。
金があって、上手くいけば社長になれるかもと言うのがその狙いだろうと思わせる男しか文は知らない。
会が始まる前に「こんにちわ。文さん、いらっしてたんですね」
声を掛けてきたのは父の会社の従業員で出世欲の塊の男。
「あら、どうしてここに?」
「えぇ、文さんみたいな女性がいないかなと思って来たら、まさか、文さん本人がいるなんて奇遇と言うか、運命と言うか……」
にたりにたりと嫌らしく微笑む男に虫唾が走る。
「そう、じゃ頑張って探して下さいな。私はあちらの方とお話があるので、失礼」
男に背を向けて、不気味な視線を感じながら見知らぬ男性に向けて歩き出す。
会が始まっても、文はずーっと背中にあの視線を感じながらテーブルについた男達と色々話すが、何故男はこんなにも自慢話をしたがるのか分からなかい。来る男来る男みなそうだ。
それが自分を売り込むという事なのか? 相手に関心を持ったり、一方的に話さないなどはこういう場の常識だと教わってきたのだが……。
当然に、社員もテーブルに着いたので話したが、おべんちゃらとしか思えない言葉の数々に嫌気がさす。
フリータイムになると真っ先に社員が来たので、
「私は、あなたに興味がないのでほかの女性を当たって下さい」
はっきりと言った。
社員は、まさかと言う表情をして立ち去る。後ろ姿に少々気は咎めるが、思わせぶりよりは良かったかなと思い直す。
*
鈴木香月(すずき・かつき)は文系の大学を卒業してイベント会社に就職した。
始めは披露宴やパーティーの受付をやらされた。
その他に大企業を中心に人事部や組合などを回って、
「新年会や忘年会などのマネージメントを任せてくれませんか?」と勧誘する仕事がある。
十数件に一件ほど詳しく聞きたいと反応はあるのだが「今夜、食事をしながら……」と言う相手には要注意、こっちの話はそっちのけで誘惑してくる可能性が高い。
だからそう言う場合は必ずベテラン社員とふたりで行く。
大抵の場合は世間話程度で終わってしまうが、数十件に一件は真面目にマネージメントを任せたいと依頼を受けることがある。
そう言う中で先輩男性と仲が良くなり付き合うことに。
社内恋愛は禁止されているので極秘の付き合いが一層煽情的でのめり込んでしまう。週一以上に密会を重ねていた。
数年して会の受付から司会を任されるようになり会社での立場は変ってゆくけど、個人的には結婚も意識する香月に対し彼の態度は今一はっきりしない。
――この辺が女と男の考え方の違いなのか彼だけが子供なのか分からないが待つしかないのかな? ……
司会者の責任は重くパーティーが近づく度に胃が痛む。
もっと気楽にやればと周囲から言われるのだが持って生まれた性格は治らない。
ところが、今回の婚活パーティーの開催日の一週間前、
「俺、別に好きな女出来たからお前と別れる」
なんの前触れもなくいきなり彼に言われた。
パニックになった。
「私の何が悪かったの? 言って、なんでも直すから……」と詰め寄ったが、
「他に好きな女ができた」の一点張りだった。
信じられず、どんな女なのか確かめようと彼を尾行した。
すると夕方香月がやっていた外回りを担当する女と彼が一緒に社を後にする。
二人ともにこやかでひとめでその関係性が思い浮かぶ。
特に女は好きな男を見る時には瞳が大きくなって潤むし、自然と笑顔になるもの。
高級レストランに入るので追って中へ。
ややあって想像通りサラリーマン風の男がふたりの席についた。
話し声は聞こえないが一時間ほどでサラリーマンは帰って行く。
少し間をあけてふたりも店を出る。
そして腕を組んだ。 ――間違いない、出来てる……
そのまま尾行してラブホテルの中へ入って行くふたりを確認して、香月は悔しさを引きずりながら家に帰った。
泣けた。
新しい女は香月の後輩だった。殺してやりたいくらい女を憎んだ。
そう言う気持ちのまま婚活パーティーの司会を務める。
手順は繰り返しやっていることなので熟知していた。
問題なく会をお開きにする。
「今日はどうしたのかしら。二十組のうち五組もカップルになるなんて」
受付の後輩が言う。
「私も何回も司会やってるけど、こんなに確率良いのは初めてだわ」と、香月。
「嬉しくなるね。幸せそうなカップル見ると、この仕事やってて良かったって……ね」と、後輩はにこやかに話す。
「そうねぇ、あなた彼氏いるでしょう? だからそう思えるのよ。ふふっ」
香月はそう言って後輩の顔を覗き込む。
「ふふふ、やっぱ、分かっちゃうか。でも香月さん内緒でお願いします」
「えぇ、もちよ」香月は笑顔で返したが、この女こそ香月から男を奪った張本人なのだ。
――今に仕返ししてやる! ……
「ちょっとごめん」香月はそう言ってひとりで帰ろうとしている男を追う。
「今日は残念でしたね」香月が声を掛けたのは、名簿によれば松上幸三郎(まつうえ・こうざぶろう)と言う三十五歳の男で面識は無い。
結構な二枚目で背が高く香月好みだったり背を丸めて歩く姿が少し可哀想と言う気持ちもあったが、別の狙いもあって食事に誘ってみたのだった。
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