1-11

「取引をしませんか」


 驚きの表情を隠せないジョレスは、脇に立つ偽アンゼリカを茫然と見上げている。片や偽アンゼリカは後ろ手に組んで、にこにこと微笑みながらそう持ち掛けた。


「取引って……なんの」


 今現在、対峙している相手から罪をなすりつけられそうになっている彼は、思わず身構える。すると偽アンゼリカは、ゆっくりとまた歩き出して、先程まで座っていた席の方に戻っていった。


「あなたが今無罪を主張しても、状況的に犯人はあなたです。真犯人である私には目撃証言がありませんし、何より帝国判事としての信頼は伊達じゃありません。あなたの自白がなくとも、あなたには有罪判決が出る可能性が高いでしょう」


 これは厳密には嘘だった。確かに状況証拠は出揃っている。しかし、「自白は証拠の女王」とはよく言ったもので、帝国にも数年前まで、「被告人の自白がなければ裁判所は有罪にはできない」という法があった程、それには絶対的な効力があった。でなければ、ユリスもソロモンも、ジョレスの起訴不起訴に頭を悩ましているはずがない。


 とはいえ、それっぽく見せてしまえばこっちのもの。これから有罪無罪の判断を下し得る裁判官が直々に見解を述べているのだ。疑われることはあるまい。


 まるで貶められたかのような状況に反感を覚えたジョレスは、あからさまに不服の表情をするも、偽アンゼリカは話を止めなかった。


「殺人の法定刑は死刑又は4年以上の拘禁刑――しかも、勅任官として皇帝の覚えめでたき裁判長が暗殺されたとなれば、宮殿は裁判所に死刑にしろと圧力をかけてくるでしょう。ですが、あなたが自白さえしてくれれば、私があなたを擁護することができます。初犯で、客体は1人。そして自白し反省していることや、裁判官は何人の圧力にも屈するべきではないという建前を理由に挙げて、必ず、軽い刑で収まるように取り計らいます」


「俺は別に……軽い刑を望んでいるわけじゃ」


「ええ。あなたが本当に望んでいるのは、妹さんとまた2人で暮らすこと、ですよね」


「……ああ。だから罪を認めたりしちゃダメだろ」


「でも、脱獄ばかり繰り返しているあなたが釈放される未来は、どのみち大分先になるんじゃないですか?妹さんを解放するビジョンもまだ見えていないようですし」


「それは……」


「ご安心ください、私に協力してくれれば、妹さんのスパイ容疑も再捜査を指示して無実を証明してさしあげます。そしたら晴れて自由の身です。一方、あなたは数年、またここで服役することになりますが……それも私が、半分の時間で済むように仮釈放の手続を整えておきます。きちんと反省して、お得意の脱獄にも頼らず真摯に刑務作業に取り組んだ模範囚として、正規の手続で妹さんと社会に復帰できますよ」


 彼女のプランは、ジョレスがこれまで考えてきたどのルートよりも正当かつ現実的だった。彼が無学だからだけではない。そもそも裁判官と内通するなどという行為そのものが、理外の範疇なのだ。


 喉から手が出る程良好な取引条件に縋り付きたくなるジョレスだったが、一抹の不安が彼を押しとどめた。


「待ってくれ!……あんた、本当にそんなことができると思ってるのか」


「できますよ、私裁判官ですし」


「信用できないな。第一、あんたなんで殺人なんか……。こんな取引を持ち掛けて、一体何を企んでいる?何者なんだ、あんたは」


 確かに、この取引が、ひいては偽アンゼリカという人間が信用に値するか否かという重要な判断要素を、彼女はまだ提示できていなかった。


 仕方ない。偽アンゼリカはため息をついて、回答する。いつになく真剣な眼差しと、覚悟を持った表情で。


「私が何者で、何を企んでいるかは……ごめんなさい、言えません。ただ……私もあなたの妹さんと同じ、好ましからざる眼の色を持って生まれてしまった人間なんです」


 その言葉で、ジョレスはなぜだか妙に得心してしまった。十分な回答ではないが……一応の信頼はおける人らしい。


 どうせ他に有意義な策もない。ならばこの異質な裁判官の提案に乗せられてみるのも一興かと、ジョレスは「分かったよ、約束は守れよ」と承諾する。それを聞いて、偽アンゼリカは「ご協力ありがとうございます」と、すぐさま満面の笑みに表情を変えてそう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る