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 首都監獄1号棟1階の第2取調室。偽アンゼリカがその部屋に入ると、既にジョレスはいた。事前に20代と聞いていたが、囚人生活のストレスで老けてしまったのか、30代半ばのような見た目をしている。手錠に足枷と、身体の自由を奪われた状態で、椅子に縛り付けられていた。


「……これから取調を始めますので、その間は外していてください」


 偽アンゼリカがそう告げると、彼の腰縄を握っていた看守はただ黙って敬礼し、部屋の外に出ていった。


 埃っぽく薄暗い部屋の中で、わずかに陽の光と小鳥のさえずりが小窓から漏れ入ってくる。法服に身を包む偽アンゼリカの姿を見るやいなや、ジョレスは戸惑いと敵意の入り混じった複雑な感情に襲われ、思わずたじろいだ。


「あんた……裁判官なのか?どうしてわざわざ」


 てっきり普段通りのいかつい刑事が相手かと思いきや、まさかの可愛らしい少女。しかも形は裁判官となると、いよいよ異例尽くしで不気味さを覚えた。


「本日あなたの取調べを担当させていただきます、アンゼリカ・フランセルです。よろしくお願いします」


 困惑するジョレスを放置して、偽アンゼリカは丁寧に挨拶する。そしてそのまま、彼と対面の椅子に腰を下ろして、ぐいっと顔を被疑者に近づけた。


「安心してください。私、あなたを疑っているわけじゃありません」


 右手の人差し指を立て、にっこり笑顔でそう一言。


 今日の取調官はなぜだか自分寄りらしい。目の前の女の子を侮るかのように、自然とジョレスにも笑みがこぼれる。


 ところが、彼の予想に反して、彼女の声のトーンは途端に低くなる。先程までの、どこか軽やかで明るい口ぶりはどこへいったのやら、まるで普段刑事に取り調べられているときのような緊張感を帯びた、慎重な声。


「ただ……あなたには、あの日裁判長を殺した、ということにしていただきたいのです」






 1分ほどだろうか。静寂が取調室を支配した。偽アンゼリカの雰囲気の変化もさることながら、彼女の口から発せられた言葉の意味を咀嚼するのに、ジョレスはそれなりの時間を要していた。


「あんた何言って……」


 ようやく反応することができたジョレスに、偽アンゼリカは食い気味でゆっくりと呟く。


「5405」


「……どうしてそれを」


 案の定、狐につままれたような顔になったのも束の間、彼は一つの真実に気付き、そして黙りこくった。


――彼女が発した4つの数字、それは3月5日の夜、ジョレスのいた独房に投げ込まれたくしゃくしゃの紙に書かれていた番号であった。彼女はあの日、ジョレスに脱獄を決意させる目的で、この番号を紙に書き窓から放り込んだのだ。


「脱獄は目的達成のための手段にすぎない。そしてその目的は人それぞれ、ですよね。刑罰から逃れるためだったり、自由な生活を手に入れるためだったり。……でも、あなたの目的は違った」


「……。」


「この監獄の5号棟の4階、居室番号5405に収監されている妹さんに定期的に会いにいくこと、それがあなたの目的だった。8歳の頃、とある身体的特徴のみをもってスパイ容疑がかけられて、形式だけの裁判で終身刑が言い渡されてしまった、妹さんに会いに」


 ここで、うつむいて目線を下に逸らしていたジョレスが、顔を上げ偽アンゼリカの眼を直視する。――そうか、この人は全てを知っているのか。ジョレスの胸中では、彼女への疑念よりも、最早抵抗しても無駄だという諦めの気持ちが勝っていた。


 観念した様子のジョレスに、偽アンゼリカは一応、これまでの経緯の確認をとる。


 幼少期に家族に捨てられ、学校では虐めに遭っていたジョレスの妹。不憫に思った彼は妹を連れて2人で生活するようになるが、それも長くは続かなかった。浮浪児として警察に通報されると、妹はスパイ容疑で逮捕され、2人は離れ離れになってしまう。そこからジョレスは、妹に会うために窃盗に走り、何度も脱獄を繰り返すことで、重大犯罪を犯した者が集められるこの首都監獄に収監されることに無事成功したのだ。


 訂正の余地もなく、ジョレスはただ静かに聞いている。偽アンゼリカは、自分の右目を指さして話を続けた。


「あなたの妹さんの身体的特徴――それは、帝国臣民であれば誰もが持っている青色の瞳を持っていなかったこと。妹さんの眼の色は、紛れもなく赤色だった。……10年前からずっと敵国であり続けている、アウトランド王国の王国民と同じく」


 ここまで話終えて、偽アンゼリカはふうっと息をつく。ジョレスの方を見れば、長年心の奥底に隠していた憤りが、まるで瘡蓋を剥がしたかのように露わになったようであった。


「……ああそうだよ。そんなつまらないことのために、周囲の人間は妹を忌み嫌って、果てはスパイ疑惑だ――自力で生きることすらままならないアイツが、どうしてスパイなんかやれるっていうんだ!」


 ジョレスの妹が逮捕されたのは9年前。まだ戦争の傷跡が町の至る所に残っていて、警察も反乱分子への警戒で常日頃から神経を尖らせていた頃だろう。赤い目を持つ人間は、とにかく敵国から潜入してきたスパイであって、抹殺しなければならない存在。そんな風潮に支配され、脳死で検挙されたに違いない。


――どっちの国でもやってることは変わらないな。


 ふと、偽アンゼリカは自分の身の上についても思いを巡らす。彼の妹に自分を重ねてしまうのは、まだ工作員として未熟な証なのだろうか。


 しばらく沈黙が続いた後、物思いに耽る偽アンゼリカを、ジョレスが現実に引き戻した。自らの感情を収め、脱線した話をもとに戻そうと、彼は口を開く。


「ところで、さっきあんた、俺が裁判長を殺したことにして欲しいとかなんとか言ってたな。……なぜ俺がやってもいない罪を認めなくちゃならない」


 当然の疑問。もちろん、偽アンゼリカも答えを用意していた。ここで彼女はおもむろに椅子から立ち上がり、取調机のそばを横切って、彼の脇に移動する。怪訝そうにするジョレス。すると、彼女は前かがみになって、彼の耳元で囁いた。


「あの日、ここの監獄から裁判長を狙撃したのは私なんです」

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