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「えぇっ、それじゃあクリス判事がソフィアさんを書記官に推薦されたんですか!?」


 ソフィアと官舎に向かう道すがら、偽アンゼリカは図らずも彼女との話に花を咲かせていた。距離を縮めると案外一対一では口数が多くなるソフィアは、第3法廷のあれこれや他の判事の為人についてざっくばらんに教えてくれる。


「はい。もともと同じ地元の国民学校で、彼が3つ年上の先輩だったんですけれど、私が事故に遭う前から、字が綺麗とか手際がいいって言って下さっていて。裁判官になるって決めたとき、初めは専属の秘書官になってくれって懇願する程だったんですよ」


 まさかあの仏頂面にそんなピュアな過去があったとは、人とはつくづく分からないものである。偽アンゼリカの反応もあってか、ソフィアは少し俯いて声のトーンを落とす。


「まあ、今では色々あってあんな性格になってしまいましたけど、昔は先輩もかなり熱をもった明るい人だったんです。情に厚いところもあったりして……今日の感じからはそうは見えなかったですよね」


 そう言って微笑む彼女の姿はどこか苦しそうで、偽アンゼリカも”色々”の詳細を聞くのはためらった。しばらく淡い光の街灯が両脇に並ぶ鬱蒼とした細道を通っていくと、大きな建物の影が2人の足元を覆う。


「……着きました。ここが女性用の官舎ですよ」


 中々立派なレンガ造りの3階建て。木々に囲まれた陰鬱とした雰囲気の立地ではあったが、内装の上品さは窓からちらりと見える分で十分に担保されていた。


「それじゃあ、フランセルさん。おやすみなさい」


 大広間から続く左右につながる螺旋階段の踊り場で、2階に部屋のあるソフィアとは別れた。偽アンゼリカの部屋は3階の角部屋。そのまま彼女は階段を上り始める。






 さて。

 自室に入った偽アンゼリカは、早速備え付けの洗面台から水を汲み手と顔を洗う。そして、居住スペースに唯一置かれた窓際デスクの椅子に腰かけ、鞄を開いて何点か物を取り出すと、燭台の蝋燭に火をつけた。


 今日の収穫。それは、帝国裁判所の執務室でしか手に入れられないモノをくすねることと、そこでしか見ることのできないモノを会得することであった。サーシャとソフィアが5時間ばかり偽アンゼリカにつきっきりになっている間、彼女は機をみてうまく目的を達成した。一応外野のクリスが目を光らせていないか警戒を怠らなかったが、彼は本当に新任育成にもぽっと出の新参者にも興味がないらしく、偽アンゼリカの悪事が露見する心配は無用だった。


――この国の自白偏重主義は有名な話。ジョレスがゲロってしまえば、それで片がつく。


 偽アンゼリカの一日はまだ終わっていない。それどころか、彼女の夜は始まったばかり。次第に薄暗くなっていく室内で、彼女は”作業”を始めた。

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