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「いずれにせよ、捜査にはまだ時間を要するでしょう。経過は……まあ、動きがあれば伝えに参りましょう。本日はここらで失礼」


 そう言って、ユリスとソロモンは軽く頭を下げ退室していった。気が付けばもう午後4時30分。偽アンゼリカが入室してから50分程が経過していた。


「ふぅ。今日はここ最近で一番忙しい日だったな。お嬢様も、来て早々事件に巻き込まれてしまって災難だったね」


「いえ、お気遣いなく」


 偽アンゼリカは微笑みながらそう答えた。


 夕焼け空が、ガス灯に照らされた室内を紅色に染めていた。時間の経過とともに各々の影が短くなり、徐々に薄暗くなっていくのをひしひしと感じた。


「さて……事件捜査もそうだが、我々には我々の仕事がある。早急に後任の裁判長を決めなくてはな」


「所長、私に後を引き継がせていただけないでしょうか」


 久しぶりにベルクリフが口を開く。顔色はまだ良くないままであったが、その目と口調には覚悟のこもった芯の強さがあった。


「確かに君が適役かもしれんが……。しかし、第3法廷は国内の重大犯罪を一手に取り扱う、この裁判所で最も忙しい部署だ。いきなり裁判長を務めるのは荷が重くないかね?」


 心配する所長に、ベルクリフは首を横に振って次のように続ける。


「いいえ。私も裁判長のもとで6年間判事を続けていました。第3法廷の職務については、誰よりもよく理解しています」


 その凛とした姿勢に気圧され、所長も思わず「そうか……では、是非君に頼む」と承諾する。


 さて。ここまで、全て偽アンゼリカの思惑通りであった。前裁判長が殺され、後任に所属法廷に思い入れ深い次席の判事が就任する。そうすると――。


「あとは、ベルクリフ君の代わりをどこから補充してくるかだな」


 パラディはぼそっとそう呟く。おそらく彼の脳内では、比較的人員に余裕のある他部署や外局から人を引っ張ってくることを想定しているのだろう。だから、これから偽アンゼリカがする提案に、おそらく相当驚くはずだ。


「あの!」


 彼女は、今日一番に大きな声を出す。咄嗟に、所長もベルクリフも偽アンゼリカの方を見ざるを得なかった。


「もし良かったら、私を使ってはいただけませんか?」


 一瞬、部屋の空気が完全に止まったように感じた。弱冠16歳の少女、しかも見た目はさらに幼い偽アンゼリカが、ただの訪問客から叡智犇めき合う帝国裁判所の構成員に成り上がろうとしているのである。わずかな時間が過ぎた後、これまで所長としての余裕を見せていたパラディが急に「いやいや」と慌て始めた。


「何を言っているんだね……帝国裁判所の判事というのは、そう簡単に務まるものじゃないんだよ。だいたい、君はただお父上の書簡を届けにきただけだろう」


「ええ……。ですが、父は私を送り出すときにこう言ってくださいました。『もし裁判所の皆様のお役にたてることがあれば、法服貴族フランセル侯爵家の名に恥じぬよう、しっかりとご奉仕をしてきなさい』と。それに……」


 ここまで言って、偽アンゼリカは旅行鞄から一枚の紙を取り出した。表題は「成績証明書」、そして宛名は「アンゼリカ・フランセル」となっている。


「物心つく前から、父の下で法学の心得を教わってきました。非公式ではありますが、侯爵領内の法学校での成績も首席で通っています。知識なら、一通り押さえているつもりです」


 彼女の口上を聞いて、それでも所長は承服し難いという表情であった。無理もない。偽アンゼリカがいかに優秀で、家柄と高名な父親によりそれが担保されていようとも、判事ならばある程度感じられるであろう貫禄が、彼女には圧倒的に欠けていたのだ。


 やはり認めるわけにはいかない、所長がそう口を開きかけたその時、彼女に思わぬ援護射撃が届く。


「私はアリだと思います。現状、他の部局でもこちらに回せるだけの人員の余剰はないように思われますし、アンゼリカさんにお手伝いしていただければ、各部署の職務にも影響は及ばないでしょう」


 なんと、今さっき裁判長に昇格したベルクリフも、偽アンゼリカの判事就任を後押しする意向のようであった。所長は、幾分かの時間を費やして悩み考えあぐねていたが、ついに折れて一定の結論を出した。


「……分かった。ただし、先程も言ったとおり、判事とは本来難関な登用試験を経て採用されるものだ。一介の裁判所長である私に、合格者でもないフランセル嬢の正式な任命権限はない。……ここはひとまず、後任が定まるまでの臨時判事として、第3法廷をお手伝いしてもらうだけに留めよう」


 十分すぎる結果だ。暫定的かつ限定的な権限しか与えられない臨時判事であろうが、それでも偽アンゼリカは、当面の目的を達成するための”道具”を手に入れることができたのだ。


「新任研修は明日から、第3法廷の皆さんに色々教わってもらうように……今日はもう遅いし、ひとまずお帰りください」


 所長は一日の疲れがどっと出たようで、自席に倒れるように座り込む。そんな彼の姿を見かねて、ベルクリフが「では、アンゼリカさんをエントランスまで見送ってきますね」と立ち上がった。


 偽アンゼリカは、部屋の主に深々とお辞儀をして、所長室を後にした。






「それじゃあアンゼリカさん、急なことだけれど、明日からどうかよろしくね」


 偽アンゼリカと2人で1階のエントランスまで降り、別れる間際にベルクリフは優しい声でそう言った。


「あの、ベルクリフさん」


 官庁通りの歩道につながる段差の手前で、偽アンゼリカは振り返る。


「サーシャでいいわよ。……どうしたの?」


「先程所長さんにお手伝いをしたいと言ったときに、サーシャさんは私を推してくれました。自分で言うのもおかしいですが、私自身、無理難題を言っているという自覚はあったんです。……サーシャさんは、どうして賛成してくださったんですか?」


 その問いに、サーシャは一旦返答に詰まる。そして、なにか意を決したかのように再び口を開いた。


「私が裁判官になった時、まだ女性判事が珍しかったから、念のため適性があるか図るためってここで面接をすることになったの。…その時の面接官のうちの一人がとても意地悪な人で、私の風貌が裁判官には向いていないって執拗に採用に反対していたわ。そこで助け舟を出してくれたのが、亡くなった裁判長……当時彼は平の判事だったけれど、『受け答えは判事そのもの』だって言ってくれて」


「そんなことがあったんですか」


「あの時、アンゼリカさんと所長とのやり取りを聞いていて、裁判長ならこうしたんじゃないかって思ったら、ついね」


 そう言ってにこりと笑う彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。


 日は完全に沈み、官庁通りの街灯に火が灯り始めた。

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