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「被害者が”殺された”のは、間違いありません」


 再び神妙な面持ちに表情を変えたユリスはそう切り出す。薄々気付いていたとは思うが、所長は分かりやすく頭を抱え、ベルクリフもハッと息を飲んだ。


「実は昨夜、この建物に隣接する首都監獄で逃走事案が発生した旨通報がありました。逃走したのは一人でしたが、その逃走者の房の担当看守が気付いて、勤務していた者総出で捜索を始めたのが午後11時30分頃。――その折、獄舎に一発の銃声が鳴り響いた」


 彼の落ち着き払った低い声が、その場の緊迫感を助長させる。


「逃走事案に次いで突然の発砲音、獄舎は蜂の巣をつついたような大混乱に陥った。それから日を跨いで午前1時過ぎに、ようやく看守の一人が逃走者を発見し確保。その後、別の看守が、発砲音の原因だと思われる小銃も発見してこれを領置した、と報告を受けています」


「まさか、その小銃で裁判長は……」


「ええ。小銃が発見された獄舎5号棟3階の渡り廊下は、ちょうどこちらの2階に位置する第3法廷裁判官室に面している。犯人は渡り廊下の窓から執務室に標準を定めて発砲し、その弾丸が被害者の後頭部に命中。……即死だったでしょうな」


 膝から崩れ落ちるベルクリフ。警部はなおも険しい顔で部屋の窓に近寄り、遠い目をして空を見上げた。


「発砲音と発見された小銃の位置から、何人かを狙撃したものである疑いは早い段階からあったのですが……迂闊でした。夜闇で現場の窓ガラスが割れていることに気付かず、警察の人員も逃走者追跡に大部分を割いていて、結局今朝の判事の通報が捜査の端緒でした」


「……ちなみに、その逃走者の身元は割れているのかね」


 所長がそう問いかけると、ソロモンが胸ポケットから一枚の写真を取り出して見せる。モノクロのそれに映っていたのは、ボロボロの服を着たみすぼらしい格好の少年だった。


「ご存じかと思いますが、ジョレスという脱獄の常習犯でした。8年前に窃盗の初犯で捕まってから、かれこれ100回以上脱獄を繰り返しています」


「ああ、私も現役判事だった頃、何度か裁判を担当したことがあったな。……もしかして、彼が裁判長殺しにも関わっている?」


 すると、ユリスは何とも言えない微妙な顔をしてみせる。


「この男が確保されたのは、犯行現場からさほど遠くない同じ5号棟の4階でした。犯行に用いられた小銃は4号棟1階の武器庫で厳重に保管されていたものですが、拘束具や牢屋の鍵を難なく解錠できるジョレスなら、武器庫の鍵も同様に無意味でしょう。それに調べてみたところ、殺された裁判長はジョレスに対して計17回と、他の裁判官より比較的多く逃走罪で有罪判決を下していたようで、より深い恨みを持っていたという一応の動機は考えられる……ただし」


 ここまで言い切って、彼は振り返り全員の顔を順々に追ってまた口を開いた。


「ジョレスが収監されていた2号棟の独房から見て、4号棟は北東側におよそ300メートルの距離で、しかもその間には有刺鉄線で造られたフェンスと十数人の歩哨が警戒する態勢にあった。対して5号棟は南西側に150メートルの距離で、当時も今もフェンスが改修中な上警備が手薄。これまで一度も殺しの経験がないジョレスが、果たしてそんな動機で殺人を企図し、脱獄途中に真反対の武器庫まで遠回りするだろうか……不自然だ」


 確かにこのままでは、ジョレスを殺人事件の犯人として起訴し、有罪判決まで持っていく根拠としてはいささか薄弱に思えた。しかも。


「ジョレスは犯行を否認しているんだろう?」


 ふうっと大きく息を吐き、所長が警部をちらっと一瞥する。警部も警部で、そりゃもちろんといったように肩をすくめる。


「武器庫にも侵入したことはない、と」


 

 

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