第1章 Confessio est regina probationum.

1-1

 大陸暦1860年3月5日、雨。

 ラブルンスク市官庁通り一番町に所在する、全国から凶悪な犯罪を犯した受刑者たちを集めた刑務所・首都監獄。その独房の一室に、脱獄常習犯のジョレスも収監されていた。


 時刻は午後11時過ぎ。定期的に行われる再犯防止のための矯正指導の時間が終わり、本来ならとうに就寝していなければならない時間だった。だが、ジョレスはこれまで一度も、この就寝時刻を守ったことがない。看守の目を盗んでは夜遅くまで起きていて、物思いに耽ったり脱獄の機会を窺ったりしているのだ。


 他の大多数の囚人と同様、ジョレスにとっても脱獄は目的達成の手段に過ぎない。他人に言ってもまともに受け取ってもらえないとある目的のために、これまで100回超の犯行を繰り返してきた。回数を重ねるごとに、拘束具の外し方、外部から施錠された部屋を抜け出す方法、看守の追跡を振り切る術といった脱獄スキルはみるみる上達していった。しかし、どこまでいっても脱獄は所詮脱獄。たとえ監獄の外に出れたとしても、警察の総力を挙げた追跡には敵わず、毎度だいたい1日程逃走した後には確保され、そしてこの首都監獄へ送り返されてくるのだった。


――まあ、それでいいんだけどな。


 ジョレスの目的は、毎回、1日程度拘束されてない時間を作り出すだけで十分に達成されるものであった。だからこうして夜になると、今日は脱獄に適しているか、どういう方法で看守の目をごまかそうかと思案して、その気になれば性懲りもなく実行に移す癖がついてしまっている。職業病のようなもので、たとえ脱獄に向いていないと分かりきっている日であってもついつい考えてしまうのだ。


 ちなみに今日は、絶好の脱獄日和。新月で月明かりがなく、雨は雑音と体臭をかき消してくれる。看守のシフトも比較的手薄な上、彼のいる2号棟の西側の有刺鉄線フェンスが、改修のため一部無効化されている時期とも重なっていた。これなら、いつもより労力を割くことなく脱獄は成功するだろう。


 鉄格子付の窓から夜闇を眺めつつ、看守に見つからないよう隠しておいた一枚の写真を取り出し眺める。


 脱獄はあくまで手段。いくら条件が整っているとはいえ、今日の彼には脱獄をする気はさらさらなかった。


 見上げる窓から、くしゃくしゃに丸めた一枚の紙が投げ込まれるまでは。

 

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