16 【シルシル】

「うげえ! 追いかけてくるだけどっ!」

 潔は逃げる。背中についたシルシルが飛ぶ。スピードを上げる。

 猛獣はなんと宙を飛んだ。コウモリの翼を広げてきた。頭と体はライオンだ。

「なあ? おれは人間だぞ! 食べられたりしないだろうな!」

『じゃあ、試しに止まってみる? 食べられるかもしれないけど』

「ぜったいに無理!」

 アンチウイルスに期待してみるが、シルシルだけを、都合よく消してはくれなそうだ。

 パソコンの守り神のはずだが、なんて凶悪な見た目だろう。

(しかも速い! 追いつかれる!)

『えーん。ボク、死にたくないよぉー』

「取り憑いてるくせに、なに言ってる!」

 潔は翼をたたませて、シルシルを手の中に移動させる。

 猛獣は鋭い牙を見せた。空中で潔に突進した。

(よし! いまだ!)

 シルシルを伸ばして、引っかける。ライオンの首へ。

 潔はターザンのように揺らして、猛獣を後ろへ投げ飛ばす。

 隙ができた。すぐに翼を展開させて、上空の穴へと向かっていく。

 壁を抜けた。島の外へと、やっと出られた。

 振り返る。壁の穴から、ライオンの目がギラリとにらむ。

 追ってはこないようだったが、威嚇してこちらに吠えてきた。

 潔は両手で耳をふさいだ。

『……ちょっと、まずいね。サイバー警察が来ちゃうかも』

「サイバー警察?」

 嫌な予感だ。ライオンはさっきの遠吠えで、助けを呼んだのかもしれない。

『これ以上の捜索はやめておこうよ。捕まると厄介なことになるよ?』

 シルシルは潔に警告した。サイバー警察という組織は、警視庁の特殊部隊だ。ネットワーク犯罪の防止のために、パトロール活動をしているらしい。

「警察、か」

 その言葉に、震えあがった。警察に追われるということは、つまりは社会の敵なのだ。

 潔はそのことを自覚する。罪の鎖に縛られた。

「捕まったら、どうなるんだ? おれも削除されるのか?」

『うーん、ボクだけ消されるかな。ふつうの体質に戻れるんじゃない?』

「そのほうが、いいんだろうな……」

『代わりにキミは、ひとりになるよ。家族からは縁を切られ、ボクはキミからいなくなる。鳴花ちゃんにも、会えないと思ったほうがいいね。自首をするなら、覚悟しようか?』

「……!」

 おどされた。

 潔の性格を握った上で、このようにアドバイスを飛ばしてきた。

(……っ、こいつ!)

 悪から離れられそうにない。すべてを切り捨てる勇気など、持ちあわせてはいないからだ。

(おれはもう、戻れないのか……)

 罪のなかった状態に。

『そう、キミは魔王になるんだ。【ノロイバナ】の歌詞にもあったでしょ? 見る目あるよね、鳴花ちゃん』

(おれが、魔王に……。弱いから……)

 仮面へと、手を触れる。

 弱さも、罪も、仮面で隠れる。

 けがれた正体を隠したまま、シルシルと共存するしかないのか。

(…………ノロイバナ。どうかどうか咲かないで)

 新曲の歌詞を思いつづった。鳴花の言葉。

 望んでいるのは、「咲かないで」のメッセージだ。

 潔は胸を押さえつけた。刻まれた痛みは忘れなかった。

「ああ、わかった。戻れないなら、進んでやるよ。ただし、おれの信じる道に。あんたの思いどおりにさせない。おれは良心を決して捨てない。――魔王には、絶対ならない」

 あの歌詞は、警告だ。潔はそう解釈した。

 シルシルの狙いは、わかっていた。

「しかたねえ。撤退だ」

 潔は周囲を警戒しながら、来た道を引き返した。

 上空では目立ちすぎるため、虹色の橋へと降り立った。ここではデータの積み荷を乗せたトラックが走っていた。

「おっと、あぶねっ」

 ひかれないように、横に寄った。

 橋の向こうの上空に、二足歩行の犬がいた。警察官の制服を着て、背中にはロケットを背負っている。胸には桜紋のバッジだ。

 サイバー警察で、間違いない。シェパード犬のおまわりさん。捕まれば、人生は終了だ。

『トラックの積み荷に隠れよっか?』

「ああ、そうだな」

 走っているトラックをめがけて、手首からシルシルを射出した。

 矢じりを荷台に引っかけて、ゴムのように縮ませた。

「よっ」

 体を引きつけさせて、荷台に乗りこむことができた。

 シルシルは、潔をほめた。

『キミってアクションできるんだねっ。立派な怪盗になれるんじゃない?』

「ここでならな。現実世界じゃ、こうも体は動かせねえよ」

 潔の身体能力は、現実では平均以下だ。ただしゲームは人並みにできて、アクションゲームは好きなほうだ。

 ダイブインをしているあいだは、ゲームをしている感覚に近く、現実以上の動きができた。

 潔は荷台に身をひそめながら、矢印の仮面を取り外した。

「怪盗か……。そんなかっこいいもんじゃねえよ」

『だけどキミは義賊にならなきゃ、罪に押しつぶすされちゃうでしょ?』

「へっ、それこそ望んだ罰だ。苦しむことさえ、欺瞞だと思えるくらいの罰だ。上等さ」

『あはっ、キミはマゾだねえ。おもしろいデータが取れそうだよ』

「……やはりそうか。あんたはコンピューターウイルスだもんな」

 潔はすでに気づいていた。シルシルの持つ役割を。

 行動記録を採取して、開発者に送ることだ。

 潔はそのサンプルに選ばれ、シルシルに感染させられた。

 潔の行動や感情は、データとして記録されていた。

 シルシルの言動から推測すると、悪に染まれば染まるほどに、開発者には優良なデータになるのだろう。

 そう、開発者にとっては。

『ボクはキミが好きだけどねっ。おもしろいし』

「おれはオモチャじゃねえっての」

 軽口を叩くシルシルだが、期待しているところがあった。

 本堂潔は開発者の予想を大きく超えるだろう、と――。


   ☆


「ダイブアウト」

 現実世界に舞い戻った。二階の自室だ。

 潔はベッドへ倒れこんだ。スマホを長時間見ていたような、疲れが一気にふきだした。

『おやすみぃ〜』

 潔が寝たことを確認し、シルシルは胴体をぐーんと伸ばした。

 矢印の先をスマホに入れて、今日の記録を送信した。

 シルシルを生み出した開発者へ。

『潔くんはねえー……』

 シルシルからの、メモを添えた。

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