9 かけがえのない女の子
家に帰ると、母は言った。キッチンに立って、晩ごはんの準備をするところだった。
「あなたのことは、父さんに知らせてあるからね。……はあ、なんてことをしたの。弟の作品を盗むなんて、兄として恥ずかしくないのかしら。ああ……廉。かわいそうに。悪いお兄ちゃんを持っちゃって……」
ひたすら潔を責め続ける。父が帰国していたら、説教は二倍になるだろう。
潔は黙ってうつむくか、力なく返事をするしかない。自業自得だ。
『うるさいなあ。モラハラババア』
潔の肩からシルシルが生えて、頭の先っぽで体当たりした。
すり抜けた。ふつうの人には当たらなかった。
(やめろ、シルシル。怒られてとうぜんのことなんだ)
『キミってマゾだねー。苦しめばいいって思うタイプ? 誹謗中傷をされてもさ』
(……それだけのことを、おれはした)
潔は母の横に立って、玉ねぎの皮をむいた。今晩はカレーライスだが、ふたりで食べきれる量ではない。二日くらいカレーは続くだろう。
シルシルは長い胴体をくねらせ、ハテナの文字の姿勢になる。
『ところでさ。なんでバレちゃったんだろうね。鳴花って子にしか、話してないでしょ? まさか、あの子』
「鳴花はそんなことしない!」
カッとなって、声が出た。
母が大きくのけぞった。包丁で爪を切ってしまった。
「いきなり大声を出さないでよ! もういい、あなたは二階に行って!」
キッチンを追い出されてしまい、考えこんだまま二階へ上がった。
(鳴花は告げ口なんてしない。あいつはそういうヤツじゃない)
潔が抱えていた罪を、唯一告白した相手。数日後、大滝たちに、知れ渡ることになってしまった。
『タイミングが良すぎるよねー。いままでバレてなかったのに』
「偶然だろ。そういうこともあるんだよ」
シルシルの考えを否定した。潔を退部に追いこんだのは、鳴花ではないと信じたかった。
自室に入る前に、立ち止まる。
「そうだよ、鳴花のはずがない。おれが退部したんなら、あいつが孤立してしまう」
博光たちからは嫌がらせをされ、大滝からは疎まれていた。
潔が注意をしたところ、「しない」と博光は言っていたが、信用できるかはわからなかった。
「おれが守らなきゃいけなかったんだ。鳴花のヤツ、だいじょうぶかな」
『よっぽど気に入っているんだね。いい子だとは思うけどさっ』
シルシルは頭をかしげながら、潔の肩へと消えていった。
自室のドアを開けて入った。
(……まあたしかに、引っかかるな。嫌な感じだ)
潔の退部になんらかの意図が働いているような予感がした。
心配になって、スマホを見た。
鳴花からメッセージがあった。
『部長の退部は聞きました。あのっ、わたしも退部しました』
「なにっ!」
まさか鳴花まで、道連れになるとは思わなかった。
鳴花はなにも悪いことをやっているはずはなかったのだ。
潔はメッセージを送る。
『おれのせいか? 巻きこんだ?』
『あっ、ある意味、部長のせいです! きれいなお顔を拝見できなきゃ、あの部に意味はありませんからっ! ってー、あわわわっ、わたしが部長のルックス目当てで入部したの、バレちゃいましたああーっ。ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、わたしはこんな女なんですぅぅぅ』
メッセージを見て、気が抜ける。
やめさせられたわけではなく、自分から退部したようだ。
入部もこんな動機らしい。潔はくちびるをふっとゆるめた。
『ブレてないな。安心した』
『でも、放課後に会えなくなるのは、わたしとしてはさびしいです。って、お顔だけじゃないですからっ。わっ、わたしは心配で……』
『おれもだよ。いますぐ会いに行っていいか?』
メッセージを打って、すぐに消した。
潔はベッドを転げまわった。
(くっっせえぇぇぇぇ! やっっべえぇぇぇぇ!)
自覚すると、恥ずかしくなった。
そういう関係ではないのに、軽い男になってしまった。
『でも会いたいのは、事実でしょ? ボクを使えば、すぐ会えるよ?』
シルシルがほっぺたをつついてきた。とんがった頭がチクチクした。
潔は顔を赤くした。
「ああ、そうだよ。おれは鳴花に会いたいんだ。元パソコン部の部長として!」
『あー、はいはい。好きなんだねっ』
「勝手に言ってろ!」
この気持ちが恋なのか、潔にはまだわからなかった。
彼女を作ったこともあった。別れてしまった。
ルックスに伴わない中身のせいで、失望されてしまっていた。
だけど、鳴花は受け入れてくれた。欠点も含めて認めてくれた。
ルックスのことも鳴花になら、言われても嫌にはならなかった。
(この顔にも感謝しないとな。鳴花に出会えたんだから)
完璧ではない浅ましさが、なんともかわいらしかった。
AIシンガーの音楽配信者【花鳥】が、潔のすぐ側にいる。手の届かない存在ではなく、ただの面食い女子だった。
鳴花の言葉はやさしくて、心を軽くしてくれた。
潔の中でいつのまにか、鳴花が大きくなっていった。
かけがえのない女の子だ。
『いますぐ会いたい。行っていいか?』
『わっ、え? 部長がわたしの部屋に来る? 待ってください、お片づけを!』
『部屋はだいたい想像できる。推しのポスターやぬいぐるみ、アクリルスタンドがあるんだろ?』
『なんでわかったんですかっ!』
『そっち行くぞ。ダイブイン』
『ひええええっ! それ、便利すぎますっ!』
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