7 鳴花の素顔

 世の中には、やってはいけないことがあった。

 社会のルールを破ること。潔はスマホに侵入し、ハッキングのようなことをやった。

 大会のルールを破ること。潔は自分の作品ではなく、廉の作品で賞を取った。

 ゲームのルールを破ること。潔が手のひらに乗せているのは、重心のかたよった六面ダイスだ。振れば【六】が出やすくなる。イカサマだ。

「おれは、勝ちたかったんだ。鳴花や廉みたいになりたかった。だから、卑怯なことをした」

 イカサマダイスを振り落とした。【六】の目だ。去年の大会では使わなかった。あのころはまだ、正々堂々を夢見ていた。

「これが、本当のおれなんだ。ちっぽけなプライドのために、廉を傷つけてしまったんだ。どうだ? 失望しただろう? 部長とかやって、エラそうにしてたのが、こんなヤツで」

 なにもかも、吐き出した。カッコ悪いところを、すべて。

 ところが鳴花はほほえんだ。大きな瞳は失望よりも、別の感情が勝ったようだ。

「……正直な部長、かわいいなあ」

「…………へっ?」

 潔はこの状況で、自分の耳を疑った。

「あっ」

 鳴花は顔を赤くし、口の先で手を振った。ぶんぶんと。

「ごごご、ごめんなさいっ! 変なこと言って! 落ちこむ部長もおきれいだと……。あわわわわっ、わたしのバカ!」

 今度は座ったまま足踏みをして、こめかみのあたりを叩きはじめた。

「キャーッ、本性がバレちゃいましたーっ! どうしましょうったら、どうしましょう!」

 今度は両手を頭に抱えて、亀のようにうずくまった。

(………………鳴……花……?)

 潔の目が点になる。

 いきなりの鳴花の豹変ぶりに、頭が追いついていかなかった。

「こほんっ」

 咳払いをした。状況を整理しようとする。

「あのさ、話を戻そうか。おれは弱虫の卑怯者だと。そう、あんたに話したんだ」

「ええ、それは聞きました。弱い部長が見られました。……かわいいなと」

「なんでそうなる」

 鳴花はほっぺたを染めあげた。両手で顔を覆い隠して、指のすきまから潔を見た。

「すっ、すみません。こんなわたしで。……部長はあまりルックスのことを、言われるの好きではないですよね。わかっては、いるのですけどっ」

 鳴花の態度が、潔にはさっぱり理解できない。

 たしかに潔はルックスだけで、評価されるのは好きではない。

 中身が伴っていないことが、潔にとってのコンプレックスだ。

「だったら、なおさら失望だろ。なんで「かわいい」になるんだよ」

 鳴花は少しずつ指を広げて、考えこむようにこう言った。

「……えーっと、「かわいい」は直感ですけど、部長が王子様じゃなくて、身近に感じられたからだと思います……。わっ、わたしも、浅ましい自分がいますからっ……。だから、悪口を言われたとか……。………………」

 語尾がだんだん小さくなった。最後のほうは、聞き取れなかった。

 潔は目元をふっとゆるめた。鳴花のほうこそ、一気に身近に感じられた。

(なんだ、やっぱり強がってんじゃん。「気にするな」とか言いやがって)

 悪口で、傷つかない人間はいない。

 鳴花はふつうの女の子だ。作曲は天才かもしれないが、それ以外は完璧ではなかった。

(「浅ましい」か。上等だ)

 他の女子と同じように、鳴花もイケメンが好きだった。

 それなのになぜか、嫌な気分にはならなかった。

「博光たちには、おれのほうから言っておくよ。おれがあんたの味方になる。【花鳥】のファンでもあるからな」

「あっ、ありがとうございます。で、でも……」

 開きかけた口を閉ざして、困ったようにほほえんだ。

 そのようすを見て、念を押した。

「遠慮すんな。これくらいしか、できないからさ」

 鳴花は短く息を吸って、ひかえめにコクンと、うなずいた。

 潔にはとてもかわいく思えた。

 けれど、視線をそらして言った。

「……これだけで、犯した罪を晴らせるとは思ってないけど」

「でも部長は、やったことの責任をちゃんと感じてます。廉くんもきっとわかってくれると、思います」

「そう、かな……」

「わたしは廉くんじゃありませんけど、そんな気はしています」

 鳴花の言葉が心にしみた。話せてよかったと、潔は思った。

 廉が目を覚ますまでに、どうあるべきかを考えた。

(これはやっぱりいらないな)

 重心のかたよったイカサマダイスを、小物ケースの中へ戻す。

 テーブルの上のカードたちは、去年の大型大会で使っていたデッキレシピだ。

(もう一度、本気でやるか? 本気でやって負けてしまったら、頭のいいヤツに嫉妬したり、努力する気をなくして腐ったり……)

 潔が凡才とされる理由は、挑戦が怖かったからだ。

 コンクールで思いつめていたのは、アイデアが出ないというよりも、小さなアイデアを取っかかりにして、作る勇気がなかったためだ。

 潔は少しためらってから、鳴花に胸の内を明かす。

「あんたはどうして作れるんだ? 本気でいいものを作ろうとして、さらに上のヤツらがいたら、努力は無駄になるんじゃないか? 力のなさを思い知らされて、打ちのめされたりするんじゃないか?」

 天才には理解されない――と、以前の潔なら思っていた。

 でもいまは、相談できた。

 天才音楽家の裏側にある、素顔に好感が持てたからだ。

 鳴花は慈しむように目を細めた。小さな手には、手帳型カバーのスマートフォンが握られていた。

「わたしはこのスマホの中に、アイデアのメモをしています。写真を撮ったり、日記を書いて、歌詞や曲を考えています。自分の世界に入っちゃうんです。夢中になって、こだわってみたら、「好き」って人が増えました。部長も曲を聴いてくれて、すっごくうれしかったです。取り返してくれて、本当にありがとうございますっ」

(ああ、そういうことなのか……)

 潔は答えに満足した。鳴花がまぶしかった理由を、ようやく見つけることができた。

 楽しいのだ。作ることが。

 廉もきっとそうだろう。

(大切なことを忘れていた。おれは、比べてばかりいた。他人との評価を気にするあまりに、おかしなことになっちまってた……)

 天才と呼ばれる人たちは、こだわりが強くて天才になった。

 好きという気持ちへのこだわりだ。

 潔はテーブルに並べておいた、カードの群れを見つめ直した。

 環境ではあまり使われていない、こだわりのデッキだと気づいた。

 ただ勝ちたいという気持ちだけで、大会に出たのではなかったのだ。

「おれにもあった。こだわりが」

「部長はゲームがお好きですよね。ディレクターに向いてると思います」

「そう、かな」

 潔は耳の後ろをかいた。

 こそばゆい気持ちがこみあげてきた。自信を持ってもよいのかと。

「ふふっ、照れてる部長もかわいい」

「悪かったな、こんな男で。いちおう年上なんだけど」

「すみませんっ! 気がゆるんじゃってっ。あああぁぅぁ」

 頭を抱えて、うなりあげた。

 そういう欠点もかわいいなと、潔は思ってしまっていた。

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