4 潔の罪

 潔と母はタクシーに乗って、病院へと直行した。父親は海外出張中で、潔の晴れ舞台には興味はなく、この場所にはいなかった。母は参加してくれたが、こちらもあまり乗り気でなかった。

 潔はスマホの電源を入れた。

 廉からメッセージがあった。

 胸の中が打ち震えた。

『最優秀賞おめでとう。よかったね、お兄ちゃん』

 祝福しているように見えた。

 弟は許しているのだと。

 しかしよくよく読み解いていくと、複雑な表情がうかがえる。

 ――『よかったね』

 どういう意図で、廉は送信したのだろう。

 そのあとに病気が悪化した……。

(偶然だ! そんなわけねえ!)

 潔は首を横に振った。

 ゲームのアイデアを盗んだことが、原因ではないと信じたかった。

 病院に着いた。院内はいつもよりあわただしかった。

 受付を済ませて待っていると、看護師がすぐに駆けつけてきた。

 廉の容態を説明した。命の危険もあったため、緊急で手術をすることになった。

 潔と母は手術室の前で、祈るように手をあわせる。

 沈黙が、重かった。

(まさか、な……。お願いだ。生きててくれ!)

 夕方へと差しかかるころに、手術室のドアが開いた。医師が出てきた。

「最善は尽くしました。あとは廉くんの体力次第です。元気になるように、呼びかけてください」

 手術は成功したらしく、潔も母もほっとした。

 一命は、取りとめた。

(なんだよ、びっくりさせやがって)

 あぶら汗を、腕でぬぐう。盗作の件は関係ないと、潔は自分に言い聞かせる。

『廉くん、死ななくてよかったねっ』

 潔の肩から、矢印がひょろっと飛び出てきた。シルシルが声をかけてきた。

 すぐ近くには、母がいた。

(まずいっ、こいつを見られたら!)

 シルシルはコンピューターウイルスだ。感染して、体質が変わってしまったことを、知られるわけにはいかなかった。

 ましてやこのウイルスは、インターネットでは万能だ。潔がシルシルに命令すれば、セキュリティの突破もできる。

(おれはこいつの力を使って、廉の作品を盗んだんだ……!)

 親が許すはずはない。特に、ITエンジニアの父はウイルスを憎んでいる。

 知られれば、親子の縁を切られてしまう。

 母が振り向く。

「どうしたの? ほらっ、廉のところへ行くよ」

 なにも見ていなかったように、母は廊下を歩きはじめた。

 シルシルは潔の肩の上で、長い胴体を揺らしていた。

 いたはずなのに、言われなかった。

(どういうことだ?)

 答えは、こう。

『現実世界でのボクの姿は、ダイバーにしか見えないんだよっ。つまり、ユーレイみたいなモノ?』

 シルシルは頭をくねらせて、おばけのようなポーズをした。

 この珍妙な矢印キノコが、見えないことに安心した。

(つまり、ふつうに過ごしていれば、ダイバー体質はバレないと……?)

『そういうこと!』

 潔は軽い足取りで、母のあとをついていった。

 病室に入った。廉がベッドで眠っていた。呼吸器をつけていた。

 起きる気配はなさそうだ。今夜はそっとしたほうがいい。

 廉のタブレットPCが、サイドテーブルに置いてあった。

 潔はつい目をそらし、だいじょうぶだと、繰り返した。

 一週間後――。

 廉は目を覚まさなかった。眠りについたままだった。

 潔は廉の手を握った。手術は成功したはずだった。

(なぜ、回復しないんだ)

 医師によれば、心理的なショックが原因らしかった。

 潔はすぐに思い当たった。

 やはり、盗作のせいなのだと。

「起きてくれよ。謝るから」

 かたくなに目を閉じたまま、廉は深く眠っている。兄を拒絶するように。

 潔は間違いに気づいてしまった。罪の無視はできなかった。

 自分の小さなプライドのせいで、廉はこうなってしまったのだ。

(盗作なんてすべきじゃなかった……。おれは、最低なことをした!)

 廉にとってのゲーム作りは、生き甲斐そのものだったのだ。

 体が弱いから、運動できない。

 学校は、タブレット越しのリモート登校。

 友だちがいるかもわからない。

 病院の外にも出られない廉は、趣味に夢中になるしかない。

 ゲーム作りは、何日も時間をかけて作るもの。大作だと、年単位。

 廉は命を削っていた。潔のように「来年は」と、言えるような体ではなかった。

 廉のゲームは命であり、心だった。

 潔はそれを奪ってしまった。

 奪っては、いけなかった。

 どれだけ謝罪をしようとも、許されるべき罪でなかった。

(おれは、どうしたらいいんだよ……)

 なんてバカな兄貴だと、潔は自分を責め続けた。

 家に帰った。賞状を破り、トロフィーを捨てた。

 こんなものは無意味だった。卑怯な力を使ったからだ。

『もったいないなー。キミはそれが欲しかったんでしょ?』

 シルシルが語りかけてきた。悪魔がささやきかけるように。

『廉くんには悪いことしちゃったけど、これがダイバーの力なんだよ? ちっぽけな罪さえ無視できちゃえば、どんなことでもできるのさっ! データだって盗み放題!』

「うるさい! おれはもうしない!」

 潔はシルシルを体へ押しこみ、頭を抱えて否定する。

(おれが弱かったせいなんだ……)

 崩れるように、寝転がった。目じりから涙が滴り落ちた。

(おれは無能だ。それどころか卑怯者だ。廉を傷つけてしまったんだ!)

 これだけの罪を犯したが、親にはやはり話せなかった。

 怒られるのが、怖かった。

 このことをもし知られれば、家に居場所がなくなってしまう。

 廉がこのまま目覚めなければ……。

 永遠の眠りについたとしたら……。

(ほんっとにおれは最低だよ。覚悟もできていねえんだ)

 自分の弱さに嫌悪した。

 目をつむった。

 まぶたの裏には、廉がいた。元気になって、走っていた。

 夢の中にいた廉は、潔の手を引いていた。

『遊ぼうよ、お兄ちゃん』

 無邪気に笑いかけていた。

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