王子をテイムした悪役令嬢

斯波

王子をテイムした悪役令嬢

「アドリエンヌ。君は王家最大の秘密を知ったんだ。婚約、してくれるよな?」

「嫌です」

「お前が嫌と言ったところで王家が打診した婚約を正当な理由もなく断るなんて出来ないのだが」

「詐欺だ、詐欺。私は政略的にハメられたんだ」

「詐欺も何もアドリエンヌ以外の女は引っかかる可能性が限りなく0に近い作戦を好んで打ち出す訳がないだろう。時間の無駄だ。ということで明日からよろしく頼むぞ、マスター。いや、俺の麗しの婚約者様」

 イケメン王子はにっこりと微笑んで私の手の甲にキスを落とす。端から見ればロマンチックな光景だ。他のご令嬢なら目をハートに変えて「喜んで」と一つ返事をすることだろう。そう、他の、普通のご令嬢ならば。

 私はそんじゃそこらのご令嬢とは違うのだ。


「いやああああああああ」

 私の悲鳴は城に木霊する。

 高くて良く響く声だ。自分でも少し耳が痛い。けれど耳の痛みよりも精神に負った痛みの方が大きいのだ。手を胸元に引き寄せ、ハンカチで勢いよく甲を擦る。王子の唇が触れるなんて恐ろしい。この痕を速攻で消し去りたい。なんならここ2ヶ月ほどの過去もまとめて消し去りたい。


 こんなことになると分かっていたら部屋に引きこもっていたのに!

 私はただ断罪されるまで悠々自適にファンタジーライフを謳歌したかっただけなのに!

 どうしてこうなった!?




 事の発端は2ヶ月前ーー私の10歳の誕生日前夜。

 寝て起きたら前世の記憶が搭載されていた。

 激痛を伴って~とか高熱が出て~とかは一切ない。当たり前のように記憶の一部として頭の中にあった。どうやら私の異世界転生には自動アップデート制度が適応されていたらしい。まぁ痛いこととか嫌いだし、思い出したこと自体はいい。死亡直前辺りの所をぼやけさせてくれた所には神様の優しさまで感じる。だから記憶を取り戻したまではいい。もしゃもしゃとサラダを頬張りながら「結局彼氏出来ずに死んだんだな~」くらいで終わりだ。さっさと思考を現世に切り替えるだけ。


 だが問題は前世の私が所有していた知識と、現在の私の立場に共通点があったこと。

「この年からツインドリル搭載。しかも寝起きですでに完璧にぐるんぐるんに仕上がってるとか悪役令嬢の髪質どうなってんだろう?」

 寝癖知らずのコテいらずの金色の髪に指を絡ませながら、鏡の自分をじいっと見つめる。少し幼いようだが、この見た目は間違いない。私が死ぬ前にプレイしていた『dramatic Lover ~真実の愛を君に~』に出てくる悪役令嬢だ。今世の私の名前、アドリエンヌ=プレジッドって名前も同じだし。

 中世ヨーロッパ風の世界に転生した私はそこら辺のご令嬢ではなく『悪役令嬢』という特殊な役目を与えられていたという事実は理解した。ここまでは問題ない。いや、問題はあるけれど。とりあえず状況整理時点では気にするポイントはない。それよりも大きな問題を抱えているのだ。


「悪役令嬢って断罪されるものってとこまでは分かるんだけど、私肝心要の本編シナリオも知らなければ、乙女ゲームテンプレってのもよく知らないんだよな~」

 本作は大学受験を終えた私に友人が貸してくれたゲームであり、初めてプレイする乙女ゲームでもあった。そしておそらく私は、プロローグをプレイした時点で死んだ。

 私が知識として持っているのは「第一王子の婚約者である悪役令嬢はどのルートでも断罪されること」「悪役令嬢はエンディングによっては業火の炎で焼き殺されること」である。

 トモちゃん、ゲームを布教するのに死ぬキャラクターのこと詳しく語らないで……って言ってごめん。悪役令嬢のこともっと深く聞いておけばよかった。特に業火の炎で焼かれるってところ。ファンタジー世界とはいえ、中世ヨーロッパ風の世界観だし、処刑方法の一つかな? 程度にしか思っていなかった。だがこの世界にそんな残酷な処刑方法はない。意味が分からない。業火の炎って何? どこのラノベ主人公の必殺技だよ……と突っ込みたい。けれど突っ込む相手がいない。将来遭遇するとしたら、それは私を殺す相手である。ある意味、私の運命の人。会いたくないし、出来ればずっと引っ込んでいて欲しい。だけど、どのルートでも断罪されるということは私の運命は他にもある訳で。運命の人は各地にゴロゴロと転がっていることだろう。どのくらいの確率で遭遇するものなのかすら分からないことも恐ろしい。


 けれどたった一つだけ解決の糸口がある。

 トモちゃんは確かに言ったのだ。『第一王子の婚約者である悪役令嬢』は断罪される、と。だが今の私は第一王子の婚約者ではない。

 最近、第一王子が婚約を解消したらしいので、将来的に私が悪役令嬢ポジションに収まる可能性は0ではない。だがいつ切れるか分からないほっそい糸でもそれ以外頼るもののないのだから仕方ないだろう。小さな手を伸ばしグッと引き寄せた運命の糸を、身体にぐるぐると巻き付ける。落ちませんように、と祈りながら。



 そして誕生日を無事迎えた私はその数日後、王家主催のお茶会に連れて行かれた。

 なんでも第一王子の婚約者を選ぶためのものらしく、シンデレラの舞踏会のようなものだ。乙女ゲームシナリオがスタートするのは学園入学からで、彼女は確か平民出身だったはず。貴族のご令嬢が集められるお茶会なんかに参加するはずがない。嫌な予感しかしない。だから部屋に引きこもろうと決めた訳だが、子どもというものはどの時代でも、世界観が変わろうとも無力なものだ。招待状を持った両親に捕獲され、メイドにドレスを着せられて、馬車に乗せられた。強制連行というやつである。出荷される子牛のように馬車に揺られてゴトゴトと。辿り着いたのは市場ではなく、王城だった。けれど似たようなものだ。王子の婚約者として選ばれるため連れられた、私と同じ状況のご令嬢達が大量にいたのだから。ただし彼女達のほとんどは乗り気だったが。


 私も前世の記憶なんて取り戻さなければ、ワンチャンある! ってふわふわしつつもやる気をメラメラと燃やしながら王子のハートハントに取り組んだかもしれない。

 そう思うと両親には申し訳ないが、どうせ婚約者なんてポジションを勝ち取った所で数年後には選ばれし力を保有した平民の少女に奪われるのだ。ハートはハートでも心臓の意味だし、ハントするどころか命の灯火もろとも狩られる側。期限付きの婚約者というよりも、ヒヒーンと泣いて殺される当て馬。不憫だ。悲しすぎる。だがこの場所に足を運んでしまった以上、私がお馬さんにされる可能性は発生してしまった。非情な判断だとは知りながら、私はその役目を誰かに押しつける気満々だ。

 私は世渡り上手ではないのだ。

 選ばれし令嬢もといお馬さんは、数年の婚約者生活の間に甘い蜜を存分に啜って断罪されないように上手くやればいいと思う。全ては本人の手にかかっている! 私は知らない。関係ない。


 ーーということで、早々に王子争奪戦を放棄した私はお茶会の中心を避けるように会場からフェードアウトしていった。人のいない場所でこれからどうするか考えようと、ちょっとお花を摘みに~という雰囲気を漂わせながら城を闊歩した。上位貴族の子ども達ばかりが集められているからか、王城内の警備も手薄。会場からほどよく離れた場所にあるバラ園に忍び込むのも容易だった。王妃様の好みなのか、香りの強い品種ばかり植えられており、香りがキツかったが、それを我慢すれば良いところだ。ガセボなんて目立つ所には行かず、適当な位置でハンカチを敷いて腰を降ろす。とても公爵令嬢とは思えない。こんな所他の人に見られたら一巻の終わりだ。だが奇行を目撃されれば、それはそれで王子の婚約者候補から外されるかもしれない。凄く怒られるだろうから、その作戦はなるべく取りたくないが。悪目立ちはせずに綺麗な赤バラと良く晴れた空を眺めながら時間いっぱい過ごす予定だ。


 体育座りをしながら、ぽかぽか陽気に思わず船を漕ぐ。

 さすがに寝たらダメ。一発でお父様にバレる。

 眠気の格闘に勝利すべく、私の数少ない本編知識に思考を巡らせる。とはいえ、悪役令嬢の情報以外に私が知っているのは攻略対象者達の名前と顔。攻略者達につき数枚分のスチルくらいだ。どれもプロローグとオープニングで出ていたもので……って、そういえばこのゲーム、ドラゴン出てこなかったっけ?


 四竜がどうのこうのって、文章とシルエットがあったはず。

 確かトモちゃんがこのゲームを勧めてくれたのも、ファンタジー要素があるから乙女ゲーム初心者の私もプレイしやすいだろうとの理由だった気がする。推しが推し故に推しで~って圧が強すぎて細かいことはあやふやだけど。

 ドラゴンーーそれは想像上の生き物にして、物凄く格好いいモンスターである。固いうろこに大きな牙。鋭い爪のカーブや太い尻尾の魅力もさることながら、一番素敵なのはやはりあの目だ。全てを見透かすような目がいい。


「どうせ殺されるなら人間なんかよりもドラゴンがいいな」

 まだ幼い子どもが『殺される』なんて物騒なワードを吐きながら、お山になった膝を支えに頬杖をついて呟く。

 人間ごときでは手の届く存在ではない圧倒的高貴さを前に、跪いて殺される。

 恐怖で足はすくみそうだけど、悪くない。少なくともなんだかよく分からない業火だのなんだのよりもずっとマシだ。とはいえ、死にたいわけではない。生存ルートがあるのならば全力で乗っかっていく所存である。


「早く終わんないかな~」

 早く婚約者様決めてくれ、と願いながらこぼせばどこからか聞き慣れない声が耳に届く。


「死にたいのか?」

「は?」

「お前は一生を終えたいのか?」


 要領を得ない私に、耳元で声の主が少し言い方を変えた問いを繰り返す。

 悪役令嬢であると自覚したのが数日前。

 役目から逃げようとしたから、今度は死神でも派遣された?

 死亡エンドまでのタイムリミット短すぎない? もうちょっと心に余裕を持って欲しい所だ。だけどこんな時、お客様の声を投書する場所など教えられていない。ツイてないと割り切って次に行くか。


 よくいえば聞き分けの良い、悪くいえば諦めが早い私は早々に今世への執着を捨てる。けれど一応質問されたら答えるのがマナーというものだろう。両手を上げて、魂回収に抵抗する意思がないことを示しながら、問いに答える。


「進んで死にたいとは思いません。けれど神のご意志に逆らう気もありません」

 この世界に神様が存在するのかは知らないけれど、正直トップの存在が神でなくても構わない。無駄に敵視されたり、異端分子としてみなされるよりもずっとマシ。無駄な抵抗は止め、長いものには巻かれる。


「ではなぜドラゴンに殺されたいなど世迷い事を口にした」

「人に殺されるよりはマシという話でして。比較の問題です」

「殺されることが前提なのはなぜだ?」

「それが私の運命ですので」

 声の主が誰かも分からずに、私は最期になるかもしれない言葉を淡々と吐く。

 内心、殺すなら早く殺せよと思っているが感情を昂ぶらせたら何をされるか分かったものではない。意識残してなぶられるとか絶対嫌だし。


 もしも相手が一般人だとしたら……その時は変な令嬢認定されるだけだ。


「運命、か……。お前はそれに逆らおうとは思わないのか?」

「とんでもございません。私ごときが逆らえるなど、それこそ世迷い事でございます」

 せめてシナリオの大筋だけでも知っていれば、抵抗する気力も沸いたかもしれない。だが何も知らないのだ。前世だって成人前に死んで、今世だって10年くらいしか生きていない。常識と非常識の境目が分かるくらいの子どもがどう立ち向かおうというのか。はっきり言って私は頭がよろしくない。特殊な知識も技能もない。顔の作りと爵位はそこそこだが、私程度他に何人もいる。運命に逆らった所で得られるものもない。抵抗したって無駄なのだ。


「お前が相手なら私は……」

 小さく呟く声。

 だが内容よりも耳元で聞こえる音が気になる。


 バッサバッサとまるで鳥が飛んでいるような音。とてもバラ園で聞くような音ではない。突如として聞こえ始めた異質な音の正体が気になり、我慢出来ずに振り向いた。


「……っ、あなたは」

「お前が殺されたいと願ったドラゴンだ」

 剣を弾き飛ばしそうな赤いうろこに、バッサバッサと音を立てて羽ばたく立派な羽根。まさしくドラゴンだ。まさか実在したなんて……。


「神様、大サービス過ぎる……」

 前世と今世で貯めた得ポイント全部使い果たしたって言われても許す。

 なんなら来世マイナススタートでも仕方ないって思える。だって目と鼻の先にはドラゴンがいるのだ。だが一つだけ残念なポイントがある。


「怖くないのか?」

「怖くないも何も……このサイズ感でどこを怖がれと?」

 このドラゴンさん、小型犬ほどの大きさしかないのだ。

 私が憧れた、空を自由に飛び回る圧倒的強者とは少し異なる。声が渋いから期待してしまったが、おそらくまだ幼体なのだろう。


「普通の令嬢なら、この姿でも恐れをなすぞ!」

「いつの世もイレギュラーというものは存在するものです。ということで撫でさせてください!」

 第一、普通の令嬢が王子争奪戦から逃げ出すはずがないだろう!

 普通なんて知るか!

 私はドラゴンを撫でたい!

 人目も気にせず「お願いします!」と清々しい土下座を繰り広げる。西洋風のこの世界に土下座なんてものは存在しない。だがドラゴンさんに私の気迫は伝わったらしい。少しだけたじろいだようだ。羽ばたくスピードもゆっくりになっており、少し距離を感じる。完全に引かれた。けれどいつ死ぬかも分からぬ状態で、みすみすこのチャンスを逃してやるつもりはない。ここぞとばかりに攻めて攻めて攻める。




「ちょっとでいいんで。記念にうろこくださいとか言わないんで。10秒、いや5秒。指二本分とかでいいんで触れさせてください!!」

 一度顔を上げ、そこから床に擦りつける勢いで頭を下げる。

「お前、本当に変わっているな」

「触らせてくれるなら何とでも言ってください!」

「……分かった。特別に許可しよう」

「ありがとうございます!!」


 ドラゴンさんの許可と同時に彼へと両手を伸ばし、胸元に抱きかかえる。


「あれ、意外と固くない?」

 固いことには固いが、魚のうろこ程度。うろこ自体の大きさは魚よりも大きいが、ペットボトルのキャップさえあればガリッといけてしまいそうだ。雑に扱うつもりはないが、傷つけてしまわないように自然と彼を抱く力を少しだけ緩める。


「俺はまだ幼体だからな。成体になる頃には剣さえ通さぬほどの強度になる」

「へぇ~。あ、じゃあまだ普通のブラシでブラッシング行けるんですか?」

「いや専門のブラシが……ってお前、ブラッシングまでするつもりなのか?!」

「さすがに持ってませんからしませんよ」

「持っていたらするつもりだったのか……」

「もちろん事前にドラゴンさんの許可を取りますよ?」

 さすがにそれくらいのマナーはある。

 勝手にやって機嫌を損ねるのも、うろこに傷がつくのも嫌だし。

 手を動かしながら、せめて手袋スタートかな? 何製がいいんだろう? と思考を巡らせる。


「フレイムだ」

「は?」

「俺の名前はドラゴンさんではなく、フレイムだ」

「フレイムさん……」

 繰り返して、真っ赤なうろこにぴったりの名前だなと頬を緩ませる。


「お前の名前は?」

「アドリエンヌです。アドリエンヌ=プレジッド」

「プレジッド家の一人娘か」

「え、フレイムさん、私のことご存じなんですか?」

「一応な。だがこんな変人だとは知らなかった」

 もしかしてフレイムさんって野生のドラゴンではなく、城関係者?

 飼われているのか、住んでいるのか。

 どちらにしても貴族関係の繋がりを把握しているのだからただ者ではないのだろう。だからといって今さら取り繕うつもりもないが。


「他ではちゃんとしてますよ」

「本当か?」

「はい。今日だって王子様の婚約者選考会に嫌々ながら参加している訳ですし」

「この場にいる時点で参加はしてないだろう」

「ちょろっと顔出したんで大丈夫ですよ。両親には恥ずかしくてろくに話せなかったとでも伝えておけば問題なしです」

「王子に興味がないのか? 見初められれば婚約者、将来の王子妃になれるんだぞ?」

「なったところで、って感じですね。正直深く関わりたくないというか……」

「それは王子が前の婚約者とのいざこざがあるからか?」

「婚約解消した時点で何かあるんでしょうけど、そこは割とどうでも」

 前世でならともかく、今世は一般人ではない。お貴族様である。この世界で得た10年分の知識が『恋愛結婚とか小説の中の話でしょう?』と鼻で笑っている。幼いながらも記憶を取り戻す前の私は、身分以外の点で相手に期待をしていなかった。一人娘であるためどこどこの家の後妻に~なんてことはないだろうが、親が認めれば後妻だろうとなんだろうと構わなかった。前世の私同様、深く考えるのが苦手だったのだ。だからこそ『身分』という分かりやすい指標に固執していたようだが、今ではそれさえもない。正直、断罪エンド云々に関係していない人物かつ性格によほどの難さえなければ誰でもいい。


「普通気にならないか?」

「両家での話し合いがついているならよくないですか? 細かいことは大人が気にします。力なき小娘はGoサインを出されたら従うまでです」

「今まさに従ってないように見えるが?」

「どうせ両親だって自分の子どもが王子の婚約者になれるなんて初めから思ってないからいいんです」

「親不孝なやつだ」

「なんとでも言ってください」

 フレイムさんは『普通』なんてものを持ち出してくるが、変人だと認識している令嬢に向かって王子にアタックしろとそそのかす時点で彼も普通ではない。ただこの場所から追い出したいだけかもしれないが。直接言われないのを良いことに、私は彼をなで続ける。


「良い天気ですね~」

「ああ」

「王子様の婚約者も早く決まるといいですね~」

「……ああ」


 結局、お茶会終了ギリギリまでフレイムさんをなで回した。

 抵抗されることはなく、特別な見返りを欲っされることもなかった。

 ただ一つ。

 フレイムさんは会場に戻る私に声をかけた。


「またお茶会の日、ここで待っている」

 次の約束が嬉しくて満面の笑みを返すのだった。



 それから毎週お茶会は開催されるようになった。

 王子がお相手を決めかねているのかと思えばそうではないらしい。

 メインである第一王子がお茶会の最中、姿を消してしまうのだとか。おとな達が揃って探しても見つからず、おかげでご令嬢達が王子と話せる時間はわずか30分あれば良い方らしい。だから短期間で何度も行うのだとか。

 毎週毎週参加する方の身にもなってくれ、と言いたい所だが、脱走癖のある王子様には感謝している。彼のおかげで私は毎週フレイムさんに会えるのだから。


「フレイムさん! ブラッシングさせてください」

「もう手に入れたのか?」

 彼と会うのは今日で5度目。

 回数を重ねるごとに彼は心を許してくれ、前回は「ブラシがあるなら、ブラッシングさせてやる」との許しの言葉を頂いた。さすがはドラゴン。懐が広い。


「はい! お父様におねだりしたら一発でした。何に使うか不思議がってましたけど」

「プレジッド公爵は一人娘には甘いからな……」

「約束、約束」

 地面に引いたハンカチの上で正座をし、ポンポンと膝を叩く。

 そこに羽根を折りたたんだフレイムさんが寝そべるのもお決まりとなっていた。


「ほら、存分にブラッシングしろ」

「ありがとうございます!」

 お礼を告げ、早速フレイムさんの指示を受けつつブラッシングを開始する。


「そこそこ」「うろこの間のゴミをさらうように」「首元……」

 気持ちよさそうにするフレイムさんが可愛らしくて、胸の辺りがぽかぽかと温かくなる。バラ園の外では「王子~」「王子~」と脱走王子を探す大人達の声がする。だが今のところ追っ手がバラ園の中にやってきたことは一度もない。フレイムさん曰く「王子はバラが苦手なのだ」とか。「ちょっと匂い強いですからね」と返せば盛大に笑われた。



 ーーそんな幸せな日々がずっと続くと思っていた。

 フレイムさんと出会ってから早数回の逢瀬を楽しんでいたある日のこと。

 終わりは突然にやってきた。


「王子の婚約者が決まりそう?」

「ああ。今日にでも決まるだろうな」

 脱走王子のお相手もついに決まってしまったらしい。

 心を決めたか、周りのおとな達が決めたのか。

 どちらにせよ判断材料に困ることはなかっただろう。

 会場に居なかった私が知らないだけで、試験のようなものが繰り広げられていたのかもしれない。だが王子や当て馬婚約者のことなんてどうでも良かった。


 そんなことよりも、何十倍も重要なことがある。


「そしたらもう、フレイムさんとは会えないんですか?」

 元々彼とは王城外では会うことはない。王家主催のお茶会の日。会場から抜け出した時限定で会うことが出来る特別な存在。それがフレイムさんなのだ。

 王子の婚約者が決まれば王城に足を運ぶ機会なんてなくなるだろう。私みたいな彼との交流を避けていた令嬢ならなおのこと。


「寂しいか?」

「もちろんです」

「一つだけ離れなくて済む方法がある」

「なんですか! 教えてください」

「テイム契約だ」

「テイム、契約……」

「俺とお前が望んだ時にのみ結ぶことが許される魂と魂の契約」

 テイム契約とは、モンスターと人間が結ぶ契約のことだ。

 この世界の契約については詳しく知らないどころか、この世界にも存在したことを今知った訳だが、『テイマー』と呼ばれる特殊な素質を持ち合わせている者しか結べないことも多い。

「私に、出来るでしょうか?」

「出来るさ。お前が心から望みさえすれば」

 フレイムさんは軽く笑って、私の心配を吹き飛ばしてしまう。


「それを結べばずっと一緒に居られるんですか?」

「死ぬまで一緒だ」

「フレイムさんはいいんですか?」

「嫌ならわざわざ教えない」

「なら結びます! 方法を教えてください」

 フレイムさんが許してくれるのなら、私は彼とこの先ずっと一緒にいたい。

 悪役令嬢なんて当て馬役で顔もよく知らない王子様の隣にいるのではなく、フレイムさんの隣で友人として笑っていたい。だから私は彼に教えてくれと縋った。


「何簡単だ。お前はただ俺とのテイム契約を許可すればいい」

「え?」

 その時、空中に変な画面が登場した。

『フレイムとのテイム契約を結びますか? YES/NO』


 私は迷いなく『YES』の方を押した。

 その瞬間、私達の身体はまばゆい光で包まれる。正面さえも見えないのに、不思議とフレイムさんの居場所だけは分かった。彼に手を伸ばし、胸元に抱きしめる。すると私の胸にはぬくもりが集まった。フレイムさんの熱ではない。彼とは違う、けれど同じくらい心地の良いもの。温かくて優しくて。ゆっくりと目を開けば、至近距離にはフレイムさんの顔があった。


「アドリエンヌ。今日からお前は俺のマスターだ」

「マスター?」

「何でも言うことを聞かせられる俺の使役者。その証に胸元にドラゴンの刻印が刻まれているだろう?」

 フレイムさんは私の胸元をツンツンと突く。首元を緩め、上から覗き込めば確かにその位置には見慣れぬ証が発生していた。


「これがフレイムさんとのテイム契約の証……」

「そして俺の婚約者の証でもある」

「は? こんやく、しゃ?」

 ドラゴンとも結婚出来るんですか? と疑問を投げかけようとした時だった。フレイムさんは先ほどと似たような光に包まれ、形を変え、人の形を作り出していく。私よりも頭一つ分は高めに固定された光は少しずつ散り、シルエットだけの姿はやがて姿を見せる。


 人間に変化出来るドラゴンだったんですね! なんて両手を合わせて喜べたのならどれだけ良かったのだろうか。


 だが残念なことに、私はフレイムさんが変化した男性の顔をよく知っていた。


「フレイムさんの本名って……」

「フレインボルド=アッセム。知っての通り、アッセム王国の第一王子もとい脱走王子とは俺のことだ」

 回避したと思った悪役令嬢突入ルート。

 私自身が喜んでフラグを育てていたなんて……。



「嘘、これは夢……そう夢に違いない」

 現実を受け止めきれなかった頭はキャパシティーオーバーを起こし、私は意識を手放したのだった。



 そして意識を取り戻した頃にはすでに囲われていた、と。

 政略的にハメられたのだ。


 ニンジンもといフレイムさんとの今後に食いついた結果がこれだ。

 無力と無知を合わせれば、政治のために動くお人形となる。私の場合、当て馬さんだけど。


「テイム解除って……」

「契約時同様両者の合意が必要だな」

 ですよね~。私だってそんな人間ばかりに都合の良いシステムだとは思っていない。だけど契約時に裏事情バリバリ隠してました~なんてフェアじゃない。そりゃあ私も悪役令嬢が~とかその手の事情を話すつもりはないけれど。私自身もよく分かっていない不確かな情報だし、何より言った所で信じてもらえるはずがない。

 でも、もしもフレイムさんが実は人間なんだと言った所ですぐに信じることは出来なかったし、お互い様なのかな?

 隠し事持ち同士仲良くやるべきなの!?


「ちなみにフレインボルド王子にその気は……」

「フレイムでいい。せっかく契約したのにそう易々と解除してやるはずがないだろう」

「フレイムさんはドラゴンさんですので。王子様とは別人ならぬ別種です。というかなんでフレインボルド王子は私と契約しようと思ったんですか?」

「どちらも俺だが? 俺がしたいから契約をしたまでだ」

 あ、深いところは言わないと。

 やっぱりハメられたパターンか。

「王子様だって知っていたら近づかな……いなんてことは無理でも、適度な距離を置いてウォッチングにシフト……出来ていたとも限らない。くそっ、フレイムさんが魅力的すぎる!! 時間が巻き戻った所であんなに可愛い&格好いい詐欺師なら喜んで首を差し出すわ!」

 悲しさを抱える私だが、欲望に嘘は付けない。

 こればかりは私の性だ。

 転生を自覚したばかりの私が持っていたのは憧れだけ。だが実際触れあって、フレイムさんの魅力を知ってしまったのだ。呆れつつも撫でさせてくれるところとか、たまにほっぺを擦り寄せてくれるところとか。お腹を撫でさせて欲しいと土下座をすれば、渋々お腹を見せてくれる優しささえ持ち合わせている。深入りするなという方が無理だ。

 何度繰り返しても私はきっと地面に額を擦り付けることだろう。

 恥? そんなもの持ち合わせていない。誰かに見られたらそちらを排除すればいいだけだ。いつの世も尊い犠牲というものは存在するのだから。

「やっぱりアドリエンヌって変わってるよな……」

「ドラゴンの姿でだましていた人には言われたくないです!」

「騙していた、か……」

 フレインボルド王子は悲しそうに視線を落とす。だけど『騙す』『ハメる』以外のコマンドなんてないでしょう?


 私以外に利点がないのはもちろんのこと、家自体も公爵家とはいえそこまで歴史のある家でもない。つまり私が知らない分野での価値を見込まれたということ。後々利用するための当て馬要因以外にどんな理由があるというのだろうか。

 だが私だって利用されっぱなしになるつもりはない。


「それで、一日何時間までドラゴンの姿でいられるんですか? これから会う時は人型でとか言いませんよね?」

「人型は日によって安定しない日もあるが、ドラゴンの姿に時間制限はない」

「あ、人型の方が辛いんですね。なら今すぐドラゴンの姿になっていただいて!」

「今は問題ない」

「ちっ」

「舌打ちをするな。全くお前というやつは……。もっと大事なことがあるだろう?」

「ないです。王子の婚約者になっちゃったことは諦めます。騒いでも仕方がないので。だから最重要であるフレイムさんとの時間確保を要求します!」


 フレイムさんは私にとって今世を捧げてもいいと思える相手。生涯一緒と約束してくれた、いわば伴侶のようなものだ。

 フレイムさんと共にあるために、余計なおまけがついてきてしまったと考えれば我慢出来ないこともない。

 フレイムさんはまだ幼体だ。

 成体になればあんなことやこんなことが出来るようになるだろう。

 牛一頭献上出来る日を想像すれば思わず頬が緩んでしまう。


「俺もフレイムなんだが……」

「私の中でのフレイムさんはドラゴンです。あなたはフレインボルド王子でしょう? 仕方ないので婚約者役はやりますけど、婚約解消および婚約破棄はいつでもお待ちしております。お気軽にどうぞ。あ、もちろんフレイムさんとの交流は続けていく方向で!」

 悪役令嬢をさっさと辞めて、生存ルートが確立出来るに越したことはない。

 長く生きれば生きるほど、フレイムさんと共に過ごせる時間が増える!


 仕事はするけど、さっさと退場してくれと良い笑顔で婚約破棄を勧める。けれど当の王子はハッと鼻で笑うだけ。

「婚約解消などするつもりはないから安心しろ」

「安心と言いましても、私以上に顔も気立ても性格も良い女性は沢山いるわけで」

「だがドラゴンにもなれる俺を好きになってくれる令嬢などお前以外にいるはずがない」

「私が好きなのは、ドラゴンにもなれる王子様ではなく、フレイムさんです!」

「そうだな。お前は王子なんて立場がなくとも俺を好きになってくれる」

「その言い方だと誤解を招きそうなんですが……。私、人型の方とはビジネスライクの関係を築くつもりですよ?」

「ドラゴンの方とは?」

「一生涯寄り添わせて頂く所存であります」

 この状況下でも解除を許してもらえず、婚約者になることを回避出来ないのであれば、今後私側から解除することはないだろう。

 あのとき契約をしなければ良かったと思うほどに厚かましく寄りそわせてもらうつもりだ。

 手始めに毎日のブラッシングとか……と両手をすり合わせれば、呆れたような目に変わる。声は人型の方が少し高いのに、目はそっくりなんだな~。ドラゴンっぽい鋭くも、優しい瞳だ。

「……お前は私の婚約者で、将来は妻となるのだ」

「お世話役とか忠実な下僕とかでも一向に構わないのですが」

「下僕なんかにしてやるものか。アドリエンヌは俺の使役者兼婚約者だ。これからよろしく頼む」


 なんで私なんだろう?

 疑問は解消されぬまま、フレインボルド王子の手を取る。


「出来れば、フレイムさんとだけよろしくしたかった……」

 もちろん言いたいことはある。けれど彼は呆れたように笑って「ほら、撫でて良いぞ」とドラゴン姿でお腹を差し出してくれたから。今日のところは今後のことを忘れてわしゃわしゃと素手でなで回させて頂くのだった。





 ◇ ◆ ◇

 アッセム王国の王家は四竜の一角、レッドドラゴンの加護を受けている。王家には加護持ちが数人おり、特に強い加護を持つとされる者は胸元にドラゴンのうろこのような痣を持つ。数十年に一人の割合で現れる加護持ちは、他の者よりも才能に富んでおり、代々国の重役についてきた。国王になった者も多い。


 選ばれし者のように扱われている加護持ちだが、詳しいことのほとんどが王家内でも秘匿にされている。

 その最たるものが竜化である。名前の通り、ドラゴンになってしまうのだ。自分の意思でどうにか出来るならいい。だが人型を維持するのは難しい。



 気持ちが昂ぶった時。

 体調を崩していた時。

 大気中の魔素が乱れている時。

 理由は様々だが、自分の意思とは異なるタイミングでドラゴンになってしまう。コントロールに不慣れな子どもならなおのこと。

 けれど自分がドラゴンであると誰に言えるだろうか?

 俺、フレインボルドの身近な人間で竜化について知っているのは、国王であり加護持ちの兄を持つ父と二人の護衛だけだった。母は産まれてすぐに竜化した俺を見たことで心を病んだ。父は竜化について母には話していなかったのだ。まさか自分の子どもが加護持ちに選ばれるとは思っていなかったのだろう。父の兄、俺から見れば伯父であるその人は第一王子でありながら配偶者を持つ気にはなれないという理由で王位を返上し、自ら補佐官となった。返上する際に、次期国王となった父に竜化を告げたらしいが、他の兄弟には告げていないようだった。

 過去に何があったのか話してはくれないが、伯父は俺が婚約者を持つことに反対をしていた。

 何度も父に「この子は普通に育てるべきではない。王位は他の子どもに継がせるべきだ」と進言し、俺を引き取って育てようとまでした。けれど父は頑なに譲らなかった。俺も竜化を制御出来ているつもりだった。だから父の考えに従った。


 婚約者との仲も良好。お慕いしておりますと控えめに微笑む彼女が愛おしく、何事もなく暮らせているつもりだった。


 けれど今になってから思うと、婚約をして6年間も竜化がバレなかったのはただ運が良かっただけに過ぎなかったのだ。


 ある日、王都からほど近い場所でスタンピートが発生した。自我を失った大量の魔物達により、大気中の魔素は乱れ、コントロールが効かない日が続いた。体内の魔力が自分の意思とは関係なく駆け巡り、吸収・排出されていく。普段の体調不良とは比にならないほど辛く、高熱にうなされるようになった。数日経ってもドラゴン状態から戻ることは出来ず、うめき声と共に胃の内容物を吐き出す日々。

 それでも朝昼晩と様子を見に来てくれる伯父が、苦しみを理解してくれる相手がいたことが救いだった。ドラゴンの姿になった伯父と共に鳥粥を胃に流し込み、食事の時以外はベッドの横で丸くなって過ごした。


 毎日婚約者からは体調を気遣う手紙と贈り物が届き、返事さえもろくに返せないことにもどかしささえ抱えていた。


 ーーそしてスタンピートが発生して一週間が過ぎた日に事件は起きた。

 事情を知らぬ使用人が見舞いにやってきた婚約者を勝手に通してしまったのだ。熱で視界が定まらぬ中、彼女が入ってきてしまったことだけは理解した。ベッドに近づく彼女を制止することも出来ぬまま、ベッドの横で丸くなり続ける。苦しみと葛藤しながらも声を潜め、どうか気づかずに部屋から出て行ってくれと願った。けれど運命とは残酷だ。王子様に会いに来た彼女はすぐにベッドが空っぽなことに気づいた。そして部屋を見回して、ドラゴンを見つけてしまったのだ。


「ひぃっ。モ、モンスターが……」

 勢いよく尻をついた婚約者と視線が合えば、顔面を白く染めた彼女はボロボロと泣き出した。

「許して。食べないで」

 歯をガチガチとならしながら、必死で懇願の言葉を繰り返す。ごめんなさいごめんなさい、と。その瞬間、何かがガラガラと崩れ落ちたような気がした。


 すぐに異常に気付いた伯父が部屋に駆けつけて、婚約者と使用人は部屋を後にした。

 使用人は口止めをされ、暇を出された。

 だが問題は婚約者の方だった。


 彼女はドラゴンの正体が自分の婚約者であることには気づいていないようだが、ドラゴンを間近で見た恐怖からふさぎ込むようになってしまった。部屋から一歩も出ることなく、声すら発することもなくなった彼女から手紙が来たのは一カ月後のことだった。


『婚約を解消してください』

 震えた字でたった一行だけ書かれたそれに了承する以外の選択肢などなかった。

 正式に婚約を解消してから、伯父は何度となく国王に今からでも王位継承権を放棄させるべきだと進言した。俺がこれ以上傷つかないようにとのことだろう。俺の体調が回復してからも食事を持って訪れる伯父の目はいつだって泣きそうなほどに揺らいでいた。


 両親は伯父の進言を無視し、年齢の近い公爵令嬢を全員招待したお茶会の開催を決定した。


「義弟に王位継承権を譲りたい」

 伯父の言葉では届かないと悟った俺は父の元へ行き、自らの意思を告げた。

 けれどダメだった。


「すぐに次の婚約者を見つけてやるから安心しろ」

 なぜ父はこれほどまでに俺に王位を継がせたがっているのだろう?

 前妻との間の子どもが俺一人だからだろうか?


 勢力図が崩れるのを嫌っているからだろうかと結論付け、思わず眉をひそめた俺に父は極上の笑みで衝撃の言葉を吐いた。


「兄さんと同じ加護持ちのお前ならきっと良い国王になれる。大丈夫。兄さんが認めているんだ。成人したらすぐに王位につけるさ。その時、隣に飾り物がなかったら寂しいだろう?」

 そう言って笑う父は歪んでいた。父が伯父に劣等感に似た尊敬を抱いていると共に、俺を息子として見ていないことを悟った。



 婚約者を失った俺は父親さえも失ってしまったような気がした。

 それでもすぐに次の婚約者を選ぶ気にはなれなかった。

 父は『飾り物』と称したそれを勝手に選ぶつもりはないらしく、義母と共に幾度となく繰り返されるお茶会を上から見物していた。


 大勢の令嬢達に囲まれ、この場で竜化してしまったらと考えると怖くなった。精神は揺らぎ、吐き気を覚える。会場内に留まるのは四半刻が限度だった。輪から外れるように抜け出し、使われていない部屋へと逃げ込んだ。


「うっ」

 音を立てずにドアを閉めたのと、ドラゴンになるのはほぼ同時。

 口から漏れた声はまだ10代にも関わらず低くて渋い。地を這うような声に嫌気が差す。いつドラゴンになるかも分からない人間の婚約者なんて、誰が進んでなるものか。事情を隠したところで似たような惨劇を繰り返すだけ。また同じようなことがあった時、果たした俺は正気を保っていられるだろうか。

 俺なんかが父が望む『良い国王』になんてなれるはずがない。

 部屋の端に蹲って、ようやく伯父が配偶者を持たず、王位継承権をも放棄した理由を理解した。耐えきれなかったのだろう。逃げてもなお、新たな役に捕らわれることを理解していながら彼は新たな選択をした。だが俺にはその選択権さえも与えられていない。


 誰かに恐れられ続け、心を許せる相手も伯父一人。

 他のドラゴン達との交流もあるが事情がまるで違う。完全に打ち解けることなど不可能だ。

 唯一である伯父も俺よりも30も上なのだ。よほどのことがない限り、伯父は俺よりも早くこの世を去ることだろう。



 理解者がこの世から居なくなることを恐れて暮らすくらいだったらいっそ……。

 そんな暗い考えが頭をよぎった時だった。


「どうせ殺されるなら人間なんかよりもドラゴンがいいな」

 物騒な呟きが耳に届いた。

 しかもよりによってドラゴンとはピンポイントである。姿が見られたのかと見回せばやはり部屋には俺一人。窓の外かと眺めれば、バラ園の生垣に隠れるように腰を下ろす何者かの姿があった。生け垣に隠れた金色の頭は、人の肉眼では捕らえることは難しいだろう。ドラゴン状態であるからこそ見つけられたと言える。クンクンと鼻を動かせば、バラの香りに混じって微かに嗅ぎ慣れない者の体臭が混じっていた。柔らかみのある甘い香り。おそらく幼い少女のものだろう。それも会場で俺を囲んでいた者とは別の人物。

 会場を抜け出したかと思えば自殺志願者とは、一体どんなご令嬢だろうか。

 ふと興味が沸いた。同時に死にたいと願う彼女へ嫌がらせをしてやろうと。妙な考えが頭を過ったのは、いっそ問題でも起こせば父は今度こそ諦めるかもしれないと思ったから。

 そのために些か匂いが強すぎるバラ園へ、ドラゴン状態で足を向けた。パタパタと音が出ないようにゆっくりと。けれど確実に金色の頭へと近づく。そしてドラゴンへの恐怖が増すように、普段よりも少し低めの声で問いかけた。


「死にたいのか?」

「は?」

「お前は一生を終えたいのか?」

 続けて問いかけても、彼女は振り向きもしなかった。見事なまでの縦ロールを少しばかり揺らしただけ。地面に座り込んだまま、前を見据えて答えた。


「進んで死にたいとは思いません。けれど神のご意志に逆らう気もありません」

 後ろ姿しか見えないが、今日この日に城に来ているということは俺とさほど年の離れていない娘だろう。だが彼女の言葉には確かに意思があった。


 死んでも構わないーー少女は心の底から思い、口にしているのだ。


「ではなぜドラゴンに殺されたいなど世迷い事を口にした」

「人に殺されるよりはマシという話でして。比較の問題です」

「殺されることが前提なのはなぜだ?」

「それが私の運命ですので」


 少女が殺されることが運命ならば、俺の運命は何なのだろう?


 父の劣等感を満たすために、国王として君臨することが俺の運命なのだろうか?


 逆らおうと思うことは罪なのか。

 無駄な抵抗だろうか。


「運命、か……。お前はそれに逆らおうとは思わないのか?」

 少女に問いかけているのか、自分に問うているのか。はたまた彼女の告げた『神』に確認を取っているのか。

 自分でもよく分からない。誰かに答えを教えて欲しくて手を伸ばす。けれど伸ばした手は何かを掴むことなく、落ちるだけ。


「とんでもございません。私ごときが逆らえるなど、それこそ世迷い事でございます」

「お前が相手なら私は……」

 口にして、何を期待していたのかと自分を責める。何をしているのだか……。そろそろ会場に戻ろう。人を怯えさせたいなど考えること自体が間違っていたのだ。そんな趣味の悪いことを実行しようとは頭がおかしくなっていたのだ。


 このまま振り向いてくれるなよと願いながら、部屋へ戻ろうとした時だった。


「……っ、あなたは」

 頑なに振り向こうとしなかった少女がこちらへと視線を向けたのだ。真っ青な瞳を見開いた少女は両手で口を押さえる。わかりやすいほどに震え、恐怖していた。ああ、なんて自分は酷いことをしてしまったのだろう。反省しつつも、このまま放置するわけにもいかない。せめて悪意がないことだけでも示そうと口を開く。

「お前が殺されたいと願ったドラゴンだ」

 だが殺すつもりはない、と続けようとした時だった。少女は覆った手の上からでも分かるほどににんまりと口角を上げ、呟いた。


「神様、大サービス過ぎる……」

 潤んだ瞳からはつうっと涙が伝う。けれど恐怖などみじんもない。

 少女は自分を殺すかもしれない相手との遭遇に歓喜しているのだ。


 死にたがり、か。


「怖くないのか?」

 だが殺されたいと願うのと、いざ殺されるかもしれないという状況に遭遇するのではまるで心持ちが異なるものではなかろうか。

 肝が座っているというか。とても変わっているというか。


「怖くないも何も……このサイズ感でどこを怖がれと?」

 こてんと首を傾げた少女に思わず怒りが湧き上がる。

 確かに今の俺は子犬ほどのサイズしかない。成体である伯父と比べればまだまだ可愛いもので、伸びしろはまだまだあるといえるだろう。だがこれでもドラゴンなのだ。

「普通の令嬢なら、この姿でも恐れをなすぞ!」

 モンスターに遭遇すれば、普通の令嬢は恐れるものである。元婚約者の反応が普通だ。この少女がおかしなだけ。

 イレギュラーとの遭遇に気が動転し、羽ばたく音も大きくなる。バッサバッサと、とても人間では鳴らすことの出来ない音。この音だけでも恐怖の対象になってもおかしくはない。けれど彼女は平然としている。

「いつの世もイレギュラーというものは存在するものです。ということで撫でさせてください!」

 口を開いたかと思えば、撫でさせろとは、イレギュラー中のイレギュラー。変な相手に遭遇してしまったものだ。これは夢か何かだろうか。理解者が欲しいと願った俺の脳が見させた幻影。実は逃げ込んだ部屋で寝てしまったのではないだろうか。じいっと視線を落とせば、彼女は心を決めたようにこちらをカッと睨んだ。かと思えば「お願いします!」と地面に額を擦り付け始めた。意味が分からない。だが確かなまでの圧を感じる。


 これはお茶会から逃げ出したバツだろうか。

 夢ならば早く覚めてくれ。


 怯えさせるつもりが、逆にこちらが恐怖を覚える。初めて遭遇するタイプの恐れに、確実に距離を取っていく。

 けれど彼女は俺を逃がしてなどくれなかった。

「ちょっとでいいんで。記念にうろこくださいとか言わないんで。10秒、いや5秒。指二本分とかでいいんで触れさせてください!!」

 すぐに再び頭を下げてしまった彼女だが、その瞳に恐怖はなかった。キラキラと宝石のように輝いている。本当にドラゴンを欲しているのだと理解してしまえるほどに純粋だった。

 殺されたいと告げたことさえも憧れの一つで片付けてしまえるほど。

 これはバツなどではなかったのだ。

 現実逃避をした末に辿り着いた摩訶不思議な許し。俺自身を認めてくれる変人。


「お前、本当に変わっているな」

「触らせてくれるなら何とでも言ってください!」

 きっとこの時を逃せば二度と会えなくなる。

 これから先、伯父以外の理解者など現れるとは思えない。ならば少し変わっていようが、限られた時間だけでも手を伸ばそうと思えた。


「……分かった。特別に許可しよう」

「ありがとうございます!!」

 名前も知らない少女はお礼を告げると、両手を広げて伸ばす。歓迎してくれているらしい。遠慮しつつも身を寄せる。


「あれ、意外と固くない?」

 ボソッと呟いた第一声がこれだ。それも俺を気遣ってのことなのだろう。抱く力が少しだけ緩んだ。けれど柔らかくて、温かい。母のぬくもりさえも与えられなかった俺には初めての体験だったが、居心地がいいものだ。

「俺はまだ幼体だからな。成体になる頃には剣さえ通さぬほどの強度になる」

「へぇ~。あ、じゃあまだ普通のブラシでブラッシング行けるんですか?」

「いや専門のブラシが……ってお前、ブラッシングまでするつもりなのか?!」

「さすがに持ってませんからしませんよ」

「持っていたらするつもりだったのか……」

 全く変な娘だ。

 だが今まで誰かにブラッシングをしてもらおうなんて考えたこともない。月に一度、伯父と交代でそれぞれの身体をブラシで擦る程度だ。それも小さな埃や砂を落とすのが目的で、いわば習慣のようなもの。好んでするものではなかった。


「もちろん事前にドラゴンさんの許可を取りますよ?」

「フレイムだ」

「は?」

「俺の名前はドラゴンさんではなく、フレイムだ」

 本名を隠したのは、ドラゴンを受け入れてくれた彼女が、竜化出来る人間を受け入れてくれるとは思わなかったから。どうせこの場限りなのだ。ならばいっそ伯父しか呼んでくれぬ愛称で呼んで欲しかった。


「フレイムさん……」

 呟いて、頬を緩ませる彼女に愛らしさを覚える。

「お前の名前は?」

「アドリエンヌです。アドリエンヌ=プレジッド」

「プレジッド家の一人娘か」

 プレジッド家はアッセム王国の公爵家の一つで、一人娘も今日のお茶会に招待されていることだろう。今日の名簿には目を通していないが、年の近いご令嬢の名前は一通り頭に叩き込んである。だが名前だけで、アドリエンヌという少女がどんな人物だったかと思い出そうとしてもなかなか思い当たらない。立場上、何度も同じ会に出席しているだろうに。目立たない少女だったのだろう。


「え、フレイムさん、私のことご存じなんですか?」

 アドリエンヌ自身も俺が彼女の存在を知っていることに驚いていた。今までは変わっている部分を上手く隠してきたのだろう。彼女とてまさか会場から少し離れたバラ園で誰かに遭遇するとは想像もしてなかったに違いない。今までも何度か脱走しているのかもしれない。


「一応な。だがこんな変人だとは知らなかった」

「他ではちゃんとしてますよ」

「本当か?」

「はい。今日だって王子様の婚約者選考会に嫌々ながら参加している訳ですし」

「この場にいる時点で参加はしてないだろう」

「ちょろっと顔出したんで大丈夫ですよ。両親には恥ずかしくてろくに話せなかったとでも伝えておけば問題なしです」

 アドリエンヌはグッと親指を立てながら笑う。

 どっからどう考えても問題しかないと思うのだが……。


「王子に興味がないのか? 見初められれば婚約者、将来の王子妃になれるんだぞ?」

 どんな相手か知るために突いてみれば、アドリエンヌは「ああ~」と間延びした声を漏らし、小さく息を吐いた。

「なったところで、って感じですね。正直深く関わりたくないというか……」

「それは王子が前の婚約者とのいざこざがあるからか?」

「婚約解消した時点で何かあるんでしょうけど、そこは割とどうでも」

「普通気にならないか?」

 どうでも、で片付けるようなことなのか!?

 興味がないとはいえ、こちら側が婚約者にと望めば彼女は俺の婚約者となるのだ。無理強いをするつもりはないが、それにしても興味がなさすぎではないだろうか。


 俺はそこまで魅力がないのだろうか?

 胸に刺さった刃を抱えながら問いかければ、彼女は「ないです」とバッサリ切り捨てた。


「両家での話し合いがついているならよくないですか? 細かいことは大人が気にします。力なき小娘はGoサインを出されたら従うまでです」

「今まさに従ってないように見えるが?」

「どうせ両親だって自分の子どもが王子の婚約者になれるなんて初めから思ってないからいいんです」

「親不孝なやつだ」

「なんとでも言ってください」

 緩いというか、他者に対する興味が薄いというか……。変な女であることだけは確かだ。

 まぁどうせ今日だけだ。目を閉じれば、彼女の手がゆっくりと動く。こんなに心地の良さを感じたのはいつぶりだろうか。アドリエンヌによって作られた影の中、朗らかな風が吹く。やや強いバラの香りが鼻をくすぐるが、嫌な気はしない。

 睡魔との狭間の間で揺られれば、耳に良い声が振り落ちる。


「良い天気ですね~」

「ああ」


 あのとき、彼女が側にいてくれたらどれだけ救われただろうか。

 この時間が長く続けば良い。そんなことを考えれば、無情な言葉が吐かれた。


「王子様の婚約者も早く決まるといいですね~」

「……ああ」

 アドリエンヌに悪気はないのだ。

 ただ世話話をしたに過ぎない。けれどいつか必ず訪れる別れに胸が痛んだ。

 頬を擦り寄せれば彼女はふふふと笑って、お茶会終了までずっと俺を膝に乗せて過ごした。一度たりとも手を休めることはなく、それ以上の要求をすることもない。ただただ俺を撫でて満足しているようだった。

 この空気感が心地よくて、立ち去ろうとする彼女に思わず手を伸ばした。


「またお茶会の日、ここで待っている」

 気まぐれ。心が弱っていたのだろう。次があるとは限らない。けれど彼女は迷いなく「また会えるんですね!」と手を取ってくれた。


 次も。その次も。

 彼女はお茶会の度にバラ園に訪れ「フレイムさん!」と手を伸ばしてくれた。

 出会った場所がバラ園だったため、自然とこの場所が待ち合わせ場所となったが、何度も会うのには薔薇園ほど適した場所はない。赤バラがドラゴンの身体を隠してくれる上、使用人達は俺がバラを嫌っていると思い込んでいる。


 本気で探されていれば連続して逃れることは出来なかっただろうが、両親は俺が会場から抜け出しても責めはしなかった。

 事情を知らぬ使用人に形ばかり探させるだけで、時間が来ればお茶会を終了してしまう。

 二回目以降、竜化することはなかったが、アドリエンヌが会場を立ち去ってからしばらくしてから会場を抜け出した。アドリエンヌは度々会場を抜け出す俺を「脱走王子」と笑っていたが、まさか自分の目の前にいるドラゴンがその王子とは思っていないようだった。


 アドリエンヌは初日の発言通り、王子の婚約者にまるで興味がないのだ。

 そのくせドラゴンにはデレデレと顔を緩める。ドラゴンに会うためにお茶会を何度も抜け出してしまうほどの変わり者だ。少し抜けているところもあるが、真っ直ぐな娘だ。



「私、いつかドラゴンの背中に乗って空を飛んでみたいんです」

「乗せてやろうか?」

「いいんですか?」

「ああ」

「約束ですよ!」

 キラキラと輝く目が愛おしくて。

 生涯を共に過ごすのならば彼女がいいと思えた。

 同時に、いつか訪れる終わりを恐れるようになった。


 これは神が与えてくれたチャンスだ。

 アドリエンヌが純粋な好意を向けてくれているのは俺がドラゴンだから。それは理解している。だが彼女を逃すつもりはない。

 王子としてアプローチをかけた所で彼女は俺を選んではくれないだろうが、ドラゴンならばどうだろう?

 迷うことなく俺を選んでくれる彼女の姿が目に浮かぶ。もし一度で選んでくれなかったら、何度と声をかければいい。


 二度とアドリエンヌのような女性に出会えないだろう。だからこそ、俺はテイム契約を持ち出すことにした。


 テイム契約とは、モンスターと人間が交わす契約である。両者の同意なしでは結べない契約だが、解除もまた双方の合意を必要とする。

 使役されるモンスターは人間からの命令に逆らうことが出来ないが、代わりに魔力の供給を受けることが出来る。一般に大量の魔力を持つ人間がモンスターとの間に結ぶことが多い。また貴族が自らの権力を示すために、モンスターとの誓約書を交わした上で結ぶこともある。

 その契約を俺はアドリエンヌと結ぶつもりだ。

 彼女がテイム契約を理解していないどころか、把握しているかどうかも怪しい。プレジッド家は過去にモンスターとテイム契約を結んだことはなく、彼女自身も他者に興味が薄い。知らない可能性が高い。だがわざわざ教えてやるつもりはない。万が一、知っていたところで彼女からの命令ならば構わなかった。

 アドリエンヌを婚約者という鎖で繋ぐためなら、どんな残酷な命令さえも受け入れるつもりでいた。


 けれどアドリエンヌは俺が想像していた以上に変わっていた。


 正体を明かし、王家の秘密を知ったことを理由に婚約を迫ったことには文句を吐いた。だがそれだけだ。詐欺だと言いつつも、否定はしなかった。出逢いも、俺のことも。仕方ないと受け入れた。


 困ったことがあるとすれば、フレイムとフレインボルドを別の生物と捉えていること。

 王子である俺とはビジネスライクを貫くと宣言しつつ、彼女は当たり前のように毎週城に足を運んだ。王子に会うためではない。ドラゴンである『フレイム』に会いたいからだ。それでいて王子の俺にも定型文満載の手紙を贈る。理由はどうであれ、端から見れば仲の良い婚約者だ。


 今日も今日とて、アドリエンヌは手土産片手に俺の部屋を訪れた。


「フレイムさんになってください!」

 手土産の焼き菓子を押しつけつつ、お決まりの言葉を口にする。手にはもう一つ、フレイム宛てと思われるプレゼントの入ったバスケットがある。なんともアドリエンヌらしい。



「アドリエンヌは毎回頼みに来るが、人型とはいえ、命令は有効だぞ?」

「え、命令なんてしませんよ」

「なぜだ?」

「だってする必要ないですし」

「俺がこの先ずっと人型でいると言ったらどうするんだ?」

「フレインボルド王子が折れるまで頼み続けますよ?」

「……頼み続ける、か」

「はい」

 アドリエンヌは何か変なこと言いました? と首を傾げる。彼女を前にすれば『テイム契約』は『生涯を添い遂げるための約束』に過ぎないのだ。王子様はただの付属品。婚約の解消・破棄を望みつつ、アドリエンヌはフレイムと共にいるために付属品すら受け入れているようだった。


 変人だ。紛れもない変人。

 けれど手放してやるつもりは毛頭ない。


「ほら」

 お望み通り、ドラゴンの姿を取れば、アドリエンヌの顔はみるみる緩くなっていく。ソファに腰をかけ、特等席に誘うように膝をトントンと叩く。いつものように大人しく膝の上で横たわれば、ゆっくりと頭を撫でられる。

 愛おしいものに触れているように、優しい手だ。

「ああ、一週間ぶりのフレイムさん……。あ、今日のお土産はささみのサンドイッチですよ。いっぱい食べてくださいね~」


 バスケットからサンドイッチを取り出して、口に運ぶ。食べるペースもすっかりと把握されている。これが人間の姿であったならば、見る者全てが砂糖を吐き出すほどのイチャイチャカップルだろう。だが残念なことに今の俺はドラゴンだ。



 それでも年齢と共に少しは意識してくれるだろう、なんて高をくくっていた。

 だが俺が学園を入学してからも変わらず、アドリエンヌは自身が不在の際に起こったことを知りたがることすらなかった。

 相変わらずフレイム一筋。

 姿を明かしたあの日からずっと、人の姿とドラゴンの姿を分けて見ている。


「フレイムさんはドラゴンで、フレインボルド様は王子様」

 アドリエンヌの口癖だ。

 悲しいほどに意識すらしてもらえない。唯一相談出来る伯父には「頑張れ」と肩を叩かれる。この状況ですでに恵まれているのだ。人型の際も愛を向けて欲しいと願うのは傲慢というものなのだろうか。


 人型状態で接する時間を増やせば何かが変わるのかもしれない。だがアドリエンヌからフレイムを取り上げるなんて酷な真似が出来るはずがない。

 どうすればいいのか分からずに、小さく息を吐いた。



 ――けれど悩みというのは案外あっさりと解決するものである。その代償として、新たな悩みの種が発生するまでがセットではあるが。



 俺が二年生に進級しようという頃のこと。アドリエンヌは頻繁に同じ言葉を呟くようになった。


「こんな可愛いドラゴンが人間とか詐欺だわ~。慰謝料欲しい」


 今日で何度目だろうか。少なくとも両手の指で数えられる回数を越している。

 一見するとマイナスに聞こえる台詞ではあるが、アドリエンヌが『フレイム』と『フレインボルド』を同一視してくれていることが分かる。

 数年かかってやっと、だ。

 嬉しくて、けれどことあるごとに婚約解消に向かおうとするのが悲しく思う。

 それでもここで折れたら負けだとブレた軌道を直すまでがお決まりとなっている。


「慰謝料を取るよりも結婚した方が得だぞ? ドラゴンのブラッシングをし放題。成体になれば背中にも乗せてやれる。夢なんだろう? 特別に許そう」

 差し出すのは俺自身。

 ドラゴン好きのアドリエンヌにはぴったりかつ、俺にも得がある条件だ。

 年齢的にはもうそろそろ成体になっても可笑しくはない。アドリエンヌが学園入学を果たした際には入学祝いとして、手綱とローブをプレゼントしようと考えている。どちらもドラゴンで滑空する際の必需品だ。



「人の上に乗って使役する趣味とかないんで。変態はお引き取りください」

「変態じゃない」

 ドラゴン状態で話しても無駄だと悟り、一度膝から降りて人型に移る。


「だがアドリエンヌが望むのならば、人状態でも背負って走り回るくらいならしてやれるぞ!」

「……フレインボルド王子って好きな人いないんですか?」

「お前だが?」

「いや、そういうのじゃなくて。恋愛感情を向ける相手ですよ」

「だからお前だ」

 他に誰がいるというのか。

 社交界はもちろん、学園で他のご令嬢と共に過ごしたところで胸がざわめくことはない。

 むしろ俺が学園にいる間、アドリエンヌが他のドラゴンと接触を持っているのではないかと思うと気が気でならない。


「……まだ出会ってない、か」

 ぽつりと呟いた声は無機質で、瞳から光は消えていた。

 出会った頃の死にたがりに戻ったようだ。


「最近のお前は変だぞ?」

 顔をのぞき込み、額に手を伸ばす。熱はないようだ。だが疲労が溜まっているのかもしれない。隣に腰を降ろし、ここを使えとポンポンと膝を叩く。けれど一向にアドリエンヌの身体が傾くことはない。こちらを向いて、眉間に皺を寄せるだけ。


「別に最近に限ったことじゃないでしょう?」

「それはまぁそうだが……」

「そこは否定するところでしょ」

「ドラゴンが好きなんて女が変でないはずがない」

「それ言ってて悲しくなりません?」

「今さらだ」

「ドラゴン好きとまでは行かずとも、あなたを愛してくれる人が早く見つかるといいですね」

「ドラゴン好きな相手ならお前がいる。他なんて見つける必要はない」

「目標低すぎません?」

 なぜアドリエンヌは度々自分を卑下するのか。

 確かに彼女は変人だ。紛れもない。唯一無二の変わり者。だが変人を愛して何が悪い。

 自分を受け入れてくれる少女と共に生きたいと願うことは、ごくごく自然な感情ではないだろうか。


「そんなことはない。普通の令嬢は悲鳴を上げて許しを乞う」

「前の婚約者さんですか」

「ああ。だが普通の反応だ。お前が特殊なだけで」

「悲鳴なら私も上げましたけど?」

「種類がまるで違うだろう。目を輝かせて抱きつかれた時は潰されるかと思った」


 あのときから、俺の幸せは続いている。

 アドリエンヌに抱きしめられる度。背中を撫でられる度。全身をぬくもりに包まれたような感覚を覚える。優しいそれを離したくなくて、縋ろうと伸ばした手さえも彼女は受け入れてくれるのだ。


「固いうろこを持つドラゴンがそんなに簡単に潰される訳ないでしょう」

「そうだな。だが俺はお前になら潰されてもいいと思う。あのときも、今も」

「やっぱり変態じゃないですか!」

「誰が変態だ!」


 本心を包み隠さず告げた所で、きっとアドリエンヌには理解してもらえないだろう。だが彼女がこれから先も隣にいてくれるのならば、それで構わなかった。


 例え人型に愛を抱いてくれなくとも。




 ◇ ◆ ◇

 いつものように城に向かう途中、何者かに馬車が襲われた。

 武器を突き付けられて~なんてことはなく、丁重に別の馬車に誘導されたが、紛れもなく誘拐である。


「あんたの望みを何でも叶えてやろう」

 物取りにしては妙に身なりが整っているが、服以外は山賊そのもの。ボサボサの茶色い髪は髪と同じ色の紐で一本に括り、髭は伸ばしっぱなし。目の下には真っ黒なクマがあり、見た目では年齢の判断が効かない。


 ただ直感的に、悪い人ではないのだろうと理解した。

 男の身体から匂う独特な香りには馴染みがあった。おばあちゃんの家でするお線香の香りによく似ているのだ。ドラゴンはいるし、魔法もある西洋風な世界で前世の夏を思い出す。

 チリンチリンと風鈴の音がすれば完璧なのに……。


「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

 お~いと目の前で手が振られる度に香りが広がり、安心感が増していく。


「現状、理解している?」

「誘拐されたんですよね?」

 身代金要求されるどころか、ランプの精のように願いを要求された訳だが、誘拐であっているはず。

 この世界に人の願いを叶えることを生きがいとしている人が存在していて、目の前の男がそれに該当しなければ、の話だが。

「あ、分かっててこの態度なのか。肝が座ってんな~」

「お褒め頂き光栄です」

 ゆっくりと頭を下げれば、不気味なものを見るような目が向けられる。だが私は決して肝が座っているのではない。ただ危機感がないのだ。

 これも悪役令嬢が死ぬシナリオの一つと言われれば納得してしまう。だって私、まだ第一王子の婚約者で悪役令嬢のままだし。悪役令嬢が死ぬとしたら、それは私が死ぬということ。運命から全力で逃亡する気はない。



「え~っと、抵抗される気がしないからバラすけど、俺はアーサー=バレン」

「バレン王国の王族ですか」

 この大陸は4つの大国と小国が存在する。大国は東西南北に別れており、アッセム王国は南の方角にあり、バレン王国は北に位置する。

 フレインボルド王子によると4国間で交流があるらしいが、王子の婚約者の出番はない。名前で知っている程度だ。だが戦争を起すなど、変な動向は見えてこない。やはり私の直感は間違っていなかったようだ。

 想像以上に地位のある人物だったことに、とりあえず背筋を正す。


「ああ。第1王子だ。だが弟に王位を譲って、今は騎士団長をやっている」

「なるほど。それで騎士団長様が私に何のご用ですか?」

「ちょっとあんたに会ってみたくてな」

「私に?」

「俺はなんだかんだでフレインボルド、フレイムとは交流があるんだが……あんたあいつが気持ち悪くないのか?」

「もっぺんいってみろ。てめえのその馬の尻尾みたいな髪、むしり取るぞ」

 私を捕まえて、フレイムさんの悪口を言うとは良い度胸だ。

 ちょうど城に向かう途中だったのだ。

 フレイムさん専用ブラシで撫でれば人間の皮なんて一発だろう。

 右手で茶色の髪を、左手でブラシを掴み「撤回するなら今のうちですよ」と脅す。

 王子だろうと騎士団長だろうと関係ない。立ち直れなくなるほどに潰すだけだ。それでも心優しい私は時間の猶予を与えてあげる。

「はい。10・9・8・7…………」

「ひいいいいいいい」

 野太い悲鳴が車内に響いた直後、目の前が光に包まれる。お馴染みの光と手からスルリと抜けた髪の束にハッとした。


「許してくださいいいいいいい」

 椅子の上で丸くなっているのは茶色のドラゴン。フレイムさんとは異なり、うろこの部分にはふんわりとした毛が生えている。なんというか羽根の生えたモグラもしくはキウイっぽい。もふもふだ。もふもふなドラゴンさんが丸くなっている。

「かわいい」

「悪気はなかったんです……」

 相手もドラゴンとなれば話は別だ。

 言葉通り、悪気はなかったんだろう。ただ、私を試そうとしただけ。分かってしまえば怒りはしゅるしゅると音を立てて収まっていく。


「許します。大体、意図が分かったので」

「本当か?」

「私も、脅しちゃってすみません」

 仲直りにと手を伸ばせば、アーサーさんの身体はわかりやすいほどに跳ねた。カタカタと震えながらも、馬車から降ろしてくれる気はないらしくどこかに向かってガタゴトを揺れていく。

「とりあえず、その凶器仕舞ってくれええ」

「凶器じゃなくって、フレイムさん専用ブラシです」

 言いながらも、彼にとっては凶器なのだろうと専用袋に入れてからバックに仕舞う。

「嘘じゃなかったんだな」

「嘘?」

 怖がっているのに、無理に撫でようとするのはマナー違反だ。手を引っ込めれば、やっと震えが止まった。まだ視線は合わせてもらえないし、丸まった状態が戻ることはない。それでも少しは前進した方だろう。

「フレイムの惚気。まさか本当にドラゴンを受け入れているとは思わなかった」

「なぜです?」

 惚気の部分はスルーさせてもらう。

「そういうものだからな」

「そういうもの?」

「俺ら土竜はまだしも、フレイム、火竜は幼体からまんまドラゴンだしな」

「格好いいですよね」

「元々そういうタイプなのか」

 そういうタイプってなんだろう。

 呆れられているような。それでいて心を許してもらえているような。不思議な感覚だ。


「嬢ちゃんはドラゴンのどんな所が好きなんだ?」

「全部ですかね」

 グッと親指を立てて宣言すれば、アーサーさんは「全部か!」と豪快に笑った。


 少しは打ち解けられたらしく、目的地に到着した頃には人型になり、エスコートまでしてくれた。馬車から降り、彼の部屋まで案内される。騎士団長とはいえ、王子様だからか、城内の一つの大きな部屋へと通された。


「スコーン食べるか?」

「頂きます」

「クロテッドクリームとジャムは?」

「どちらも!」

「はいよ」

 使用人が運んできたカートからテキパキと準備する。手慣れているわ。まるでお友達を部屋に招待したかのような気軽さがある。

「あ、砂糖はいくつ?」

「なしで」

 了解と返事して、カップとお皿を渡してくれる。「ありがとうございます」

「おかわりはここに置いておくな~」

 食べる前からおかわりとか、気の利かせ方が凄い。遠慮なくクリームを乗せたスコーンを口に運べば、彼はこくりと頷いてから自分のカップに砂糖を3つ沈めた。スコーンの乗ったお皿にも大量のジャムを乗せているし、甘党なのかもしれない。


 アーサーさんは一通りティーセットを用意した後で光を纏いながらドラゴンに戻った。器用にごくごくと紅茶を飲みながら、もしゃもしゃとスコーンを食べる。

「それにしても、フレイムはあんたみたいな奴と結婚出来て幸せだろうな」

 口元についたジャムを長い舌で掬いながら、変なことを呟く。


「結婚?」

「婚約者なんだろう?」

「まぁそうですけど」

「歯切れが悪いな。フレイムのこと、嫌いなのか?」

「フレイムさんのことは愛していますよ。神によって導かれた運命的な出逢いを果たし、魂と魂の契約を果たした仲ですので!!」

「仲がよさそうで何よりだ。って、嬢ちゃん、あいつとテイム契約を結んだのか!?」

「はい」

「冗談だろう!? そんな一方的に不利な契約をなぜ……」

「不利ではありません」

「どういうことだ?」

「フレイムさんと共にいられる権利を獲得した代わりに、私は期間限定の婚約者に就任させられました」

 フレイムさん曰く、人はモンスターを使役・命令出来るとのことだが、私はそんなことをするつもりはない。それでも飲み込んだのは、私にも利があったから。


「期間限定の婚約者?」

「三年以内にフレインボルド王子には他のお相手が現れて、私はお役御免になる予定です」

「予定って……。もしも他の相手が現れた所であいつの気持ちは変わらないだろう。ベタ惚れだぞ? そう簡単にあんたを逃がすはずがない」

「あれは惚れているのではなく、ドラゴンの自分を認めてくれる相手に執着しているんです。だから他に認める相手がいて、その人を好きになれば私はお役御免です」

「どういうことだ?」


 確かにフレインボルド王子は私を好いてくれているだろう。だがあれは恋ではない。恋愛シミュレーションゲームのヒロインとするだろうものとは別のもの。深く考えずに口から出た『執着』が一番しっくりと来る。だが私も私で、フレインボルド王子にもフレイムさんにも恋をしている訳ではない。それでも私はフレイムさんと一生を添い遂げたいと、この身を捧げてもいいとさえ思っている。

 ある意味、感情面でも釣り合いが取れているとも言える。


「1+1=2にしなければいけない計算式に、新たな1を足したら3になるでしょう? けれど合計は2にしなければいけない。そんな時、一番簡単なのは1を引いて2にすること」

「なぜ3ではいけないんだ?」

「そう決まっているからですよ」

 倫理的にというか、公式的にというか。

 詳しいことは分からないけれど、乙女ゲームなのに王子様とヒロインのカップルに悪役令嬢がプラスされるなんてことはないだろう。異様すぎる。そんなおかしな展開をトモちゃんがスルーするとは思えない。


「他に方法はないのか?」

「初めの1を分けて、それぞれの1に割り振るのもありかもしれませんね」

「だが分けた1を足しても、どちらも2にはならないと思うが?」

「だから全ての1を納得させるのは難しい」

 ドラゴンのフレイムさんと、人間のフレインボルド王子。

 姿を分けて付き合うというのも一つの手だ。私はそれで構わないし、週に一度でも会えれば大喜びするだろう。


 だがヒロインさんはどうだろうか?

 ドラゴンであると明かすか、隠すか。どちらの選択を取った所で、他の女と定期的に顔を合わせることを許してくれるだろうか。

 恋愛感情がなくとも、良い関係の男女二人が密室で……なんて、普通の女性はいい気はしないだろう。


「納得させる? ただの数字が文句を言うのか?」

「はい。初めは一つが限りなく0に近くても構わないと納得したとしても、いつか異議を唱えるかもしれない。それに、割合がずっと変わらないとも限らない」

「難しいんだな」

「そうです。難しいんです。頭の良くない私には超がつくほどの難題。だから一番簡単な方法を取る。それが1を引く方法」

 まだ現れていないようだが、いつかはヒロインが現れる。そうなれば私は正式に悪役令嬢役として働くことになる。さっさと引いてしまえればいいのだが、私とてそう簡単に退場出来るとは思っていない。現実は算数のように簡単にはいかないのだ。


「ふ~ん。よく分かんねぇけどさ、フレイムと婚約解消することがあったら俺のとこに来いよ」

「え、いいんですか?」

「俺なら相手はいないし。テイム契約を結ぶつもりはないが、ドラゴンの姿を受け入れてくれるなら望みのものを与えよう」

「あ、そういうのは間に合ってますので」

「遠慮しなくていいんだぞ?」

「いえ、本当にこれといって望みってないんですよね」

「例えばアクセサリーが欲しいとか、ドレスが欲しいとか。美男子を囲みたいとか、テーブルいっぱいのスイーツが食べたいでもいいぞ」

「物欲性欲食欲……私って一体どんな人間だと思われているんですか?」

「じゃあ何が望みだ?」

「だから特にないですって」

「そんな訳ないだろう!? 人間は欲のある生き物だ。欲しいものがないはずが……」

 そんなものだろうか?

 欲は少ないほどではないとは思うが、ないものはないのだ。さすがに断り続けるのも失礼かとうーん……と唸ってみたものの、やはりなかなか浮かばない。

「欲がないのか?」

「私にも欲くらいありますよ。ただ大抵の場合、望めばすぐ叶うんですよ」

「は?」

「フレイムさんは頼めば大体OKしてくれますので」

 そう、私の願望は大抵がドラゴン関係なのだ。

 これしたい! と思った時に口に出せば叶えてくれる。


「あいつが? どれだけ甘いんだ……」

「だだ甘ですよ。おかげさまで、今の私にはこれといった望みはありません」

「参考までに聞くが、あいつは今まであんたに何を贈ったんだ?」

「ブラッシングさせてくれる権利」

「は?」

「撫でるのも許してくれましたし、ご飯をあげるのも許可してくれました」

 それに添い寝もお昼の数時間限定ではあるものの、渋々了承してくれた。孫に甘いおじいちゃんも腰を抜かすほどのあまあまである。


「……俺の身体もブラッシング、するか?」

「いいんですか?」

「俺専用のものを使ってくれるならな」

 アーサーさんはそう言いながら、ベッドサイドに置かれた箱からブラシを取り出す。咥えたまま、パタパタと羽根を動かし、私の隣に着地する。

 渡されたブラシはフレイムさんのものとはまるで違う。フレイムさんのブラシは金剛石を使用した剣山のようなもの。一方で、アーサーさんは少し固い動物の毛を使用しているようだ。

「膝に乗ってください」

 ポンポンと膝を叩けば、すんなりと乗ってくれる。毛は想像以上にふわっとしており、高級ブランケットのようなぬくもりがある。

 フレイムさんと比べるとドラゴン感は薄いけど、これはこれで……。ブラシをかければ、アーサーさんの瞳はとろっと蕩けた。


「気持ちいい……。本当にさ、婚約破棄することがあったらうち来いよ」

「それ、あなたに得あります?」

「毎日ブラッシングしてもらえる。後、あんたさえよければたまにドラゴンの俺を風呂にいれてくれ」

「そんなことでいいんですか?」

「うーん、じゃあ食事も一緒に取ってくれ。遠くに出かけるのもいいな。あんた、花畑は好きか?」

「好きでも嫌いでもないですね」

「まぁどこでもいい。その時が来たら相談しよう」

「はい」

 結婚相手というより世話役っぽい。けれど全く悪い条件ではない。王子様との婚約解消なんて両親は嫌がりそうだけど、その後に他国の王族との結婚が控えていると知れば納得してくれるだろう。何より攻略対象者ではないため、彼と結婚すれば悪役令嬢役から寿退職が出来る。

 距離感もちょうどいいし、もふもふドラゴンは可愛い。

「ところでアーサーさんって成体ですか?」

「ああ。だがこの姿は幼体のものだな」

「それはどういう……」

「成体になると使い分けられるんだよっと!」

 私の膝から降り、距離を取るとボンっと大きめな破裂音と共にアーサーさんの身体は大きくなった。

「ふおおおおおおおおおお」

 成体バージョンでももふもふは健在だが、それにプラスしてドラゴンらしいたくましさも兼ね備えている。

「ヤバい。格好いい」

 両手で顔を押さえながら、こらえきれなかった本心を叫べば、頭上からは「やっぱり嬢ちゃん変わってんな~」と呆れたような声が降り注ぐ。だが興奮状態で本心を隠すなんて特殊スキルを兼ね備えてはいない。


「触ってもいいですか!?」

「いいぞ。あ、そうだ。背中に乗るか?」

 憧れのドラゴンの背中に!?


「いいんですか!?」

「ああ」

「神様ありがとうございます」

 神様、この世界に転生させてくれてありがとう!!

 アーサーさんの正面で華麗な土下座を披露する。

 ドラゴンに乗る際に儀式的なものって必要あるのかな?

 せめて手だけでも洗っておいた方がいいかな?

 瞬時に様々な考えが頭を過る。けれど真の解答を知っているのはアーサーさんだけだ。直接質問するのが一番だろう。立ち上がり、お伺いを立てようと試みた。だが私が自力で立ち上がるよりも早く上へと引っ張られた。

「何勝手に俺以外のドラゴンの背中に乗ろうとしているんだ。ダメに決まってんだろ」

「あ、フレインボルド王子」

「あ、じゃない。いつまで経っても来ないからおかしいと思えば、なんでアーサーのところにいるんだよ」

「さらわれました」

「さらわれたってそんなあっさり……」

「そうだ、フレイム。この嬢ちゃんのこと気に入ったからよ、主人か婚約者の座、どっちか譲れ」

「嫌に決まってんだろ! アドリエンヌは俺のだ」


 アーサーさんの悪乗りに、フレインボルド王子は私の身体を抱き寄せる。腰をホールドなんてロマンチックなものではない。子どもがお気に入りのおもちゃを隠すような、全身を使用した完全ホールドだ。


「嬢ちゃん、愛されてるな~」

「気のせいですよ。ってことで背中に……」

「ダメだって言ってんだろ!?」

「フレインボルド王子のケチ!」

「その台詞、ドラゴンの姿相手にも言えるのか?」

「っ」

 光を纏い、フレインボルド王子はドラゴンへと姿を変える。

 私がフレイムさんには弱いと知っていて姿を変えるのだから、なんとも性格が悪い。

「成体になったら乗せてやると約束したのに、お前は待ても出来ずに他の男の背中に……浮気か?」

「ち、違うんです。いや、確かに気分は浮ついてますけど、決して裏切りなどではなく交流を深めようとしただけで」

「へぇ。あなたは誘拐犯と交流を深めるんですか」

「で、でも身元は知れているし……」

 国交を密にしている国の王族ともなれば、これ以上ないほどに身分が保証されている。私相手に変な気を起こすなんてこともないだろう。それに私のバッグには最強の防犯グッズがある。アーサーさんには悪いが、彼なんてブラッシングをすれば一発KOに導くことが出来るのだ。

「そういう問題じゃない。俺は他の女になんて見向きもしないのに……」

 むうっと頬を膨らますフレイムさん。

 可愛いが、別に不要な鎖で自分をぐるぐると巻き付けることはないだろう。

 婚約を結んだ当初から、婚約解消および破棄はいつでも受け入れると主張してきたつもりだったが、足りなかったのだろう。

 良い機会だ。

 胸を張り、真剣な眼差しで彼を射貫く。


「私はフレイムさんが他の雌と仲良くなっても気にしません。もちろん王子様が他の女性と結婚したいから婚約解消しようと言い出しても、二つ返事で了承します。なので遠慮は不要です」

「……頭が痛い」

 私の宣言に、フレイムさんは頭を抱える。

 だが人間の私はテイム契約は出来ても番にはなれないのだ。

 王子バージョンの方とは結婚自体は出来るが、運命によって阻まれる。

 私の死に直結する・しないは無視しても、どちらも他の相手を求めるというなら止めるつもりはない。幸せを祈るくらいの情は私にもある。


「婚約解消なんて絶対してやらないからな‼」

「遠慮しなくていいのに……」

「遠慮じゃない!」


 なぜか怒り心頭なフレインボルド王子に回収された私は、学園入学を待たず、15歳の誕生日に入籍させられた。

 学年は異なるが、毎日一緒に登校し、同じ場所に帰る。寝所も同じ。毎日のブラッシングはもちろんのこと、たまに水浴びのお手伝いもさせてもらえている。成体になってある程度、飛行に慣れた後で背中にも乗せてくれる約束をしてくれた。


 至って平穏な日々だ。

 すうすうと寝息を立てるフレイムさんを撫でつつ、疑問を口にする。


「婚約者から妻にシフトした場合、シナリオってどう変わるんだろう?」



 その答えが出たのは、卒業をした後のこと。

 卒業祝いに旦那様からプレゼントされたローブを着込み、手綱を装着する。万全の態勢でドラゴンにまたがり、国を一周すれば低い声の主は「夢が叶って良かったな」と言って笑った。


 優しく伸びた黄色い瞳は、生涯私の隣にあり続けることだろう。

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王子をテイムした悪役令嬢 斯波 @candy-bottle

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