第6話



「ごきげんよう。私のことを知る、私の知らない御仁」



声がしたのは、Qの背後、扉のない壁からだった。

ぎこちなく振り返った彼の視界に緑の髪色が映る。黒いドレス、真紅の瞳。


そこに〝彼女〟はいた。当たり前のように。

にこやかで、柔らかい立ち姿。


――どこから現れた?


突然のことで、Qの思考が止まる。



「もうその肩書きは捨てたけれど。ふふっ、貴方、もしかして私が今朝食べた物もわかるのかしら」


「か、カレン様! 今は、その……取り調べ中でして」


「知ってる。けど、もういい。私は彼と話がしたい。2人っきりで」


「し、しかし…………」



マーズは渋る。これもQが煽りに煽った成果である。しかしQの苦労も虚しく、マーズの態度は一瞬にして裏返されてしまった。



「ひ……いッ、いえ、承知しました!」



マーズはそそくさと書類を拾い、机の上にきっちりまとめると逃げるように取り調べ室を後にした。

カレンはドレスグローブの手をQの首元に添えると、耳元で小さく囁く。



「これで思いっきりお話ができる……ふふ」



久方ぶりに耳にする声。総毛立った。


彼女の低血圧を思わせる落ち着いた声色は相変わらずだが、昔と比べると、ほんのり声が掠れているような気がした。

かつての思い出が蘇るようでQは頭を振って我に返る。

まさか、カレン本人がこの建物にいたとはQの想定外であったが、これは好都合チャンスでもあった。


――『カレン・コルトレーン』、Qがかつて『ハリー・チンタオ』という名だった頃の戦友。そして、ハリーがリオンの父親を殺した、ということを知る数少ない人物。


そしてカレンは、『ハリー』の最期を知っている。


Qが死ぬことなく、リオンの依頼をリオンの納得がいく形で達成できる唯一の方法――――それが『カレン・コルトレーン』の口から『ハリー』の最期をリオンに伝えること。

リオンを助けられる方法は、Qが死ぬか、それともこのプランを成功させるか、である。


今のところ彼女はQの正体に気付いたという素振りがない。当然といえば当然。Qは、あの頃のハリーから、ありとあらゆるものを変えたのだ。



「貴方、どうされたい……?」


「気色悪いこと聞くな。俺は女が苦手だ。とっとと男に変わってほしい」


「私のこと――それも昔の私を知っているようじゃ、我々ヘックスにイイ金で雇われるか……死ぬか」


「気にするな。あんたのことなら忘れるさ」


「バカね。貴方は私の名前を使って何かしようとしてるみたいだけど、私は貴方の名前を知らなくても何でもできちゃうのよ……」



手錠をかけられ、椅子に拘束されているQには抵抗など到底できない。


――ここから、下手なことは言わず、かつ、カレンを揺さぶる……。



「何をしようって? こんな俺相手に」


「『レオナルド・リー・コーエン』を殺す」


「は……!?」



Qを相手に脅しが通用するとでも思っていたら大間違いだ。彼にかかれば殺意の有無など手に取るようにわかってしまう。



「あら、どうしたの? あの子がそんなに大事だったのかしら」


「…………ああ、そりゃもう。ちょうど俺の首と天秤にかけてたところだよ」


「ふうん。で、どっちのほうが重いの?」


「俺の皿に乗るのは俺の命だけじゃないらしくてな……わからなくなってたところさ」



ひとしきり話終えると、カレンはQの対面に座る。深く座る。彼女が深呼吸をするのに合わせて、胸が上下するほど。

ドレスの中から煙草の箱を出して、艶かしく1本咥える。



「……『レオナルド・リー・コーエン』とはどんな関係? こんなところに彼を連れてきたのは、どうして?」


「リオンがお前さんに父親の死について聞きてえって言うからよ」


「私は話すべきことを話した。犯人の名前もあげた。形見も渡した。欲張りね」



言葉尻がいやに優しい。ライターで火を付ける所作でさえ、魅入ってしまうようなしなやかさがある。

退廃的――Qが連想したのはそんな言葉だった。



「それにしても、貴方を見てると思い出すわね。昔の知り合いを」


「へえ、そんなにイイ男がいるんなら会いたいもんだ」


「…………ハリー」



カレンは静かにそう呟く。いや、Qの幻聴だったかもしれない。それだけ小さな声で『ハリー』と呼ぶ声が聞こえた。

しおらしい雰囲気の彼女。腕組みをして動かなくなってしまった。これをQは攻勢と見る。揺さぶりを仕掛け、『ハリー』という男の最期を喋らせるのだ。


そうすれば――――そうすれば、カレンの口から『ハリー』という男はすでに死に、復讐は不可能だとリオンに知らせることができる。

リオンにハリーの死を認めさせねばならない。Qの正体に気づかれることなく。



「父親殺しの犯人の名前も『ハリー』……だったよな。そう、『ハリー・チンタオ』だ。中国系か?」


「いえ、彼は日系。出自を隠したのは彼の祖父よ」


「へェ……祖父の代っつったら、その頃の知事がジーグレー・チンタオってやつだったよなあ」


「順当な推理ね」



もちろん、これらのことはQ自身、当たり前のように知っている。なぜなら自分自身のことであるから。推理などではない。


カレンが吐き出した煙は部屋の天井に滞る。彼女曰く、順当な推理止まり。

しかし、Qとて下手にボロを出して正体に気づかれるワケにもいかない。



「……そいで、やけに秘匿されてる機密情報ときた。ヘックスの闇とやらを垣間見た気がするぜ、まったくよ」


「はぁ……そうね。『お前は知りすぎた』って始末すればいいかしら」



カレンは微動だにしない。この程度で動じないのは、彼女が乗り越えてきた修羅場の数ゆえだ。



「じゃ、その『ハリー』は今どこにいんだよ。リオンはそいつを殺したがってんだ」



しばしの沈黙。Qの鼓動と息遣いだけが目立って聞こえた。


カレンは煙草を指で弾く。Qの焦りは積もる。



「やっぱり殺す」



冷淡。


――やべえ。


「やっぱり殺す」という言葉に『やっぱり殺す』以上の意味を感じられない。


――やっべえ……!


おもむろにカレンはしゃがみ込む。迷いを感じさせる隙がない。


次に起き上がったとき、彼女の手にはリボルバーが収まっていた。脚にホルスターでもあったのだろう。


Qはカレンの目を見据える。余裕に構えている状況ではないことが知れた。


――余裕はない。


そう考えたとき。刹那……須臾……ほんの0.1秒にも満たないような早業が、すでに繰り出された後であった。



「よッ!……と」



Qは椅子を180度ほど回転させ、さらに背もたれで死角を作るように倒れ込んだ。

彼の背中の鉄板が鈍く響く。



「この期に及んで……! しつこい、ああしつこいわね!!」



カレンは机を蹴り飛ばし、撃鉄を起こした。今度はQをじっくりと狙う。



「貴方、一体何なの!? 私を知っていて、この部屋のカメラを見つけ、どこまでも飄々と構えられる! そんな人間、このアーデントでも! 貴方は! 一体! 何なの!!!!」



Qがこれまでにじわじわと与えていた全ての布石に火がつき、そして爆発した。

だが、ここで勢い任せに撃ってしまったら負けだということを、カレンはわきまえている。


いっときの感情が噴出しようとも、彼女の構えは揺るがない。実に冷静にQを狙っていた。



「……Vの11号、『ハリー・チンタオ』、『ティモシー・コーエン』、『シドモア』、『被検体55号』――――」


「――ッッッッ!!!! 貴様……貴様貴様貴様きさまきさまァアアアア!!!!」



カレンの全てが崩れた。それまで取り繕っていたお化粧が流れ落ちた。

そして現れたのは、取り残されたひとりの女の姿である。



「撃つのかッ!! 俺を、撃つのかよ。おい……」



Qも第一声を張り上げた。続く呼びかけは、カレンの心に向けて語りかける。

リボルバーの照準越しに、カレンの歪んだ顔が見えた。



「44mm弾でも足りない! 今になって、今になって……今更、自分の墓を掘り返すようなヤツには――――!!」


「――カレン様ッ!!」



凄まじい音とともに扉が蹴り開けられた。息を切らしたマーズに、血眼になったカレンの眼光が突き刺さる。

両者ともに、言葉を発しなかった。ただ、肩を揺らして荒く呼吸をするのみ。



「…………貴方とは、一旦お別れね。Ciaoチャオ


「――ぐフぁッ!」



カレンは靴のホルスターにリボルバーを仕舞い、Qの鼻っ面を思いっきり蹴飛ばすのであった。

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