第2話
「ここまで来れば〝商会〟の縄張りだ。やつらももう追っては来ないさ」
「……すごいです。この街にこんな光景が広がっているなんて」
「ああ、〝地表〟は初めてか? そのうち〝地下〟も見せてやりてえがな」
リオンの目は輝いていた。
頭上にはビルとビルの間に架かる遊歩道、そこからおびただしい数の電光看板がぶら下がり、車道を照らしている。こんな眩いだけの夜空を見上げれば誰だって瞳は輝く。
対して、彼らが立っているアスファルトにはヒビが走り、そこに水が溜まっている。雨が上がっても湿った空気は留まり続けた。人の熱気だ。
左右のメガビル沿いには浮浪者がこびりつき、道の中央に近づくにつれて人の流れは速まる。そんな流れに逆らう屋台が乱雑に並び、ある意味で道のど真ん中に市場が広がっているようだった。
「Q!! この前は助かったぜ! 寄ってくか!?」
肩がぶつかりそうになる人混みの中でも、Qの格好は目立った。白いタキシードは未だ輝かしいほどに清潔な状態。
「……何か腹ごしらえするか?」
「いえ、大丈夫です。だってこの後もバーに行くんですよね」
「念の為言っとくが、ダイナーではねえからな…………今日は遠慮する! また寄るさ!」
「あいよ!」
人と人の距離が近い。それは失われかけている人情の光景だ。
リオンは声をかけてきた屋台を尻目に、Qの後をついていく。人混みの中でも彼を見失うことなく、表通りから裏路地へ入り、ビルとビルの室外機に挟まれながら迷宮の奥へと潜っていった。
「ここ、うちらのバー」
「バー、カケコト…………ですか?」
「そう。みんなダジャレが好きなの」
返答に戸惑うリオンは『バー・カケコト』のサインボードをまじまじと見つめる。サインボードに乗っかる灰皿には、消火しきれていない吸い殻が残っていた。
半屋内の階段を下ると無骨な木の扉が現れる。軋む音と入店ベル。Qはリオンに声をかけた。
「足元に気をつけな。バケツだらけだぜ」
入店ベルの音は曇りを知らず、綺麗な第一印象を客に与えていた。
――が、Qの言う通り、店内には水の張ったバケツがいくつも並んでいる。天井は穴だらけ。雨漏りの跡が、もはや柄と化していた。
「マスター、帰ったぜ」
「おう……誰だよ、そいつ」
「ここの客」
「まだ飲めない歳だろ」
「いいや、奢ってもらって俺が飲む。それでいいだろ?」
「あァ? お前ってヤツは……酒はやめろって言われてんだろうが」
リオンはカウンターの向こう側の巨漢、Qと気の置けない会話を繰り広げている彼に怯えきっていた。
サングラスで表情は読めず、見てわかることといえば片腕が旧式の工事用『
目のやり場に困ったリオンは奥まった場所にあるジュークボックスを見つけた。
「Qさん、あれって……もしかして音楽が聴けるんですか?」
「当たり前だ。カントリー、ブルーグラス、ブルース……その他なんでもござれ、さ。ただし地球時代の物に限るがな」
「ッ! それって犯罪なんじゃ――」
「――そうだな。禁制違反だ。だが……」
この街、
ヘックスが検閲した芸術作品以外には触れてはならない、という横暴で反自由的な禁制は〝第2の禁酒法〟と呼ばれている。
「……悪いことじゃないさ」
Qはそう言い切る。
「さて、リオン。俺は〝XYZ〟が飲みたい気分だぜ……?」
「えッ? あ、はい……どうぞ」
「よしマスター。〝XYZ〟に〝メニュー表〟、それと9mmパラベラム弾を9発分――」
――おおよそバーでの注文とは思えない単語が並び始めたそのとき、誰かが大声で店に入ってきた。入口のベルの音さえ聞こえない声量と共に。
「やっほー!!」
「保護者様のご登場じゃねえか。〝XYZ〟はおあずけだ」
「……んなこったろうと思ったよ」
来客の正体は年頃の少女だった。Qよりは若い容姿……だが、本当の年齢は乙女の秘密だという。
キャスケット帽にショートカット、スポーティーで身軽な恰好。見る者にボーイッシュな印象を与える。脚は――左右ともに『
イケイケな彼女は、Qともうひとり。小さい男の子を見つけて目を輝かせた。
こんな薄暗い場所であっても目をキラキラ輝かせられるのが、彼女の活力を物語っている。
「えー!! その子だれー!? ラヴいね〜」
「ここの客だ」
「えッ! 嘘でしょ!?」
「なに『信じられな~い』って反応してんだ。せめて店主がいないとこでやりやがれクソッタレ」
相変わらずリオンは黙ったまま。カウンター席でQの隣に座るリオン……の隣に、その少女は腰を下ろす。知らず知らずのうちに包囲網。
何が引き金となったのか、彼女のマシンガントークが口火を切る。
「はじめまして! アタシ、シュガー。ワケあってファミリーネームはないんだけど。Qと一緒に何でも屋やってまーす! Qって変な名前だよね。まぁアタシたちが名付けたんだけど。Qはそいつで、マスターは…………マスターって名前なんだっけ。そういえばQの本名も知らないや」
「知るかよ。ただひとつ確かなのは、マスターと呼べば返事をしてくれる。そうだろ?」
「ああそうさ。店が潰れちまえばそうもいかなくなるがな」
「そんなこと言わないでよ~。ここ以外に行く場所ないんだから。だからアタシはチェリーコークで」
3人の会話にリオンが割り込めるような隙はない。主犯はシュガー。
リオンから居心地の悪さを気取ったQが、リオンへの気配りを見せる。
「なんか飲むか? 奢るぜ」
「え……っと、それじゃあマスターさん。み、ミルクってありますか?」
「あるよ。マズいヤツがな」
マスターはリオンの意図を察してか、鼻で笑った。Qは知らぬ素振りで話を振り直す。
「さて、今夜は大変だったな……リオン」
「……はい」
Qとリオンの声色に同調して、シュガーが鳴りを潜める。ただ黙って視線を投げかけていた。
それが愛くるしい小動物のようで、かえって凶悪だった。黙っていてもうるさい。
彼女の思いを代弁するように、Qは問いただす。
「どうしてあんな掃き溜めにいたんだ」
「…………ある、お酒を探していました」
その時点で先は読めたQであるが、黙して続きを待つ。
「『ザ・カクテル』。絶望した人間に『
身を乗り出して聞いていたシュガーは固まる。Qは動じない。彼らはリオンの言う『ザ・カクテル』を知らなかったワケではない。むしろ、知りすぎていたからこそ固まった。
そして、深刻な表情でリオンに返した。
「……良かったな。お前さんのいるここは専門店だ」
「良かねえだろ。店主の俺が言うのも何だが、人を不幸にする〝溺れ薬〟だぜありゃァ……」
「うん……アタシもそう思う。あんな〝痛い目〟、リオンには見てほしくない」
それまで溌剌な声を響かせていたシュガーも、しおらしくマスターに同意する。3人はため息を吐き出してそっぽを向いた。
――〝溺れ薬〟、〝痛い目〟、散々な俗称を持つそれこそ、リオンが求めた『ザ・カクテル』だった。
リオンに対して否定的な風向き。しかし、リオンは立ち向かうように声を張り上げる。
「――それでもッ! 『
「『ねえと』なんだってんだ」
「……ないと、お父さんの
「ほ〜? 仇、ねぇ」
話の流れが大きく変わった。
仇、その言葉が持つ意味ははてしなく重い。
この場で誰よりも幼いリオンが、誰よりも暗い顔をしている。
3人は互いに目を見合わせ、その後、Qが口を開く。
「――右。お前さんのその右ポケットの中を見てみろ」
リオンは言われるがままに、ポケットの中にあった一枚の紙切れを取り出した。『Q』のカード。
「頼れる何でも屋さんは今夜どこにいる? Qって名前の飲んだくれの話さ」
「……Q、さん」
「ぼくは……ある男を探しています……」
ああ、とQは頷く。
「その男の名前は『ハリー』……『ハリー・チンタオ』。ぼくの父を殺した張本人です」
その瞬間、Qとマスターは固まる。リオンの言う『ハリー・チンタオ』を知らなかったワケではない。
むしろ、知りすぎていたからこそ、固まった。
「――『ハリー・チンタオ』を殺してほしいんです」
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