第1話
過去を洗い流すために酒を求めるのは愚かなことだ。
そんなこともまだ知らない彼は、いつもとは違う酒場へとやってきた。顔が知られている裏通りの店だと、禁酒の約束を交わした彼女にチクられてしまうから。
「My Way~~♪」
長身痩躯の青年は鼻歌を響かせながら、
ボサボサの青髪をおさえつけるヘッドホン、新品のようにキマった白いタキシード。いくら
サルーンの中の客たちはいっせいに彼を睨みつける。バーテンダーですらも険しい表情を投げかける。剣呑。
しかし、左右から浴びせられる敵意はどこ吹く風。風来坊。彼は最奥のカウンター席に腰を下ろした。
ヘッドホンを外し、一言。
「ミルク。冷えたやつ」
「プッ――アッハハハハ!!」
「おいおい! 今夜は
「フッ、何を期待されてるんだか……」
彼は笑ってみせるも、内心、引っかかりを覚える。
カウンター奥のボトルをじっと眺めた。酒を吟味しているのではない。瓶に反射する店内を見ていた。
常人には到底かなわない芸当。青年の両目は『
――そんな彼が目の当たりにしたのは、背丈からして10歳あたりの少年。男に組み伏せられている。バーの床に顔を押し付けられていた。
嘲笑、侮蔑、傲慢。ありとあらゆる悪意が少年へと向けられていた。彼を取り囲むテーブルに、歪んだ笑顔が浮かんでいる。見るに堪えない。
「さァ、まずは脱いでもらおうか……へへっ」
少年は今にも泣き出しそうだ。それにひきかえ、青年はひとりでに頷いて内心ほくそ笑む。
「
彼はそう小さくつぶやくと、グラスを口へ運んだ。想像以上に水っぽい味の薄さに驚いたとき、彼の背後がざわついた。
「こ、こいつ、銃をッ!!」
あの少年が荒くれに拳銃を向けていた。
荒くれから奪い取ったワケではないのは誰の目にも明らか。とすれば少年の私物だ。どうやって調達したのかまでわかれば、青年だって安楽椅子探偵で生計を立てていた。しかし、そうではない。
彼はミルクを一気に平らげて、席を立った。
「おい、そこのあんた。俺が相手だ」
彼は男たちに割って入って、少年に語りかけた。少年の銃口は彼に向けられる。
「あ? ンだよ兄ちゃん。今それどこじゃァ……」
「今から仕事をするんで、邪魔しないでくれるか」
「はァ? 仕事?」
「――ち、近づかないでください! う、う、う、撃ちます!!」
青年の仕事は探偵などという優雅なモノではない。彼は何も言わずに男をどかし、少年に手を差し伸べる。
身を屈め、少年と目線の高さを同じにした。
「こッ……来ないで!! うぁああああああああ!!!!」
「バカ野郎。撃ちゃいいだろうが」
青年は一切臆することなく、へたれた少年から拳銃を取り上げる。
少年には涙をこらえる力も残っていないらしい。糸が切れた人形のよう――切れたのは緊張の糸か。
「殺さないでください。ぼくは、まだ――」
「心外だ。俺がそんなに悪人面かよ?」
半笑いの彼は胸ポケットから紙切れを取り出す。たった1文字。『Q』と書かれたカードを。
彼は少年にカードを握らせた。
「な……何ですか。何なんですか、これ」
「俺の名前。何でも屋の
「………………リオンです。すみません」
「いい名前だ……だが、俺の名前のが覚えやすい」
リオンは戸惑いながらもQに同意する。あまりにも突拍子もない話だ。
不器用な笑みを浮かべるQとリオンの間に、男が割って入った。拳銃でQの頭を小突き、その銃口を出入口に向ける。
「『何でも屋』だか何だか知らねぇけどよ。用が済んだらとっとと出て行けよ。迷惑してんだこっちは」
「おろ……そうか、残念だな。行こうぜ。俺のこと知らないんじゃ張り合いないからな」
「待てよ! そいつは置いてけ。イマドキは全身生身のガキなんざ珍しくてお目にかかれねェからよ」
人身売買。身体的限界を超えるために開発された『
「バカ言えバカ野郎。働きやがれ」
「ンだとォ……!?」
「借りるぜ」
――それと同時に銃声がバーに轟く。張り詰めた空気は、一周回って破れたようにやわらかくなる。
「…………は? あ、ぐ、ああァあ~……!!」
男の人差し指はあらぬ方向に曲がり、拳銃は床に転がっている。
Qは何食わぬ顔でリオンのハンドガンを握っていた。
「なんだコイツ!? 『
「失礼しちゃうねぇ……ただの叩き上げだってのよ」
「――テメェッッ!!」
酒瓶を握った背後のゴロツキには、カンフーの要領で応じ、そして反撃する。
一発
「手前さん、カルシウム足りてねえんじゃねえの?」
「こいつ、
「違えよ。ただの自己流――人呼んで〝映画流拳法〟」
あっという間に2人を倒したQだったが、次なる脅威がスイングドアをぶち破って現れた。
制服を着た4人の男、それらを先導する赤い髪の女。計5人の役人たち。
「全員その場を動くな! ヘックス保安局だ!!」
「げ、保安局! しかも女かよ!?」
Qは先程までの余裕はどこへやら、突如としてやってきた保安局の〝女〟にうろたえた。他の客たちは、まるで自分たちが摘発されるかのような沈んだ面持ちで両手をあげる。
Qとは対照的に、リオンは彼女たちの姿を見て安堵していた。この場で保安局を味方だと思っているのは彼ひとり。
「よ、良かった……保安局だ……」
「バカ言え! 捕まるのはお前だ! ずらかるぞ!!」
「えッ、ちょ――!!」
Qはリオンの手を引き、強引にカウンターを飛び超えた。
保安局への通報をしたであろう店員を蹴飛ばし、裏口へ走る。
「動くな! 撃つぞ!」
「待てッ! 子供が相手だ!!」
赤髪の女が先陣を切る形でQとリオンの2人を追う。裏口を飛び出て、路地を表通りへ走った。
彼女は足が遅いわけではなかった。それどころか、余裕で保安局のエースになれる身体能力があった。
それなのに――――
「――くそッ!! 逃げられたか……!!」
裏路地から表通りへ。人々が成す街の胎動の中に。
彼らは消えたのだった。
ここはサイバーパンクの面影を残す
特に、混沌としたこの旧市街では、もはや足取りなど掴みようがない。
いくら大企業連合『ヘックス』の力が強くても、この街はヘックスの独裁に抗い続けている。下層に行くほど、ヘックスの光が届かぬ闇が広がる。
彼女はネオンサインに覆い尽くされる夜空を見仰ぎ、大きくため息をついたのだった。
「シーユーアゲイン。
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