第35話

 家に帰った俺は早速自分の部屋に入ると、本棚から卒業アルバムを引っ張り出す。結菜とは同じクラスではなかったから他のクラスのページを見ればいい。俺はアルバムを開きながら結菜の名前を探す。


「あった」


 見つけた和泉結菜という文字。そこには三つ編みに黒ぶちメガネをかけた地味な少女が映っていた。間違いない。この子だ。俺に告白してきた女子は。

 つまり結菜の好きだった相手というのは俺ということで、今もその相手を一途に想っているのなら結菜の好きな相手は俺ということになる。


「マジかよ」


 正直、衝撃が大きすぎて受け入れられる気がしない。結菜とはセフレだったし、兄妹になった。それ以上でも以下でもない。これまで結菜を恋愛対象として意識したことはなかったし、恐らくこれからもそれはない。だが、そうなると一方的に結菜の気持ちを知っているというのは、あまりにも心苦しい。

 どんな気持ちで俺とセフレの関係になったのか、どんな想いで今兄妹になっているのか。それを思うといたたまれない。

 俺は深く溜め息を吐くと、ベッドに横たわった。

 まさか結菜が俺のことを好きだったなんて。そんなの全く気付かなかった。俺を誘惑するのはあくまでセフレ関係を続けたいからだと思っていたし、俺をからかっているのかと思っていた。


「…………」


 もし結菜が俺のことを好きなのなら申し訳ないことをしたと思っている。俺はセフレ関係を割り切った関係だと考えていた。だが、結菜に未練を残すことになったのだとしたら、酷い仕打ちだ。

 俺はどうしたらいいんだ。結菜が心に封印している想いを勝手に引き出して振るというのはさすがにない。そんなことをすればせっかく家族として上手くやれてる現状が壊れかねない。

 家族なのにぎくしゃくするのは今後一緒に生活をしていくうえで気まずくなってしまう。


「俺はどうしたらいいんだ」


 そうやって頭を抱えていると、部屋がノックされる。ドアが開くと結菜が部屋に入ってきた。


「文化祭実行委員会の打ち合わせどうだった」

「ああ、順調だ」


 ダメだ。結菜と目を合わせられない。俺はポーカーフェイスが決して得意なわけじゃない。その違和感は結菜もすぐに察知する。


「ねえ、どうして目を逸らすの」

「いや、逸らしてなんかねえよ」

「嘘。逸らしてる。なんかやましいことでもあるんじゃないの」


 結菜が追及してくる。俺は言葉に詰まり、ますます結菜の疑いを深くしてしまう。

 それでも結菜に正直に打ち明けることなんてできなかった。お前に昔告白されていたのを思い出しただなんて口が裂けても言えない。結果、俺は黙秘を貫き、結菜は俺をジト目で睨んでくる。


「まあ、いいけど。私にも話せないことなんだなってちょっとショックかも」

「家族にだって秘密ぐらいあるだろ」

「バレたら相当まずいことなんだろうねー。まさか朱星ちゃんに手を出したとかじゃないでしょうね」

「それはない」

「ならいいけど」


 そう言って結菜は眉を潜める。怪訝な表情で俺の不自然な行動を訝しむが、俺も黙秘を貫いた。


「ごはんだから。下降りておいでよ」

「わかった」


 そう言って結菜は部屋を出て行く。俺は溜め息を吐き、ベッドに顔を突っ伏した。

 危ない。結菜が俺のことを好きだとわかった途端、見え方が変わってしまった。どうして俺のことなんか好きになったのかわからないが、今後は結菜が俺のことを諦める努力をしなければならないな。たとえば、嫌われるのが手っ取り早いだろう。

 俺は今後のことに頭を悩ませ、また溜め息を吐くのだった。



結菜視点


 穂高の様子がおかしい。今日学校では普通だったのに、学校から帰って来てから態度がよそよそしくなった。私と目を合わせてくれないし、どうも避けられている気がする。私自身には何も心当たりがないから正直戸惑っている。

 ご飯を食べた私はお風呂に入り、二階に上がると美奈に電話した。


「もしもし、結菜どうしたの?」

「美奈ー、ちょっと相談乗ってー」


 私は今日あったことを美奈に話す。

 話を聞いた美奈は少々思案すると、こんなことを言ってくる。


「それってもしかしたら好き避けってやつかもしれないよ」

「好き避け?」

「うん、結菜のことを女の子として意識し始めて、それで目が合わせられないとか」


 確かにそういうことがあると聞く。だけどそうだとしたらあまりにもきっかけに乏しくはないだろうか。私は特に何もアプローチしていないし、穂高が私を意識するきっかけがあったとも思えない。


「それは違うと思うな。そういうのじゃなくて、なんか普通に嫌われてるような、そんな感じがするの」

「嫌われてるねー。でも何もしてないんでしょ」

「うん、今日の学校では普通だった」

「なら、今日学校から帰るまでに何かあったと見るべきだね」


 とは言っても、穂高は朱星ちゃんと打ち合わせをしていただけだし。もしかして朱星ちゃんに何かを言われた? でも、いったいどんなことを言われたのだろう。

 穂高が女子に不信を抱いているのは知っている。その不信がそんな簡単に解けるとは思えない。だから十中八九、穂高は私をネガティブな意味で避けてると思う。だとしたら、何がきっかけなのだろう。私にはわからない。


「とりあえず、しばらく様子を見てみたら。すぐに元通りになるかもしれないしさ」

「確かにそうだね。うん、そうする」


 とりあえず様子を見てみるしかない。穂高が何を思って私を避けるのか、気になってしょうがないけれど。今は静観すべきだろう。


「それで、そっちはどうなの? あれから堀くんとは進展あった?」


 私がそう聞くと電話の向こうで親友が噴き出す音が聞こえたかと思うと、緩み切った声が返ってくる。


「う、うん。実は二人で遊び行こうって誘われた」

「おーやったじゃん」


 堀くんも隅に置けない。積極的に美奈にアプローチしている。これはカップル誕生も時間の問題かもしれない。


「うん、嬉しい。これも結菜のおかげ」


 中学時代の恋愛を引きずっているのは何も私だけではない。美奈もそうなのだ。まだ堀くんのことを一途に想っている。その一途さを私は応援したい。だって私と一緒だから。美奈の恋に自分自身を重ねてしまっているところはあると思う。

 だから美奈には幸せになってもらいたい。それが未来の自分の姿だと思いたいから。


「応援してるよ」

「うん、進展あったら報告するね」


 それからしばらく談笑し、電話を切った。

 美奈が幸せそうで私も嬉しい。だが、今は人の恋路よりも自分のことで頭がいっぱいだった。穂高のことが気になる。いったい学校で何があったのだろうか。

 私は朱星ちゃんに話を聞くことを決め、眠りにつく。

 明日の朝は早い。だけど、その日は眠れる気がしなかった。



穂高視点


 朝。誰かが俺を揺すっている。その鬱陶しさに俺は寝返りを打って抵抗する。

 すると、耳元に結菜の吐息がかかった。


「起きないと悪戯するよ」


 一瞬で目を覚ました俺は飛び起きて結菜を突き飛ばした。驚いた結菜は目を丸くして驚愕している。


「ごめんって。そんなに怒らなくてもいいじゃん」

「わ、悪い。びっくりして。寝ぼけてた」

「そ、そう」


 そういう結菜の目にはうっすらとクマができていた。


「昨日眠れなかったのか」

「誰かさんのせいでね」

「どういうことだよ」

「さあ」


 そうすっとぼけた結菜は部屋から出て行く。少しの気まずさの中で俺は着替えを済ませて一階に下りた。

 朝食の間、俺と結菜は一言も交わすことがなかった。結菜も思うところがあるのか、会話はまったく弾まなかった。

 由仁さんが心配して「喧嘩でもしたの」と訝しんでいたが、俺は苦笑するほかなかった。


 学校に着くと、打ち合わせ通り制服のデザイン変更についての署名活動を行う。校門で登校してくる生徒に署名を促すのだ。ほとんどの生徒は賛同し、快く署名をしてくれる。結菜の眩しい笑顔を向けられれば断るなんて選択肢は出てこないだろう。やはり結菜がお願いするのが効果覿面だった。人気のある久世も女子からの署名を多く貰っている。

 そして案外俺の元にも女子が集まってくる。署名をお願いすると笑顔を向けられ、「頑張って」と声を掛けられた。

 一方で班目と若月は芳しくなかった。もともと人付き合いの苦手な班目はまだしも、若月がここまで成果が出ないとは予想外だった。


「あたし、女子にも嫌われてますからねー」


 そういう若月に成果が出ないのは本人の言う通り女子に嫌われているのもあるのかもしれないが、男子に全く近寄っていかないところにあった。確か男子が苦手と言っていたが、俺には普通に接しているのでそんな感じがあんまりしないんだよな。

 結果、朝の署名活動だけで上々の成果は出せた。放課後も活動すれば全校生徒の三分の二程度の署名ならばすぐに集まるだろう。

 朝の署名活動を終えた俺は、さっそく若月に呼び止められる。校舎裏の人気の少ないところに連れ込まれると、若月から昨日のことについて問い詰められる。


「それで、どうだったんですか」


 若月に嘘は通用しないだろう。俺は昨日家に帰って見たアルバムの中身について若月に正直に打ち明けた。


「やっぱり結菜先輩の好きな人って先輩だったんじゃないですかー」

「信じられないがそうみたいだな」

「で、先輩はどうするんですか?」

「どうもしない。本人からは何も言われてないんだ。こっちから蒸し返すこともないだろう」

「じゃあもし告られたらどうするんですか」


 結菜に告白される。そんなことがあるのかもしれないと思うと、胸が痛む。今の俺は誰かと恋愛する余裕なんてない。相変わらず女子は信用していないし、結菜のことも恋愛対象としては見ていない。


「断るよ」

「先輩は男好きですもんねー」


 若月は安心したように胸を撫で下ろす。結菜の好きな人が俺とわかっても俺が結菜に手を出さなければ、若月が俺に危害を加えることもないだろう。


「予鈴鳴りましたし行きましょうか」


 若月に促され、俺たちは教室に急いだ。

 結菜に自然に諦めてもらうようにするには、やはり俺は恋愛をしないときっぱり宣言していく必要がある。そこを意識して結菜と接することにしよう。

 これから先のことを考えると頭の痛い俺だった。


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