第24話
ゆっくりと結菜がベッドに入ってくる。
ベッドの上の照明を調節する装置で照明を落とし、部屋を暗くする。
「それじゃ、寝ようか」
結菜はそう言うと、俺に背を向ける。俺は生唾を飲み込むと、俺も結菜に背を向ける。
俺は怪訝な表情を浮かべていたと思う。こんな時、結菜は真っ先に俺を誘惑してくるやつだった。少なくともこれまではそうだった。それがどうだ。早くもベッドに深く入り込み、俺に背を向けている。その結菜の態度に困惑した俺は、少しだけ頭を動かし、結菜の方を見る。
結菜は俺のほうなど一切気にせず、背を丸めて寝転がっていた。バスタオルのないところの柔肌が、俺の目に危険な刺激をもたらす。俺はすぐに頭を戻すと、目を瞑った。
正直、眠るにはまだ時間が早い。夕食も食べてないし、まだ寝るような時間ではない。普段なら今頃お風呂に入っている時間だ。
俺は早くも悶々とした時間を過ごしていた。この間も結菜が俺のベッドで寝たことはあったが、あの時とはわけが違う。ほぼ裸同然の姿で眠っている超絶美少女。男として、この状況を乗り切る算段が全くつかなかった。
俺だって男だ。これまで結菜の誘惑を何度も退けてきたが、我慢できない時だってある。俺は結菜の体が最高なのを知っている。ただその肉欲に負けてしまえば、家族として一緒に過ごすことができなくなると俺は恐れている。
「眠れない?」
結菜が背中越しに声を掛けてくる。
「まだ寝るような時間じゃないからな」
背を向けたまま、俺はそう答える。結菜が振り返り、体を寄せてくる。シャンプーの香りが鼻腔を擽り、脳内を危険な麻薬が犯していく。
「……する?」
「……しない」
俺は生唾を飲み込む。簡単に意志が揺らいでしまう。ここに来てから何度生唾を飲み込んだかわからない。それほど、危険な状態だった。
「じゃあ話をしようよ」
結菜はそう言うと、俺の背中を指でなぞり始めた。くすぐったさが身体を駆け巡り、俺の意識をピンクに染める。
「もともと今日は選挙の打ち上げだったからな。いいぞ」
「ううん、選挙の話はいいの。穂高のことを聞きたいな」
結菜はそう言って背中をなぞる指で円を描く。俺は身体を少し捩りながら、たまらず結菜の方を向く。
「あ、やっとこっち向いてくれた」
綺麗な顔がすぐ目の前にある。バスタオルの隙間から覗く谷間が、俺の視線を吸い寄せる。
「穂高って好きな人いるの?」
「いねえよ。なんでそんなこと聞くんだ」
不意に飛んできた結菜の質問の意図がわからず、俺は混乱する。
「ほら、穂高って私を頑なに抱かないじゃない。それは好きな人ができたからなんじゃないかって」
「的外れだ。俺は女を好きになることはない」
「どうして?」
不思議な空間だった。今なら俺の心の内に巣食った闇を、打ち明けてもいいような気がする。というかずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「俺は、女が信用できないんだよ」
気付けばそう呟いていた。一度吐き出した言葉は元には戻らず、俺はつらつらと、自身の抱える闇を結菜に打ち明ける。
「父さんは家族を大事にする人だ」
「それは見てたらわかる。ママ、いい人と結婚したなって思う」
「だけど、俺の母親は不倫をして父さんの信頼を裏切った。それどころか、俺たちを捨てて出て行ったんだ」
父さんは確かに仕事は忙しかったけど、休日は家族サービスを充実させていた。それは子どもながらにはっきりと覚えている。そんな父さんを裏切った女が俺は許せない。どれだけ尽くしても最後には裏切られると思うと、俺は女を信用できない。
「なるほどね。穂高、お母さんのこと大好きだったんだ」
「は?」
見当違いのことを言われ、俺は咄嗟に怒気を孕んだ声を出してしまう。
「それは違うね。あんな女のこと好きなものか」
つい強い口調になってしまう俺の頭を撫でた結菜は、優しい微笑みで俺を諭す。
「好きだったんだよ。じゃなきゃ、許せないなんて気持ちにならない。嫌いだったらどうでもいいやってなるもの。それなのに穂高は今でも引きずってる」
「それは……」
確かに俺は今でも子どもの頃のことを引きずっている。女と普通の恋愛関係になれないぐらいに。
だが、いざそう言われると反発したい気持ちが強く出てしまう。
「好きだったから、裏切られて許せないって思ったんだよね。そのショックが大きすぎて、女性不信になってしまった」
俺は母親のことが好きだったのか。子供の頃のことだ。あまり良く覚えてはいない。ただ、今でも許せないという気持ちは心の奥底に眠っている。
それはつまり結菜の言う通りということで、図星だった。
「でも、なんとなくわかったな。穂高と距離を感じる理由」
「距離、感じるか」
「うん。セフレだった時も、今も穂高には壁があるように思う」
壁を作っていたとしたら無意識だ。俺は結菜のことをセフレだとしか認識していなかった。確かに凄く可愛い女子だが、セフレ以上の関係を考えたことすらなかった。それが父さんの再婚で兄妹という関係にランクアップした。俺はこの関係を壊したくない。今度こそ、壊したくはないのだ。
だから無意識に、結菜に壁を作っていたのかもしれない。今度はこの家族を壊したくない。
「そんなつもりは無かった。もしそう感じているのなら改める」
「いいよ。心に抱えた問題ってそう簡単には解消できないからね」
結菜はからからと笑うと、俺の胸に手を置いた。
「私は裏切らないよ。穂高が望むならずっと家族でいてあげる」
真っすぐな瞳が俺の瞳を捉えて離さない。
「だから私のこと、疑い続けて。穂高が信用できないのはわかったから、疑って疑って、私のこと見続けて」
「そんなのお前に悪いだろ」
「いいの。私は穂高に見てもらいたいから」
結菜のその言葉に、俺は言葉が出てこない。結菜を疑っているつもりはない。選挙のパートナーになって、こんなにも真っすぐな奴を俺は知らないとさえ思った。信じる信じないで言えば、俺はパートナーとして結菜のことを信頼しているだろう。
だが、それでもやはり結菜はどうしようもないぐらい女だ。その魅惑的な身体で男を誘惑し、その愛嬌が男の庇護欲を掻き立てる。どうしようもないぐらい女を見せつけられると、俺の心のトラウマが蘇ってしまう。
俺は結菜を信頼しているのに、信用していない。それがわかっているから、申し訳なくて言葉が出てこないのだ。
「私、もう穂高に抱いてって言うのやめるね」
不意に結菜がそう言ってくる。
「そういうところが、穂高が女を信用できないところなんだと思うし、自重する」
「それはありがたいが」
「その代わり、穂高から襲ってきたら知らないからね。今とかやばいんじゃない」
「正直、死ぬほど我慢してる」
「あーあ。今押せばできるかもしれないのになぁ」
結菜はくすくすと笑うと、俺の胸から手を離した。
「穂高の話が聞けたから、私のことも話していい?」
「ああ、聞いてもらったからな。俺も聞いてやる」
「私、合コンで穂高と会った時、失恋したって言ったじゃん?」
「言ったな」
合コンで初めて結菜と出会った時、失恋したと言って俺をベッドに誘った。それは覚えている。
「実はまだその恋諦めてないんだ」
「そうなのか」
「うん。まあ今のところ全く脈無しなんだけどね」
結菜は苦笑する。恋愛をしたことがないから俺には何もアドバイスはできないが、結菜は結菜で頑張っているんだな。
「うちの学校のやつか」
「まあね」
「お前程可愛くても落とせない男がいるんだな」
「穂高、私のこと可愛いって思ってるんだ」
「誰がどう見てもお前は可愛いよ」
結菜は可愛い。アイドル顔負けの可愛さだと思う。これは俺の主観じゃない。客観的な声だ。うちの高校で結菜を可愛くないと称する男は恐らくいないだろう。それは結菜の圧倒機人気が証明している。
結菜は目を丸くして、きょとんとしている。
「まさか穂高に可愛いって言われるなんて」
「俺だって可愛いぐらいは言うぞ。馬鹿にするな」
「ごめんごめん、ちょっと意外だったから」
こんな可愛い女子が妹になって誇らしくさえある。
結菜は咳払いを一つ挟むと、話を続ける。
「えっとね、中学の時告白したんだけど、あっさり振られちゃって。私すっごく努力したの。見返したくて。可愛くなったと自分でも思うし、私頑張ったと思う」
「お前が可愛くなかった時なんて想像できない。今はそれぐらい圧倒的に可愛いよ」
「ありがとう。私ね、その人のこと凄いなって思って見てたの。目立たないんだけどみんなが嫌がることを率先してやってて、私自身助けられたこともあって。いいなって思ったの。凄く優しい人なんだなって思った。気付いたらその人のこと目で追うようになってて、好きになってた」
「羨ましいな。俺は恋をしたことがないから、その感覚がわからない」
結菜が好きになる男だ。きっととてつもなく優しい男なのだろう。
「でね、同じ高校に行きたくて勉強頑張って同じ高校に入れたの。だから再会した時、可愛くなった私を見て思い出してくれたらもう一回告白しようって思ってたんだけど」
「覚えられてなかったのか」
「うん。綺麗さっぱり忘れ去られてた。だから悔しくて、それで穂高に慰めてもらったんだよね」
「お前が真っすぐだってことはよくわかったよ」
「うん。聞いてくれてありがと。だからその人にちゃんとアピールする為に、私はこれからも頑張る。だからもう穂高とのセフレ関係は解消する」
「俺はとっくに解消したつもりだったけどな」
「私、穂高に甘えてたんだよね。ごめんね」
結菜はぺこりと頭を下げてくる。
俺はその頭をぽんぽんと軽く叩くと、微笑んで言う。
「俺も結菜には甘えてた。ありがとな」
「うん。へへ、円満な別れだね」
「そうだな」
「だから穂高も私に欲情しちゃダメだからね」
「わかってるよ」
話は終わった。互いのことを話すのってこんなにも気持ちが軽くなるんだな。
結菜への壁は壊れたと思う。俺は結菜を誰よりも信頼しているし、これから兄妹としてうまくやっていけるだろう。
「それじゃ、おやすみ」
結菜が背を向ける。
広いベッドの端に移動し、俺も背を向けた。
安心したらすぐに眠気が襲って来た。俺は眠気に身を任せ、ゆっくりと瞼を下ろすのだった。
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