第21話
新聞部に結菜とのツーショットを撮られてから一週間が過ぎた。
結菜と俺が付き合っているという疑念は嘘のように消え失せていた。悪い意味で選挙への影響はなさそうだ。それどころか、兄妹で選挙なんて応援したいと言う声がちらほらと上がっている。むしろ、あの事件は結菜を会長へ据える為の追い風になったようだ。
そして今日はいよいよ投票前演説の日。俺たちの運命が今日決まる。
今日の大一番を迎えるにあたり、結菜は相当気合が入っているようだった。なにせ、朝からトンカツ(お弁当にも入れたらしい)を食べていたぐらいだ。
学校に着いてからも、結菜のスイッチは入りっぱなしですれ違う生徒に声を掛けられては笑顔で対応している。
「おい、今からそんなに飛ばして大丈夫か」
「大丈夫! 今日だけは誰にも負ける気しないから」
笑顔でそう応える結菜に、若干の不安を覚えなくもない。走りすぎないように俺が調整役に回るべきだろう。
「とにかく今は休め。本番はまだなんだから」
「わかったよぉ」
少ししゅんとして結菜が頬を膨らませた。まるで子犬のようだ。その様子に庇護欲を擽られる気がするが、それは全力で押し込めた。
今は昼休みで、最後の息抜きの時間だ。今日は昼の放送は休みだが、部長が気を使って放送室を貸し出してくれた。結菜には少しでも肩の力を抜いてほしい。そう思い、俺は購買で買ってきたアイスを結菜に提供する。
「ほれ、奢り。これ食べて肩の力抜けって」
「ありがとう」
結菜はアイスを受け取ると、木のスプーンで一口口へと運ぶ。
「おいしい」
そう呟くと、黙々とアイスを口へ運ぶ。
少しは肩の力が抜けたようで安堵する。結菜は人前に立つことに抵抗を感じないだろうが、場数は踏んでいない。本番でいきなり壇上に上がって舞い上がってしまうことも十分に考えられるからな。
その緊張を少しでも解すのが俺の役目だ。
まあ、俺も壇上に上がることに緊張がないといえば嘘になるが、それでも本命は結菜の演説だから気が楽なものだ。
昼休みが終わると同時に、体育館に移動し、投票前演説が始まる。
チャイムが鳴り響き、昼休みが終わる。俺たちは互いにアイコンタクトで頷き合うと、ハイタッチを交わした。
「頼むよ、相棒」
「任せろ、結菜」
二人して放送室を出る。そのまま体育館に移動し、選挙管理委員会の生徒の前へと歩み寄る。
「それでは事前説明を始めます。司会に呼ばれたら、まずは久世さんから演説をお願いします。続いて和泉さん。その後、班目さん、安城さんの順に応援演説をお願いします」
選挙管理委員会の生徒の説明を聞きながら、結菜がカンペを何度も読み返していた。やはり本番が近くなってきて、結菜も緊張してきたのか、少しだけ表情が硬い。
俺は結菜の脇腹を小突いた。
「ひゃっ……!」
可愛い声を上げ、結菜が飛び上がる。選挙管理委員会の生徒の咳払いが響いた。
「ちょっ、なにするの!」
結菜が小声で批難がましい目を向けてくる。
「ちょっと表情が硬かったからな。いい顔になった」
「そっか。ありがとう」
司会に呼ばれ、久世が壇上に上がる。大きな拍手で迎えられた久世は堂々と演説を始める。
「生徒会長に立候補しました、久世壮亮です。僕はこの学校をみなさんが誇れる学校にしていきたいと常々思っています」
そう切り出された演説は、淀みなくすらすらと語られていく。
さすがは久世壮亮。カンペを見ずに、生徒たちに語り掛けるような口調で演説を繰り広げている。
その圧倒的カリスマに、場の空気が支配されていく。誰もが思っただろう。生徒会長は久世壮亮が相応しいと。割れんばかりの拍手を受けて、久世が壇上を下りる。
先攻を譲ったのは痛かったかもしれない。俺たちに選択権がなかったとはいえ、こればっかりはツキがなかった。
結菜を見ると、肩が小刻みに震えていた。直前の久世の演説が効いたようだ。プレッシャーを感じているのだろう。
もう俺は手出しできない。あとは結菜がやり遂げるのを祈ることしかできない。
司会に呼ばれて結菜が壇上へ向かって歩き出す。
その際、ひらりと紙が舞い落ちた。カンペだ。結菜はカンペを落としたことに気付かずに壇上へと歩いていく。
壇上にが上がった結菜はスカートのポケットをまさぐっている。だが、カンペが無いことに気付くと、顔が真っ青になった。
「では、始めてください」
「あ、はい……」
意気消沈した顔で、結菜が俯く。
くそっ、こんな時に何もできないのか、俺は。歯痒い気持ちを噛み殺しながらせめてもと心の中で声援を送る。
結菜が顔を上げて前を向く。
「私は生徒会長に立候補した和泉結菜です。アクシデントでカンペを失くしてしまったので、自分の言葉で話します」
久世の後ということもあり、結菜のプレッシャーは計り知れない。それでも結菜は懸命に言葉を紡ぐ。
「私みたいな赤点常連の生徒が会長なんて相応しくないんじゃないか、そう言われることもわかっています。ですが、私はみなさんと共にこの学校を楽しくしていきたいと思っています」
結菜はできるだけ笑顔を意識しながら、生徒たちの目を見る意識で語り掛ける。久世ほど上手くはできないだろうが、それでも生徒ひとりひとりの心に語り掛けているというのは伝わってくる。
「青春は一度きりです。そのたった一度の青春を素晴らしい思い出にしたい。卒業してからも高校時代良かったねって、みんなが思える学校にしていきたいと思います。私一人の力じゃなく、みんなでこの学校を楽しくしませんか」
カンペを失くしてしまったことで、予定していたよりも大幅に演説時間が短くなってしまった。だが、アクシデントのあった中、よく頑張ったと思う。俺はひとり小さく拍手を送った。
壇上から下りてきた結菜は笑顔で生徒たちに手を振って退場してきたが、その目には涙が光っていた。
「ごめん……失敗しちゃった」
悔し涙を流す結菜に、俺はそっと頭に手を乗せる。
「よくやった。後は任せろ」
残すは応援演説のみ。班目が呼ばれて壇上に向かっていく。俺はカンペを破りポケットに入れる。原稿の内容はだいたい頭に入っている。勝ちにいくには作り物の言葉じゃ駄目だ。
覚悟を決める為に、俺はカンペを捨て去った。
結菜が驚いた顔をするが、俺は無視して前を向く。
班目の応援演説が終わり、退場してくる。
そして、俺の名前が呼ばれた。
「いってくる」
壇上に上がった俺は生徒たちを睥睨すると、マイクを手に取った。
「副会長に立候補しました安城穂高です。僕が和泉さんとペアを組んだ理由、それは学校が楽しくなる姿が想像できたからです」
結菜は一貫して楽しい学校づくりを目指している。それを生徒たちに共感させるには、実際に楽しい姿を想像させる必要がある。
俺はそこで全校生徒に微笑みかけると、言葉を紡いだ。
「和泉さんが会長になったら楽しいに決まってますよね。だってめちゃくちゃ可愛いじゃないですか。こんな可愛い女の子がみんなと一緒に楽しい学校づくりをしたいって言ってる。応援したくなりませんか。最後の演説でちょっと失敗しちゃったけど、そういうところも可愛げがあると思いませんか。だからこそ支え甲斐がある。うちの和泉が言いたいことはひとつだけです。みんなで最高の学校にしよう! 和泉が会長の間はきっと楽しい学校生活になるでしょう。というか、みんなで楽しくしましょう」
砕けた口調で生徒に語り掛ける。固い口調よりも、生徒との距離感を詰める方が、俺たちには勝機がある。
「先日、俺と和泉が兄妹であることを公表したんですけど、同じ家に住んでるからわかります。和泉はめちゃくちゃ周囲を明るくしてくれるやつだと。いるだけで楽しい気持ちにしてくれるアイドルみたいなやつだなって。みんなでこのアイドルを応援しよう。勉強の方は俺が教えるし、これからの和泉結菜の成長をみんなで見守っていこう」
そこまで話し終えて、俺はマイクを置いた。
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が、体育館に響いた。中には指笛を吹く生徒もいた。
特に男子生徒の心には響いたようで、野太い歓声で埋め尽くされた。
退場した俺を待っていたのは、目を腫らした結菜だった。
「なんで泣いてるんだよ」
「だって、だってぇ……!」
結菜はさらに涙を流して俺を出迎えた。
「やられたよ」
久世がそう言って近寄ってくる。
「警戒すべきは君の方だったか」
久世は苦笑しながら握手を求めてくる。
「いい演説だった」
「そっちこそ」
俺は久世と握手を交わした。
久世の隣に立つ班目も複雑な表情で声を掛けてくる。
「完全に場の空気を支配していましたね。私には真似できません」
「班目には班目の良さがあるよ」
「あなたにはかないません」
班目はそう言うと薄く微笑んだ。班目が笑う姿を初めて見たな。
投票前演説が終わり、生徒たちが教室に戻り投票に移る。俺たちもそれぞれの教室に戻り、待機することになる。
教室に戻ると、クラスメイトが大歓声で俺を出迎えた。
「安城、凄かったな! 俺、びびってきたぜ」
「マジでな。俺、絶対和泉さんに入れるから」
男子生徒が興奮気味にそう言って席に戻っていく。正直注目されるのは今でも苦手だが、結菜の為に一肌脱いだ甲斐があったようだ。
初めてこんなに注目された。やはり他人の視線は気持ちが悪い。だが、不思議と不快な気分ではなかった。
「お疲れ」
「おう」
一輝が手を掲げたので、俺はそこにハイタッチをする。この選挙は一輝にもかなり手伝ってもらったし、またいずれ礼をしないとな。
やれることはすべてやった。後は結果を祈るだけだ。結果発表は明日の朝のホームルーム。どんな結果になっても悔いはない。
俺は結菜の喜ぶ顔が見たいと思った。さっきは泣いていたがあれが喜びの涙だということはさすがにわかる。あの涙をもう一度見たいと思うのは、俺が結菜の兄だからだろうか。
セフレだった結菜が妹になり、一緒に選挙戦を戦うパートナーになった。相手のことを全く知らなかった時と比べれば、物凄い進歩だ。これからもこんなことがあるのだろうか。あるんだろうな。俺が結菜の兄である限り。
俺は薄く微笑むと、文庫本に目を落とした。
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