第19話

 翌日、朝学校に行くとあちらこちらから視線を感じる。やはり昨日の視線は俺の勘違いだったのかもしれない。注目度が上がったことで、見られることが増えただけのようだ。

 教室に入ると、一輝が朝練を終えた後らしく、タオルで汗を拭っていた。


「おう穂高。おはよっす。昨日は凄かったらしいな」

「討論会のことか?」

「ああ、野球部でも噂になってるぞ。和泉さんと安城が久世たちに一歩も引けを取らなかったって」


 どうやら昨日のことは早くも噂になっているらしい。

 俺としてはこの結果は上々の成果なので、内心ほくそ笑む。


「特に穂高が王子様みたいだったって女子が色めきだってる」

「なんで俺が」


 そんな目立つようなことをした覚えはない。せいぜい久世と討論を交わしただけだ。


「久世と真っ向勝負する姿が良かったんだと」

「なるほど」


 どうやら久世は戦った相手すら格好良く見える魔法がかかっているようだ。

 今まで女子にまったく注目されなかった俺が噂になるとは。


「まあ和泉さんの人気はもともとあるし、選挙戦に突如現れたヒーローって感じじゃないのか」

「そんなつもりはないが」


 そんな風に一輝と話していると、クラスメイトの女子が話し掛けてきた。


「あの、安城くん。今日の放課後、ちょっと話があるから体育館裏まで来てもらっていい」

「ああ、別に構わんが」

「それじゃ、約束だよ」


 それだけ言って女子は自分の席に戻っていった。

 まさかとは思うが告白か。この流れは告白だよな。選挙に出るだけでこんな効果があるのか。


「モテモテだな、穂高」

「勘弁してくれって感じだ」


 俺は女子とは付き合う気はない。告白もできれば避けたいというのが本音だ。誰だって人を傷つけるのは抵抗あるし、できればやりたくない。

 今までそういう経験があまりなかったこともあり、俺は憂鬱な気分になる。

 そういえば一度だけ、俺に告白してくれた女子がいたな。名前はなんだったか。中学の頃だったが、確か眼鏡をかけた地味な女子だった。結局、断ってしまったが真剣に想いを伝えてくれたのは嬉しかったのを覚えている。

 今回はそういうのと少し違う気がする。お祭りに浮かされただけだろう。だから俺の心は動かない。


 放課後、俺は言われた通り体育館裏へと来ていた。ここに来るのは先日から数えて二度目だ。班目の恋路に付き合って来たんだったな。というか、ここはうちの学校の告白スポットなのか。

 しばらくそこで待っていると、今朝話し掛けてきた女子がやってきた。


「来てくれてありがとう」

「おう。それで話って」

「えっとさ、安城君って誰か付き合っている人とか好きな人とかいる?」


 この話の流れは絶対に告白の流れだ。俺は内心溜め息を吐きながら、正直に答える。


「いや、いないけど」


 女子の顔が一瞬華やぐ。そして、その言葉を告げる。


「じゃあさ、私と付き合ってくれない?」


 正直、クラスメイトだし名前を憶えていないのは俺が悪いのだろうが、付き合おうとは思わない。俺は正直に自分の気持ちを告げる。


「悪いな。それはできない」

「なんで。付き合っている人も好きな人もいないんでしょ」

「今、そんな気分じゃないんだ。悪いな」

「ひょっとして和泉さんのことが好きじゃないの?」

「それは違う。俺は今女子と付き合う気がないだけだ」


 ある程度、結菜の名前を出されることは覚悟していた。だが、いざ出されると結菜に申し訳ないなという気持ちになる。

 俺の回答に女子は納得できないのか、尚も食い下がってくる。


「女子とは付き合わないってなんで? 普通高校生の男の子って女子と付き合いたいんじゃないの」

「女子が苦手なんだ。こればっかりはどうしようもなくてな」


 できるだけ自分の気持ちを正直に話したつもりだ。

 だが、女子はとんでもない勘違いをした。


「まさか、男の子が好きってこと?」

「……は?」


 咄嗟のことで声が出てこない。何を言われたのか理解に苦しむ。俺が混乱する間にも、女子は独自の思考で勝手に結論を出してしまう。


「そうなんだ。まさか堀くん。いつも一緒にいるもんね。そうなんだ。男子が好きなんだ」

「えっと、いや、そうじゃなくて」

「わかった。安城くんのことは諦めるよ。厳しい道のりだと思うけど頑張ってね」


 女子はそう言ってサムズアップすると、踵を返して立ち去った。

 あっという間の出来事で、否定する機会を失ってしまったが、まあ別に大事にはならないだろう。

 女子との邂逅を終え、俺は結菜の待つ教室へ向かう。


「お疲れ。どこ行ってたの?」

「いや、ちょっと女子に告白されてた」

「え、嘘?」


 結菜は手で口を押えると、驚きの声を漏らした。


「え、マジか……結構告白されてるって感じ?」

「いや、これで二度目だ。中学の頃に一回あっただけだな」


 そう言うと結菜は固まった。小さく「覚えてたんだ」と呟くと質問を続けてくる。


「どんな子? 可愛かった?」

「さあ、よく知らん。可愛かったんじゃないか」

「何その曖昧な答え」

「だって興味ないし」

「まあ、そんなだから安心はできるけど」


 結菜はそう言うと、机に突っ伏した。実際、相手の女子には微塵も興味がなかった。セフレになってくれというなら考えなくもないが、付き合ってほしいと言うのは流石に無理だ。


「でも、うちのクラスでも穂高のこと聞かれたんだからね。紹介してほしいって」

「勘弁してくれ」

「うん、嫌がると思ったから全部断った」

「助かる」


 正直、これ以上女子と関わったら胃がもたない。

 ストッパーになってくれている結菜に感謝しつつ、俺は話題を選挙に戻した。


「昨日の討論会は凄く良かった。学校のあちこちで噂になっているのは上々の成果だろう」

「うん、昨日のことについてクラスでめっちゃ聞かれたしね。いい傾向だと思うよ」

「あと俺たちにできることは投票前演説ぐらいだ。これで全てが決まる。演説は会長候補のお前と、俺の応援演説がある。互いにいい演説をして、勝とう」

「オッケー。じゃあ演説考えなきゃだね」


 結菜はそう言うと、白紙の用紙を取り出すとシャーペンを手に持った。


「文章考えるの正直苦手。穂高が考えてくれない」

「こういうのは人が考えた文章より自分で考えた文章の方が大衆の心に響く」

「わかってるよ。冗談だって」


 それからしばらく二人して演説の内容を考える。俺はこういった作業は得意なので、すらすらと文章が浮かんでくる。結菜のことを応援すればいいだけなので、俺が普段感じてる結菜のいいところを書き連ねるだけだ。

 一方の結菜は苦戦しているようで頭を捻りながら四苦八苦していた。


「もう下校時間だ。残りは家でやるぞ」

「ううーわかった」


 机に突っ伏しながら返事をする結菜の肩を叩きながら、俺は帰る準備をする。

 気になるのは昨日の視線が今日もあるのかということだが、今日もいるようなら流石になにか対策を考えねばならない。

 学校を出ると、いつもなら結菜とは距離を取るところだが、今日ばかりは一緒に帰ることにした。

 視線が結菜のストーカーなら一人で帰すのは危険だし、俺がついていたほうがいいだろう。


「どう? 今日はいる?」

「いや、今のところ視線は感じない」


 昨日のようなまとわりついてくるような視線は今日は感じない。やはり俺の勘違いだったのか。

 俺と結菜が一緒にいるところを珍しいと思った輩が見ていただけなのか。

 まだ油断はできないが、視線がないのは安心できるだろう。

 そのまま家に着くまで視線を感じることはなかった。

 俺はほっと胸を撫で下ろすと、玄関のドアを開けた。


「おかえりなさい」


 ちょうど玄関にいた由仁さんが俺たちを出迎える。


「ただいま」

「ただいまっす」


 帰宅の挨拶を済ませ、俺たちはそれぞれ自分の部屋へ移動する。制服を脱ぎ捨て、ハンガーにかけると、部屋着に着替える。

 由仁さんが、お風呂が沸いていると言うので、俺は先にもらうことにする。一階に下り、脱衣所で服を脱ぎ捨て生まれたままの姿になる。浴室に入ってお湯で体を流し、ボディーソープを手に取る。

 ボディソープを手に取り、体を念入りに洗っていく。九月とはいえ、まだまだ暑い。日中汗をかいたことだし、念入りに洗わないとな。シャワーで洗い流し、シャンプーを手に取った。頭も同じ要領で念入りに洗い、湯舟に浸かる。

 この風呂の時間が俺は好きだ。一日の疲れを洗い流すこの時間が俺の疲れた神経を癒してくれる。

 風呂を出ると、ドライヤーで頭を乾かし、自分の部屋へと戻る。そこでふと違和感に気付いた。

 部屋のドアがわずかに開いている。俺は風呂に行く前にきちんとドアを閉めて出たはずだ。誰かが侵入した?

 俺はこっそりとドアの隙間から中の様子を窺う。


「穂高の制服……」


 結菜が俺の制服を前に固まっていた。何をする気なのかとしばらく観察していると、結菜は俺の制服に顔を突っ込み始めた。


「くんくん、穂高の匂いがする。男臭い。こんな匂いなんだ」


 まさか俺のいない間にこんなことをしていたとは。俺は結菜に注意しようとドアを開けようとすると、結菜は突然股を擦り合わせ始めた。


「なんだかムラムラする……」

「待てーい!」


 俺は慌てて部屋の中へと飛び込んだ。


「あ、穂高。いや、これは……」


 結菜はばつが悪そうに顔をしかめる。


「何やってんだよ。人の制服の匂いかいで」

「えっとね、選挙の演説の原稿、穂高の部屋で書こうと思って入ったら、気になっちゃって」


 それで良からぬ気分になっていたと。とんでもない女だ。


「でも、この部屋も悪いと思う。男臭いんだもん、この部屋」

「当たり前だろ。お前の部屋だって女の匂いするじゃねえか」


 今でも結菜の部屋は落ち着かない。その逆だと思えば、別にそこまで怒っているわけじゃないが。


「穂高が抱いてくれないから溜まってるの」

「そういうことを言うなって」


 俺も我慢できなくなるから。

 結菜はてへっと舌を出すと、ウインクしてくる。


「ごめんね。じゃあ、演説の原稿に取り掛かろう」

「真面目にやれよ」


 俺は結菜の頭を小突きながら、自分も原稿を取り出す。


「何書いてるのか見てもいい?」


 結菜が俺の原稿を覗き込んでくる。


「ダメだ。恥ずかしい。本番のお楽しみにとっておけ」

「ちぇーけち」


 そう言って結菜は自分の原稿に取り掛かる。

 その日は遅くまでかかったが、結菜も俺も原稿を完成せた。


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