第18話
「久世くんに質問です。平均点の底上げを目指すのであれば、もっと具体的な政策があってもいいと思いますが、その辺はどうですか」
俺の質問に久世はマイクを取ると、にこやかな微笑みで答える。
「もちろん、他の政策もしていくべきと考えます。それよりも、和泉さんは成績が芳しくないと聞き及んでいます。成績が悪い者が勉強をしようと訴えかけても誰もついてはこないのでは?」
カウンターを食らった。やはり久世は一筋縄ではいかないか。
「逆です。成績が悪いからこそ、頑張る姿にみんな心打たれるのです。和泉さんが勉強会を開けば、集まる生徒はきっと多いでしょう」
「それは希望的観測ではありませんか。やはり上に立つ者はみんなの模範になれる生徒であるべきだと考えます」
「和泉さんはみんなの模範になれる生徒だと僕は思います。全力で学校生活を楽しむ姿、それこそうちの学校に相応しいと思います」
久世が思案する。久世の目指す学校は優秀で、周囲から評価される学校だ。だが、結菜は違う。通っている生徒が楽しめるような学校を目指している。もし結菜が目指す形が久世と同じだったら、結菜に勝ち目はなかっただろう。だが、違う形を示してやることで、結菜の魅力が増す。
十分にそのことは生徒にアピールできただろう。
大きな公約の違いは、やはり恋愛に関する部分。あとは生徒がどちらを評価するかどうかの話だ。
「質問がもうないようでしたらこれにて討論会を終了しますが、どうでしょうか」
司会の問い掛けに久世と結菜がが頷く。
「それでは討論会を終了します。お疲れ様でした」
こうして討論会は無事に終わった。生徒の反応を見る限り、始まる前より結菜に興味を抱いた生徒は多そうだ。あとは討論会を見に来ていない生徒にこの噂が広まれば、上々といったところだろう。
「お疲れー!」
結菜が飛びついてくる。俺はそれを手で制しながら、微笑みかける。
「お疲れ。上手く喋れてたな。噛んだりもしなかったし緊張をまったく感じなかったぞ」
「緊張したよ。すっごくね。でも、負けたくないって思ったら頑張れた」
班目との討論は本当に結菜の勝ちだったと思う。それは生徒の反応が示している。
「今日は打ち上げ付き合ってよね」
「マジか」
「そんな嫌そうな顔しない。がんばったんだから労ってよ」
というわけでなんか知らんが打ち上げに付き合う羽目になった。何かと理由を付けて俺を遊びに誘ってくるな。友達いないのか。
討論会を終えた俺たちは学校を後にする。
「で、どこ行くんだ」
「無性に今謡いたい気分なんだよね」
カラオケか。正直俺はカラオケは苦手だ。人前で歌うというのがあまり得意ではない。
しかし、結菜は上機嫌だし、このまま付き合うのがいいだろう。
店に着くと、結菜は鼻歌を歌いながら入店する。店員に時間と機種を確認されたので、二時間の利用で機種はなんでもいいと答えておいた。高校生なら学生料金でドリンクバーがついてワンコインで二時間潰せる。カラオケは学生にとってありがたい店なのだ。
ドリンクバーでグラスにジュースを注ぐ。結菜はカルピスで俺はジンジャエールだ。
部屋に入ると室内が暗かったので証明を調整する。
「そうだ、せっかくだし採点勝負しようよ。勝った方が負けた方に言うことひとつ聞いてもらえるってことで」
「別に構わないが」
採点勝負を吹っかけてくるってことは、結菜はカラオケに自信があるようだ。
「先手必勝!」
そう言って結菜はデンモクを操作し、曲を入れた。曲のタイトルが表示され、イントロが流れ始める。流行りのアイドルソングのようだ。
結菜は立ち上がるとダンスを踊りながら華麗に歌う。その歌声はさながら本物のアイドルのようで、俺は思わずタンバリンを叩いて盛り上げた。結菜はますます乗って来たのか、くるっとターンを披露する。明るい声でサビを歌い上げ、最後はびしっとポーズを決めた。
俺は思わず拍手をしていた。
「凄いじゃないか。振付も完璧で」
「好きだからね、踊りながら歌うの」
採点結果は九十点を示していた。結菜はどんなもんだと鼻を鳴らしながらどや顔で俺を見る。俺は適当にアニソンを入れると、立ち上がる。歌う時は立って歌わないと声量が出ない。イントロが流れ始め、最初の歌詞を口ずさむ。
「え……」
結菜が驚いたように目を見開いた。俺はメロディーに乗って勢いよく激しいテンポの曲を歌い上げる。サビの高音が難しい歌だが、なんなくこなす。それを聞いていた結菜が感嘆の声を漏らした。
「ちょっと、聞いてない。歌上手いじゃん」
「人前で歌うのは苦手なんだが」
「じゃあ一人で歌ったらもっと上手いってこと? 信じられない」
実際、いつもの調子では歌えなかった。結菜に見られているという緊張もあったし、体に少し力が入りすぎていたような気がする。
点数は九十六点だった。いつもよりはやや低い。
「てなわけで勝負は俺の勝ちってことでいいな」
「むぅ、そんなに歌上手いなら先に言っておいてよ」
結菜は頬を膨らませながら文句を言ってくる。
だが勝負は勝負だ。勝利の報酬はきちんと受け取らせてもらう。
「まあ、考えとくよ。何をお願いするか」
「ん。わかった」
それからは交互に曲を入れ、カラオケを楽しんだ。結菜からデュエット曲のお誘いがあったので、二人とも歌える歌を探し、一緒に歌った。誰かと一緒に歌うのはこれが初めてだったので、いつもより力が入ってしまった。それでも結菜の楽しそうな顔を見ていると、こちらも楽しくなってきた。
あっという間に時間は流れ、二時間が経過した。電話がかかってきて、退室を促される。
料金を支払い、飴玉を貰った。
カラオケを出て、一緒に帰路に就く。
「別々に帰るか」
「えー今日ぐらいいいじゃん。一緒に帰ろうよ」
「でも、誰かに見られたらまずいだろ」
「こんな時間なんだから誰もいないって」
それもそうか。俺は考えを改め、結菜と一緒に帰ることにする。
帰り道、結菜は今日の選挙のことについて話題を切り出してくる。
「班目さんに突っ込まれた時、めっちゃ緊張したよね。あの子、質問になった瞬間に手上げるんだもん」
「まあ、班目からしても譲れないところだったんだろう」
班目は久世に彼女ができることを阻止したい目的がある。だから恋愛禁止を打ち立てた。だが、今日の討論会で、結菜に敗れ、旗色が悪くなったことだろう。
「それにしても久世くんは落ち着いていたね。冷静というか隙を見せないというか」
「誰もが会長としてふさわしいと考えるだろうからな。あいつに勝つのはそう簡単じゃない」
実際、今日の討論会で勝利を収めたといっていいほど、俺たちからすれば結果は上々だった。だが、それでもまだ久世たちが有利であることは変わらないだろう。やはりうちの学校にブランドを求める生徒も少なからずいるし、そういう生徒を取り込むのは難しい。既に久世に投票を決めている層が一定数いる以上、俺たちが不利な状況は変わらない。
「でも、穂高も格好良かったよ。久世くんに一歩も引いてなかったし」
「よせよ。照れるだろ」
「あー照れるんだ。照れてる顔見たい」
そう言って俺の顔を覗き込んでくる結菜。相変わらず、可愛い顔していやがる。男心を惑わす、魔性の女だ。俺はたまらず顔を背けると、すたすたと先をいく。
「あー待ってよ」
その後を結菜が小走りで追いかけてくる。
家の近所まで帰ってきたが、俺はある違和感を覚える。
「なんか、視線を感じるな」
「え、そう?」
結菜は何も気づかない様子だ。だが、カラオケを出てからずっと、誰かに後を付けられている。ねっとりとした視線がずっと俺たちの様子を窺っているのだ。
「気持ち悪いならさ、早いとこ、家入ろうよ」
「……ああ」
俺と結菜は一緒に玄関を開いた。家に入るとねっとりとした視線は消えたが、不安が拭えない。誰が、何のために俺たちを尾行していたのか。心当たりがあるとすれば……
「結菜、お前、気を付けろよ」
このアイドル並みに可愛い美少女、結菜のファンか何かだろう。結菜のストーカーというのが一番納得いく。これからできるだけ、遅い時間に帰宅することは避けるべきだ。そのことを結菜に伝えると、
「ええー、私のストーカー? いないでしょそんなの」
と、本人はいたってお気楽な様子だった。
自分の可愛さを自覚していないのか。そう突っ込んでやりたくなったが、俺は口を噤んだ。
確かに結菜は何も気づいていなかったし、俺の勘違いということも考えられる。普段注目されることのない俺が、注目されたことで、いつもより視線に敏感になっているのかもしれない。
冷静に考えると、仮にストーカーがいたとして、結菜と一緒に行動している俺の方が危なくないか。相手が男だとすれば、俺の存在は邪魔でしかないはず。むしろ、身の危険を感じるべきは結菜ではなく俺なのでは。
そう考えると、途端に寒気がしてくる。
「俺、今日はもう寝るわ」
「うん、おやすみ」
そう言ってごはんも食べずに俺は二階に上がる。もし、俺の勘違いで今後視線が消えるのであれば何の問題もない。ただ俺が過剰に反応しただけだろう。だが、もしも視線が消えなかったら。何か対策を取る必要はあるだろうか。警察に相談? いや、警察は事件が起きてからじゃないと動いてはくれない。なら、自分で犯人を捕まえるか。いや、相手がどんな武器を持っているかもわからない。危険すぎる。俺はそんな武闘派じゃないし、何もできずに殺されるかもしれない。
気持ち悪さが胃の辺りを支配してくる。選挙のこと、結菜の誘惑と問題は山積みなのに、次から次へと問題が発生してくる。俺は溜め息を吐きながらベットに横になる。
もしも犯人が結菜のストーカーだったら、俺は結菜を守れるだろうか。何の力もない俺に結菜を守る力があるだろうか。
結菜が傷つくところは見たくない。これでも大事な妹になった女子なのだから。
俺は考え事を脳内で巡らせ、ゆっくりと瞼を閉じる。その日は寝付くまでかなりの時間を要した。
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